求刑無期懲役、判決有期懲役 2010年度





 2010年度に地裁、高裁、最高裁で求刑無期懲役に対し、有期懲役・無罪の判決が出た事件のリストです。目的は、無期懲役判決との差を見るためですが、特に何かを考察しようというわけではありません。あくまで参考です。
 新聞記事から拾っていますので、判決を見落とす可能性があります。お気づきの点がありましたら、日記コメントでご連絡いただけると幸いです(判決から7日経っても更新されなかった場合は、見落としている可能性が高いです)。
 控訴、上告したかどうかについては、新聞に出ることはほとんどないためわかりません。わかったケースのみ、リストに付け加えていきます。
 判決の確定が判明した被告については、背景色を変えています(控訴、上告後の確定も含む)。

What's New! 12月21日、秋田地裁は鈴木喜造被告に対し懲役30年判決(求刑無期懲役)を言い渡した。




【最新判決】

氏 名
鈴木喜造(68)
逮 捕
 2008年7月16日
殺害人数
 3名
罪 状
 殺人
事件概要
 秋田県八峰町の無職鈴木喜造被告は、父親の介護疲れや妻の病苦などから無理心中を決意。2008年6月28日午前3時過ぎ、自宅で寝ていた父(当時93)、妻(当時65)、長男(当時39)の頭をハンマーで殴り、殺害した。鈴木被告はその後包丁で自ら両手首を切り、無理心中を図ったが、命を取り留めた。
裁判所
 秋田地裁 馬場純夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年12月21日 懲役30年
裁判焦点
 2010年8月13日の初公判で、鈴木喜造被告は起訴内容を認めた。
 検察側は冒頭陳述で、喜造被告が父の介護に疲れ、妻が胆のうガン、自分も糖尿病を患っていたことなどから将来を悲観したことが動機と述べた。また、3人を体力のある順番に殺害していることから、「合理的な犯行態様」などとして、責任能力はあるとした。
 一方、弁護側は冒頭陳述で、「当時、被告が行ったことに間違いはない」と起訴事実については争わないことを示したが、「犯行時、被告は介護疲れと妻や自分の病気でストレスがたまり、抑うつ状態だった。責任能力はなく、法的結論として無罪」と主張した。
 裁判では起訴内容に争いはなく、被告の責任能力の有無や程度が争点となっており、検察、弁護側双方の鑑定医による精神鑑定が行われた。鑑定の結果、検察側の鑑定医は完全責任能力を認め、弁護側の鑑定医は責任能力は限定的だったと結論づけていた。  9月29日の論告で検察側は、被告が妻の病気や本人の体調悪化などで不満やうっ屈とした気持ちを大きくしていったことを背景にした短絡的な犯行と指摘。同年5月ごろから次男や妻、長男に「何やるか分からない」「おめがたどこ殺して、おれも死ぬ」などと話していたことから、計画性がうかがえるとした。また医師の精神鑑定で、完全責任能力を有していたとした。そして長男、妻、父の順で殺害に及んだのは「抵抗される可能性の高い順だったため」であるとし、被告は事件当時も合理的に思考していたとした。
 同日の最終弁論で弁護側は、被告が事件当時重度の抑うつ状態にあり別の医師の精神鑑定などから責任能力は限定的だったとし、妻のがんの転移などで精神的に追い詰められ同情の余地があると訴え、情状酌量を求めた。
 馬場純夫裁判長争点となっていた鈴木被告の責任能力や程度について、「抑うつ状態ではあったが、犯行への影響は小さい。善悪の判断や行動を制御する能力はあった」として完全責任能力を認め、心神耗弱状態だったとする弁護側の主張を退けた。その上で、家族3人の頭部をハンマーで3、4回殴り、さらに約5分間首を絞めて殺害したことを「誠に無慈悲で無残かつ残忍」と非難。犯行当時、妻ががんにかかり、被告自身も糖尿病が悪化するなど相当に困難な状況ではあったとしたが、「動機はあまりに短絡的で一方的。家族3人の意思を全く無視した独り善がりなもの。困難から解放されるために無理心中を図ることは許されない」と指摘した。一方、犯行当時の状況を「先行きへの不安や絶望感を抱いたことはごく自然で、同情すべき」とし、家族を思って長年地道に働いたことや、後悔の念を示していることなどを考慮。「無期懲役には躊躇を覚え、有期懲役刑を選択した上で上限の刑期を定めるのが相当」と判断した。
備 考
 検察側は控訴せず。

【2010年度 これまでの有期懲役判決】

氏 名
影山克也(44)
逮 捕
 2009年7月1日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反
事件概要
 札幌市の元暴力団組員で影山克也被告は2009年6月29日午後6時55分頃、札幌市に住む会社員の男性(当時52)の自宅マンション駐車場で、男性の胸や腹を出刃包丁で複数回刺し、出血性ショックで殺害した。  2007年12月18日、札幌市のコンビニエンスストア駐車場で、男性が後退させた車と影山被告の車が接触。影山被告は同乗の女性2人とともに慰謝料など計約280万円を求めたが、札幌地裁は2009年1月15日、「事故被害を大きく見せるために供述内容を誇張している」として退けた。男性は影山被告の車の修理費として約3万円を支払ったが、影山被告は男性の会社に押しかけるなどしていた。影山被告は札幌市でスナックを経営していたが、5月頃に閉店していた。
 影山被告は6月29日夜、「自分が刺した。2日間待ってくれ」と道警に連絡。7月1日朝、タクシーで札幌中央署に出頭した。
裁判所
 札幌地裁 井上豊裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年1月15日 懲役20年
裁判焦点
 裁判員裁判。被害者参加制度が適用され、男性の弟と母親、妻の3人が出席した。
 2010年1月13日の初公判で影山克也被告は起訴内容を認めた。
 冒頭陳述で検察側は「交通事故をきっかけに、男性から不当に利益を得ようとしたが認められず、逆恨みした犯行」と主張。弁護側は「影山被告が男性と直接、話し合って民事訴訟の判決を覆したいと考え、男性に声をかけたが、いきなり殴られて、頭が真っ白になって包丁で刺した。当初は殺すつもりはなく、包丁は脅すために持っていた」と訴えた。
 証拠調べでは、検察官が「非常に凄惨ですが、犯行状況を明らかにするために必要」と述べ、裁判官と裁判員の手元のモニターに遺体や傷口の写真などを表示した。思わず、モニターから顔をそむける裁判員もいた。
 1月14日の公判における被告人質問で、男性の弟が代理人の弁護士を通じ「これまで謝罪がないのはなぜか」と質問。影山被告は「何を言ってもうそだと思われるし、謝罪を言葉にできない」と述べた。さらに、女性裁判員が「今後も謝罪しないのか」と尋ねると、影山被告は「何を言えばいいのか分からないのが、今の心境」と述べた。その後、弟は「被告は『生ける凶器』。絶対に許したくない。死刑を望みたい」と、時折声を詰まらせながら述べた。男性の妻と母は、それぞれ書面で「夫を、まだ納骨する気になれない。骨でもいいから、ずっと一緒にいたい」「息子はどんなに痛かったか。本当に無念だったと思う」と心情をつづり、井上裁判長が読み上げた。
 1月15日の論告で検察側は「被告が一方的に逆恨みし、まったく落ち度のない男性を計画的に惨殺した」と主張。これに対し、弁護側は最終弁論で「被告の殺意はとっさに生じた。反省しており、更生も可能」と述べ、懲役15年が相当と主張した。
 被害者参加人として参加した遺族の代理人弁護士は「謝罪もなく、更生は期待できない」として死刑が相当と訴えた。影山被告は最後に「みなさまに大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」と述べた。
 同日の判決で井上裁判長は「結果は非常に重大で犯行態様は残忍。納得のいかない(交通事故をめぐる)裁判をやり直すという、不当な目的を達成するため被害者と接触した結果の犯行で、経緯に酌むべき事情もない」と指摘した。しかし影山被告が男性との交通事故の民事裁判の判決に納得せず、話し合うために会ったと認定。殺害目的で会ったとする検察側主張を退け、「同種事案との均衡や計画的犯行でないことに照らすと、無期懲役を科すべきではない」とした。
 最後に井上裁判長は、影山被告が遺族に謝罪していないことに触れ「なぜ謝ることができないのか。遺族に対してやるべきことが残っている気がします」と説諭した。
備 考
 北海道の裁判員裁判では初めての殺人事件の審理。裁判員裁判における被害者参加制度の適用も道内では初めて。
 1月15日午前11時すぎに結審。その後、裁判員と裁判官で評議をし、判決言い渡しは40分遅れの午後5時半ごろだった。
 判決後の記者会見で、結審当日の判決言い渡しについて、裁判員を務めた30代の女性は「もう少し話し合う時間があってもいいのでは」と述べた。
 今回、道内の裁判員裁判では初めて、被害者参加制度が適用された。参加した遺族は「被害者の名誉が守られた。心情を裁判官と裁判員に直接伝えることができ、ありがたかった」とコメントした。
 被告側は控訴した。2010年2月22日、控訴取り下げ、確定。

