第1話 「近衛木璃絵の誕生(上)」
身体が軋む。
■■■■■■が崩レオチル、ぎちぎちと、無限の剣が内奥を磨り砕く。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い、違う、この身は無痛、ならばなぜ痛みが?
「がっ!」
崩レオチル、捻ジレクルウ、これが死か? ならばなぜ痛い?
「ぐぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
──光が終息し、闇が終わり、世界が姿を現した。■■■■■■はこの世界に否定され、
変換され、それを支えたアヴァロンだけを残し、異なるモノとなって横たわる。
「まったく、面倒な」
茶々丸に愚痴りながら、エヴァンジェリンは空を疾駆する。
森の奥深くの結界の反応、そんなものに気づいてしまうわが身を憎らしく思うこともできず、
彼女は舌打ちを繰り返している。
「マスター、もうすぐです」
「ん。注意しろ。尋常ではない魔力だ。じじいへの連絡は?」
「完了しております」
「……あれか」
エヴァはタメ息をつきながら、その場へと舞い降りた。
「まったく、何事かと思えば…誰だこいつは」
眼前には裸体の少女。身体を覆い隠すような長い鉄錆の赤の髪、
異様に整った顔は眼を開けば鋭利な刃物のような印象を抱かせるのかもしれないが、
今は赤子のようなあどけなさだけがそこに浮かんでいる。
小さく上下する胸には豪奢な鞘。彼女はそれを抱き枕のようにして眠っていた。
「マスター、いかがいたしましょう?」
「……お前のやりたいようにやれ。私は帰る。ド●クエの続きをやる。こんな奴は知らん」
「……イエス、マスター」
茶々丸は本当に行ってしまったエヴァを見送って、
しばし迷うように見知らぬ少女と鞘を順番に見ていたが、やがて決心したように少女を背負った。
「おぉ、茶々丸。大丈夫じゃったか…エヴァはどうした?」
どこからともなく現われた老人に、茶々丸は器用に顔だけを向け、
少女を守るように、その質問に答えた。
「マスターはお帰りになられました」
「して、その子が侵入者…なのじゃな?」
「はい。今から病院へ連れて行こうと思います」
「……それがよかろう。事情を聞くのは目が覚めてからでもいいじゃろうて…すまんが頼んだぞ」
「了解しました」
一週間後、病室にて
「目が、覚めたかのう?」
「じーさん、だれ?」
反射的に、俺は答えを返した。
目の前にはなんだかよくわからない生き物がいる。
「わしか? わしは近衛近右衛門。麻帆良学園の学園長じゃ」
「まほら?」
「知らんのか?」
「うん。知らない」
医者の説明によると、この少女は記憶喪失であるらしかった。
少女を説明するモノはあの「鞘」のみであり、それ以外は無きに等しかった。
わしの孫に匹敵する魔力以外には。
「そうか。知らんか」
「うん。知らない」
「名前は、何というのじゃ?」
「な、ま、え」
ノイズ、■■■■■■、真っ白な天井、名前、名前、俺の、名前、なぜ、思い出せない、
「う、ぁ」
思い出せないはずない、そんな、わけが、
──そんなもの、ありはしない
「ひ、ぁ!」
「すまんかった。思い出さずともよい。ないのなら、わしがつけてあげよう」
「じーさん、が?」
「おうとも。一週間ずっと考えておった」
「おし、えて、」
俺が、誰なのかを
「近衛木璃絵(キリエ)。どうかの?」
じーさんは、不安そうな顔で、俺の答えを待っていた。
じーさんは、俺に名前をくれたみたいだ。
俺は、近衛、木璃絵、
「もらって、いいの、か?」
「いいとも。お前さんがそれでいいのなら」
「ありが、とう」
近衛、木璃絵、キリエ、俺、
「さあ、もう休むんじゃ。次に目を覚ました時、
お前さんはきちんと生きていけるようになっている。わしに任せなさい。次は、孫を、紹介しよう」
「ありが、と、う」
木璃絵は泣きながら、ありがとうを繰り返していた。
近右衛門は木璃絵が眠るまで、枕頭を離れずに、少女の頭を撫でていた。
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■■■■■■が崩レオチル、ぎちぎちと、無限の剣が内奥を磨り砕く。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い、違う、この身は無痛、ならばなぜ痛みが?
