私の作品の一例(レシピ考案、料理、スタイリング、撮影すべて)。
とうもろこしのムース、雲丹とコンソメのジュレを添えて
突然ですが、皆さん!
これがたった1分半でできるなんて、信じられますか?
できるんです!私の考案した究極の時短レシピなら。
世の中、発想を変えれば想像もできなかったことも出来てしまうのです。
(現在、実用新案提出中・・ではないけれど。笑)
ヨーロッパをはじめ世界各国を旅していると、まだ日本ではその名を知られぬメーカーの廉価良質な美食材が星の数ほど目に付く。なぜ日本のインポーターは輸入しないのか!?
私に資本があれば、今まで10代から50カ国を、国によっては一国だけで30回以上も訪問し、
行く先々で、これから絶対日本でヒットしそうな輸入商材&自分も日本で売っていたら絶対買いたい!と思う食材のメーカーと商品名・住所などの手書きデータが膨大にある。
(特にヨーロッパ、アジアの大都市のバス電車交通網は地図を見なくとも頭に入っているので、逆に地元人に道を聞かれて教えてあげることもあるくらいほど。)
私に資本があれば、とっくの昔に輸入会社を設立していたと思う。
「美味しい輸入食材は高い」という概念を、ぶっ壊したい。
実際に日本にいまある人気輸入食材のうち、日本に紹介される10年以上前に私が目をつけていたものとまるっきり同じメーカーの商品も少なくない。
どなたか、興味のあるスポンサーいらっしゃいませんか!!本気で。
経営ノウハウのない私は、若いうちは(ボロ儲け願望もない代わりに)大きなリスクも背負いたくはなく、よって最初からオーナー社長になる願望はなし。会社も利益も自分で独り占めしたいとも思わない。むしろ共存共栄、自分もパートナー(オーナー)もお客様も取引先も、皆が Win-win(古ッ)で幸せに繁栄していく明るいビジネスがしたい。その具体的アイディアなら無尽蔵にある。
ほかに日本未進出の海外優良レストラン、あるいはフランチャイズ(安いが味はそこそこ、アジアには支店多数だが、なぜか日本には未進出。ぜったいヒットするはずだと確信している店のリストをもう何年も作っている。先にやったもの勝ちだとは思うのだけど、なにせ資本がないので・・・・。
商材発掘から、語学(日・英・仏・スペイン語はビジネスレベル。そのほか会話程度なら30か国語可能)を駆使しての現地交渉(日本への輸出・誘致・出店)、所轄機関へ提出する書類の翻訳・通訳にいたるまで、すべて私ひとりで事足りるので、無駄な人件費も不要。
強いて外注が必要とするならば、通関手続きくらいだろうか。
それも特に難しいことではないはず。輸入食材にしても、たとえばインポーターは伊藤忠食糧カンパニーだが、商材発掘をかねる販売元は別会社、といったこともままあること。経営ノウハウがない私なのであまり偉そうなことも言えないのだが、既存のビジネスモデルを活用しながら、日本未上陸かつこれからウケる商材・サービスを提供すれば、絶対に需要はあるはず。
私個人は「たいしたことない」と思うイタリア発ジェラートのG(新宿三丁目マルイ)でさえもあれだけハヤって行列しているんだから、私が「ハヤる」といえば絶対間違いない。
これは単なるうぬぼれではなく、実際に「私自身は好かないけれど、これは日本の消費者層にウケる」と過去に予測し周囲に話していた店が、その数年後にヒットした、ということも2度や3度ではない。
証人のFちゃん、Gくん!
覚えているでしょ?私がウイーンで絶賛していたあのシリアルと、塩、それにシンガポールの(AではなくR社の)カヤジャム!、それと感じ悪い腐乱西(フランス)のあのショコラティエ。
あと日本に出店したチーン・・・なスペイン女性シェフの3つ星(←スペイン本店。日本は★2)
残念ながらお金は今のところ無尽蔵には沸いてこないけれど、フードビジネス、料理、日本人の知らない旅ネタ(出版、ツアー企画含め)のアイディアなら四六時中とめどなく溢れてくる。母国語の日本語ですら、PCで打つのはおろか、言葉にするのさえ間に合わないくらいモーレツなスピードで、速記を雇いたいくらい(!)、斬新(奇抜ともいう)かつ具体的なビジネスプラン浮かんでくる。浮かんでくるというよりは、浮かんできたことを意識させないくらい、常にあふれてとまらない壊れてしまった水道管のように!
聖徳太子ではないが、
耳では仏語ニュースでグルメ評論家のコラムを聞きながら、頭の中ではその日昼間食べたまったく無関係の料理のソースに何が入っていたか頭の中で分析し、さらに目ではスペイン語の料理人向け月刊誌を理解し・・・と同時に3つ、4つのことができる。それもすべて異なる別の言語で。
これは別の分野では私にとっては考えられないこと。
それだけ私は料理、レストラン、食文化に強い関心と情熱がある。
ほかの分野でもそのスキルが応用できれば最高なのだが!
24時間、五感フル稼働でアイディア創出・情報収集のアンテナを張り巡らせているので(意識はしていないが)、
私が何も考えずにボーッとしていることはない。いや、本当は何も考えずにボーッとしたいのに、できないのだ。
TVを見ている暇などない。概して、TVの思考速度がスローモーションのように遅く感じて仕方ないのだ。
一人でいるのがさみしいなんて思ったこともない。
だってひらめきが、止まらないのだから。誰か止めてほしい!
私がもし仮に無人島でひとりで、本もテレビも友達もなかったとしても、浮かんでくるアイディアと旅の回想、ダジャレで退屈とは無縁だろうと思う。
ただの波ひとつ、木ひとつ見るだけで、いろいろな創作アイディアが浮かんでくる。
料理、絵、ビジネスプラン、詩、ダジャレ、たまに作る服のデザイン、便利グッズの発明ネタ・・・と姿かたちを変え、さまざまなアイディアが止まらない泉の様に浮かぶ。
皆さん、私がいったい何を言っているかよくわからないですよね?
ただ、私は思う。
資本と経営のノウハウがあるのにアイディアに行き詰まった人と、
私のように開業・運転資金・経営センスはなくとも公私共に世界中を旅してきた末にアイディアが無尽蔵に浮かんでくる人間が手を組めば、きっと何かできるのではないか、と。
Make it possible(・ウィズ・キャノン?);
Possibilities are infinite (by 富士通)!
(私の意訳:「実現しよう。可能性は無限なのだから!」)
ご興味のある方、フードビジネス展開をご検討中の実業家の方、ぜひご連絡ください。非公開コメントにてメール頂ければ、追ってこちらよりご連絡させていただきます。
(実際に既に数名の方とお会いさせていただきました。ただし、本件にまったく無関係な個人的詮索には一切お答え致しかねます。私もそこまでバカではないので、良からぬ企みのある人は容易に見抜けます。)
私の作品の一例です。レシピ、料理、スタイリング、写真ともに)
(恥をしのんで・・・)
皆様にお願い
わたくし、おりからの経営不振による事業縮小という会社都合により望まずも失業し、色々就職活動してみたのですが、こういう方面で、はあまりご縁がありませんでした。
(いままで経験してきた民間事業会社の海外プロジェクトマネジャー職や、フランス人社長付けアシスタントなどで探してみました。日本語、フランス語、英語ともビジネスで使ってきました)
リーマンショック以前に転職活動をした際は、(大変おこがましいながら)、さしたる職務経験もなかったのに、大手有名企業の高待遇の内定をバシバシ頂き、どちらをお断り申し上げるか、頭を悩ませたくらいでした。
しかし、今この時代、本当に自分を試される時期にさしかかっているのだと思います。
私も20代後半になりました。
いっそかねてから大好きだった、料理方面、世界各国旅行経験・語学を活かした取材、および執筆業界で
アシスタント的な仕事でも構いませんので、いただけたら・・・と思い、色々な企業のご担当者さまがたに、連日自分売り込みに奔走しております。
フリー・委託・専属問わず、レストラン・料理ライター(アポ取り、覆面、テーマに沿った新規開拓、いずれも可)
旅行ライター
(特にヨーロッパ、東南アジア、京都に強し。世界50カ国以上、数百回の旅歴あり)
あるいは、レシピ・メニュー企画立案などに興味があるのですが、
いわゆる、その道一本の専業としての経験がないので(ただし副業で匿名や著名記者の肩代わりで、第三者に口外しない約束のもとで料理記事を書いた経験はあります.