氏 名
伊東順一(58)
逮 捕
 2007年2月2日
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、住居侵入、窃盗罪
事件概要
 大分県豊後大野市の無職伊東順一被告は2005年3月14日、同市で一人暮らしをしていた顔見知りの女性(当時61)方に勝手口から鍵を壊して侵入し金品を物色。帰宅した女性に見付かったため、女性の頭をコンクリート塊(重さ約800g)片で殴ったり、首を絞めたりして殺害。乗用車と商品券2枚(時価計約59万円)を奪った。伊東被告は3月8日頃にも女性方に勝手口から侵入し、13万円を盗んでいた。
 遺体は19日に発見され、車は翌日、自宅から約2.5km離れた空き地で見付かった。
 伊東被告は2005年12月、同県竹田市の住宅で缶ビールなどを盗んだとして竹田署に逮捕され、2006年2月に大分地裁で懲役2年の判決を受けた。2006年7月、福岡高裁で懲役2年の判決が確定し、福岡刑務所で服役中だった。
 伊東被告は福岡高裁に控訴中の2006年5月、取り調べで「(女性の)家と車の鍵を川に捨てた」と関与をほのめかした。有力な物証に乏しかったが、大分県警は現場資料の積み重ねなどから2007年2月2日に逮捕した。
裁判所
 大分地裁 宮本孝文裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年2月23日 無罪
裁判焦点
 伊東被告は捜査段階で容疑を大筋で認めたが、公判前整理手続き前には無罪を主張した。
 公判前整理手続きで焦点は、伊東被告が犯人であるかどうか▽捜査段階における伊東被告の自白の任意性▽任意性がある場合その供述の信用性――の3点に絞られた。
 2008年9月8日の初公判で、伊東被告は「私は関係ありません」と起訴事実を否認し、無罪を主張した。
 検察側は冒頭陳述で伊東被告が2007年2月、大分地裁での拘置理由開示手続きで「犯人であることを自発的に発言し、反省、悔悟の気持ちを述べた」と指摘。事件後、滞納していたガス代を支払うなど経済的に潤い、被害者の車でパチンコ店に行ったのが目撃されている、伊東被告が知人に渡した商品券は女性宅から盗んだものとみられるなどと述べた。この日、検察側が申請していた414通の証拠と延べ138人の証人のうち、112通の証拠と延べ65人の証人が採用された。
 同日、弁護側は「取り調べ時に威迫や利益誘導があった。取り調べは録音・録画されておらず、任意に作成されたことを立証する証拠がない」と自白調書の信用性を否定した。また「被告が車を運転していたとする防犯カメラの画像データは保存状態に問題があり、画像も不鮮明で犯人性を基礎づけるものではない」などと主張した。
 2009年4月23日の被告人質問で、伊東被告は「長時間にわたる取り調べでつらい思いをした。署名、なつ印すれば刑事が納得すると思いやけくそだった」と話し、無罪を主張した。一方、取調官が作ったストーリーに合わせて供述したと主張する伊東被告に対し、検察側は伊東被告が調書の中で「首を絞めていない」などと反論していることから、取調官の言いなりではなかったとした。
 6月15日、大分地裁は伊東被告が容疑を認めた自白調書の任意性はあると判断し、証拠採用した。
 飲食店主が、市内のスーパー駐車場で伊東被告から被害者の車と似たものを「自分の車だ」と言われた、「伊東被告が車の鍵を開け、ルームランプがついた」と証言したことを受け、7月30日深夜から31日未明にかけ、駐車場で検証を行った。弁護側は「被告は見えを張って、関係ない車を自分の車と言った。ネオンが明るい中で、離れた場所からルームランプは見えない」と主張している。検証では、裁判官3人や弁護士、検察官が参加し、被害者から奪われた車と同型車を使い、何度も鍵を開けて、点灯がわかるか確認した。裁判所が現場で検証するのは珍しい。
 12月1日の論告求刑で検察側は捜査段階の自白について、「体験した者しか語り得ない内容(秘密の暴露)があり、信用性があるのは明らか」と主張し、公判で否認したことを「事実から背を向けたもの」と述べた。そして「被告の犯行であることは裏付けられており、悪質で冷酷非道」と指摘。「自分は犯人ではないと不合理な弁解に終始しており、反省の態度は一切認められない」と述べた。
 同日の最終弁論で弁護側は捜査段階の自白を「捜査官の長時間にわたる取り調べ、追及を受けたため」と指摘。「供述調書は、自白と否認が交錯しており、信用性が著しく低い」と訴えた。そして「被告が犯人という客観的な証拠はない」と無罪を主張した。
 伊東被告は最終陳述で「わたしはやっていません。それだけは言っておきます」とあらためて無罪を主張した。
 判決で宮本裁判長は殺害状況から犯人は多量の返り血を浴びた可能性が高いにもかかわらず、「(被告が強奪したとされる)被害者の車のシートカバーなどに血痕が全く残っていないのは不自然」と指摘。伊東被告が奪ったとされた車と、被告本人が事件後に映っていたとされる現場近くの防犯カメラについて「似ているという域を出ない」と述べ、「被告人が犯人ではないかと疑わせる事実がいくつか存在するが、自白を除く証拠だけで、被告の犯行と認定することはできない」とした。凶器のひもの態様など検察側が主張した犯人しか知り得ない「秘密の暴露」も「暴露には当たらない」と退けた。伊東被告が犯行を認めた供述調書についても、「自白と否認を繰り返すなどしており、信用性には疑問がある」と述べた。その上で「法的な意味で任意性に欠けるというものではないとしても、内容に不自然ないし不合理な部分があり、意に反して自白した可能性も否定できない」とした。また、別件の窃盗事件の起訴後の拘置を利用して、強盗殺人事件を取り調べたことについて「令状主義を逸脱する違法なものであった可能性を否定できない。相当厳しく追及された可能性がある」と、捜査手法を批判した。
備 考
 公判前整理手続き中、弁護側は、伊東被告が捜査段階で自白した内容の供述調書の適法性を争う中で、取り調べメモ(備忘録)の証拠開示を請求。検察側が「警察官に聞いたが、メモはない」としたため、大分地裁は2008年5月22日、被告を取り調べた警察官5人に対し、取り調べメモ(備忘録)について尋問をした。メモを巡り、取り調べた警察官を直接尋問するのは極めて異例。
 メモは警察に作成が義務づけられているが、検察側の証拠には含まれなかった。だが、メモからは供述の変遷などが推認できることから、従来の刑事裁判でも弁護側が開示を求めることがある。2007年12月には最高裁が公判前整理手続きの中での証拠開示の対象になるとの判断を示した。さらに警察庁も2008年5月13日、取り調べの際に書き取ったメモを事件ごとに保管するよう長官訓令で定めた。
 7月22日、検察側は弁護側の請求に応じ、任意で印字された警察官の取り調べメモ(備忘録)を開示した。弁護側は、手書きのメモを含めてほかにも備忘録があるとして、請求を取り下げなかった。7月29日、検察側が弁護側の請求に応じ、警察官の取り調べメモ(備忘録)を任意で追加開示したため、弁護側は請求を取り下げた。
 検察側は控訴した。

氏 名
元少年(21)
逮 捕
 2007年7月9日(強盗殺人、死体遺棄容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、窃盗、死体遺棄他
事件概要
 無職の元少年(事件当時18)は2007年7月7日午前1時35分頃、広島市南区にある兄のマンションで、出張サービス店を通して呼んだ女性の首を腕で締め付け、さらにひもで締め付けるなどして殺害、遺体を部屋の押し入れに隠し、現金4万円などの入ったかばんを盗んだ。
 女性と同居している男性が7日午後6時半ごろ捜索願を提出。広島南署の調べで、女性の勤務先の記録などから、7日未明に少年が住むアパートを訪れる予定だったことが判明。同署員が9日午前2時40分ごろ、女性の遺体を発見した。同署が、市内のホテルに宿泊していた少年を見つけ事情を聴き、犯行を認めたため逮捕した。
裁判所
 広島高裁 竹田隆裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年2月23日 懲役16年(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 検察側は強盗殺人罪の適用を求めて、被告側は量刑不当を理由に控訴した。
 2009年10月27日の控訴審初公判で検察側は殺人と窃盗罪を適用した一審判決に事実誤認があると主張。強盗殺人の犯意を認めた捜査段階の自白について、信用性を認めなかった一審判決は「被告人が法廷で翻した供述を安易に採用している」と批判した。弁護側は、一審判決について「被告人の精神状態を理解せず、短絡的な犯行と決めつけている」と主張し、量刑が不当に重いと訴えた。
 12月22日の公判で検察側は強盗殺人を認めた自白の信用性を強調し、適正な判決を求めた。弁護側は「被告の成育環境などを検討すべきだ」などと、刑をより軽くするよう訴え、結審した。
 竹田隆裁判長は判決理由で「被告は女性から代金を取り戻そうとしたにすぎす、殺害して金品を奪う意図があったと推認するのは困難」と指摘し、強盗目的を否定。「捜査段階の自白の信用性に疑いの余地がある」と述べ、原判決に事実誤認はなかったとした。
備 考
 2009年2月27日、広島地裁で求刑無期懲役に対し、一審懲役16年判決。被告側は上告した。2010年6月3日、被告側上告棄却、確定。

氏 名
佐藤一馬(43)
逮 捕
 2009年6月1日(死体遺棄容疑。6月22日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、死体遺棄
事件概要
 佐藤一馬被告は元暴力団組長近野洋被告、宮下泰明被告と共謀し、貴金属の商談で来日した時計鑑定士の韓国人男性Aさん(当時52)と別の韓国人男性Bさん(当時32)から現金を奪おうと計画。2007年6月29日、静岡県伊東市内の貸別荘で、Bさんの首に改造した空気銃で金属球を2回発射するなどして2週間の怪我を負わすとともに、Aさんの首にも1回発射し、倒れたAさんの首を右手で圧迫するなどの暴行を加えて殺害。二人が取引用に持っていた現金1900万円が入ったショルダーバッグを奪った。佐藤被告と宮下被告はAさんの遺体を車で函南町の崖下に遺棄した。
 Bさんはその後、商談相手の複数の男から暴行を受けたと県警に通報。Bさんは「一緒にいたAさんも殴る蹴るの暴行を受けていた」と説明したが、Aさんはその後、行方がわからなくなっていた。2009年4月、Aさんは白骨死体で見付かった。
 6月1日、佐藤被告、宮下被告、他2名が死体遺棄容疑で逮捕された。6月22日、佐藤被告が強盗殺人容疑で、宮下被告他2名が強盗致死容疑で再逮捕された。同日、近野被告が死体遺棄容疑で指名手配された。
 7月13日、静岡地検沼津支部は佐藤被告、宮下被告を強盗致死容疑で起訴した。佐藤被告については「殺意を認定できなかった」と説明した。他2名は不起訴処分となった。
 8月5日、近野被告が死体遺棄容疑で逮捕された。8月18日、近野被告は強盗致死、強盗傷害容疑で再逮捕された。9月4日、地検沼津支部は近野被告を強盗致死、強盗傷害容疑で起訴した。死体遺棄容疑での起訴は見送った。
裁判所
 静岡地裁沼津支部 片山隆夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年3月3日 懲役28年
裁判焦点
 公判前整理手続きで、争点は量刑に絞られた。
 2010年3月1日の初公判で、佐藤被告は起訴内容を認めた。弁護側は「暴力団という絶対服従関係の中で、兄貴分の近野被告から誘われた。自ら進んで関与したのではない」などとして情状酌量を求めた。被害男性の妻が証人出廷し「罪を憎んでいるが、人間を憎んでも仕方がない。死刑を望むのは残酷だと思うので無期(懲役)を望む。目覚めて生きていってほしい」と訴えた。
 2日の論告求刑で検察側は「強盗致死事件の中でも特に悪質だ」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「懲役16年から20年程度の刑が相当だと考える」と主張し、結審した。
 判決で片山隆夫裁判長は「強盗致死事案は組織的・計画的で残忍。被害者の無念は察してあまりある」とした上で、「被告は被害者死亡に直結する首の圧迫をした上、準備段階で改造空気銃を用意するなど、犯行に重要な役割を果たした。暴力団関係者による組織的犯行であり、刑事責任は重大」と指摘。一方で、「首謀者でもなく、実行役の中心は宮下泰明被告であった」などとして、有期懲役への酌量減軽を認めた。
 判決後には、裁判員6人と補充裁判員1人が会見に出席。量刑を決める際、共犯者の判決を参考にしたかとの問いに「判断材料の一つにした」「共犯者は別。切り離して考えた」と意見が分かれた。
備 考
 実行役の中心とされた宮下泰明被告は2009年11月26日、静岡地裁沼津支部で懲役24年(求刑懲役25年)判決。被告側控訴中。
 主犯格とされる近野洋被告は公判前整理手続き中。
 被告側は控訴した。2010年7月7日、東京高裁で被告側控訴棄却。

氏 名
後藤良次(51)
逮 捕
 2007年1月26日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、詐欺他
事件概要
 茨城県阿見町の男性は1983年に室内装飾会社を設立したが、バブル崩壊後に経営が悪化し、金融機関などからの借金が6000万円を超えた。男性社長は2000年4月頃、長年の飲酒で患った肝硬変や糖尿病が悪化して入院。社長の妻であるKS受刑者、社長の娘であるKK受刑者、娘の夫であるKM受刑者はこのまま社長が死んで死亡保険金を受け取ることができれば借金が返済できると期待したが、社長は6月中旬に退院し、再び酒を飲み始めた。弁護士からは社長の自己破産を勧められたが、金融機関からの借金はKS受刑者、KM受刑者が連帯保証人になっており、家の土地や建物は抵当に入っていたため、できなかった。
 KM受刑者と共同で工務店を経営しているKS容疑者は、社長に約4000万円を貸していたことから保険金殺人計画を持ちかけ、KS受刑者らは了承した。
 KM受刑者らはKS容疑者に紹介された不動産ブローカー三上静男被告に殺害を依頼。2000年7月中旬頃から三上被告は水戸市にある自らの会社事務所に社長を住み込ませ、配下である暴力団組長後藤良次被告や、後藤被告の配下である組員O受刑者、無職U受刑者、土木作業員S受刑者、SH容疑者らを使って、連日、日本酒や焼酎を無理やり飲ませた。糖尿病の持病があった社長は次第に衰弱。8月12日、三上被告、後藤被告、O受刑者、U受刑者は社長(当時67)を会社事務所から日立市にある三上被告の自宅に連れ込み、「家に借りたい」と話す社長を怒鳴りつけ、スタンガンを当てるなどして強制的に飲ませ、さらにウオッカの瓶を口に押し込んで無理矢理飲ませて意識を失わせた。その後、後藤被告や社長の車などに分乗し、会社事務所に戻る途中の13日、男性は呼吸不全で死亡した。男性の遺体は、茨城県七会村(現城里町)の山林に車とともに遺棄された。
 男性は2000年8月15日朝に発見された。いくつかの不審な点はあったものの、県警は病死として処理し、KS受刑者らは生命保険会社から約9800円の保険金を受け取った。うち6600万円はKS容疑者を通して三上被告が報酬として受け取り、残りを借金の返済に充てたが、返しきれなかった。
KS受刑者らの自宅と土地は2002年3月に差し押さえられた後競売にかけられ、9月にKS容疑者が落札し、その後はKS受刑者らを住まわせていた。
 別の事件で一・二審死刑判決を受け上告中だった後藤良次被告は2005年10月17日、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を茨城県警に提出した。そのうちの1件が本件である。
 2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、KS受刑者(当時74)、KK受刑者(当時49)、KM受刑者(当時51)、KM受刑者の兄夫婦を逮捕した。5人は2000年10月19日、県内の金融機関で、名義を偽って普通預金口座を開設し、通帳2通、キャッシュカード2枚をだまし取った。この口座は社長の死亡によって受け取った生命保険金の一部を隠すために使われた。
 2006年12月9日、茨城県警は日立市内の飲食店で店員にいいがかりをつけ謝らせたとして三上静男被告(当時57)を強要容疑で逮捕した。三上被告は2005年9月23日午前1時20分ごろ、同市内の飲食店でアルバイト店員(当時21)に「(出されたものが)注文したものと違う」といいがかりをつけ、胸ぐらをつかむなどして謝罪させたとされる。
 2007年1月26日、殺人容疑で後藤被告、三上被告、KS受刑者、KK受刑者、KM受刑者、ON受刑者、UM受刑者、SK受刑者が逮捕された。
裁判所
 東京高裁 若原正樹裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年3月17日 懲役20年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 後藤被告側は量刑が重すぎると控訴。一審同様、被告らが肝硬変を患っていた男性に無理やりウオツカを飲ませた行為と、男性死亡との因果関係の有無が主な争点となった。
 弁護側は「死亡と飲酒強要に因果関係は認められない」と主張した。  判決で若原裁判長は、事件関係者の供述や鑑定医の証言を基に「被害者は飲酒で酩酊状態だったところに、相当量の高濃度アルコールを一気に飲まされたために死亡したと推定するのが相当」と認め、弁護側の主張を退けた。そして、「命ごいする被害者にスタンガンを押し当てるなど、犯行態様は冷酷非道で結果は重大だ。上申書提出で自首が成立するが、刑が重すぎるとはいえない」と述べた。
備 考
 後藤被告は、2000年に宇都宮市で監禁した女性に高濃度の覚醒剤を注射して死亡させるなど、水戸、宇都宮両市で男女5人を殺傷したとして一・二審で死刑判決を受けたが、上告中の2005年10月17日、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を茨城県警に提出した。その後、2007年に最高裁は後藤被告の上告を棄却し、死刑判決が確定している。刑法51条は複数の裁判があった場合、「死刑を執行すべきときは、ほかの刑を執行しない」と定めており、有罪判決が言い渡されても、その刑は執行されない。
 上申書で告白した残り2件の殺人については立件されていない。
 KS受刑者、KK受刑者、KM受刑者、ON受刑者、UM受刑者、SK受刑者は起訴猶予となっている。
 2007年7月26日、水戸地裁の河村潤治裁判長は、KS被告とKK被告に懲役13年(求刑懲役16年)、KM被告に懲役15年(求刑懲役18年)を言い渡した。3被告は控訴したが、KS被告は8月28日、KM被告が30日、KK被告が31日に控訴を取り下げ、確定した。
 三上静男被告は2009年2月26日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年8月24日、東京高裁で被告側控訴棄却。2010年3月3日、被告側上告棄却、確定。
 2009年6月30日、水戸地裁で懲役20年判決(求刑無期懲役)。被告側は上告した。

