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韓国宇宙産業技術スパイ①-4 コ・サン
『観光でした、自尊心は傷つけられましたよ』…コ・サン、2年ぶりの証言「私が宇宙船に乗れなかった理由」
2010年5月13日21時36分
韓国 kukinews.com KUKINEWS クッキーニュース
KUKMINILBO 国民日報 カン・ジュング記者
http://news.kukinews.com/article/view.asp?page=1&gCode=all&arcid=0003704781&code=11110000
※日本語機械訳意訳 ※URLリンクはコピペしてください
写真
上
「大韓民国第1号宇宙飛行士」に選ばれ、終盤に脱落したコ・サン氏が、
2007年、ロシアのユーリ・ガガーリン宇宙飛行士訓練センターで、無重力訓練を受けている姿。
韓国航空宇宙研究院提供
下
去る10日、本誌とのインタビューを持ったコ氏は、
『もう大丈夫です、いつかは必ず宇宙に出て行くでしょう』と、
時折明るい表情をみせた。 チェ・ジョンハク記者
http://image.kukinews.com/online_image/2010/0513/100513_11_1.jpg
※元々の記事の写真
http://megalodon.jp/2011-0118-2150-11/www.aimix-z.com/gbbsimg/sample4/21116.jpg
※以上の写真説明文を翻訳者が翻訳してテキスト化したもの付き画像
『おい、サン。部屋を見せろ。』
2008年2月、ロシアのモスクワ近隣の、ユーリ・ガガーリン宇宙飛行士訓練センター。
大韓民国初の宇宙飛行士候補として選抜され、訓練中だったコ・サン氏(34)の部屋に、保安要員が押しかけた。
ここでのコ氏は名前の「サン」で通った。
状況の把握ができずに呆然とするコ氏を横に置き、保安要員は部屋を調べ、一冊の本を捜し出した。
飛行段階別宇宙船操作法などが入った飛行教材であった。エンジニア級以上の宇宙飛行士が見ることができるものだ。
「飛行参加者」に分類されたコ氏には、閲覧が許されていなかった教材だった。
コ氏は、この教材を、訓練センターのあるスタッフから借りてみていた。
保安要員は本を持って消えた。コ氏は深いため息を吐いた。
宇宙飛行士訓練センターは国家的主要施設であり、ロシアの情報当局の常時監視対象だ。
最先端の宇宙技術を保護するための措置だ。
コ氏の、「本を借りてみてみる」という行為は、監視網を避けるにはとても大胆だった。
これを知らないはずがないコ氏だったが、「愚かな事」だった。
何日か後、ロシア連邦宇宙庁は、韓国政府に対し、
『コ氏が規定を違反したので、宇宙飛行士候補を交代させなさい』と要求した。
1ヶ月後の3月10日、
コ氏の宇宙船搭乗宇宙飛行士の席は、予備飛行士候補であるイ・ソヨン(32才 女性)氏へ移った。
韓国初の宇宙飛行士の席が変わると、すぐに国内の世論が揺れ動いた。
宇宙技術を入手しようとしたという「スパイ説」、
女性宇宙飛行士輩出のために犠牲になったという「いけにえの羊説」、
外交問題に仕立て上げ、韓国政府を圧迫しようとしたという、
ロシア連邦保安局(FSB)による「工作説」等が持ち上がった。
宇宙飛行士輩出事業は、
韓国政府が宇宙開発中長期基本計画の一環として、ロシア政府と契約を結んで推進した国家的事業だ。
コ氏は、何もしなければ宇宙に行くことができたのだ。
ところで、なぜ禁止されていた教材の「覗き見」をしたのか。
あれから2年が過ぎ、コ氏は口を開いた。
去る10日、ソウル汝矣島(ヨイド)で会ったコ氏は多弁だった。
韓国航空宇宙研究院(航宇研)の専任研究員として在職中の彼は、
当時を「選択の瞬間」だったと率直に打ち明けた。
その選択は、「韓国初の宇宙飛行士」という栄冠を奪い去った。
しかし、『後悔しない』とした。
経緯について口を開いた
宇宙飛行士候補が交代させられた直後、
訓練センターでは1ヶ月先に迫った4月8日、ソユーズ号発射計画のブリーフィングが始まった。
ロシアの報道機関と外信記者100人余りを前に、
リ氏が搭乗宇宙飛行士候補、コ氏が予備宇宙飛行士候補として立った。
『韓国の宇宙飛行士候補が交代させられたが、彼はいったい何をしたのですか?』
あるロシア記者はコ氏を指定し、取り調べするかのように大声で尋ねた。
ロシアの記者たちは、コ氏の返事を待って、全員英語の通訳者の方を注目した。
その時、コ氏は話し始めた。ロシア語であった。
『私は、この国に宇宙飛行士になろうとやってきたのであって、
宇宙観光客になろうとやって来たのではありません。
こういう取り扱いを受けるとは思いませんでした。』
閲覧を禁止されていた飛行教材を暗記したのか尋ねられると、
コ氏は間を置かずに返事の代わりにそう答えた。
韓国を代表した宇宙飛行士に対する礼を失した態度に、抗議したかったということだ。
- なぜ閲覧を禁止されていた飛行教材を見たのですか?