あとフランス系食品メーカーのプロモーション用や、日本国内の食材広告用の料理レシピ、スタイリングのお手伝いをさせていただいた経験も。)、まだまだこれからも精進あるのみではありますが、
この方面なら、どんなにハードワークでも、難局に直面しても、200%の力を出し切って、今まで以上にその企業に付加価値を生み出す覚悟でいます。
ブログでは辛口レストラン批判も少なくない私ですが、仕事でしたら、御社の編集方針に沿った記事(ヨイショ記事含む)も、問題なく書けますので、忌憚なくご用命ください。
デフレ・スパイラルの暗いニュースが多い昨今、私は料理・美食を通じて、日本を、そして世界を、経済的にも、精神的にも元気付けたいと考えております。
そしていつしかその方面で成功した暁には、その資本をもとに、実力と情熱のある若手料理人の独立をお手伝いしたり、また自分の海外経験からインスピレーションを得た「こんな店があったら幸せ」と思える店をプロデュースしたいとも考えています。そしてその売り上げの一部を、第三世界の恵まれない子供たちの食糧援助に寄付したり、(優先的に無料住宅などが付与される他の先進国に比べて大変遅れている)日本の母子家庭へのケア(経済的、精神面でのケアなど。)にも貢献したいと思っています。
また、私の実母のように家事育児で疲労困憊し、相談する人も機関もなく(私が幼稚園児だったころは今から20年以上前ですから)精神的に孤立して子供(母の場合、私)に言葉と力の暴力で八つ当たりしてしまう母親たちのサポートをする社会活動などもしていけたらと思います。
そうすれば、いつか虐待や、それによる生涯重い影を落とす鬱になやむ大人予備軍を、減らすことができるのではないでしょうか。私の母は、衣食住を放棄することはありませんでしたが、(犬猿の仲であった父に似ていた)長女である私に、つらく当たりました。いまだに、私は生きていてもよいのだろうか・・・と苦しむ日もあります。
だからこそ、仕事で、社会で、たとえそれが存在としての私ではなく「役割」としての私であったとしても、何かしらの生産活動をし、世の中の役に立っていないと、世間に対して自分の存在自体が申し訳なく思えてくるのです。さしあたっての生活は貯金でもまかなえますが、私は「誰の役にも立っていない」今の自分が本当に苦しいのです。
微力ではありますが、仕事を通じて、今の暗い世の中を少しでも明るく、本当の意味でさらに豊かに発展させていく一端を担うことができればと考えています。
もしこちらの方面で、なにか情報をお持ちであったり、あるいは人員を必要とされている方がおられましたら、あるいはそういった方をご存知でしたら、ぜひ非公開コメントにて、ご連絡先(御社所在地・電話番号明記ください)を添えてご一報くださいませ。
何卒よろしくお願い申し上げます。
2週連続また来てしまった・・・。
家から不便なのだが、近所のメシ屋ばりに通っちゃう。
「うらめしや〜、おもてラーメン屋〜」 笑
■アミューズ
タスマニア産天然サーモンの自家製スモーク
これはシェフの責任ではないけど、どこの店であれ、ソーモンだとちょっとガッカリ
な私・・・
■前菜
今月限定(多分)、帆立とマッシュルームのふわふわグラタン、
「シェフが帝国ホテルから持ってきたレシピ」。
おすすめくださったサーヴィスの篠田さんに、「でもグラタンはグラタンでしょう?
」と私。
それでもドロドロのベシャメルではなく、ザバイオーネ仕立てとのことでチョット期
待したのだが、
意外と普通だった・・・
でも帆立をダイス状ではなく薄い短冊切りにした食感が新鮮で、マッシュルームのス
ライスとの一体感を生んでいたのは参考になった。今度家でやってみよっと。
■スープ
本当はこの日もミネストローネだったらしいのだが、こうも頻繁に通う私のためにシ
ェフが気を利かせてビーツのスープ(軽めのボルシチ風)を出してくださった。ディル
のすっきりした香りが、9年ほど前に一度だけ訪れた北欧を思い出させた。
■いつもおいしい、こちらの焼きたて自家製パン(写真なし)。
この日はバゲット、ライ麦、あと新作の黒ビールのパン。
黒ビールのパン、アイルランドの食卓の定番「ブラウンブレッド」のほのかに甘いや
さしい味を思い起こさせた。ああ、なつかしい!来年また行くぞー!
■メイン
おすすめの、平塚・・・じゃなくてスコットランド産・雷鳥。(コースにプラス2000円
)
雷鳥のジュと内臓、赤ワイン、隠し味のポルト酒ほかのソース。
こういうきちんと手間ひまかけたクラシカルなソースを作る店が、今どれだけ残って
いるだろうか。フランス国内ですらめっぽう減ってしまったし、また料理人の腕自体
が追いついていないことも少なくないのだが、こちらのお店、本当にいつもソースが
丁寧に作られている。(初めて読む人は、カテゴリ内の同店過去記事も読んで。)丁寧
なだけでなく、腕もいいのはいうまでもないが。
雷鳥・・・今年あらゆる都内のフランス料理店のメニューで見かける。特にスコット
ランド産のものの飼育技術が近年向上したらしい。むかしはスコットランドの鳥類と
いえば、パサってて臭いのが常だったが。私が雷鳥を口にするのは、たぶん生まれて
初めてだと思う。私の記憶がない1歳9ヶ月未満で食べさせられていない限り。(笑)
うーむ。いつもながらシェフの肉の火入れは申し分なし。ソース同様。ただし、これ
はきっと雷鳥という素材自体の風味がおそらく、私の好みではないのかもしれない。
それはそうと、こちらで何度も食べているトランペット茸、その香りがいつにも増し
てすばらしかった。
この日は乾物とのことだったが・・・。また、こちらも毎回出る別添えの、
野菜のグレック、いつも同じものなのに、今日の出来は酸味といい歯ごたえといい、バランスが非常によ
かった。ゴボウとオクラが今回は入っていないこともよかったかな?
■前々回美味だったため事前リクエストした、スフレ・グラッセ。
(写真がエラーでアップロードできず割愛。)
J'adore!(DIOR?!)
これこれ、とりわけクリスマス前のこの時期パリでよくスーパーに並ぶ「ヌガー・グ
ラッセ」。
平たく言えば、アイス・ケーキならぬ、アイス・ヌガー。
パリで最後に暮らしたアパルトマンがボン・マルシェから徒歩30秒で、よく散歩がて
らモンパルナスまで歩き、帰りにINNO(ちょい高級路線のモノプリ)で買い物した。
地下食品売り場は普通のモノプリ商品プラス、販売店舗限定の「モノプリ・グルメ」
シリーズ(確かオペラのプリ・ジュニックにもあった)が置いてあり、そのシリーズ
のヌガー・グラッセが好きだった。
大人買い♪とかいって一本独り占めしてみたことも。
One of 「都内だからいつでも行けると思いつつ、機を逸していた店」。
何年も前から気になりつつ、どこもかしかも巨匠(虚匠?!)の店は(本人のいる日にディナー訪問しても)私でも作れるわレベルだったので、重い腰が上がらなかったのだ。半年前、いざ意を決して予約を試みたところ、「現在改装中で、再開時期は未定」とのことだった。よって、今頃になってようやく初訪問。文句、あっか!
この日は昼。おまかせ1コースのみ。飲み物は別で、食べ物のみの総額支払いは約5200円なり(税サ込み)。
以下、訪問日のプランツォの内容
写真は「撮るなヴェント」(六本木のイタリアン?)につき、説明のみで。
■前菜代わりのスープ(当日の夜コースと共通とのこと)
赤パプリカと、佐島産タコ、じゃがいものスープ
これ、イタリア的ズッパのアプローチ。とろみ加減、具材の大きさ・量。日本的スープよりも重たく、シチューよりも軽い、双方の中間。パプリカベースのズッパは本場では食べたことがないのだが、生パプリカとトマトの、やや詰まったチャウダーのような味わい。ハンガリーのグーヤシュにパプリカ粉末を入れずに、肉をタコに代え、ジャガイモを入れたといえば、わかりやすいかな。上にはアイヨリ。一見すると平凡だが、芋、タコの火入れとも過不足なし。
■Pasta 1
あさりのボンゴレ、麺はリングィーネ(乾麺)
オイルの乳化、これは模範的でしょう。日本のイタリア料理界における、いわゆる定番料理での「キング・オブ・スタンダード」をひとつ挙げよと言われたら、この店をおいて他に思い浮かぶ店はない。
書店の料理専門書コーナーの辻調監修・料理人向けイタリア料理基礎シリーズ(そんなのあったっけ?)を、一語一句にいたるまで忠実に体現したような料理。教科書のようだ。お世辞抜きで。 若手イタリア料理人は一度くらい訪問しても損はないだろう。
しかし、余計なひと言。
あさりとのことだが、(貝の色・模様はたしかにあさりなのだが)大きさはどう見てもシジミ。不思議な貝だ・・・。貝自体の味・香り・身質は、どう考えても「インスタント味噌汁の具材」に劣る。そこらのスーパーのもののほうがよほど上といえる。ゴメン。昼から高級食材はこちらも期待しないが、アサリなど日本近海もので、かつ安く大量に出回る食材なら、探せばいくらでも、高くはなくともよい品質のものを見つけ出せると思う。私のお気に入りイタリアン・P(過去記事カテゴリ参照)のようにとはいわないが(期待するほうがオカシイ)、5品で5千円ちょいというコース構成なら、都内他店イタリアンを見回しても、(この日のほかの4皿も原価率が特に高いものはないのだし)アサリくらい、もう少し質のいいものを使えるのではないか?(あわびとは言ってないのだし。)毎日築地での仕入れを見て料理を決めているとのことだが・・・。
この店もパスタにはスプーンはなく、フォークのみ添えるところが本場らしくて好印象。
■Pasta2
手打ちキラッラ、鴨ミンチと栗のラグー、パルミジャーノのソース(夜コースと共通)
手打ち麺もつるつる、しこしこ、食感良好。ボイル加減、ソースとの絡み、またソース自体の完成度の高さ・味のバランス・似て異なる鴨ミンチ・栗の歯ごたえもリズム感を生み、申し分ない。
これは好きだ。
ワタクシ、無勉強でお恥ずかしいながら、キタッラ、フェットチーネ、タリアテッレの区別がつかなかった。いや、厳密にはイタリアでは太さ・幅・生地の粉の配合により細かな規定があり、それに沿った知識ならおぼろげながら、私にもある。しかし、店により、地域により、作り手により、まったく統一感がない。日本でもイタリアでも。そこで、キタッラの基準について聞いてみた。なんでもキタッラは、読んで字のごとく伊語で「ギター」。つまり弦のようなもので、生地を上から押し切るのが「キタッラ」。他方、見た目・太さ・幅・生地の配合・食感も似ている「フェットゥチーネ」「タリアテッレ」のほうはというと、生地をパスタマシーンにかけ、くるくる回転させて切るもの、という定義らしい。
■Secondo
スズキのシンプルなグリル。付け合せはズッキーニ半月切りのソテー2切れ
ヨーロッパが心の故郷(?)の私にとって、切り身ではなく、筒切りの魚というところがグッときた。
過不足のない火入れ。
私個人にとっては、やれといわれればできなくもない代物だが、こういう迷いのない「ザ・定番料理」を、基本に忠実に作れる料理人が減りつつある昨今、これも若手イタリア料理人なら一度くらい食べにきても悪くはないだろう。
■Dolce(・Vita。笑)
温かいアップルパイ、ヴァニラアイス添え(当日の夜コースと共通)
これは北イタリアで私の大好きだったSfoglia con Meleですな。秋も深まる寒い日のある朝、パリへ戻るAF始発便を待つミラノ・マルペンサ空港内のカフェで出発間際においてまで食べたあの一品。
そうそう、このパイ生地。この食感。これがイタリア。フランスの「ショーソン・オ・ポンム」に見られる、クロワッサンを思わせる「引き」のあるパイ生地とも異なり、またオーストリア・ドイツ菓子のアプフェル・シュトゥルーデルに見られるパート・フィロに似たペストリー生地ともまた違う、イタリアのスフォリア(パイ)生地。これ、これ!懐かしい。
アイスとともにフレッシュチーズ(リコッタよりも少しどっしり)も添えられていた。北イタリアと国境を接するオーストリアでもよく温かいパイ菓子に添えられるトプフェン(フレッシュチーズ)の記憶と重なる。
■食後のエスプレッソ
(ほかにコーヒー、またはハーブティも選択可。ただし紅茶はなし)
カフェではなく、あくまでもレストランの食後の飲み物としての選択肢にカプチーノがないところも、(先日11/25の記事の飲み物のところでも述べたように)、本場式でよし。
また、このエスプレッソの量。感、極まレリア・ルスティカーナ!