氏 名
菅野昭一(35)
逮 捕
 2008年11月1日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、殺人未遂、銃刀法違反
事件概要
 東京都八王子市の会社員菅野昭一被告は直前に家出してホテルを泊まり歩き、所持金が底を突くと「両親のせいだ」「秋葉原の無差別殺傷のような大事件を起こして困らせてやろう」と考えた。
 2008年7月22日、菅野昭一被告は午後7時ごろに凶器の包丁を購入、JR八王子駅や京王八王子駅前で殺害相手を探した後、「本に気を取られている客なら簡単に刺せる」と考え、京王駅ビルの書店に狙いを定めた。午後9時35分頃、京王八王子駅ビル9F内の書店で目に止まった客の女性(当時21)を包丁で刺して重傷を負わせた上、アルバイト店員で大学4年生の女性(当時22)の胸を刺して殺害した。
 菅野被告は事件から約40分後に、駅ビルから数百メートル離れたJR八王子駅前の北口交番近くで、警察官から職務質問されると、「私がやりました」と認め、緊急逮捕された。
裁判所
 東京高裁 植村立郎裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年4月14日 懲役30年(一審破棄)
裁判焦点
 2010年2月10日の控訴審初公判で菅野昭一被告は、被告人質問で裁判官に「一審で死刑を覚悟していると述べたのではないか」と尋ねられ、「考えが少し変わった。刑を軽くしてほしい」などと答えた。弁護側は「被告は精神遅滞で心神耗弱状態だった」と刑を軽くするよう求めた。
 植村立郎裁判長は判決理由で「被告に精神遅滞はあったが、物事の善悪の判断はできていた」とした一審判決と同様、完全責任能力を認定。しかし「衝動を抑制する能力はある程度妨げられており、被告に有利な事情となる」と指摘。検察側が一審の論告で「多数の被害者が出る危険性のあった無差別大量殺傷事件」と主張した点についても「被告が当初から2人以上の大量殺傷を計画していたとは認められない」と否定し「求刑通り無期懲役とした一審判決は重すぎる」と結論付けた。
備 考
 2009年10月15日、東京地裁立川支部で求刑通り一審無期懲役判決。

氏 名
林興道(39)
逮 捕
 2007年6月1日(殺人容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人
事件概要
 長野県千曲市の無職林興道(こうどう)被告は2007年5月12日、同居していた母親(当時72)の首などを包丁2本で刺して殺害。現金や通帳、印鑑などを奪った。そのまま電車に乗って東京都内へ逃亡した。
 母親宅を定期的に訪れていた千曲市の職員が「数日前から電気がついていない」と14日、千曲署に通報。遺体が発見された。千曲書は5月25日に林被告の逮捕状を取った。
 千曲市に戻ってきた林被告は6月1日午前11時50分頃、市内の郵便局において母親名義の通帳で金を引き出そうとしたが、名義人が被害者であることに気づいた局員が林被告を引き留めつつ通報。駆けつけた千曲署員に任意同行を求められ、同日午後2時20分、殺人容疑で逮捕された。
裁判所
 東京高裁 阿部文洋裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年5月18日 懲役25年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 林被告は「金品を奪う目的はわずかで、量刑は殺人を中心に定めるべきだ」と主張したが、阿部裁判長は「奪った金でギャンブルや旅行をしようと考えて殺害し、実際に遊興にふける生活を送った」として、退けた。
備 考
 2009年12月18日、長野地裁上田支部で懲役25年判決。被告側は上告した。

氏 名
元少年(21)
逮 捕
 2007年7月9日(強盗殺人、死体遺棄容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、窃盗、死体遺棄他
事件概要
 無職の元少年(事件当時18)は2007年7月7日午前1時35分頃、広島市南区にある兄のマンションで、出張サービス店を通して呼んだ女性の首を腕で締め付け、さらにひもで締め付けるなどして殺害、遺体を部屋の押し入れに隠し、現金4万円などの入ったかばんを盗んだ。
 女性と同居している男性が7日午後6時半ごろ捜索願を提出。広島南署の調べで、女性の勤務先の記録などから、7日未明に少年が住むアパートを訪れる予定だったことが判明。同署員が9日午前2時40分ごろ、女性の遺体を発見した。同署が、市内のホテルに宿泊していた少年を見つけ事情を聴き、犯行を認めたため逮捕した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 千葉勝美裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年6月3日 懲役16年(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 弁護側が「量刑が重すぎる」と上告していた。
備 考
 2009年2月27日、広島地裁で求刑無期懲役に対し、一審懲役16年判決。2010年2月23日、広島高裁で検察・被告側控訴棄却。

氏 名
金子茜(24)
逮 捕
 2008年5月16日(死体遺棄容疑。6月3日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗殺人、死体遺棄他
事件概要
 群馬県沼田市の主婦金子茜被告は高崎市に住む派遣社員の少年(事件当時18)と共謀。2007年12月2日午後9時頃、昭和村に住むスナック店員の女性(当時24)の自宅近くで、出勤のために車に乗り込もうとした女性を別の車に誘い込み、首を絞めて殺害。現金約2万円の入った財布入りのバッグや携帯電話、女性の車を奪った。さらに2人は女性の車に遺体を乗せ、赤城山の山中に遺棄した。現金は2人で山分けした。さらに携帯電話を使い、女性の家族や友人に「東京にいます」などのメールを送り、生存しているように偽装した。金子被告と少年は事件より1年前に交際していた。
 女性の車は12月中旬、少年が別の知人女性2名とともに沼田市の薗原湖に運んで沈めた。  金子被告と夫は沼田市内の居酒屋で一緒に働いており、2007年10月に結婚。しかし11月には被害者と交際していた飲食店店長の夫から「12月3日までに離婚届を持ってこい」などと迫られた。そのため金子被告は少年に電話して被害者を12月3日までに殺害するよう依頼していた。金子被告は事件当時臨月間近だった。事件後は被害者の携帯電話を使い、夫へ別れのメールを入れるなどの偽装をしていた。
裁判所
 東京高裁 小倉正三裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年6月14日 懲役22年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 弁護側は一審に続き強盗殺人罪の成立を争ったが、小倉裁判長は共犯者が「事前に現金を奪うなどの相談をしていた」とした捜査段階の供述を信用できるとして退けた。
備 考
 共犯の少年は2009年4月9日、前橋地裁で求刑通り懲役5〜10年の不定期刑を言い渡され、そのまま確定している。
 女性の車を捨てるのを手伝った知人女性2名は証拠隠滅容疑で逮捕された。2名は殺人の件については関与していない。うち少女は前橋少年鑑別所に収容された。成人1名は前橋簡裁に略式起訴され、簡裁は罰金20万円の略式命令を出した。
 被害者の遺族は金子被告と元少年などを相手取り計2100万円の損害賠償を求めた。2010年3月2日、前橋地裁は金子被告と元少年に対し、原告の主張通り計2100万円の支払いを命じた。
 2009年9月2日、前橋地裁で求刑無期懲役に対し、一審懲役22年判決。上告せず確定。

氏 名
鎌田公一(44)
逮 捕
 2009年5月22日
殺害人数
 0名
罪 状
 強盗強姦、強盗強姦未遂、住居侵入、窃盗
事件概要
 大阪市の飲食店経営、鎌田公一被告は2005年11月〜2009年4月、大阪市内のマンションに侵入し、粘着テープで女性の両手首を縛るなどして乱暴し、現金計約25万円を奪った。
 2009年5月12日、強盗強姦容疑で逮捕。さらに他の事件で現場に残された遺留物のDNA型が鎌田容疑者のものと一致し、犯行を自供した。
裁判所
 大阪地裁 中川博之裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年6月15日 懲役30年
裁判焦点
 裁判員裁判。中川博之裁判長は2〜3件ずつに分けて冒頭陳述と被告人質問を4日間繰り返す手法を採用。通常なら初公判で1回だけ行う冒頭陳述を計12回行った。10件を超える起訴内容を分かりやすく審理するためとみられる。
 2010年6月1日の初公判で、検察官は事件の概要とともに鎌田被告の経歴を説明。「遊ぶ金が欲しい気持ちと性欲の両方を満たせると考えた」と動機を指摘。弁護側は「犯行時間は20〜30分程度で、執拗とは言えない」などと主張した。
 8日の公判では、被害女性が別室から映像と音声を法廷に中継する「ビデオリンク方式」で意見陳述した。女性は「突然、不幸のどん底に突き落とされ、忘れたくても忘れられない」と苦しみを吐露。「たとえ死刑になっても許せない」と声を詰まらせながら厳しい処罰感情を訴えた。
 10日の論告で検察側は「10人以上の女性の人生を打ち砕き、ゆがませた重大犯罪。2007年4月に住居侵入事件で逮捕され、罰金刑を受けながら、その後も強盗強姦目的の犯行を4件も繰り返している」と指摘し、「常習性は明らかで再犯のおそれが大きい。人生をかけて罪を償わせるしかない」と主張した。
 弁護側は同日の最終弁論で「妻の存在が再犯可能性を弱める」と述べた。
 判決で中川裁判長は「性欲を満たし、自由に使える金を得たいがための犯行で、被害者の人格を無視した犯行で卑劣極まりない。被害者は日常生活に支障をきたすなど結果は重大」と指摘したが、「妻が示談に尽力し、社会復帰を待っている。一部の被害者とは示談が成立している。更生の可能性もあり、無期懲役の選択は躊躇される。受刑中も被害者の心の傷について考え、反省を深めてほしい」と述べた。
備 考
 鎌田被告は事件数が多いため、通常1回の冒頭陳述を12回に分け、4日間かけて実施した。裁判員を務めた60代の男性は「分かりやすく、被告の心の動きがつかめた」と評価しつつも「同じような繰り返しで疲れた」とも話した