「がっ!」
崩レオチル、捻ジレクルウ、これが死か? ならばなぜ痛い?
「ぐぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
──光が終息し、闇が終わり、世界が姿を現した。■■■■■■はこの世界に否定され、
変換され、それを支えたアヴァロンだけを残し、異なるモノとなって横たわる。
「まったく、面倒な」
茶々丸に愚痴りながら、エヴァンジェリンは空を疾駆する。
森の奥深くの結界の反応、そんなものに気づいてしまうわが身を憎らしく思うこともできず、
彼女は舌打ちを繰り返している。
「マスター、もうすぐです」
「ん。注意しろ。尋常ではない魔力だ。じじいへの連絡は?」
「完了しております」
「……あれか」
エヴァはタメ息をつきながら、その場へと舞い降りた。
「まったく、何事かと思えば…誰だこいつは」
眼前には裸体の少女。身体を覆い隠すような長い鉄錆の赤の髪、
異様に整った顔は眼を開けば鋭利な刃物のような印象を抱かせるのかもしれないが、
今は赤子のようなあどけなさだけがそこに浮かんでいる。
小さく上下する胸には豪奢な鞘。彼女はそれを抱き枕のようにして眠っていた。
「マスター、いかがいたしましょう?」
「……お前のやりたいようにやれ。私は帰る。ド●クエの続きをやる。こんな奴は知らん」
「……イエス、マスター」
茶々丸は本当に行ってしまったエヴァを見送って、
しばし迷うように見知らぬ少女と鞘を順番に見ていたが、やがて決心したように少女を背負った。
「おぉ、茶々丸。大丈夫じゃったか…エヴァはどうした?」
どこからともなく現われた老人に、茶々丸は器用に顔だけを向け、
少女を守るように、その質問に答えた。
「マスターはお帰りになられました」
「して、その子が侵入者…なのじゃな?」
「はい。今から病院へ連れて行こうと思います」
「……それがよかろう。事情を聞くのは目が覚めてからでもいいじゃろうて…すまんが頼んだぞ」
「了解しました」
一週間後、病室にて
「目が、覚めたかのう?」
「じーさん、だれ?」
反射的に、俺は答えを返した。
目の前にはなんだかよくわからない生き物がいる。
「わしか? わしは近衛近右衛門。麻帆良学園の学園長じゃ」
「まほら?」
「知らんのか?」
「うん。知らない」
医者の説明によると、この少女は記憶喪失であるらしかった。
少女を説明するモノはあの「鞘」のみであり、それ以外は無きに等しかった。
わしの孫に匹敵する魔力以外には。
「そうか。知らんか」
「うん。知らない」
「名前は、何というのじゃ?」
「な、ま、え」
ノイズ、■■■■■■、真っ白な天井、名前、名前、俺の、名前、なぜ、思い出せない、
「う、ぁ」
思い出せないはずない、そんな、わけが、
──そんなもの、ありはしない
「ひ、ぁ!」
「すまんかった。思い出さずともよい。ないのなら、わしがつけてあげよう」
「じーさん、が?」
「おうとも。一週間ずっと考えておった」
「おし、えて、」
俺が、誰なのかを
「近衛木璃絵(キリエ)。どうかの?」
じーさんは、不安そうな顔で、俺の答えを待っていた。
じーさんは、俺に名前をくれたみたいだ。
俺は、近衛、木璃絵、
「もらって、いいの、か?」
「いいとも。お前さんがそれでいいのなら」
「ありが、とう」
近衛、木璃絵、キリエ、俺、
「さあ、もう休むんじゃ。次に目を覚ました時、
お前さんはきちんと生きていけるようになっている。わしに任せなさい。次は、孫を、紹介しよう」
「ありが、と、う」
木璃絵は泣きながら、ありがとうを繰り返していた。
近右衛門は木璃絵が眠るまで、枕頭を離れずに、少女の頭を撫でていた。
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