(:Cavalleria Rusticana;シチリア民謡より。)
そうそう、本場のエスプレッソは、デミタスカップの半分に満たないくらいの量しか、敢えて入れないのだ。これを一口でクイッと。過ぎたるは、及ばざるがごとし。これも前出の「リストランテでの食後の飲み物の選択肢にカプチーノがない!!」とわめき散らした某・観光客同様、「これしか入ってないのか!ケチりやがって、まったくイタリア人は!それとも先客の飲み残しでも出したか?バカヤロウ」と、観光名所の広場に面したリストランテの店先で帰り際に本気でキレている日本人観光客を見かけた。これでも足りなきゃドッピオ(ダブル)を頼むべし。
でも、文化や習慣の違いで、誤解って、けっこう起こるもの。お互い、決して悪意はない者同士のはずなのに。こういう、私が旅先でいままで見聞きした、現地の人と日本人の文化の違いから起こる誤解やトラブルの防止策・解決策もいつかまとめて本にしたいと思っている。エッセイや読み物としても楽しめる本がいいな。
昼夜ともに毎日料理は変わるとのことだが、この日の夜のコースを聞いてみた。
ここで紹介した昼の料理に加え、前菜として短角牛のタルタルが付き、あとメインの魚が肉に代わり「鴨のロースト」になるそうだ。またパスタは昼は乾麺と手打ち麺が1品ずつ計2品だったが、夜は2品とも手打ち。ソースはこの日の場合、鴨ミンチ、栗、チーズのラグーは同じとのこと。キタッラも同じ。
総じて。先述の通り、この店は私に言わせれば(一度のみの訪問で恐縮だが)、日本におけるイタリア料理界の「キング・オブ・スタンダード」。私個人の嗜好性や原価率ウンヌンなど邪念を加味すれば当然、一消費者としての私の足は別の店になびくが、そんなことをここで詳述するは、なんだか無粋に思えてくる。ここにはここにしかない唯一無二の、「過不足ない、的を得た調理の模範」というものがある。(私個人の印象としては、4月に訪問した京都の「萬亀楼」=過去記事カテゴリ参照、と重なる。)
これは誰にでもできるものではないし、また、才能ある者でも一朝一夕には成し得ぬことであろう。そうした意味で、この店は特に、若手イタリア料理人にとっては、ひとつの大きな指針としてはうってつけの店であると思う。またこれからも今までと変わることなく、本物の贅を知り尽くした常連の皆さんに愛され続けるのであろう。
相も変わらず余計なひとことなのだが、このお店、なぜか私には、よい意味で、人里離れた由緒ある凛とした寺院を彷彿とさせた。髪の毛をこざっぱりと刈り上げた清潔感あるシェフとサービスの男性の風貌だけではなく、店の姿勢と料理。来るもの拒まず、去るもの追わず。一見も常連も分け隔てなく平等に受け入れるが、俗世間の流行や邪念に惑わされず、流されず。世の圧力(赤本・メディア)にも屈せず、媚売らず。それでいて自身の調理・サービスには一点の迷いも過不足もない。外的要因(客・メディア・食材)に責任を転嫁せず、邪念や誘惑、己の迷いに負けることもなく、ひたすら真摯に真理(最適な調理・サービス)を追究し、日々精進する・・・そういった印象を受けた。単に一レストランとしてだけではなく、その仕事魂、生き様(というほどお店のかたを存じ上げてはいないのだが)を拝見しにいくだけでも十分価値のある一店だと思う。最近はとりわけ、「プリンシプルのない日本」(白洲次郎著)ならぬ、「プリンシプル(自主性、ゆるぎない自身の指標軸)のないレストラン」が多すぎるから。
今日からこの店も店名を伏せることに決めた。(以後、当ブログでは「お気に入りイタリアン・P」とする。)
都内のイタリアン&フレンチレストランから、「同業の価格相場を壊すなッ!」と嫌がらせが来たとか、来ないとか・・・。まあ、私に言わせれば、それもライバル店のヒガミだと思うんだけどね。
(嫉妬は最高の賛美!)
同じトリュフひとつにしても、本当に上質なものがごくわずかに入ったときって、業者だってやっぱり人の子だから、それなりに料理の腕はもちろん、長年のつきあいで人間的にも信頼できる人に卸すわけでしょ?だからこそ、これだけ良心的な価格ながら、本当にのけぞり返りそうなほどの食材と調理で、お客を楽しませてくれるのだと思う。私はこのシェフは絶対、業者泣かせの類ではないと思う。業者にせよ、お客にせよ、関わる人すべてを幸せにすること、その笑顔を見ることに、自らの幸せを感じることのできる料理人ではないかな。清潔感と誠意あるサービスの皆さんも素敵。
200%の気持ちで精一杯、料理なり、サービスなりしてくださったら、お客も人間だもの、「この次なにかパーティでもやるときに、ディナーで盛大に貸切予約しようかな」って思うじゃない?
これも亡き祖母の名言(?)のひとつなのだけど、「損して、徳とれ」。
ヒトは、自分のために精神誠意を尽くしてくれたひとを目の当たりにすると、次はそれ以上にお返しをしたくなるもの。(ならない人も世の中にはいるが。)
私がこれまでの人生で出会った尊敬できる成功者はみな、「相手が自分に与える以上のものを、自分が相手に与えろ」と口を揃えていう。(もしくはいわずとも実行している。)でなきゃ人類、永遠に発展しないでしょ?
結構いろいろな人が、ブログでもその衝撃のCPぶりと完成度の高さを賛美しているのだが(私もまったく同感)、中には、「いついつの、だれだれの、ブログに載っていたアレと同じものを絶対だしてッ!」とゴネるお客もいるそうだ。時期により、日により、入荷する食材の種類も相場も異なるのにねえ・・・。コマッタ。店に迷惑をかけてはいけないと思ったので、今後は店名ヒミツ。悪しからず。
これで税込み3800円弱って、絶対ありえん。
本当に経営は大丈夫か?!申し訳なくなるくらいの原価率・食材の質・調理の腕!
出血大サービスどころか、失血ショック死しそう・・・。
前回にもまして今日は料理を十二分に堪能し、ほろ酔い気分で「もう私、東京のイタリアンはココだけでいいです!」などとボヤいてしまった。
(とかなんとか言って、結局都内の別のイタリアンにも時々出没するのだけど。)
Menu Speciale (Pranzo)
■食前酒は、Kir Royal
フランスのカクテルだけど特注で。ヴェネトのスプマンテをおすすめくださったのだが、この日はキールが飲みたくて。個人的好みを言わせていただけば、パリでそうだったようにステアせず、あえて色のグラデーションを残したほうが好きかな。でも味は、なかなか。フランスではシャンパーニュ用クープがお決まりのキールだが、こちらトレントのフェラーリのグラスも素敵。どこかのワインメーカーか何かからもらったのかな?いいなあ。
♪とって〜も大好き、もらいモン(どらえもん)!なんちって。
■Antipasti misti
◇Vittelo Tonnato ちょっとこの日はサルサ塩辛め?
◇Anatra affumicato con Zucca (シャラン鴨の燻製、かぼちゃピュレ、アルバ産・黒トリュフ)
◇Bagna Cauda いつも最高!
◇Alici marinati こういうありふれたバジリコのソースまでもが、この店はおいしいんだなあ・・・
■Capesante scottati salsa Americhere
帆立のソテー、炙りウニ、アメリケーヌ・ソース、ルッコラのピュレ
帆立、ウニの質・火入れ、ソースともに申し分なし。Bravo!