氏 名
浜田政二郎(30)
逮 捕
 2009年5月15日(死体遺棄容疑。6月5日、殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄
事件概要
 熊本県の風俗関係従業員浜田政二郎被告は2006年7月19日深夜、携帯電話やパソコンを使い、インターネット掲示板で熊本市に住む洋服店員の女性(当時25)とやり取り。20日午前2時頃、熊本市内の駐車場で初めて出会った。午前4時頃、熊本市のホテルでトラブルとなって絞殺。風俗店の送迎用ワゴン車で植木町の畑まで死体を運んで遺棄した。
 2007年1月9日、狩猟中の男性が白骨化した女性の遺体を発見。携帯電話の着信履歴などから浜田被告が浮上した。
 浜田被告は2006年7月26日、植木町の空き地に停めた軽自動車内で別の女性(当時24)の首を絞めて殺害。遺体を近くの町道に捨てたとして2007年2月に熊本地裁で懲役16年(求刑懲役18年)の判決を受けた。福岡高裁で控訴が棄却され7月に確定。逮捕当時は大分刑務所に服役中であった。
裁判所
 熊本地裁 柴田寿宏裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年7月1日 懲役23年
裁判焦点
 裁判員裁判。公判前整理手続きで争点は殺意の有無と量刑に絞られた。
 2010年6月28日の初公判における罪状認否で、被告側は「殺意はなく傷害致死罪にとどまる」と主張した。
 検察側は冒頭陳述で確定事件についてまず、「同じ出会い系サイトを通じて知り合った女性を両手で首を絞めて殺害、死体を遺棄し、懲役16年の判決を言い渡された前科がある」と指摘。殺人と死体遺棄の法定刑が死刑、無期懲役、有期懲役の3通りあることを示し、「有期懲役の場合は、すでに懲役16年の刑で受刑中のため、懲役14年を超える有期刑を科したとしても14年しか執行されない。このような事情も踏まえて、考えてもらう必要がある」と裁判員らに説明した。その上で、「あくまでも被害者1人を殺害して死体を遺棄した裁判。6日後の犯行を処罰の対象とするものではないが、被告の犯罪傾向や人格を判断する資料として、量刑に考慮することは国民の健全な常識という観点からも当然」と主張した。弁護側は確定事件について触れなかった。
 29日の公判で検察側は、量刑理由などが書かれた確定事件の判決文を紹介。大分刑務所に服役中の2007年12月以降、被告が毎月書いていた矯正指導ノートの内容も明らかにした。その中で、「1人や2人殺したところで別に構わない」などの記述があったと指摘。浜田被告は「今回の事件を隠している自分を責め続けて精神的に耐えられなくなり、矛先を外(確定事件の被害者)に向けた。本心ではなかった」と弁明した。
 弁護側の「女性を殺してしまおうと考えていたか」という質問に浜田被告は「(気にしていることを言われたため)かっとなっていてそんなことを考える暇はなかった」と改めて殺意を否認。救急車を呼ばなかった理由は「捕まったら(自分の)子どもがどうなるのかと思った」と説明した。前回の裁判の時になぜ話さなかったのかについては「話したら死刑になると思った。認めたらまた新聞に載って家族に迷惑をかけると思った」と声を震わせた。女性裁判員が「黙っていたらばれないと思ったことはあるか」と質問すると、「ひょっとしたらばれないのではと思ったが、遺体を埋めていないのでいずればれると思った」と答えた。そして浜田被告は「被害者を死なせてしまったこと、警察に出頭しなかったこと、ずっと事件のことを隠し続けたこと。とんでもないことをしてしまったと思う」と、時に涙を流し反省の弁を述べた。
 被害者の母親は別室からモニターを通じて「なぜもう一つの事件で逮捕された時に今回の事件のことを言わなかったのか。どうか被告を極刑にしてください。それが私たち夫婦のただ一つの願いです」と意見陳述した。
 30日の論告で検察側は「今回を単なる1件の犯行と評価し、確定判決を全く考慮しないとなれば、国民の常識、社会正義の観点からも不当」として、確定判決を量刑に十分に反映させるよう求めた。一方弁護側は最終弁論で「刑を重くするという意味で確定判決を考慮するのは、憲法39条(二重処罰の禁止)に違反する」と述べ、懲役10年程度が適当と主張した。被害者参加制度に基づき意見陳述した遺族の代理人弁護士は「確定判決を考慮していけないのなら、市民感覚を刑事裁判に反映させることはできない。遺族は極刑を望んでいる」とした。浜田被告は最終陳述で「遺族の望むように私を死刑にしてください」と述べた。
 判決で柴田裁判長は、確定事件について「6日後の事件をてこにして格段に重い刑にするのは、再び処罰する趣旨で考慮したことになる」と述べ、無期懲役とするのは、同じ罪で2回処罰することを禁じた憲法の「一事不再理」の規定に抵触すると指摘した。ただし柴田裁判長は被告に殺意があったと認定し、「確定事件を全く考慮しないのもあまりに不自然。本件のような重大犯罪を犯してすぐに類似した態様で女性を殺害しており、犯罪傾向は進んでいる。犯行は悪質、動機も短絡的で酌量の余地はない。有期懲役刑として考えられる上限の刑が相当」と述べ、両罪の有期刑の上限(殺人20年、死体遺棄3年)を合算した刑を選択した。
備 考
 控訴せず確定。刑法は有期刑の上限を懲役30年と規定しており、今回のケースでは別の事件の確定判決と併せて有期刑上限の懲役30年が執行されるため、今回の判決で実際は14年分が執行される。

氏 名
佐藤一馬(44)
逮 捕
 2009年6月1日(死体遺棄容疑。6月22日、強盗殺人容疑で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、死体遺棄
事件概要
 佐藤一馬被告は元暴力団組長近野洋被告、宮下泰明被告と共謀し、貴金属の商談で来日した時計鑑定士の韓国人男性Aさん(当時52)と別の韓国人男性Bさん(当時32)から現金を奪おうと計画。2007年6月29日、静岡県伊東市内の貸別荘で、Bさんの首に改造した空気銃で金属球を2回発射するなどして2週間の怪我を負わすとともに、Aさんの首にも1回発射し、倒れたAさんの首を右手で圧迫するなどの暴行を加えて殺害。二人が取引用に持っていた現金1900万円が入ったショルダーバッグを奪った。佐藤被告と宮下被告はAさんの遺体を車で函南町の崖下に遺棄した。
 Bさんはその後、商談相手の複数の男から暴行を受けたと県警に通報。Bさんは「一緒にいたAさんも殴る蹴るの暴行を受けていた」と説明したが、Aさんはその後、行方がわからなくなっていた。2009年4月、Aさんは白骨死体で見付かった。
 6月1日、佐藤被告、宮下被告、他2名が死体遺棄容疑で逮捕された。6月22日、佐藤被告が強盗殺人容疑で、宮下被告他2名が強盗致死容疑で再逮捕された。同日、近野被告が死体遺棄容疑で指名手配された。
 7月13日、静岡地検沼津支部は佐藤被告、宮下被告を強盗致死容疑で起訴した。佐藤被告については「殺意を認定できなかった」と説明した。他2名は不起訴処分となった。
 8月5日、近野被告が死体遺棄容疑で逮捕された。8月18日、近野被告は強盗致死、強盗傷害容疑で再逮捕された。9月4日、地検沼津支部は近野被告を強盗致死、強盗傷害容疑で起訴した。死体遺棄容疑での起訴は見送った。
裁判所
 東京高裁 植村立郎裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年7月7日 懲役28年(被告側控訴棄却)
裁判焦点
 弁護側は「暴力団組長に絶対服従の立場で犯行を補佐する役割で、(重要な役割を積極的に果たしたとする)一審判決は具体的な役割を考慮していない」と主張したが、植村裁判長は「被害者の死亡に直結する暴行を加えたり現金1900万円入りのバッグを奪ったりするなど刑事責任は重大。量刑が重すぎて不当とは認められない」と述べた。
備 考
 実行役の中心とされた宮下泰明被告は2009年11月26日、静岡地裁沼津支部で懲役24年(求刑懲役25年)判決。2010年3月31日、東京高裁で被告側控訴棄却。7月13日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 主犯格とされる近野洋被告は公判前整理手続き中。
 2010年3月3日、静岡地裁沼津支部で懲役28年判決。被告側は上告した。

氏 名
重信房子(64)
逮 捕
 2000年11月8日
殺害人数
 0名
罪 状
 殺人未遂、逮捕監禁、旅券法違反他
事件概要
 日本赤軍元最高幹部・重信房子被告は、元日本赤軍メンバーの和光晴生被告、西川純被告、奥平純三容疑者(国際手配中)と共謀し、フランス当局に逮捕された当時のメンバーの奪還を計画。1974年9月13日、オランダ・ハーグの仏大使館を占拠させた上、大使ら11人を人質に取って、警察官2人にけがをさせるなどした。重信被告は実行犯ではなく、事件前に共闘関係にあったパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に武器調達を依頼した。
 同年4月にはメンバーの奥平純三容疑者を他人名義の旅券で出国させるため、偽造申請書で旅券を取得。1997年12月〜2000年9月には自らが他人になりすまして旅券を取得し、関西国際空港から計16回、出入国を繰り返した。
裁判所
 2010年7月15日 竹内行夫裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年7月15日 懲役20年(被告側上告棄却、確定)
裁判焦点
 ハーグ事件については一貫して無罪を主張、上告審でも「わたしが日本赤軍のリーダーだったという偏見によって有罪認定された」と訴えていた。第二小法廷は4人の裁判官全員一致で「上告理由には当たらない」と判断した。
備 考
 2005年3月の和光被告の東京地裁判決は、ハーグ事件について「重信被告の関与は強く疑われるが共謀したとは認められない」と判断している。
 2006年2月23日、東京地裁で一審懲役20年判決。2007年12月20日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。

氏 名
山本剛(24)
逮 捕
 2009年7月24日(窃盗容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、営利目的誘拐、監禁、覚せい剤取締法違反(使用)他
事件概要
 東京都練馬区の無職山本剛被告は、東京都板橋区に住むアルバイトの男性(当時25)がインターネットのサイト管理をして2億円を持っているとの噂を聞きつけた元暴力団構成員橋本遙被告など仲間6人と男性の拉致を計画。
 2009年6月27日午後8時半ごろ、男性を出勤途中だった渋谷区の路上で「知り合いが呼んでいる」などとレンタカーに誘い込み、車内で暴行し現金9000円やキャッシュカードなどを奪い暗証番号を聞きだした。さらに覚せい剤を注射して翌28日未明、埼玉県秩父市の山中に置き去りにし、死亡させた。
 男性はサイト管理の仕事をしたり大金を持っていたことはなく、誤った情報を基に事件を起こした。
 東北地方に住む母親が6月下旬から男性と連絡が取れなくなったことを心配し、7月3日に警視庁に届け出た。
 男性の遺体は7月7日午後3時頃、地元の森林組合の職員が発見。その後、警視庁からの情報提供を受け埼玉県警が詳しく調べたところ、遺体の年齢や体格などの特徴が男性と似ていることが判明。県警が男性の歯型やDNAなどを鑑定して身元の確認を進め、23日に身元が判明した。
 7月24日、預金口座から現金を引き出した窃盗容疑で7人を逮捕。8月14日、強盗致死などの容疑で再逮捕した。
裁判所
 東京地裁 藤井敏明裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年7月22日 懲役28年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 判決は「金銭を奪う目的で計画的に行われた卑劣、悪質な犯行。自己中心的かつ利欲的な動機に酌量の余地はなく、刑事責任は非常に重い」と批判。山本被告は事件の企画・発案などで主導的で不可欠な役割を担ったと認定し「計画の伝達役にすぎなかった」とする弁護側主張を退けた。一方で、犯行を計画したのは暴力団構成員だった橋本遙被告(公判前整理手続き中)で、山本被告はその強い影響下にあり、被害者の死亡も予想外だったとした。
備 考
 本事件では7人が起訴されている。また事件当時19歳だった少年1人がを強盗致死などの非行内容で家裁送致されている。
 Y被告、M被告は2010年3月16日、東京地裁(藤井敏明裁判長)で懲役23年(求刑懲役25年)判決。控訴せず確定。
 当時19歳だった少年被告は2010年6月23日、東京地裁(吉村典晃裁判長)で懲役17年(求刑懲役20年)判決。被告側控訴中。
 被告側は控訴した。