『自尊心の問題でした。私は普段、授業時間に質問をたくさんしました。
あるとき、ロシア人の教官が私の質問に対してこういう話をしました。
「韓国の訓練生に対する教育目標が何か分かるか?宇宙船が飛んで行く時、
他の人たち(つまりはロシア人宇宙飛行士たち)の邪魔をしない程度のことだけを教えるということだ」
そういった事を言われました。
怒りが頭のてっぺんまで込上げましたよ。』
ソユーズ号の操縦席には三人が並んで座る。
中央は船長、左側はエンジニア、右側は補助エンジニア、または単なる飛行参加者の席です。
コ氏の座席は船長の右側。それも補助エンジニアではなく、飛行参加者の扱いを受けた。
大韓民国を代表した、韓国初の宇宙飛行士としてやって来た、国民の期待を背負った彼だったが、
ロシア訓練センターでは単純な「観光客」としての扱いを受けたのだ。
-契約に従うはずだったのではないのですか?
『マイクロソフトのエクセルのプログラム開発者である、チャールズ・シモニーとともに訓練を受けました。
2500万ドルを払った彼こそ本物の宇宙観光客でした。お金を出して宇宙見物に行くんです。
彼が韓国の訓練生と同じコースで訓練を受け、12日間も宇宙ステーションに滞在するといったのです。
私は韓国の国家の代表として派遣されたのではないのか。
飛行中に何も考えず、ただ漫然と座っていてはいけないという気持ちになりました。』
-教材を通じて具体的に何を身につけようとしたのですか?
『少なくとも、私が乗って行く宇宙船がどんな状態なのか、
どのように飛んで行くのかぐらいは理解しなければならないと考えました。
ロシア語ができなかったので、授業時間には英語の通訳者が同行しました。
しかし、講義通訳だけでは不十分でした。それでロシア語の勉強を始めました。
4~5ヶ月間独学した後には、授業後に教官を訪ねて行って質問したりしました。
それを分かっていた訓練センターのロシアスタッフが、私に教材を貸すことになった。』
-つまり、自尊心を傷つけられて契約に違反したというのですか?
『信念でした。選択の瞬間だった。じっとしていても宇宙に行くことはできたでしょう。
しかし、それでは観光客になっていたでしょう。誰でも私と同じ立場だったら同じことをしたと思います。』
-一生に一度だけかもしれないチャンスが消えました。後悔しはしていませんか?
『私は韓国人としてすべき仕事をしたというだけです。
(私を追い出した)ロシア人たちもすべき仕事をしたというだけのことでしょう。
後悔はしていません。ロシアでの生活を通じてたくさんの事を学びました。』
宇宙飛行士と観光客の間
韓国の宇宙飛行士は、果たして宇宙観光客に過ぎなかったのか。答えは訓練プログラムにあった。
生命維持装置の使用法のような、生存訓練と宇宙船に関する理解、
国際宇宙ステーション(ISS)での実験方法案内…。
コ氏は、ロシアの訓練センターで受けた授業が、その程度であったと語った。
宇宙飛行と関連した専門知識は、1~2時間程度の分量の講義がすべてであった。
韓国宇宙飛行士訓練プログラムは、内容を突き詰めれば宇宙観光客の訓練マニュアルと同じ水準だったという。
訓練費用を支払う主体が違っただけだ。
慈悲で宇宙船に乗った宇宙観光客と違い、韓国の宇宙飛行士を支援したのは韓国政府であっただけのことだ。
-これまでの間、科学界でも政府の宇宙飛行士輩出事業を、
「韓国初の宇宙観光客排出事業」と批判する声がありました。
『もっともな指摘です。我が国に技術がなく、ロシアにお金を出して宇宙船に乗りに行っただけのことですから。
もちろん、宇宙開発を始める段階ではその程度の事も必要だと思います。
少ない費用で宇宙に対する関心を高めることができるからです。』
-関心を高めるという目的は達成されたと考えるんですか?