■Cippola Ripiena, salsa formaggi
夕張産たまねぎのファルシー、チーズ掛け
♪バーリ、バリ!ゆう〜ばりっ!(かなり昔のローカルCM)
「タマネギの詰め物のオーブン焼きなんて、所詮こんなもの程度だろう」などど思うことなかれ!!
これを食べたら世界観変わること、必至。同じ人間が作ったとは思えない完成度。
玉葱はしっとりと、甘く、やわらかく。フォークに引っかかる余計な筋などみじんもないのに、型崩れもせず、過不足ない火入れ!
中に詰めてある、自家製サルシッチャのジューシーさときたら!市販の塩辛いものでもなければ、ただの粗挽き肉でもない、このうまみと肉汁。
上にかかったチーズ(聞くの忘れたけどフォンティーナかな?)の質、溶け具合もいうことなし。
チーズも相当上等なものだ。DOPモノと見た。卵白リゾチームなどの不要な添加物も入っていないことは一口でわかる。
(添加物が入ったもの、混ぜ物がしてある低級チーズは、火を通すととりわけ、ゴムっぽさが出るのだ。)
あまりに美味しすぎて、ソプラノ歌いだしそうになった。
♪ O mio babbino caro 〜! (←営業妨害です)
■Tagliolini con ragu di capretto e Pecorino
手打ちタリオリーニ、仔ヤギ臓物のラグー、ペコリノ(romano o toscano聞き忘れ)がけ
最初のコース相談の際、「もしお苦手で召し上がれそうもなければ途中でお取替えしますので。ヨ通なお方だからこそ、ぜひ召し上がっていただきたい」とのことで。(私が通かどうかは別として。)
さすがこちらのシェフ、私が本来苦手なトリッパ系も、丁寧な下処理と仕込みで雑味や硬さがみじんもない。ヴィネガー少々で何度もゆでこぼしたそう。
上には、アルバ産・フレッシュ黒トリュフ。
♪ ト、ト、トリュフの大爆笑〜!
(ら○○ろ様、3度目の拝借失礼します。えらく気に入ってしまい・・)
卒倒しそうなほど、かぐわしい香り。
トリュフたるもの、かくあるべき。
パリにいたころ、近所だったので何度か行ったアルページュ(★3)の秋の特別メニューでトリュフコースがあって奮発して食べてみたけど(日本円換算で7万くらいしたかな?)、「ああ、いい香り・・・」としみじみ思ったのは、日本の、この店だけ。初回訪問時は本当にびっくりした。今回も。
アルバでも昔、トリュフ祭りで最上のものを地元高級リストランテで食べたけど、これほどの感動はなかったなあ・・・。
すごい。シェフの仕入れの実力、調理の技。
(もう何度もこのブログで述べたとおり、私は決して「4000円以下コースでトリュフ→(質はともかく)カンゲキ→CP最高☆」というタイプではないことを、ここであらためて強調しておきたい。
■Agnolotti dal plin con 4 formaggi (Fontina,Taleggio,Mozzarella, Gorgonzola)、
この日はチーズ4種バージョンで。
上にはアルバ産・フレッシュ白トリュフ。(これはシェフからの特別サービスなので、通常は、なし。)
黒でも十二分に堪能させていただいたのに、さらに希少で高価なTartufo bianco!
同じ白トリュフでも個体差ピンきりの中、これはかなり上等な香り。
ここのアニョロッティ、本当においしい。都内でイタリアンの料理人とアニョロッティの話が出ると、かならずこの店の名前が挙がる。
■Capriolo e Capretto al forno
(奥)エゾ鹿のローストと、
(手前)北海道産・乳飲み仔ヤギのブレゼ(のちロースト)盛り合わせ、
(中央)フレッシュ空輸のポルチーニのロースト添え
◇(皿奥:)エゾ鹿の赤味のローストの下には、エゾ鹿端肉部分を大きめにカットして赤ワインベースの甘酸っぱいラグー状にしたもの。甘さも引きがよく、上品な後味。ひたすら美味しい。このラグーを瓶で買って帰って、ゆでただけのBarillaの(日本にはない#7の太さの)スパゲティにかけて、来る日も来る日も、食べ続けたいくらい。
◇(手前:)草を食む前の、乳飲み仔ヤギ。
クセや硬さのない、ミルキーでジューシーな肉質。それでいてへたれない、絶妙の火入れ。
この肉のsugo (ジュ)のソース、砂糖ではない、ほのかな淡い甘みを感じた。美味しくて聞いてみた。砂糖など甘みをつけるものは一切入っていないそうだ。考えられるとすれば、肉そのもののミルキーな甘みと、ブレゼした際の野菜の自然な甘みだけ、とのこと。
肉をローストする前に、いったん白ライン、白ワインヴィネガー(酸は感じない程度)、ローリエ、タイム、ローズマリー、トマト、ミルポワ(セロリ、人参、大量のタマネギ)とともにオーブンでブレゼしたのち、軽くローストしたそうだ。火入れはコンフィを彷彿とさせたが、奥深いsugoのうまみの裏には、血に汗にじむ手間ひまが隠されてるのだ。
それを店から押し付けがましく言うのではなく、客のほうから聞きたくなるようなものを、平然とさりげなくスッと出せる店って、かっこいい。
◇(中央:)イタリア産・フレッシュ・ポルチーニのロースト
写真ではほんの2切れしか見えないけれど、この下にゴロゴロ、写真に写っているものより大ぶりの切片が4切れくらい転がっていた・・・。切る前の形に戻したら、おそらく大ぶりのポルチーニ丸々1個分(下手したら1個半)にはなるだろう。オソロシイ・・・。一体どうやりくりしているのだろう、このお店。それもよそでは名ばかり生ポルチーニの店が多い中、こちらのものは本当に別格の香り・食感・味わい。そして最適な火入れ。美味とは、このためにある言葉だと思った。最後の晩餐だっていわれてもおかしくないと思った。イタリアでも、フランスでも(セップ)、このレベルのものは食べたことない。それなりに高い金額だったのだが・・・。
もう、放心状態・・・。ここがもしイタリア田舎のアルベルグッチオ(小さなオーベルジュ)だったら、今日はこのままオヤスミしたい。満天の星空を窓から眺めながら。
食事前の料理相談の際、メインを鹿と仔ヤギで迷っていたら、「では盛り合わせにしちゃいましょう!どちらも楽しんでいただきたいので」とシェフ。
「エッ!いいんですか?!それではお手間も食材費も申し訳なくて・・・。追加料金取ってください!」という私を無視して、笑顔で厨房へ戻っていった。
■Tagliatelle con frutti di mare e pomodori freschi
手打ちタリアテッレ、魚介、白ワイン、フレッシュトマトのソース
タリアテッレというより、その太さ・幅・歯ごたえは、もはやパッパルデッレ。
こちらのものは初めて食べた。
頻繁に登場するタリオリーニを看板に謳っている感があったのだが、私としては、むしろこちらタリアテッレのほうが好き。
もっちり、ぷりっぷり、しっかりした弾力。それでいて、この手の極太ロングパスタにありがちな「フォークで巻きづらい」ということもなく、ソースとの絡みも良好。
ソースの海老も、帆立も、スパイラル状に繊維を斜めにねじる様に細切りにしてあり、プリプリとした弾力を感じて美味しい。トマトはフレッシュものを使用、量も控えめでトマト味が前面に出すぎず、品がいい。そのソースを余さずいただきたかったので、「本来はマナー違反なので恐縮ですが、スプーンを持ってきていただけますか?」と言った。
そう。こちらのお店、このようなスペシャルコースも出しつつ、同じ昼、かたや隣のテーブルでは千円代のパスタセットも出している。すごいなあ・・・。サービスはスマートカジュアルだが、客により(でも客に気づかせないようにさりげなく)、たとえばパスタに添えるカトラリーひとつとっても微調整する細やかさも備えている。(いい・悪いではなく事実として)明らかにイタリア本場では食べたことがないような人のパスタにはスプーンとフォーク両方が添えてある一方で、私やその他一部の常連でヨーロッパ、イタリア本場を知っていそうな客のパスタには、あえてフォークのみを添えている。
蛇足だが、イタリア本場では、パスタにスプーンが添えられることはまずない。観光客ズレした店以外では、添えられるのはフォークのみ。私が幼稚園〜小学生低学年だったバブル期に、景気のよさそうなオネエサンがすました顔で、フォークをスプーンの上に立ててスパゲッティをくるくる巻いて食べているのを、ジーッと不思議そうに見つめていたら、「なに?あの目の大きい子!ハーフだわ、ハーフ!!」(ハーフじゃないんだけど、いまだに言われる。)って言われちゃった・・・。
そもそもパスタにスプーンが添えられるようになったのは、60年代頃、イタリア(ヴェネチアとの説が有力)を旅行中の「不器用な」(某イタリア人談)アメリカ人のために、給仕が気を利かせたことがことの発端らしい。日本にパスタが伝わったのも、そもそも当初はアメリカナイズされたものが主流だったことから、この悪しき(?)習慣まで持ち込まれてしまったようだ。ああ・・嘆かわしいこと、この上なし。いまだにそれを「お上品」と勘違いし、旅先で笑われている同胞を見ると悔しくなる。
ちなみに北イタリアでは、リゾットもフォークで食べる。私はそうとは知らず、子供の頃から自分でリゾットを作っては(誰に言われたわけでもないのだが、なぜか)フォークで食べるクセがあり、大人にスプーンで食べるようにすすめられたのだが、頑として変えなかった。高校生になり、現地で実はフォークで食べることが本式だったと知り、日本に帰って、大人をギャフンと言わせた。
ちなみに他にも、私が小さい頃から誰に言われたでもなく、自然にやっていたこと、考えていたこと(それらは周囲の、自分の親も含めた一般的日本人には訝しがられたのだが)では、後から知ったが、実はヨーロッパでは常識だった・・・ということが少なくない。私にとって、かの地が居心地のいい所以である。
たとえば、牛乳にシナモンと砂糖を入れたもの。チャイではないし、牛乳も冷たいもので。これは6歳ころに自分で思いついて作り、それから「おいしい」としばらくの間は毎日飲んでいたのだが、大人には「変なことするね・・・・」と言われた。がしかし、今から7年くらい前かな、スペイン・アンダルシア地方のリゾート地でバカンス中、スーパーで見つけたの。まさにそれと同じものが製品として売られていたのを!ああ、地球の裏側には私と同じこと考える人もいるのね!と嬉しくなった。あの時、日本では誰もわかってくれなかったのに。
あと、小学生の頃から今に至るまで思っていること。なぜ日本の女子はトイレに行くのに仲間を募るのか?!これは批判でも皮肉でもなく、ほんとうに素朴な疑問。これも意外と、日本に住み始めたばかりの外国人は皆、疑問に思うらしい。
それと、子供の頃から違和感があったもの。それは、きちんとした背広姿のサラリーマンが、電車内や駅ホームなど公衆の場で平気で酒やビールを飲んでいること。挙句の果てには、でろんでろんになったり戻す人も・・・。これも随分あとになって知ったことだが、先進国では(飲食店内以外の)公衆の場で酒を飲むと罰金が課されたり、逮捕される国や地域もある。私自身が海外に初めて行ったのは高校にあがってからで、海外育ちではないのだが、どうしてもこればかりは小さい頃から強い違和感と嫌悪感があった。しかし、日本の常識が世界の非常識、あるいはその逆もよくあることなのだ。
■Dolci
◇Mousse di Lamponi
◇Semifreddo Zabaione
◇Mousse di Castagna
◇Tortino Cioccolato
◇Brutti ma Buoni (仏でいうCroquants aux noisettes)
◇Bacci di dama
■いつもながらカプチーノも本当に美味。
ちなみに本場イタリアでは、食後にカプチーノはありえないのよネ。
カフェで、単体でティータイムか朝に飲むのがカプチーノ。
リストランテでの食後はエスプレッソ。
でもこちらには選択肢にカプチーノがあったし、好きなのでまあいっか。
(でも皆さん、イタリア旅行の際、レストランで食後にカプチーノがないからってゴネないように!!そういう日本人観光客が実際にいたらしい・・・あちゃー!!)