氏 名
堀健一(41)
逮 捕
 2008年8月22日
殺害人数
 4名
罪 状
 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反
事件概要
 神戸市のテレホンクラブ「コールズ」を経営していた中井嘉代子被告は1999年12月ごろ、神戸市内で経営するテレホンクラブの営業をめぐり、ライバル関係にあったテレホンクラブ「リンリンハウス」の営業を妨害しようと、広島市の元会社役員で、覚せい剤密売グループ会長坂本明浩被告に1000万円で犯行を依頼した。
 坂本被告は、依頼を承諾し、重機オペレータS受刑囚と無職K受刑囚、暴力団員堀健一被告に犯行を指示。2000年3月2日午前5時5分頃、盗んだナンバープレートを付けた乗用車を堀被告は運転して神戸駅前店に乗りつけた。S受刑囚とK受刑囚が一升瓶で作った火炎瓶1本を店内に投げ込んで同店の一部を焼き、店員1人に軽傷を負わせた。10分後には東約1キロの元町店に2本を投げ込んでビル2、3階部分計約100平方メートルの同店を全焼させ、男性客4人を一酸化炭素中毒で殺し、店員ら3人に重軽傷を負わせた。その後、堀被告の運転する車で3人は逃走した。
 堀被告は犯行後逃走。兵庫県警は5月、現住建造物等放火容疑などで堀被告を指名手配した。2008年8月22日、愛媛県警は堀被告を同県新居浜市内で逮捕。同日、堀被告は捜査本部がある兵庫県警生田署に移送された。
裁判所
 大阪高裁 古川博裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年8月4日 懲役20年(検察・被告側控訴棄却)
裁判焦点
 堀被告は逃走用の車を運転したとされ、弁護側は「殺人、放火とも故意や共謀がなかった」と無罪を主張。一審で無期懲役を求刑した検察側は「量刑が軽すぎる」と控訴した。
 判決理由で古川博裁判長は、堀被告らが以前にも営業妨害を試み、失敗したことを踏まえ「それ以上の行為でないと目的が達成できないと知っていた」と指摘。「火炎瓶に危険なガソリンが使われるのを知っており、未必の故意は明らか」とした。一方で「実行犯より関与は従属的だが、実行犯逃走の運転手という役割は大きく、一審判決は正当。関与は従属的で反省もみられる」と述べた。
備 考
 実行犯だったS受刑者(求刑死刑)とK受刑者(求刑無期懲役)は2003年11月27日、神戸地裁で一審無期懲役判決。2005年7月4日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却(検察控訴はS受刑囚に対して)。2006年11月14日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 首謀者である坂本明浩被告は2008年12月8日、神戸地裁で一審無期懲役判決(求刑死刑)。検察・被告側控訴中。
 依頼人である中井嘉代子被告は2007年11月28日、神戸地裁で一審無期懲役判決(求刑死刑)。2009年3月3日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。
 2009年12月16日、神戸地裁で一審懲役20年判決。

氏 名
仲田敬行(29)
逮 捕
 2009年7月23日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、逮捕監禁、住居侵入、銃刀法違反
事件概要
 住所不定、無職仲田敬行(ひろゆき)被告は2009年7月18日午前9時20分頃、千葉市にある団地の階段付近で、洋服店店員の女性(当時61)の首などを牛刀(刃渡り約19cm)で数回切り付け、出血性ショックで死亡させた。その後、元交際相手であった女性の次女に手錠を掛けて乗用車に監禁するなどし、栃木県佐野市まで連れ去り、19日午前8時まで監禁した。
 その後仲田被告は次女とともに羽田空港から那覇市に向い、ホテルを転々としながら逃走した。千葉県警は20日に仲田被告を指名手配。千葉県警は22日に捜査員を沖縄に派遣。23日午後4時半すぎ、那覇市の路上で、沖縄県警の捜査員が携帯電話販売店から出てきた2人を発見。仲田被告を那覇署へ任意同行し逮捕した。
 逮捕監禁の容疑は沖縄に向かう前の1日だけを対象としている。千葉地検幹部は「沖縄での行動も含めて罪に問うことはできるが、総合的に判断した」としている。
 また仲田被告は殺害前の7月4日午後7時10分頃、女性宅にベランダから侵入。次女にナイフ(刃渡り18cm)を突きつけ、車で連行。山梨県富士河口湖町の路上まで連れ去り、次女の手首に手錠を掛けるなどして翌5日午前3時頃まで監禁した。その後も次女は同行していたが、10日に愛知県豊田市で愛知県警に保護を求めた。その際、車からは銃刀法で正当な理由なく携帯が禁止されているナイフが見つかったが、仲田被告は「引っ越しに使った」などと説明。次女も被害届を出さなかったため、同県警はそれ以上の捜査をしなかった。
 仲田被告と次女は1月に出会い系サイトを通じて知り合い、神奈川県内で同居。しかし6月中旬、仲田被告の暴力が原因で別れていた。
裁判所
 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年8月6日 懲役23年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 26日の初公判で仲田敬行被告は「故意に切りつけたわけではない」と殺意を否定し、次女への逮捕監禁罪についても「強いて車の助手席に乗せたわけではない」と否認した。次女の自宅への住居侵入罪、銃刀法違反は認めた。
 27日の公判で次女は自身の意に反して仲田被告に連れ去られたと繰り返し述べ、「(被告が)生きていることに対して毎日怖い。この世から消えてほしい」と厳しい処罰感情を訴えた。司法解剖した医師2人の証人尋問も行われ、このうち大学教授は争点の殺意について、首の傷の形状などから「非常に危険な部位を複数回傷つけている。意図なくできる傷ではない」と証言。「刺すつもりが若干ずれて切り傷になったと推定される」とも述べた。
 28日の公判で次女は「母が殺されてしまい、姉も兄も殺されるかもしれないと思った。警察に相談しても殺人は起きてしまった」と証言した。
 29日の公判で仲田被告は7月4日に次女の自宅に侵入し、無理やり連れ去ったとされる事件で「ナイフをさやに収め、(尻餅をついた次女を)助け起こした時点で仲直りしたと思っていた」と話し、その後の行動についても「逮捕監禁なんて全然思わなかった」などと強制を否定した。
 30日の公判で仲田被告は検察側の質問に対し、当時の状況を説明。団地踊り場で次女を待っていた時に母親と遭遇し、「次女に会わせてほしいとの依頼を断られたため、牛刀をリュックから取り出したところ、牛刀の奪い合いになった」と主張。しかし、その後の状況などを聞かれると「覚えていない」「記憶が定かでない」などと繰り返した。
 8月2日の論告で検察側は、母親の殺害について「致命傷の首の傷は少なくとも4回刃物が振るわれ、太い筋肉、骨が切断されるほどの強い力が加わっていた。首の致命傷は(殺す)意図がなくてできる傷ではない」とした鑑定医の証言などを根拠に「(被告が主張するように)牛刀を取り合う状況ではできない」と指摘。次女に対して「お母さんを殺してやったぞ」と話したことを「被告の気持ちが表れており、明確な殺意を持っていた」と主張。2度に渡って次女を連れ去った事件についても「被告は、次女に自分や兄、姉が殺されると思わせた。次女は極度の恐怖から逃げられなかった」と、逮捕監禁罪の成立を主張した。さらに、起訴内容に含めなかった19日朝以降の次女の行動や心情について、検察官は「血の海の中で倒れる母を目の当たりにし、自分と家族の身を守るため表面上、被告人の意に添うよう振る舞っていたに過ぎない」と述べた。そして、「被告は不合理な弁解に終始し、反省していない」と指摘した。
 続いて被害者参加制度に基づき、「被告は反省しておらず、再犯の可能性が高い。遺族が危険にさらされる恐れがあり、2度と社会に戻してはいけない。極めて厳しい処罰を求めます」とする次女ら遺族3人の意見を、代理人の弁護士が読み上げた。
 同日の最終弁論で弁護側は、殺人罪について、首の傷の深さなどが殺意を示すという検察側主張も可能性を認めつつ、「牛刀を奪い合っている最中に刺さった可能性も否定できない」と指摘。2度にわたって次女を連れ出したとされる逮捕監禁罪も、「被告は次女を制圧する意思がなかった。犯罪が成立する事実を被告が認識していると証明されなければ、罪は成立しない」と主張した。そして、「傷害致死罪などが成立するに過ぎず、殺人、逮捕監禁罪は成立しないことを前提に相当な処罰を求める」と訴えた。
 審理の最後に、仲田被告は裁判長から意見を求められ、用意していた遺族への謝罪文を朗読した。
 彦坂孝孔裁判長は判決理由で、「確定的な殺意に基づき(女性に)牛刀で何度も切り付けるなどの攻撃に及び、執拗で極めて悪質」と指摘。「手錠を掛けられた」「恐怖や不安で逃げ切ることができなかった」などの次女の供述を信用できるとし、逮捕監禁罪の成立も認めた。一方で、女性と遭遇後に突発的に殺意が生じた衝動的な犯行で、検察側が主張する計画性は認められないとと認定。「遺族感情は理解できるが、ふさわしい刑事責任の枠を超え、重い刑に処すのは相当ではない。無期懲役は重すぎる」と判断した。
備 考
 控訴せず確定。

氏 名
宮川淳(32)
逮 捕
 2010年1月14日(死体遺棄容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、死体遺棄・損壊、銃刀法違反
事件概要
 横浜市の貿易会社役員である宮川淳被告は2010年1月12日午前0時頃、川崎市にあるT被告経営の飲食店で、貿易会社社長の男性(当時37)を拳銃で3発撃って殺害した。宮川被告はT被告とともに遺体を飲食店でノコギリや包丁で切断し、13日午後4時頃、T被告とともに遺体を入れたボストンバッグやスーツなどを駐車場に止めた乗用車内に遺棄した。宮川被告と社長は暴力団の元幹部同士であり、社長が兄貴分だった。
 社長と連絡が取れなくなった家族が13日午後、川崎署に届け出たため、同課員が14日に宮川被告を任意同行して事情を聞いたところ、死体遺棄容疑を認めたため、緊急逮捕した。
裁判所
 横浜地裁 小池勝雅裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年8月6日 懲役25年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2010年8月3日の初公判で、宮川被告は起訴事実を認めた。
 8月5日の論告で検察側は「障害は暴力で排除するという暴力団特有の論理に基づき犯行に及んだ。刑務所での服役中に改善されたと認められたときに、社会復帰が許されるべきだ」と求刑理由を説明した。同日の最終弁論で弁護側は自首による刑の減軽や「被害男性にこき使われ、強い恨みがあったのが動機で、暴力団特有の考え方での犯行ではない」と情状酌量を主張した。宮川被告は最終陳述で「(被害男性から)暴力を振るわれた。裁判員は検察のうわべだけの内容で判断することになるが、事件の深い部分を考えてほしい」と述べ、結審した。
 小池勝雅裁判長は殺害動機について「兄貴分だった被害者から金銭面で相当な負担を強いられる一方で、再三にわたり暴力を加えられ、怒りや恨みを募らせた」と認定した。「細部まで緻密とは言えないが、完全犯罪を狙った計画的な犯行。計画性の高さや拳銃の使用、死体の切断など、えん恨を理由とする殺人の中でも、最も重い部類」と述べる一方、「(被告を)精神的に追い込んだ被害男性の態度に、落ち度がなかったとは言い切れない」と指摘した。
備 考
 T被告は死体損壊・遺棄罪と覚せい剤取締法違反(使用)容疑などで、横浜地裁川崎支部に起訴され、懲役3年4月が確定。宮川被告が横浜地裁に起訴されたのは、容疑が殺人で、裁判員裁判の対象のため。
 被告側は控訴した。被告側控訴取り下げ、確定。

