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阿久根市のアートについて

今、家の外に出てを空見上げてみた。神奈川県はよく晴れていて”オリオン座が南の空に見えている。
ふと思った。過去のことではなく、未来のことを書いていこうと。

清田さんは、何のために阿久根市で多くのアートを書いたのか。。。。
阿久根市のため、阿久根市民のためです。
現在良くも悪くも報道され、鹿児島県阿久根市には、アートが”ある”というのが日本全国
多くの人々に知られました。

新市長 西原さんは、”消す”ということを言われていますが。。。。”もったいない”
消すことに何の意味があるのですか?

清田さんは、阿久根市の事情(対立の構図)があるなか正直苦労しながらやってきました。

西原市長に、提言です。(偉そうですみません)
アートを消すのではなく、活用する。
市長をはじめ商工会も市民の方も、(市長派、反市長派なんて考えなしてすよ)阿久根市民参加で
活用することを考え実行する。こんなことを考えてみては。
前市長が始めたことを、次の市長が市民皆と活用をする。
元に戻すのではなく、バトンを繋ぐ。そんな考えが持てたら阿久根は良くなっていくのではないでしょうか。

前宣伝は、今回の報道でお金もかけずに出来ました。(これプラス思考)
さあこれから、作り上げていきましょう。
著作権の問題等も、1つ1つ阿久根市全体としてお願いしてみて、無理なところは修正していく。
清田さんも阿久根のためにがんばってくれるでしょう。阿久根の子供が好きだから。

最後に、私の本音も言っておかなければいけないと思うので書かせてもらいます。

西原市長はじめ、阿久根市民の皆さん。
72歳の清田さんが、阿久根のためにと思い一生懸命がんばってきたんです。
清田さんの人生において、阿久根は本当に大きな1ページだと思います。

だからお願いします。この1ページを清田さんの気持ちになって少し考えてみてください。
よろしくお願いします。
金子 裕


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コメント

政治的なことを抜きにして、
描かれている内容そのものにアートを感じません。
感じたことを一言で表現するなら「悪趣味」です。

当方は芸術家ではないので、
おまえは間違っているといわれればそれまでですが、
自己の発露、表現こそがアートなのではないでしょうか。
パクリ、パロディーがアートになる可能性は否定しませんが、
これらの壁画からは、
アートというべき発露、表現を感じることができません。

嫌悪を感じる方がいることに不思議は感じないのですが、
嫌悪を感じることは政治的なのでしょうか。

単純に消さないと権利者から訴えられて損害賠償を支払う羽目になる可能性があるからですよ。
清田氏が責任をもって権利者から許諾を全て得るというのなら別ですがね。
また、パロディということを主張されるなら、市が損害賠償を支払うことになった場合に清田氏がそれを負担する覚悟があるという事なのでしょうか。

>この1ページを清田さんの気持ちになって少し考えてみてください。
まずは、清田定男さんがパクった作品の作者・著作権者の気持ちを考えるべきではありませんか?
子供たちに広く浸透するほど知られた作品というのは、直接の作者をはじめ多くの人が様々な努力をして作られたものです。
それを無断で使われたとしたら、それらを創り上げた人はどんな気持ちになるでしょうか?それを考えた事はありますか?
そんな人が「自分たちの気持ちを考えろ!」などというのはとても傲慢なことだと思います。
それにそもそも結果として事後承諾で著作権者の理解を得られたとしても、無断で利用するという行為は道徳的に正しいとは到底言えることではありません。
子供の為にという言葉を免罪符として使ってはいけません。
法的にも道徳的にも間違った行いをしておいて、それを「子供の為にやった事だから」というのは罪を子供に押し付けているだけです。
大人として子どもに見せるべきなのは、正しい行いをする大人の姿です。
子供の為にと間違った行いをするのは大人の自己満足でしかありません。

阿久根市民のため、子供のためという言葉は
著作権侵害の免罪符になりませんよ。

>>72歳の清田さんが、阿久根のためにと思い一生懸命がんばってきたんです。
仕事として受けた以上、「一生懸命」することは当たり前のことですね。
わざわざアピールするほどのことではありません。

清田さんが一生懸命に頑張った犯罪行為を認め、市が有効に活用するべきだという主張ですね。

過去だの未来だのと、一見まともでも中身の無い子供みたいな見解を仰る前に、
今現在の現実を認めて法規的に判断する能力を身に付けられた方が、より良い未来を作れるのだと思いますよ。

それとも「子供のため」という言葉が指すのは、子供理論を展開されている「子供のような方々」なのでしょうかね。

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