山手線・某ターミナル駅から歩くこと約10分、閑静な住宅街の交番となりにひっそりと佇む小さな店。この日は朝から冷たい小雨が降っていたが、どうしても、外で昼食を食べたい気分であった。一度行ってみたいと思っていた神楽坂のレストランMには「うちはいつも、数日前から予約で満席ですッ」と冷たくフラれ、前から行こうと思っていた店が別にもあったことを思い出し、電話のうえ向かった。
実はこの店のシェフの料理は、数年前のとある会費制立食パーティーすでにいただいたことがあり、大変気に入り、ぜひ一度お店にもお邪魔したいと思っていながら、時が経つのは早く・・・。その会費制立食パーティーとは、いま流行りの婚活パーティの類ではなく、テレビでおなじみスターシェフ(どうでもいい)の呼びかけで集まった近隣の若手実力派料理人数人が、会場その場で料理を作るという、ライヴ感あふれるイヴェント。私は参加料理人のうちのひとりが主人である別の店でそのイヴェントを知ったのだが、当日会場にはスターシェフ数十人、大物有名アナウンサー、テレビでおなじみの○○調理専門学校校長のH氏、著名な料理研究家など錚々(そうそう)たる面々。
このイヴェントで食べた料理は1品だけなのに、どうして、この店のシェフの料理を店で食べてみたいと思ったかって?それは、シェフが会場に持ち込んだ、お気に入りだと話していた「サンデマン」(数あるホワイト・ポルト酒のなかでも、私が国内で流通するものとしては一番好き)と、塩、スパイスの銘柄・シリーズを見て、「あっ、この方、私の嗜好性に近い料理をつくってくれそう!」と勝手に期待をふくらませていたから。
その際お会いしたオーナーシェフは現在、(テレビ大好き人間ではないのでメディア対応のためではなく)給食や食育プロジェクトで店を空けることも時々あるため、「自分が留守の日もあるのにレストランシェフの名を掲げるのは気が引ける」(潔さに拍手!)と、今年6月から新たにSシェフを厨房シェフとして迎え、今ではSシェフとスーシェフが2人で切り盛りしている。とはいえ、この日もオーナーシェフは店にいらしたし、可能な限りしっかりと厨房を守っているようだ。
店が小さいことと、常連さんでにぎわっていることもあり、平日ながら店内満席。カウンターでよろしければ・・・とソムリエ氏は恐縮していたが、私はむしろカウンターでよかった。シェフの手仕事を目の前で見れたし、食後にもいろいろなお話をきけたから。
さて、前置きがいつもながら長くなったけれど、この日の内容に参りましょう。
昼食コースは3種。平日は、メインにアミューズとスープが付く、ビジネスランチ1870円(サーヴィス料込み)〜。皿数により値段は異なるが、メイン料理もふくめ、いずれのコースも、料理の選択肢はすべて共通。よって、この日はあまり食欲がなかったこともあり(←アンタにしては珍しい!)、ビジネスランチにした。
■アンコウの頭のテリーヌ、鰻のスモークをのせたサラダ
えっ、コレ前菜ですか?と聞いてしまったほど、きちんと作られているサラダ。いわゆる他店のやる気のないランチのサーヴィス・サラダとは大違い。
光の反射で見えづらいけれど、中央てっぺんに載った円盤状のものが、アンコウの頭のゼリー寄せ。丁寧な下処理の賜物、雑味や小骨もなく、美味。鰻も骨抜きが実に丁寧だが、個人的には燻製香が苦手につき・・・・。ルッコラほか葉野菜は若干オイリーかな。トマトもフルーツトマトを丁寧に湯むき。量・切り方ともに適度な酸味と食感のバランスが良好。葉野菜自体にヴィネガーの味を感じず一口目では酸の足りなさを感じたのだが、トマトをひとくち含んだとき、合点がいった。また、黒コショウではなく、白コショウを粗挽きで使うところが珍しく新鮮で、家でもマネしてみたい。そうそう、粗挽きコショウのグリグリした食感はよいアクセントだけど、黒コショウだと、組み合わせる食材によっては少々刺激が強すぎると常々思っていたのだ。かといって、白コショウは粉末状のものしか私の頭の中にはなく、いわゆる酸辣湯などで(トウガラシほどキツくはなくとも)鼻腔にいつまでもジワジワと刺激が残る先入観をぬぐえずにいたのだ。なぜ、いままで、白コショウを粗挽きで使うことを思いつかなかったのだろう!!今日ここで、長年のモヤモヤが晴れた気がした。こういう出会いや発見があるからこそ、レストランめぐりはやめられない。
■アミューズ
モンサンミッシェル産ムール貝をのせた、コンソメ・ロワイヤル
下の卵液のベースはコンソメと、フォン・ド・ヴォー。
表面には、フュメ・ド・ポワソン。小粒ながら、甘みと旨みの凝縮したクリーミィなムール貝も上質。
しかしここのシェフ、ベースとなる数種のフォンが実にうまい。
きつい塩に頼らず、繊細でやさしいアプローチながら、後からあとから、じわじわと舌に重なり合う、
奥行きある幾層もの、味のベール・・・。
この地球上の西洋料理のダシとして、これほどまでの奥深い滋味を私に感じさせる料理人は、ベラサテギ(スペイン・3ツ星)とこちらのシェフ、あとほかにいるとしても、片手の指にも満たないだろう。
それも、和風ブレしているわけではなく、着地点はきちんとフランス料理。
フォン(だし)だけに、「モンド・セレクション」ならぬ、「フォン・ド・セレクション」最高金賞を、勝手につくって差し上げたい(爆)。あっ、でもフォン・ド・セレクションって仏語的に不自然。どうしてもセレクションを使いたいなら、フォン・セレクショネ?でもこれも感覚的に変。絶対、アリエーヌ。(女性の名?)