氏 名
佐原二男(57)
逮 捕
 2009年11月18日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、強姦致死、窃盗、住居侵入
事件概要
 山形県飯豊町の無職、佐原二男(ふたお)被告は2009年11月15日午後9時30分頃、強姦目的で義理のおばにあたる近所の無職女性(当時75)宅に玄関から侵入。1階寝室で寝ていた女性をベッドに押し倒して顔を数回殴り、タオルで首を絞めた。企てた性的暴行は果たせず、首を絞め続けたため窒息死させた。その後室内を物色したり、飲酒したりするなどし、午後11時10分頃に茶の間にあった財布から現金11937円を盗んだ。強姦は果たせなかった。佐原二男被告は、女性の亡夫のおいだった。
裁判所
 山形地裁 伊東顕裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年9月8日 懲役30年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2010年8月31日の初公判で、佐原二男被告は「無理やり乱暴したというのは、でたらめです」と強姦致死罪については犯意を否認した。検察側は取り調べの録画映像などを通し、乱暴行為の計画性や供述の任意性を主張。一方、弁護側は被告が異常な心理状態で自白調書を作成されたとし、軽度の精神発達遅滞による情状も訴えた。
 9月1日の第2回公判で検察側は2004年にも佐原被告が女性の首を絞め、全治約1週間のけがを負わせた点に触れた。謝罪したとする佐原被告に「(もし謝ったなら)女性からどんな言葉をもらったか」と問うと、佐原被告は大声で「本人に聞けばいいだろ」。検察官は「そんなこと言っていいのか。あなたが殺したんだぞ」と怒鳴り返した。またこの日、裁判官は調書作成の「任意性」を認め、証拠採用を決めた。
 9月2日の論告で検察側は、ガムテープを用意するなど計画的な強姦目的だったことは明白▽弁護側は知的障害を主張しているが、タオルを焼却して証拠隠滅を図るなど一般人と何も変わらない−−と主張。また佐原被告が捜査段階で性的暴行目的を認めていたことは「十分に信用できる」として無期懲役を求刑した。
 一方、弁護側は最終弁論で穏やかな口調で「よく考えてほしい」と裁判員に語りかけると、争点をまとめた要旨を配布。ビニールひもなどを持っていたことが、乱暴行為の犯意を示すものではないと主張した。そして「性的暴行目的ではなく、葬式代の手間賃をもらうために女性宅を訪問した」と強姦目的を否定。「軽い知的傷害のため、被告独特の思考方法や行動への理解が必要だ」と主張。強姦致死を否定し「場当たり的行動で、軽度の精神発達遅滞が考慮されるべき。懲役13年が相当」とした。
 伊東顕裁判長は焦点となった強姦目的について、「夜にひもや軍手を持ち侵入し、被害者が意識を失った直後にわいせつな行為をしている。性的暴行の目的があったと十分に認められる」と述べた。また佐原被告の知的障害についても「知的障害はあるが犯行は悪質。稚拙ながらも計画性があった」と検察側の主張を支持した。一方、法廷で暴言を吐いたことについて「障害があり一般人と同様には非難できない」と弁護側の主張も認めた。強姦目的を認めていた捜査段階の供述調書は「取り調べの録画を見ると、和やかな雰囲気で供述している」と任意性を認めた。そして判決理由で「被告には精神発達の遅れがあり、医療的な援助によって更生する可能性がないとは言えない。最後の機会を与えるのが適切だ」と述べた。
備 考
 被告側は控訴した

氏 名
木村輝彦(44)
逮 捕
 2006年12月21日(自首)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律違反他
事件概要
 徳島市のカイロプラクティック業木村輝彦被告は、妻で看護士の女性と離婚調停中で、2006年10月下旬頃から別居していた。徳島地裁は11月8日、木村被告が女性に対し繰り返し暴力を振るったとして、つきまといや訪問を6ヶ月間禁止する保護命令を出した。
 木村被告は女性の転居先を知らされていなかったが、探偵に依頼して吉野川市の女性宅を12月初旬に探し出し、数回待ち伏せした。
 2006年12月21日夕方、女性の留守宅を待ち伏せ。帰宅した子供が玄関の鍵を開けた隙に押し入った。直後に子供2人も帰宅した。午後6時頃、子供3人の目前で、自宅から持ってきた脇差し(刃渡り約50センチ)で帰宅した女性を刺し、殺害した。さらに子供3人に「生きていても仕方ないから殺してやろうか」と脅したが、長女が死にたくないと訴えたため、思いとどまった。
 木村被告は約2時間後、親類に付き添われ徳島東署に自首した。
裁判所
 最高裁第二小法廷 千葉勝美裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年9月8日 懲役30年(検察側上告棄却、確定)
裁判焦点
 高松高検は「量刑判断について判例違反をしており、著しく正義に反し、承服できない」として上告していた。
備 考
 2007年6月19日、徳島地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2007年12月11日、高松高裁で一審破棄、懲役30年判決。

氏 名
穴井憲一(40)/田中良明(46)/平山正憲(42)
逮 捕
 田中被告:2009年11月2日、平山被告:12月24日、穴井被告:2010年2月7日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反他
事件概要
 2009年7月4日深夜、平塚市の湘南ひらつか七夕まつり会場付近で指定暴力団稲川会組系組員が縄張りを見張る「地回り」中、腕の入れ墨を見せて指定暴力団住吉会系の男性が歩いていたためトラブルとなり、住吉会系のS組員(当時22)が負傷。引き渡し前に病院で受診させるため稲川会側がS組員を車に乗せて監禁した。
 しかし様子を聞きつけた住吉会系組幹部の穴井憲一被告、田中良明被告、平山正憲被告がS組員を奪還するために7月5日午前4時10分頃、平塚市の稲川会系組事務所に乗り込み、拳銃を発射。組関係者の男性(当時34)を射殺した。
 稲川会系組幹部のS被告は事件を聞き、報復として監禁していたS組員を刺殺。8時30分頃、戸塚署に自首した。
 田中被告らは逃亡。2009年11月2日、神奈川県警特別捜査本部は田中被告を逮捕。さらに穴井被告、平山被告を全国指名手配した。12月24日、東京都渋谷区で平山被告が逮捕された。2010年2月7日、タイ警察当局はバンコク市内で穴井憲一被告を逮捕、強制送還され2月23日に逮捕された。
裁判所
 横浜地裁 久我泰博裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年9月15日 穴井被告:懲役30年、田中被告:懲役25年、平山被告:懲役24年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2010年9月8日の初公判で、3被告はいずれも「銃を撃ったことは事実だが、たまたま命中しただけで殺意はなかった。共謀もなかった」などと述べ、起訴内容を一部否認した。
 検察側は冒頭陳述で「自分たちの力を見せつけるという暴力団特有の犯行動機」と指摘。一方、弁護側は「銃弾は扉に当たって跳弾し、偶然首に命中したで、強いて言うなら重過失致死罪にあたる。拳銃は各自護身用に持っていた」などと主張した。
 9月13日の論告で検察側は「拳銃により自分たちの威勢を示そうとした身勝手かつ危険な犯行」としていずれも無期懲役を求刑。同日の最終弁論で弁護側は「殺意も共謀もない」として殺人罪を適用しないよう求め、結審した。
 判決で久我泰博裁判長は、3人が組事務所に入る直前、平山被告が銃の準備を求めた時点で共謀が成立したと認定。「組員から攻撃されると思い、身を守るため人影に向かって拳銃を発射した」として殺意も認めた。そして「攻撃されそうになったら拳銃を用いてでも制圧しようとする考えは暴力団特有の論理。穴井被告は過去にも殺人罪で服役しており、殺人に対する抵抗感が感じられない」と断じるとともに、実際に相手組員を射殺した穴井被告は「比較的大きな役割を果たした」と指摘した。
備 考
 一連の事件では、両会系で12人が逮捕されている。
 S組員を刺殺したS被告は2010年6月18日、横浜地裁(久我泰博裁判長)で懲役20年(求刑懲役25年)判決を受けた。
 3被告とも控訴した。

氏 名
岩佐茂雄(50)
逮 捕
 2009年12月3日(2009年9月に別の詐欺未遂事件で逮捕、拘留中)
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人、銃刀法違反他
事件概要
 指定暴力団山口組系組員の岩佐茂雄被告は同宮下貴行被告と共謀。2007年2月5日午前10時ごろ、東京都港区の路上で、停車中の車の後部座席に座っていた指定暴力団住吉会系幹部の男性(当時43)に対し、ガラス越しに拳銃で3発発砲し、射殺した。
裁判所
 東京地裁 鹿野伸二裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年10月8日 懲役30年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 鹿野伸二裁判長は「付近住民に大きな不安を与えた」と述べた。しかし、被告は首謀者でなく反省している、一般人は巻き添えになっていないといった点を考慮し、有期刑となった。
備 考
 検察・被告側は側は控訴した。

氏 名
小谷野裕義(38)
逮 捕
 2009年8月13日(別の事件で服役中)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、営利誘拐、逮捕監禁他
事件概要
 【仙台市男性強盗殺人事件】
 小谷野裕義被告は笹本智之受刑囚、菅田伸也被告と共謀。2004年9月3日夕方、東京都の井の頭公園付近で、拳銃の取引をするなどと偽って誘い出した仙台市青葉区の風俗店経営の男性(当時30)を車に乗せ、顔に粘着テープを巻き付け両手に手錠をかけて監禁。茨城県内の貸別荘を経由し、同月4日午前10時半ごろに仙台市太白区秋保町の山林に着くまで連れ回し、11時半頃に男性の首をロープで絞め、頭をバールで殴るなどして殺害。死体を遺棄した後、同日夜から6日ごろまでの間、男性の自宅金庫から現金約5000万円と預金通帳数冊を奪った。川本仁哲被告と砂田信宏被告は東京都内から茨城県の貸別荘に向かう乗用車内や別荘での暴行に加わり、更に現金60万円を奪った。鈴木浩人被告も都内から茨城県、更に仙台市の山林までの監禁に共謀した。
 笹本被告は男性と高校時代からの友人で、男性の経営する貸金業を手伝っていた。笹本被告は「子分のように使われた」と供述しており、給料が少ないことに不満をもち、知人らとともに金を奪うことを計画した。

[逮捕に至る経緯]  笹本智之被告は2006年10月16日に「仙台での男性暴行事件」(過去の事件参照)で逮捕監禁容疑で逮捕された後、取り調べの中で仙台市の不明男性の名前を挙げ、「男性を殺害し、(仙台市太白区の)秋保の山林に埋めた。金庫の鍵を奪って金を盗んだ」と暴露。さらに2007年6月25日に開かれた西田清被告の公判で、証人として出廷した弟の笹本和良被告(当時)が弁護人の尋問で「兄から人を殺したことがある。○○(男性)の件で」との質問を肯定。さらに家へ3000万円を持って戻ってきたと答えた。宮城県警は、笹本被告らの供述は信憑性が高いと判断。2006年11月に犯行グループの1人が指し示した場所を掘り返した、男性のものとみられる毛髪などを採取したが、他には何も見つからなかった。同じ場所は2009年6月にも再度掘り返しているが、同様の結果であった。しかし4月下旬から5月上旬、笹本被告らが男性を連れ回したという東京都内の繁華街や茨城県内の貸別荘などに捜査員を派遣し、「供述だけではない証拠が得られた」(捜査幹部)として、遺体が未発見のまま営利誘拐と逮捕監禁容疑での逮捕に踏み切る。
 宮城県警は2009年8月13日、営利誘拐と逮捕監禁容疑で受刑中の笹本智之被告と小谷野裕義被告、菅田伸也被告、川本仁哲被告、砂田信宏被告の計5人を逮捕。仙台地検は31日、5人を同容疑で起訴した。
 10月26日、宮城県警は笹本被告、小谷野被告、菅田被告、川本被告の4人を強盗殺人容疑で再逮捕した(死体遺棄はすでに時効)。仙台市青葉区の会社役員鈴木浩人被告を新たに営利誘拐と逮捕監禁容疑で逮捕した。
 仙台地検は11月16日、笹本被告、小谷野被告、菅田被告を強盗殺人容疑で追起訴。川本被告と砂田被告を強盗容疑で追起訴。鈴木被告を逮捕監禁容疑で起訴した。
 さらに笹本被告は「1999年にも東京都内の暴力団組員の男を殺した」と供述。2009年7月、宮城県警は仙台市太白区内の山林を捜索。白骨化した暴力団組員男性の遺体を発見した。2010年2月10日、宮城県警は笹本智之被告と菅田伸也被告を殺人容疑で再逮捕。阿部知佳被告と山田純也被告を殺人容疑で逮捕した。
 仙台地検は3月3日、笹本被告と菅田被告、当時少年被告を殺人容疑で起訴した。山田純也被告は「死体遺棄のみの関与だった」として処分保留で釈放した。死体遺棄罪は公訴時効(3年)を迎えている。
 さらに笹本智之被告は「菅田被告が自殺を装って自衛官を殺害し、保険金を手に入れている」と話したことから、宮城県警が捜査。3月3日、保険金殺人事件で菅田伸也被告、山田純也被告、鈴木浩人被告、佐々木誠被告、高橋まゆみ被告の5人が逮捕された。仙台地検は3月25日、5人を殺害の容疑で起訴した。