『宇宙飛行士輩出事業が、単発的な行事のようになってしまって惜しいです。
宇宙に行く事ができていれば、フィギュアのキム・ヨナ選手ほどではなくとも、
「アポロ博士」と呼ばれた、故チョ・ギョンチョル博士様のように愛され、
夢を分け与えることができると考えました。
第二期宇宙飛行士事業があるならば、そのような点などを補完したものにならなければならないでしょう。
技術をたくさん習得することができないのも残念な部分です。
宇宙飛行士輩出に使った費用、260億ウォンは少ない額ではありません。』
羅老号の「ロシア花火」
昨年の8月25日、韓国初の宇宙発射体「羅老号」第1次発射の時、彼は放送局のスタジオで発射の過程を生中継した。
たとえ宇宙に行けなくとも、彼の人生で宇宙は相変らず大きい席を占めている。
-羅老号を見てどんな気がしましたか?
『とにかく気持ち良かったんですよ。
成功の可否と関係なしに発射体が上がる瞬間、本当に気持ち良かったんです。
研究陣たちは苦労が多かったであろうが、実は結ぶんだなぁと、
一方で、あの花火が私たちの花火だったらばいいのに、という気もしました。
上段部(2段)は私たちが開発したが、ロケット(1段)はロシアから輸入したものだから。
それではロシアの花火でしょう。
今回ロケット技術をある程度得るべきだったのに…。』
-羅老号発射に5000億ウォン以上投入されました。
今、韓国にこういった投資は本当に必要なのでしょうか?
『宇宙が遠いと考えますか?国際宇宙ステーションは、せいぜい地球の上空400kmにあります。
ソウル~釜山間の距離です。
宇宙は未開拓の地でも、漠然とした憧憬の対象でもありません。
無数に多くの人工衛星が漂う、すでに競争的に利用されている空間です。
私たちも飛び込むべきではないでしょうか。』
-大韓民国が宇宙強国になることができるでしょうか?
『米国のバラク・オバマ大統領は、就任後に宇宙分野の予算を全面削減しました。
経済的妥当性がなければ、先進国もあきらめるべきことはあきらめます。
後発走者には、より一層戦略が必要です。
どのように持続可能な方法で技術を開発するのか、その答えを探さなければなりません。
それが今後の宇宙開発の分岐点になるでしょう。』
宇宙飛行士「コ・サン」の夢
コ氏はロシアから帰ってきた後、休む暇もなく講演した。
英才学校、科学高校、保育園、少年院をあまねくたずねて歩いた。
「子供たちが宇宙を夢見るようにしよう。」宇宙に行った後にやらなければならないと決心したことだった。
たとえ宇宙に行くことができなかったとしても、彼は自分の中の約束を熱心に守った。
私の役割は終ったと考えた頃、彼は留学を決心した。
コ氏は、米国のハーバード大学ケネディスクール公共政策大学院の全額奨学生に選抜され、9月に入学する。
宇宙飛行士プロジェクトを通じ、科学技術「政策」の重要性を身をもって感じたためだという。
-なぜ公共政策大学院を選択したんですか?
『科学は人間の生活を根こそぎ変える力があります。
国家的競争力を左右するのも科学技術でしょう。
しかし、科学技術政策の分野は専門的人材も不足し、一般人の認識もやはり低いです。
宇宙飛行士事業と羅老号を見ながら、切実に感じました。
科学技術政策をまともに勉強してみるつもりです。
同時に、国際関係の分野も学んでいきたいです。
国家間の協力関係により、科学プロジェクトの結果を変えることができるからです。』
2年前、コ氏は宇宙飛行士に最も近い韓国人だった。
機会を捨てたのは彼であり、それは選択だった。
しかし、「宇宙飛行士 コ・サン」は夢を捨ててはいなかった。
『地球で見上げる夜空も、宇宙ステーションから見るのも同じでしょう。
ただし、地球を見下ろすことができるという点が違います。
地球に住む人が、地球を見下ろすために宇宙に行きます。
アイロニカルですがそれが科学の魅力です。
いつかは必ず宇宙に出て行くでしょう。宇宙は夢で希望ですから。』
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