それよりもし、フォン・ド・ヴォーのうまいシェフがいたら、「Fond de v’OR」をつくって差し上げたい。あ、このネタ、francophoneの人にしかわからないかも・・・。解説:Veau(仔牛)と Or(金)をかけてみたわけ。発音若干違うけど、仏人に言ったらバカウケしてた。
パンを撮り忘れたので、もう一枚別の露出で。
■スープ
この日はパプリカの温かいスープをカプチーノ仕立てでふんわりと。
こういうカプチーノ仕立てって、ヨソの店だと往々にして「水洗いで流し残した洗剤の泡」よろしく泡のキメが粗く、はっきり言ってキモチワルイのだが、こちらではそのようなこともなく。「(美味しさのための必要な要素なら取り入れても、)意味のない短絡的な流行追いはしない」という、現・厨房Sシェフのポリシーを裏付ける味。
■メイン(全コース共通の5種から選択)
ヤガラのポワレ、ソースはブール・ブラン、いろいろな野菜を添えて
魚質・火入れともに真っ当。
ブール・ブランも、こういうシンプルなものにこそ、料理人の火加減・さじ加減のセンスが光る。
モンテ具合も申し分なし。下地にほのかな、でも一本芯の通ったうまみ、そしてやわらかな酸が輪郭を出す。単に塩辛さに頼らない、抜かりのない丁寧な仕事が垣間見える。聞けばベースはヴィネガーではなく、自家製のブイヨン・ド・レギューム。しかし野菜のブイヨンでなぜ酸味?と思って聞いてみた。「謎はすべて解けた!」(金田一)。実はこのヒミツの手法、私自身も、もうかなり昔から、まったく別のある料理の下地としてやっていたものとまるっきり同じ配合だったのでビックリ!私のその「まったく別のある料理」も、従来のレシピからすればかなり型破りなのだが、こちらのシェフはそれを野菜のブイヨンでやっていた。
私がこの数年、唯一、どうしても納得のいくレシピを自分で作り出せなかったもの。それが、完全植物性の野菜のブイヨン。
「動物系のものをいっさい加えず、過度な塩にも頼ることなく、それでいて平板でなく、強いコクとうまみ、輪郭のある完全植物系のブイヨンをどうしたら、作れるか?!自然食品店などで売られている野菜ブイヨンは、味がボケていて不味いし(ゴメン)・・・。」
この長年の胸のつっかえが、この日ようやく取れた気がした。ようやく見えてきた。霧が晴れた!雷の直撃を受けたかと思うほど、衝撃的で画期的なひらめきが、この小さな小さな店で、私のもとに舞い降りた。さっそく帰って家で試作。大成功!
(ふつう、私にこのテのひらめきがあるのはたいてい、何か大きな衝撃があった場合。夜中に雷の音を聞いた際や、地震で目が覚めたとき、あるいは飛行機が乱気流を通過して激しく揺れた際などが多い。また、小学生の頃は、木登りをしている最中に顔面からまっさかさまに落下した際ひらめいた絵を描き、世界的な絵画コンクールで金賞をもらい、学校と自宅にテレビと新聞の取材がきた。)
アイディアって、意外と身近に転がっているものなのかもしれない。それがある時ふとした衝撃で、あるいは従来の考え方をシフトすることで、何かまったく別のものが見えるのかもしれない。
私の友人知人には、思想的理由から完全ヴェジタリアン(ヴィーガン)のイタリア人のシモーナをはじめ、南インド出身で宗教上の理由から動物をいっさい口にしないサマラ、もう私が15歳のころからお互いに行き来している英国の小児科医の友人トレイシーなど、菜食主義者も少なくない。そうした友人たちにも安心して食べてもらえる、自信を持ってすすめられる料理をどうしても作りたかったのだ。私自身は普段、omnivore(雑食)なんだけどね。
この完全菜食レシピは、来年発売が決まっている自著の第2弾以降で紹介しようと思う。出版社担当者のみなさんは、すでに小著の重版発行&シリーズ化を想定して今回の処女作の出版にあたってくださっている。感謝感激である。料理本ジャンルとしては2万部売れれば大ヒットの部類に入るらしいのだが、今回の初版発行部数は3万部。当初営業部は、わたしが無名なこともあり、初版2万5千部を提案したそうなのだが、「社運をかけた社長命令!」で、いきなり3万部になった。責任重大。売れ残って迷惑をかけないよう、頑張らねば!
ああ、それにしても、今日はこのセットにして大正解。これにさらにしっかり作られた前菜とデセールがあったら、今日のいまひとつな食欲では食べ切れなかったと思う。今度はしっかりお腹をすかせて来ようっと。
いやー、それにしてもこの内容とこの仕込みの丁寧度で1870円とは、東京デジュネ、いつもながら値打ち感あります!
コメントありがとうございます。
コメント返信機能がイカれてしまったので、こちらで返信させていただきますね。
お陰様で、99.9%の方は、砂浜さまのような良識ある温かい心をお持ちの読者の方ばかりです。
こういった記事を書くことをためらいましたが、ただ、私の知人でやはり本を出している人気ブロガーが、
同様の嫌がらせに遭い悩んでいたので、(私自身はむしろおかしくて笑ってしまいましたが)思い切って、(私に対してだけでなく)世のブログ荒らし全般に一言したのです。
おかげさまで、このブログにコメントくださったご縁で、すばらしい方とも多数めぐり合えましたし、自分ひとりでは到底お会いすることのできない雲の上のような敏腕社長さま数名にもお目にかかることができ、今後のお仕事をいただけそうな運びとなりました。今は、昔のような呪縛から開放され、精神的にも時間的にも、公私共に自由にやらせていただいています。金銭面も、今は好きなことをして食べていけているので、有難いです。ただ私はヒマなのが大嫌いなので、これからもっとスケジュールで埋めていきたいのですけどネ。笑
砂浜さまもよい一日を!^^
毎度、毎度、ご苦労さん!である。
内容は、記事に対してどうこうというものではなく、漠然とした「あんたは気性が激しいから、一緒にビジネスをする気になれない」(←こちらにも選ぶ権利がある。)、とか「最近、輪をかけてイタい感じになってきましたね。いい調子です」(←こちら、サディズム専用サイトじゃないんですけど。)など。
おそらく内容自体で論破できないから、こういう漠然とした中傷的なこと書いているであろうことは想像に難くない。知人友人のブログに悪意の書き込みする連中もたいがい、そのパターン。
食べ歩きブログなのに「この野郎、お前野球知らないだろう、バカ」とか。
はっきり言う。
気に食わないなら、読まなくて結構。
これは玉音放送でもなければ、学校の教科書でもない。
「気に食わない」ブログを、会社の勤務中にカチャカチャやって見てるかと思うと、おそらく仕事のデキる賢者とは思えない。(奴がどんな人物であろうと、どうでもよいのだが。)
気に食わないといいつつも、なおも拙ブログを読み続け、しかもコメント書き込みのために貴重な自らの時間を割く、ストイックなまでの自虐趣味!これを愚の骨頂といわずして、何というのだろうか。
アンタが一番、「イタい」。
「嫉妬は最高の賛美」
嫌い嫌いといいつつも、なおも気になる子にチョッカイ出す、小学生のガキ以下。
そんな、ネガティブ思考かつ非建設的人物とは、私のほうから「あなたとはビジネスをする気になれない」と申し上げたい。
また今日もこうして読んでるんだろうなあ。
掻き入れシーズンに、おそらく勤務中にブログ読みながらも首がつながっている、悪意の書き込み・R氏。
このご時勢にそんな悠長な会社があるとは!
敵ながらアッパレ!である。
コンビニ新発売菓子にも興味ないし、デザートビュッフェなんぞ聞くだけで寒気がする。
完成度の鈍るものを多量に食べるより、卒倒するくらい秀逸なものをひとかけら食べたいタイプ。
....と、先日このブログで話した。
2000年前後〜近年まで、どこぞの世界パティシエコンクールで優勝・受賞したカリスマ・パティシエ/パティシエールの店のものも
(世間がそこまで騒ぐならと)一通り試したが、一度食べたらもういいや程度のものばかり。
誤解なきよう言っておくが、私は自分でいうのもなんだけど、決してデザート音痴というわけではない。
何を隠そう、私の母はその道のセミプロ。本業ではなかったが、需要があり教室で教えたり、(今では多店舗展開している)当時の地元の小さな
人気ケーキ屋からラブコールを受けて時々手伝ったりもしていた。よって子供時代、(まだ日本で知られていなかった)シフォンケーキや粗の無い完璧な絹のようなフルーツロールケーキ(世間ではやりだす25年以上前から)、
は文字通り「朝飯前」に作っていたし、一層一層丁寧に数時間かけて作るナポレオン・パイやミルフイユ、バームクーヘン、ザッハトルテ、アップルシュトゥルーデル、飴細工、ゼリー細工など枚挙にいとまの無いほど
日を変え品を変え、登場した。なのである時から私はもうデザートなんて見たくも無くなった。
私は母の愛情を感じたことは今まで一度も無いが、私のため(というか兄弟のため)に作ったデザートを美味しいと言った時だけは、
母がとても優しい顔になったのが嬉しかったのだ。成績はいつも学年トップ、高校も進学校、小学生から国内外の絵画、ピアノ、スピーチコンクールで優勝・入賞し新聞に載ってもテレビの取材を受けても、
一度たりとて褒めてくれなかった母。自身の箔付けや自慢の種にすることはあっても、頑張りを労ってくれることは一度も無かった。
八つ当たりはしても、私のためを思って叱ってくれたことも無かった。
私は母と仲良くなりたくて、いろいろゴマをすったり、お手伝いしたり、お菓子を教えてといっても、すべて無視された。
あんたがキッチンに入ると邪魔だからと。
それであるときから諦めたのね。「いいや。お菓子では母に適わないから、私は料理の知識で母の上を行ってやろう」と。
母は英文科卒で、私の英語はヘタクソだとバカにしたので、悔しくて悲しくて、母が若い頃挫折したフランス語をまず極め、それにも飽き足らず
今まで訪れた国のほとんどで現地語で簡単な会話程度はできるように独学で頑張った。
高校に入ったら、バイトをし、貯めたお金で海外旅行にしょっちゅう行き、母なんか一度も行ったことのない星付き店を食べ歩いた。
自慢ではないが、私は高校の時の人生初の海外旅行(しょっぱなから1人旅)のフランス行きの一度を除いて、親に海外旅行費・海外の星付き店食べ歩き代を援助してもらったことは、今まで一度も無い。
風俗やチャラチャラした業界は今も昔も大嫌いなので、フランス語の業務翻訳や、大使館イベントの手伝い、映画祭のフランス人記者の案内・通訳、高時給の新感覚コンビニ(ローソンとは別コンビニの、今のナチュラルローソンみたいな店)
などで高校時代は健全かつ高収入なバイトで荒稼ぎしていた。高校生にして毎月所得税を払っていたのだ(優良な国民)。
そのくせ嫌なことがあると、朝そしらぬ振りをして学校へ行く格好で「行ってきます」とそのまま成田に向かいパリに行ってしまったり、
相当な不良?!でも、語学やバイトに旅行に忙しくて、ヒコーキは大好きだったけれど、非行には走らなかった。
父は単身赴任でほとんど家におらず(亭主元気で留守がいい)、普段母は外食や海外旅行に行く際、いつもわたし1人を置いていき、ほかの
兄弟だけ連れて行った。罪滅ぼしのつもりなのだろうか、食事代と称して小学生には多いお金を毎回置いていった。
私はその食事代を使わず、母がいないときはいつも東京の祖母(母の実母)の家に行って、一緒に料理したり、洋服を作ったり、勉強もした。
母は私が祖母に会うことすら禁じていたから、鬼のいぬ間に洗濯と。
そうしてプールした食事代を貯めてはしょっちゅう1人で贅沢なフレンチレストランやホテルの最上階のラウンジで食べ歩いていた(不良)。
この店はまだ私が10代のガキンチョだった10年ほど前から知っており、国内で好きなフランス料理店4本の指に入るのだが、最終訪問から早半年以上も経っていた。時間が経つのは早い!