 上記らの事件は、笹本智之被告が1994年頃に結成した犯罪組織「BTK」のメンバーが関与している。高校時代の同級生でマフィアにあこがれた男性(2004年9月殺害)と笹本被告の2人で結成。組織名は「殺すために生まれた(Born To Kill)」から名付け、2人がリーダー格だった。ナンバースリーだった菅田伸也被告も高校生のころに加入。組織は拡大しながら犯罪を繰り返した。
裁判所
 仙台地裁 川本清巌裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年10月27日 懲役15年
裁判焦点
 裁判員裁判。検察側は強盗殺人で起訴した。
 2010年10月19日の初公判で、小谷野裕義被告は誘拐などの起訴内容は認めたが、強盗殺人については「計画、実行行為ともに関与していない」と否認した。
 検察側は冒頭陳述で「被告は指定暴力団系幹部時代、笹本受刑者の上役だったため、殺害計画を相談された。殺害時には男性のロープを引っ張った」と指摘した。
 弁護側は「被告は現金を奪うことしか伝えられず、殺害計画は知らなかった。殺害行為にもかかわっていない」と述べ、強盗致死罪の適用を主張した。
 20日の公判では笹本智之受刑者が出廷し、「一緒に計画を立てており、(小谷野被告は)被害者を殺すことを分かっていたと思う」と述べた。
 22日の論告で検察側は同事件で無期懲役が確定した笹本智之受刑者の証言について、「具体的かつ詳細で信用できる。男性を殺害して現金を奪う話し合いは事前にあった」と指摘した。
 同日の最終弁論で弁護側は「小谷野被告は、笹本受刑者らの計画に巻き込まれた。予想外の殺害行為で男性が亡くなった。共犯者と殺害の相談はしておらず、強盗致死罪にとどまる。自首も成立し、有期刑が相当だ」と訴えた。
 判決で川本清厳裁判長は「笹本受刑者の証言は具体的だが、被害者に恨みのない被告がすぐに犯行を了承したとする経緯などに不自然さが残る。客観的証拠の裏付けがない以上、検察官が主張するほどの信用性はない」と判断した。
 さらに「共謀を否認する被告の供述に沿って事実認定するのが相当で、被告は強盗殺人の計画と実行行為に関与しておらず、強盗致死罪が成立する」と認定。「無期懲役には抵抗があり、有期刑が相応。当時の有期刑の上限(15年)から刑事責任を下げる事情もない」と結論付けた。
過去の事件
【仙台での男性暴行事件】
 仙台市青葉区の笹本智之被告は、青葉区に住む知人の無職男性(当時26)がギャンブルで収入を得ていると聞き、因縁を付けて金を奪おうと計画し、栃木県足利市の無職西田清被告、東京都中野区の暴力団組員でビル管理業小谷野裕義被告、亘理町の無職渡辺努被告と共謀。2006年8月30日午後4時頃、男性を自宅から尾行し、コンビニエンスストアの駐車場で男性の車に乗り込んで「勝手に人のシマを荒らすな」などと脅してそのまま車内に監禁。男性に車を運転させ、同区の市葛岡墓園に連れ出して「お前を埋めてしまってもいいんだ」などと脅して殴るけるの暴行を加えた。その後約3時間にわたって男性を車で連れ回して暴行を加えた後、再び男性の自宅に戻って現金約100万円や財布、指輪など計9点(時価145000円)を奪った。

【群馬県での男女強盗殺人未遂事件】
 西田清被告は、群馬県太田市に住む縫製業の男性が副業で営んでいた金融業を2005年12月頃から手伝い、取立などを担当していたが、トラブルとなっていた。そこで西田被告は、笹本智之被告、小谷野裕義被告、渡辺努被告、笹本智之被告の弟で無職笹本和良被告と強盗を計画。西田被告を除く4人は2006年9月18日夜、男性方に西田被告が持っていた合い鍵を使って侵入し待ち伏せ。帰宅した男性(当時56)と知人女性(当時55)を殺害しようと金属バットで殴り、男性に重傷を負わせ、女性を重体に陥れ、現金約285万円などを奪った。

[両事件の逮捕経緯]
 群馬県警は9月19日、西田被告を別件の脅迫容疑で逮捕。10月9日、前橋地裁は西田被告を処分保留で釈放したが、そのまま仙台まで移送され、同日に宮城県警が西田被告を仙台市の逮捕監禁と強盗容疑で逮捕。16日までに笹本被告ら4人を同容疑で逮捕した(1名は後に不起訴と思われる)。11月21日、群馬県警が太田市の事件で5人を強盗殺人未遂と住居侵入容疑で逮捕した。太田市の男性も12月4日、貸金業法違反(無登録)容疑で逮捕されている。

[両事件の判決]
 西田清被告は両事件で起訴。2007年8月30日、前橋地裁(久我泰博裁判長)は懲役23年(求刑懲役27年)を言い渡した。控訴せず確定。
 小谷野裕義被告、笹本智之被告、渡辺努被告は両事件で起訴。笹本和良被告は群馬県での事件で起訴。2007年10月9日、前橋地裁(久我泰博裁判長)は「現場指揮など主要な役割を果たした」として小谷野被告に懲役24年(求刑懲役27年)を、笹本智之被告に「凄惨な犯行様態で最も非難を受けるべき」として懲役23年(求刑懲役25年)を、渡辺被告に懲役11年(求刑懲役13年)を、笹本和良被告に懲役9年(求刑懲役13年)を言い渡した。小谷野裕義被告は控訴するも棄却。他は控訴せず確定。
備 考
[共犯者の裁判状況]
 仙台市男性強盗殺人事件で営利誘拐と逮捕監禁、強盗罪に問われた東京都杉並区の会社員川本仁哲被告は2010年2月24日、仙台地裁で懲役5年(求刑懲役10年)を言い渡された。川本被告は報酬目的で犯行に加わったが、殺害計画までは知らされていなかったとされた。卯木裁判長は「本件が(男性が殺された)強盗殺人の計画の一部であることは量刑上考慮できない」と述べた。7月20日、仙台高裁(飯渕進裁判長)は一審判決を支持し、被告側控訴を棄却した。
 仙台市男性強盗殺人事件で営利誘拐と逮捕監禁、強盗罪に問われた広島市の無職砂田信宏被告は2010年6月3日、仙台地裁で懲役7年(求刑懲役10年)を言い渡された。鈴木信行裁判長は「計画的で極めて悪質な犯行」と述べた。
 亘理町自衛官保険金殺人事件における殺人罪と、仙台市男性強盗殺人事件における逮捕監禁罪に問われた仙台市の無職鈴木浩人被告は2010年7月15日、仙台地裁で懲役17年(求刑同)を言い渡された。鈴木信行裁判長は殺人について、男性の首にロープをかけやすいように体を持ち上げたり、足を持って体重がかかるようにしたなどとして、「(鈴木被告の)果たした役割は必要不可欠。報酬として200万円から300万円の現金と中古車を得た」と指摘。弁護側の「従属的立場を重視すべきだ」との主張については「報酬を得ており、報酬目当てで参加したことは否定できない」と退けた。そして「計画性の高さや生きたまま首をつる残忍さから、保険金目的の殺人の中でも悪質」と述べた。検察側は、共犯とされた実行役4人の中では従属的だったことなどを理由に求刑を懲役17年としていた。
 仙台市男性強盗殺人事件における強盗殺人罪他と東京都暴力団組員殺人事件で殺人罪に問われた笹本智之被告は、二つの事件の間に確定判決があったため併合されず、2010年8月27日、仙台地裁で求刑通り無期懲役+懲役15年判決が言い渡された。鈴木信行裁判長は自首の成立を認めるとともに、更正の可能性が残されていると述べた。控訴せず確定。

 今回の事件の判決が確定した場合、群馬県での男女強盗殺人未遂事件などで既に判決が確定している懲役23年に量刑が加算され、有期刑上限である懲役30年の刑が科される。
 検察側は控訴した。

氏 名
嶋田徳龍(42)
逮 捕
 2008年11月12日
殺害人数
 0名
罪 状
 覚せい剤取締法違反(営利目的密輸入)、麻薬特例法違反(規制薬物としての輸入)、関税法違反(禁制品の輸入未遂)他
事件概要
 中国在住の会社役員嶋田徳龍(とくりゅう)被告はインドネシア人船員3人と共謀。2007年12月6日未明、シエラレオネ船籍の貨物船「LUCKY STAR3」(1217t)に積んだ覚せい剤と見られる薬物約500kgを苅田港で陸揚げした。
 また嶋田被告はインドネシア人船員12人と共謀。2008年10月、香港沖で船籍不詳の船から受け取った覚せい剤298.682kg(末端価格約180億円)を、12人が乗ったシエラレオネ船籍の貨物船「UNIVERSAL」(859t)に積み、11月11日午前2時、北九州市門司区の門司港で陸揚げした。
 嶋田徳龍被告は1992年に福建省から来日し、帰化。神戸市で調理師をして生計を立てていたという。逮捕の約1年前に福建省へ戻り、以降、頻繁に日中を行き来したことが判明している。中国マフィアの関係者で国内と中国の密輸の窓口となっており、頻繁に日中間を往来していた。「その世界では五指に入ると言われる麻薬ブローカー」と呼ばれていた。兵庫県警が逮捕の約1年半前、「大量の覚せい剤を密輸しているようだ」との情報を入手。以来、警察と海保、税関、麻薬取締部(厚生労働省)の4機関が連携し、行動確認などの内偵を続けた。
 2008年11月10日に門司港へ入港した貨物船を福岡県警、門司税関、第7管区海上保安本部(北九州市)、九州厚生局麻薬取締部などの合同捜査本部は11日午前9時から捜査。船底に近い機関室の床下から、黒いビニール袋31袋に分けられた覚せい剤598袋を発見。12日、インドネシア人の全乗組員12人を覚せい剤取締法違反(営利目的所持)容疑で現行犯逮捕し、嶋田徳龍被告とそのおいを同法違反(営利目的譲り受け未遂)容疑で逮捕した。
 「UNIVERSAL」は10月17日にリン鉱石を積み、ベトナム国境に近い中国・防城港市を出港。10月末頃に門司港に到着予定だった。ところが、出港から約1週間後、船舶代理店に「エンジンが故障した。修理するため、しばらく停泊する」と連絡があった。11月5日に「修理できた」と報告があり、入港は遅れ、10日になった。
 捜査で覚せい剤がいったん陸揚げされていたことなどが判明したため、インドネシア人船員12人と嶋田被告は12月4日、量刑の重い覚せい剤取締法違反(営利目的密輸入)罪で福岡地裁に起訴した。その前日、嶋田被告のおいについては処分保留で釈放。後に不起訴となった。門司税関は12月18日、嶋田被告ら14人を関税法違反(禁制品の輸入未遂)容疑で福岡地検に告発した。
 合同捜査本部は2009年2月10日、嶋田被告、嶋田被告の妹の元夫である日本人男性、既に逮捕されていた12人のインドネシア人船員のうち3人を2007年12月の薬物密輸容疑により、麻薬特例法違反容疑で逮捕した。薬物は覚せい剤と見られるが、現物がないことから供述によって立件できる麻薬特例法の適用に踏み切った。3月5日には、出頭した嶋田被告のおいを逮捕した。日本人男性とおいについては関与の度合いが低かったとして後に不起訴となっている。
裁判所
 福岡高裁 陶山博生裁判長
求 刑
 無期懲役+罰金1000万円
判 決
 2010年11月2日 懲役20年、罰金800万円、追徴金429万円(一審破棄)
裁判焦点
 苅田港の覚せい剤は押収されておらず、一審判決は嶋田被告が乗用車で関係先に届けたとしたが、陶山裁判長は「薬物が車に積み替えられた証拠はなく、配送先も特定されていない」と指摘。「嶋田被告が国内での配送役も務めたとした一審判決は誤りで、裁量権を過大評価している。受領と運搬役を果たした以外の関与は分からず、刑が不当に重すぎる」と結論付けた。一方で「薬物の拡散に大きくかかわっており、有期懲役刑の上限は免れない」とした。
備 考
 2008年10月の押収量は、過去4番目となる。国内最大の押収量は、1999年10月に鹿児島県南さつま市(旧笠沙町)の黒瀬海岸で密輸入された約565kg。2番目は1996年の神奈川で密輸入された528kg。
 嶋田被告の逮捕により、覚せい剤の売値が2倍以上になったとの報道がある。
 2010年5月18日、福岡地裁で無期懲役、罰金800万円、追徴金429万円判決。

氏 名
福岡秀治(30)
逮 捕
 2009年5月24日(逮捕監禁容疑。別の覚せい剤取締法違反で起訴済み。6月19日、強盗殺人で再逮捕)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、逮捕監禁
事件概要
 千葉市の人材派遣会社社員福岡秀治被告は、会社の実質的な経営者である福岡貴司被告ら4人と共謀。2005年3月16日午前5時ごろ、千葉市の男性(当時65)が経営する風俗店脇駐車場で、男性を乗用車に押し込み監禁。風俗店で現金15万円、男性の自宅で現金約120万円を奪い、車内で暴行を加え死亡させた。
 共犯者が殺人を供述。2009年5月14日、千葉市の空き家の地中から男性の白骨体が発見された。
 死体遺棄罪については公訴時効(3年)が過ぎているため、立件は見送られた。
 逮捕当初は強盗殺人容疑だったが、殺意がなかったとして強盗致死容疑で起訴された。
裁判所
 千葉地裁 堀田真哉裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年11月15日 懲役28年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 2010年11月11日の論告で検察側は「犯行は粗暴で残虐。被告人の暴行が被害者死亡の最大の原因だった」として無期懲役を求刑した。弁護側は、「殴るなどの暴行はしておらず、強盗、逮捕監禁罪が適当」と主張した。
 堀田裁判長は判決で「一連の暴行で被害者が死亡したと認められる」と指摘、弁護側の暴行は加えておらず、被害者は拳銃で撃たれて殺害された可能性もあるとした主張を退けた。そして「犯行態様は粗暴で極めて悪質。刑事責任は重大」とする一方で「立場は従属的で検察官の求刑は重すぎる」とも述べた。
備 考
 強盗致死容疑他で起訴されたSH被告は2010年8月27日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で懲役25年(求刑懲役30年)の判決。
 強盗致死容疑他で起訴されたKT被告は2010年9月2日、千葉地裁(栃木力裁判長)で懲役22年(求刑懲役25年)の判決。
 強盗致死容疑他で起訴されたHM被告は2010年9月17日、千葉地裁(栃木力裁判長)で懲役22年、罰金50万円(求刑懲役25年、罰金50万円)の判決。
 強盗致死容疑他で起訴された福岡貴司被告は2010年10月15日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で求刑通り一審無期懲役判決。
 逮捕監禁・強盗致死ほう助罪で起訴されたTK被告は不明。

氏 名
橋本遥(25)
逮 捕
 2009年7月24日(窃盗容疑)
殺害人数
 1名
罪 状
 強盗致死、営利目的誘拐、監禁、覚せい剤取締法違反(使用)他
事件概要
 東京都青梅市の無職橋本遥被告は、東京都板橋区に住むアルバイトの男性(当時25)がインターネットのサイト管理をして2億円を持っているとの噂を聞きつけ、山本剛ひっくら仲間6人と男性の拉致を計画。
 2009年6月27日午後8時半ごろ、男性を出勤途中だった渋谷区の路上で「知り合いが呼んでいる」などとレンタカーに誘い込み、車内で暴行し現金9000円やキャッシュカードなどを奪い暗証番号を聞きだした。さらに覚せい剤を注射して翌28日未明、埼玉県秩父市の山中に置き去りにし、死亡させた。
 男性はサイト管理の仕事をしたり大金を持っていたことはなく、誤った情報を基に事件を起こした。
 東北地方に住む母親が6月下旬から男性と連絡が取れなくなったことを心配し、7月3日に警視庁に届け出た。
 男性の遺体は7月7日午後3時頃、地元の森林組合の職員が発見。その後、警視庁からの情報提供を受け埼玉県警が詳しく調べたところ、遺体の年齢や体格などの特徴が男性と似ていることが判明。県警が男性の歯型やDNAなどを鑑定して身元の確認を進め、23日に身元が判明した。
 7月24日、預金口座から現金を引き出した窃盗容疑で7人を逮捕。8月15日、橋本被告は埼玉県内の警察署に出頭し、逮捕された。
裁判所
 東京地裁 秋葉康弘裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年12月1日 懲役30年
裁判焦点
 裁判員裁判。
 被告側は、山本剛被告に覚せい剤を渡した点だけを認め「犯行の指示も共謀もしていない」と主張した。
 判決で秋葉康弘裁判長は、橋本被告が実行犯の山本剛被告と共謀して犯行計画を立て、「山本被告が犯行を実行する上で精神的支柱となった」と認定。「落ち度のない被害者の命を奪った重大な結果に対し、決定的な影響力を及ぼした」と述べる一方、「山本被告に一方的に指示命令をし、犯行全体を積極的に推し進めた黒幕的存在とはいえない」と、減刑理由を説明した。
備 考
 本事件では7人が起訴されている。また事件当時19歳だった少年1人がを強盗致死などの非行内容で家裁送致されている。
 Y被告、M被告は2010年3月16日、東京地裁(藤井敏明裁判長)で懲役23年(求刑懲役25年)判決。控訴せず確定。
 当時19歳だった少年被告は2010年6月23日、東京地裁(吉村典晃裁判長)で懲役17年(求刑懲役20年)判決。被告側控訴中。
 山本剛被告は2010年7月22日、、東京地裁(藤井敏明裁判長)で懲役28年(求刑無期懲役)判決。被告側控訴中。
 K被告は2010年10月4日、東京地裁(大善文男裁判長)で懲役23年(求刑懲役25年)判決。

氏 名
森田繁成(41)
逮 捕
 2009年6月19日
殺害人数
 1名
罪 状
 殺人
事件概要
 滋賀県米原市の会社員森田繁成被告は2009年6月10日午後9時頃から11日午前1時頃までの間、米原市の汚水槽近くにおいて、交際相手で長浜市に住む会社員の女性(当時28)の頭を鈍器のようなもので何度も殴って頭蓋骨陥没・粉砕骨折などの瀕死の重傷を負わせ、汚水層の中に落として窒息死させた。女性は午後8時ごろに退社、人を待つ姿が目撃された後、行方不明になっていた。
 長浜市の工場で検査監督だった森田被告と、派遣社員として勤めていた女性は2007年ごろまでに交際を始めていた。しかし森田被告の異性関係を疑われ、2009年6月以降けんかがちになっていた。
 12日早朝、清掃作業員が女性の遺体を発見した。10日の携帯電話の通信記録から森田被告が交際相手として浮上。県警米原署捜査本部は、助手席側フロントガラスにひびが入るなどした森田被告の乗用車を押収し、シートから女性の血液痕を検出するなどしたため、19日に逮捕した。
裁判所
 大津地裁 坪井祐子裁判長
求 刑
 無期懲役
判 決
 2010年12月2日 懲役17年
裁判焦点
 裁判員裁判。森田被告は逮捕当初から「殺害していません」と容疑を否認。取り調べに対し、ほとんど黙秘を通した。
 2010年11月4日の初公判で、森田被告は「公訴事実は違います。私は殺していません」と否定した。
 冒頭陳述で検察側は立証のポイントとして、2人の交際トラブルや森田被告の車の血痕、血痕のあったフロアマットは傷んでもいないのに自宅庭に隠していた、被告の車によく似た車両に関する目撃証言など、状況証拠を次々と挙げ、「犯人だからこそ、としか考えられないウソを捜査段階などについた」とも指摘した。これに対して、弁護側は「事件前、仕事のいざこざで不安定になっていた女性を、森田さんは励ました。殺害の動機がない」などと主張。森田被告の左手のけがは、女性に会う直前、コンビニ店の駐車場で見知らぬ男2人に殴られたと説明した。そして裁判員らに向かって「森田さんを犯人とする証拠はありません。森田さんは無罪です」と訴えた。
 続いて、公判前整理手続きの結果がモニターに映し出され、坪井裁判長は「女性の殺害手段に争いはなく、争点は犯人が被告人かどうか」と説明。今後の審理日程について、被告の家族や会社の同僚ら延べ16人の証人の尋問と、4回の被告人質問なども示した。
 11日の公判では森田被告の車を修理した彦根市の自動車修理業者が証人尋問で「フロントガラスの傷は、(森田被告が言う)跳んできた石が原因とは思えない大きさだった」と証言した。また森田被告はブレーキドラムの血痕について弁護側から聞かれ、「『友人がタイヤ交換をしてくれる』と言うので、昨年5月3日に女性に車を預けた。女性は『鉄をけった』などと話し、足にばんそうこうをしていた」と説明し、その際に血が付いたことを示唆した。
 12日の公判では、被告の乗用車に付着した女性の血痕について質問が飛び交った。検察側によると、左後輪のブレーキドラムに2カ所、助手席ドアの内側▽助手席のリクライニングレバー付近、前席中央部▽助手席のシートをはがした中のスポンジ、フロアマット――から見つかった血痕が、女性のDNA型と一致した。このうち、車内の血痕をふき取った跡について、弁護側は「鼻血をふき取ったという被告の言い分と矛盾するか」、検察側は「暴行によって付着した血をふき取ったと説明できるか」などと質問。車を鑑定した弁護側証人の林葉康彦・九州女子大教授は「いずれも可能性がある」と述べた。
 17日の被告人質問で、森田被告は改めて無罪を主張。捜査段階で供述調書の作成に応じなかった理由について、「記憶がしっかりするまで調書にサインするな、あとから修正できないと弁護人が言った」と訴えた。被告を取り調べた主任検事の証人尋問もあり、弁護側が「逮捕後に何度も取り調べの録音録画を求めたが認められなかった」と詰め寄ると、主任検事は「録音録画は自白の任意性を公判で証明するもの。完全否認したり、黙秘したりしている場合は意味がない」と反論した。
 22日の論告で検察側は検察側はこれまでの女性の友人らの証人尋問や、女性と森田被告がやり取りした携帯電話のメール履歴などから「被告の女性関係を疑う女性と深刻なトラブルがあり、不倫を暴露されることを恐れて強い殺意を持った」と主張。●殺害時間帯に女性と会った●被告の車に女性の血痕が付着●殺害現場近くで似た車が目撃された●事件後、車の洗浄を頼み、フロアマットも隠した●携帯電話のデータを削除したなどの状況根拠に「車内で女性を傷付け、車の近くで頭をめった打ちした」と指摘した。そして事件後に女性への連絡が激減した点をあげ、「被告の犯行に疑問の余地はない」と指摘、「被告の弁解は不合理」と述べた。最後に「犯行は執拗で残忍。被告は被害者や遺族を冒涜するうそを重ね、反省の情がない。遺族の処罰感情は峻烈」と述べた。
 弁護側は●森田被告は女性とけんかしてもすぐ仲直りした。森田被告に動機がない●失踪当夜に会ったが、女性は被告の車を運転して1人で走り去った●返り血のついた服や靴が見つかっておらず被告が犯人とすれば、つじつまが合わない●車の血痕は女性の鼻血などによるもの、などと被告を犯人とする決め手がないと反論し、改めて無罪を主張。大阪地検特捜部による証拠改ざん・隠ぺい事件などを挙げ、「検察は状況証拠を積み上げているが、疑わしきは被告人の利益にとの推定無罪の原則で考えてほしい。決して冤罪を生んではならない」と裁判員に訴えた。森田被告は最終陳述で「真犯人がほかにいると思うと恐ろしい。(自分を)家族のもとに帰してください」と述べた。
 判決で坪井裁判長は、争点となった被告の車に付いた女性の血痕について、「後輪のブレーキドラムの血痕は飛散して付着した可能性が高い」と判断。助手席の血痕には「初期の暴行で付いたという検察側の説明と矛盾しない。鼻血や生理血という被告の弁解は、すべて明確に記憶していることは不自然で信用できない」と述べた。汚水タンク近くで似た車が目撃され、被告が女性に会った最後の人物だった点などを挙げ、「健全な社会常識に照らし、被告が犯人であることは、合理的疑いを差し挟む余地がない程度に立証されている」と認定した。事件の動機は不明とする一方、不倫関係にあった2人に何らかの行き違いがあり、「森田被告が興奮に駆られ、怒りを暴発させた可能性が最も高い」とし、殺害の計画性を否定。「犯行態様は残忍だが、身勝手極まりないと言うにはちゅうちょを覚える」と述べた。
備 考
 判決も含めて審理11日間は過去最長。被告側は即日控訴した。検察側は控訴せず。




※銃刀法
 正式名称は「銃砲刀剣類所持等取締法」

※麻薬特例法
 正式名称は「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律」

【参考資料】
 新聞記事各種

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