昼コースは3,800円(税・サ込み)のみ。しかし、プラス料金で質・品数とも、いかようにも増幅可能なので、実質的には自由度が高い。プラス料金があるものも少なくないが、差額以上の価値が十二分にあるものばかりなので、この店ではあまりケチケチせずに楽しみたい。
よってこの日わたしは選んだ料理の追加料金も含め、支払い総額8,000円なり。価格以上に満足。
■昼は仏製スパークリングワイン、またはフランス製レモネード(有名なやつ。安くはないアレ。名称ド忘れ!)が一杯付く。こちらのスパークリングワインは、CREMANT DE LIMOUX.
店の人はなにひとつ自慢らしいことは言わなかったが、チラッと目に入ったボトルに張られた白く丸い小さなステッカーを私は見逃さなかった。おっ!パリ農事コンクール2010年度・Medaille d'Or(金賞)受賞ものだっ!さすがお目が高い、こちらのお店。この農事功労賞、実は私は、モンドセレクションなんかよりよっぽど信頼に値すると勝手に思っている。(自社輸入ヨーロッパ製チョコはまあまあだが、惣菜と精肉・鮮魚は高いわりにパッとしない)成城石井などに置いてあるフランス産チーズも、このラベルが張ってあるパリ農事コンクール受賞製品は、けっこう廉価良品が多い。高くてうまいのは当たり前。中身スカタンの一部の名ばかりブランド製品ではなく、こういう価値ある掘り出しものを作る人、見つける人(店)を私は尊敬する。
(この日私の選んだ料理はプラス料金があるものばかりだったが)、3800円の基本料金内のみ飲食するお客にも同じものが一杯無料で付くことを思うと頭が下がるほど、まともな質・味わい・状態であった。よそには、クープで一杯2〜3千円ぶったくるくせにちっとも美味しくないシャンパーニュを出す店も五万とあるとにいうのに!「昼5千円以下のコースにグラスワイン一杯(または二杯)付き」という店では往々にして、このレベルなら出さなくていいからその分、料理に原価投資してくれ!と思うのだが(例:ア・ニュのシェフがいたときのミシュラン★1ツ星の恵比寿ジュ・ド・ラシエット←今も付くのかな?、同★1つ星の神楽坂ラリアンスなど)、こちらではそのようなこともなく。
いつもながら、レノックスのウェルカム・プレートにうっとり。素敵。欲しい!前回も話したとおり、これはもう20年以上前に店が揃えたもの(現在は製造中止?)、しかも一枚5〜6万円。はァ〜・・・。来年発売が正式に決まった自著の執筆料と印税が入ったら、真っ先にこれを売ってくださるオカネモチ収集家を探そうっと。笑
■アミューズ
うずらの卵のポシェ、地鶏のタルタル
いいんです、1品で!5000円以下コース(プラス料金加算前)のアミューズは。
価格も、レベルも、厨房スタッフ数ももっと上のベラサテギやレ・ザンバサドゥールのアミューズなら品数と完成度の高さは両立可能だが、コース4〜5000円前後(プラス料金加算前)の店がチャコマカした戦力分散の歩兵隊アミューズをいくつも作らないほうがいい。今っぽさに流されないこの店の、地に足着いた潔さを評価したい。
■前菜(こちらは追加料金1200円)
オマール海老のフリット、ブラウンえのき、PDTのガレット、ソースはcoulis d'hommard
オマールの個体、真っ当。
衣、いらない。この質とシェフの上等な火入れの腕なら、ソテーでも良いのでは?
Coulisってフルーツか野菜にだけ使う言葉だと思ってたよ。オマールも有りなんだ!アメリケーヌに似て若干異なる。より軽やかでさらりとしつつ、芳醇。美味。
じゃがいものガレットはバイヤッソンヌを想像していたが、ムスリーヌ状のものをセルクルで丸く薄く成型し表面をパリッと焼いたもの。薄く焼いたスフレのような舌触り。
えのき、上等。
絹さやのブランシールも申し分なし。見よ、この色ツヤ!神々しいほどみんずりとジューシー。それでいて水っぽくならず、甘く凝縮した持ち味が最大限に引き出されている。
■フォワ・ドワ(鵞鳥のフォアグラ)と鰻の赤ワイン煮のパイ包み焼き、ポルト酒ソース
(コースにプラス料金1500円)
これを見たとき、枕型をしたポルトガルのパイ菓子「トラベセイロ」(だっけ?)を思い出した。
味は全く違うのだが。
常連と思しき隣の席から聞こえてきた。「ソースおいしいっっっ!!!!」
「そう、そう!まさに仰るとおり!」と握手の手を差し伸べようかと思ったけど、迷惑だから自粛。
ほんと、この店ソースが上手い。(ソースだけでなく、火入れもガルニチュールもすべてが上手いのだが。)やっぱりいいなあ、フランス料理・・・・。
下に敷いてあるほうれん草の調理も良好。
■メイン肉料理(こちらはプラス料金1500円)
蝦夷鹿のポワレ、ソース・ポワヴラード
鹿の火入れ、超上等。
ソースも美味しいのだが、強いて言えば、ジュイエーのポワヴラードが自分の好みにより近い。
ガルニチュールもすべて異なり、かつそれぞれの野菜に最適な調理が施されている。
(私がフランス料理のつけ合わせとしては邪道と日ごろ思っている)ベタな味になりがちなサツマイモのローストだが、これを食べてパリの中級以上の店でジャガイモでよくやるPont−Neuf風という調理法を思い出した。これならアリ。大アリ。(苦手なはずの)サツマイモの美味しさに開眼。もの珍しさでごまかさず、結論として着地点にはきちんと納得のいく美味しさがある。これは大事。
連れが食べていた、牛フィレ肉のロッシーニも美味しそうだった。今度はあれも食べてみたい。
■デセール盛り合わせ(選択不可)
ぎょぎょっ!(魚クン。)ティラミス、シブースト、ベイクド・チーズケーキ・・・・
私の苦手な3大デセールが見事に一同集結・・・
・・・と思いきや、手前はティラミスではなく栗のトルテ、中央のシブーストもタルト地、アパレイユ表面の焼き目いずれも前回より美味しく、また後方のベイクド・チーズケーキも(チーズは好きだが甘いチーズ菓子苦手につき、大好物とはいわないまでも)なかなかであった。
こちらの白い器も素敵。また穴が開くほど眺めてしまった。この色、このツヤ、この厚み、この彫り模様の流れるようなデザイン。しばし眺めた後、連れにひとこと、私が言った。
「この白は・・・ウェッジウッド?!でも見たことがないシリーズだけど。」
「あまりに素敵なのでどちらのものでしょう?」とお店の人に聞いてみた。
やはりウェッジウッドだそうだ。ただし、あまり一般向けに売っているものではなく、レストラン向け卸から購入したそうだ。どうりで見たことなかったはず。使いもしない洋食器を10客単位で、ヨーロッパ産のものほぼすべて集めていた母も持っていなかったから。
連れ:「すごい!初めて見るシリーズなのに、どうしてウェッジウッドってわかったの?」
私:「でも同じ白でもウェッジウッドの白って独特だから、初めて見るシリーズでもなんとなく分かる。母は夫(私の父)の稼ぎが少ないと文句をいいつつ、高い洋食器を飽きては捨て、次から次へとポンポン百貨店で買い漁っていたからね。私にしてみれば、ケッ!ていう感じだったけど」
連れ:(皮肉たっぷりに) 「涙ぐましいおかあさまの情操教育の賜物!ご自身にその意識があったかは別として。」
私:「それって情操教育とはいわないと思うんだけど・・・」(爆笑)
ものは考えようである。
私:「だったら、同じ親から生まれて同じ環境で育ち、むしろ私より母に近かった妹が、秋刀魚と鯖の違いも分からなくて、チェコのボヘミアングラスの壺をぞうきんバケツ代わりに粗雑に扱って割ったのはどう説明するわけ?同じ“情操教育”を受けていたのに。」
連れ:「それは本人の感受性の問題」
写真はないが、いつもながらコーヒーの美味しさに心酔。料理はもちろんのこと、食後のコーヒーに及んでまで、その道の専門店より美味しいと私が心から思えるレストランは、都内だとこちらキタオカ、お気に入りフレンチ・Z(ブログカテゴリ内の過去記事参照)のエスプレッソ、同お気に入りの店・Lのカプチーノくらいか。あとはヨーロッパ随一のカフェ文化と歴史を誇るウィーンにいるとき以外、私は滅多にコーヒーを飲まない。まずくはなくとも感動に値しないものは、わざわざ外で飲み食いする必要はない(貧乏性)。たとえ100円でも。
どうでもよいことなのだが、こちらのお手洗い、私がパリで最後に暮らした6区のストュディオ(ワンルームのこと。ただし日本的感覚でいうワンルームよりかなり広い。35〜40平米くらいあった)のトイレとそっくりなのだ。内装、紺碧の便器の色かたち、水まわり、蛇口、トイレットペーパー置きまで、すべて!だからとても懐かしい。でも料理を紹介する記事にトイレ写真同載は避けたいので、見たい人は直接お店に食べに行ってご確認あれ。(私の暮らした部屋のトイレなんて興味ある人いないと思うけど。)
あと10年前からいつも、こちらの内装、椅子、窓、飾られた絵、器、カトラリーにうっとりしてしまう。フランス料理ってやっぱり総合芸術なのだなあと。それもただカッコイイのではなく、クリストフルのナイフにしてもスプーンにしても、(フレンチ慣れしていない客にも)手にしっくり馴染んで使いやすいものを厳選している。本当にこの皿に必要か?と思わせる料理にわざわざ使いにくいラギオールを添える店もよそにはあるが。(ラギオールすべてが悪いと言っているわけではない。ただ肉質なり魚質なり、器とカトラリーには適材適所というものがある。ピエール・ガニェールの前菜のくぼみのある白い皿だが、あれも深さがあるうえ、皿側面の勾配が急で、しかも添えられるスプーンの厚みがかなりあり、非常に食べづらい。ユーザー(イーター?)・フレンドリーとは言いがたい。)
ほかのお客さんがすべてお帰りになったので・・・
仮にこちらの料理がいまいちだったとしても(実際はそんなことはないが)、この絵、この皿を見に通ってしまうだろうと思わせるほど、私にとっては美術館並みの魅力がある。そう、日比谷のアピシウスのダイニングルーム奥右手のユトリロの絵のように!料理はもちろんのこと、レストランにおいてはこういった要素もある程度必要だろう。私に言わせればこの店は、トレーナーにGパンのお客も気兼ねなく(私自身は気兼ねするが)入れる、要町のアピシウス。敷居は低く、志は高く!(他方アピシウスは志も高いが、初心者には敷居高すぎかも。)お若いながらそつのない、空気のように自然で「いたの?」と思わせるほど存在感を感じさせず、それでいて後でよくよく振り返れば、食事の時間がすべて順調に平穏に(たとえ連れがワインをこぼしてもそれを忘れてしまうほど)過ぎていたなあ、やはりそれはサーヴィスの実力あってこそだな、といつも店を出た後にあらためてしみじみ思うのだ。こちらのサーヴィスはいい意味でまったく「ザ・洗練」の風をフロアにちらつかせる事もなく、客が、客のペースでおのおのの時間を堪能できる。食通老夫婦から、近所の起きぬけ常連客、おばさまご一行、若いカップル、誰しもが。それでいてまったく過不足がない。この店のサーヴィスについては前回訪問記事に詳述。(詳しくはこちら)
大塚のジュイエーにしても、こちら要町のキタオカにしても、立地柄、一歩間違えれば「パスタセット」などを出してブレてしまいそうなところだが、まったくそんなことはない。それも日ごろから私の述べている通り、店のゆるぎない絶対指針軸、そして全レベル・用途の客に柔軟に対応できる料理とサーヴィスの実力・努力の賜物であろう。それでいて、客同士が温度差を感じずに寛げるスマートさを備えている。
この日初めて知ったのだが、キタオカの現料理長がまだこの店でスーシェフだった10年以上前の当時の料理長はクラブミストラルの会員で、ジュイエーの福島シェフ、そして当時まだトラント・トロワの雇われシェフだった島田哲也シェフ(その後恵比寿「イレール」独立開業)と交流があったそうだ。当時はよく飲み会や、早朝草野球大会などをしていたそうな。島田シェフに関しては私はまだ彼の料理を食べたことがないのだが、最近は銀座三越地下に総菜屋を出したりNHKの番組に出たりと、忙しそうだ。どなたか、イレール行ったことある人います?感想聞きたいです。特に50代以上の食の経験値の高い男性の感想。同年代女性の感想は、うーん・・・。(←「白を基調としたオシャレなお店で、彼氏に誕生日ランチご馳走してもらいました☆帰りはシェフが笑顔でお見送りしてくれました」とかあまり参考にならない。)見た目、けっこう今っぽいけど・・・。どうなんだろう、実際は。
ちなみにメートルかと思ったこちらの現料理長・羽下(はが)氏だが、彼は人気集めのためにフロアに出ずっぱりなヨソの一部の店とは違う。むしろお客の反応や好みを知るために出ているといった印象。その証拠に、メインの火入れなどの際にはいつのまにか厨房へと消えている。「スーシェフが最近力をつけてきた」(羽下氏)こともあり、自分が手抜きをするというよりはむしろ、自分も目を配りつつも、後進の育成に力を入れているといった気概が見える。現に、羽下氏が料理長に就任した10年以上前からなんら、その料理の輝きは衰えていない。なので誤解なきよう、あらかじめここに断っておきたい。
私は決して「天皇陛下バンザイ」というような人種ではないが(非国民)、この皇居周辺はなぜか心も体もとてもリフレッシュできる。しかも、この内部は都内とは思えぬ人口密度の低さ、誰気にすることなく
腹の底から熱唱できる。自然植物も豊富で、しかもタダ。こんな国民の特権を利用しない手は無い。
カラオケ館に行けばいい?いえいえ、私はカラオケボックスやマンガ喫茶といったタバコ臭く薄暗い不潔感溢れる(失敬)閉所が大嫌い。
ここなら太陽の光をさんさんと浴びて、心置きなく(敷地の広さゆえ)他人の目も気にならず、イタリアオペラのソプラノ曲や演歌を熱唱できる。
私は防音ルームなどというハイソな設備とは無縁の生活をする庶民ゆえ、都内にあって貴重な場所。
シンガポールで働いていた際、オフィスにも自宅のコンドミニアムにも最新設備のスポーツジムとスイミングプールはあったのだが、
「清潔感あふれる明るい防音&オーディオルーム」は無かった。私は年に1,2度程度のスキーとダイビング、長距離散歩(別名:徘徊)以外は運動しないので、ジムもプールも活用する機会に恵まれなかった(不健康児)。
運動ももちろん良いけれど、腹の底から大きな声を出したり笑ったりするのは、肺に新鮮な空気を吸い込み、横隔膜も開き、心身ともに大きくリフレッシュできてストレス解消によいと方々で聞くのだが・・・。
ヨーロッパで歌を歌いながら歩いていても奇人扱いはおそらくされないが、トーキョーでやったらそれこそ白い目で見られるので、どうしても自粛してしまう。
集合住宅住まいゆえ、自室で歌えば近所迷惑だし・・・。でも、たとえば京都は意外だが、よい意味で変わった人が多いというか、多様性や違いに寛容な人が多いように見受ける。というのも(私だけかもしれないが)、
京都の町なかを歩いていると、かなりの確率で歌いながら歩いている人や、独り言にしては大きな声で何か言いながら歩いている人に出くわす。その脇をゆく通行人は目もくれず、穏やかな顔をしている。
別にその当人は奇人変人というわけでもなく、きわめて普通の風貌。
京都にしても、パリにしても、共通してヨソの人にはしばしば「伝統に固執する。プライドが高い。排他的」などと悪口をいうのだが、
彼らにはゆるぎない文化や信条の根底、自身の心の拠りどころ(横文字でいう「アイデンティティ」)があるからこそ、他人との違いに戸惑ったり動揺したりせず、おおらかにハラをすえて“Them and us(ヒトはヒト、私は私)”
の精神で違いや多様性とうまく共存できるのだと思う。
逆に他人の目を必要過剰に気にしビクビクし、自分も他人に干渉するのは、自信のなさの裏返し。
たまにそれが息苦しくなると、私は迷わず京都かパヒへGO!私は東京で生まれ、人生のほとんどを東京で過ごしたため、今までもこれからもおそらくきっても切れない縁だと思うが、時々息抜きも必要。
私の国内食べ歩き史上最高峰のアニョー・ド・レ@4,900円 (税サ込みコース支払い総額) in 大塚, served with 的を得たサーヴィス。
つまり・・・・・・
価格 < (満足度 + 味 + 原価率 + サーヴィス)
ビストロ・ジュイエー
先週に続き、また来てしまった。家からは不便なのだが。私が9月上旬訪問時に熱烈リクエストした極上の乳飲み仔羊(アニョー・ド・レ)を、シェフが探しに探し求めた末に、今週からごく少量ではあるが入荷し始めたとお知らせをいただいたため。ただし品書きには載っていない(敢えて載せていない)。この味・質の違いが分かるには相当の食の経験値が必要で、立地柄、追加料金1,800円という額面だけ見て「高い」と文句をいうお客がいるであろうことは想像に難くない。特に、私と同世代(20代)〜55歳以下の一般的な人は。この追加料金も、その味・香り・肉質・脂のうまさが分かる人間にとっては、それ以上の価値が十二分にあると私は思うが。
こういう店は、食べログな人に荒らしてほしくない。嫌なら行かなきゃいいのに、私のブログ見て訪問したらマズかったとわざわざクレームをつけてくる人もいて、迷惑至極である。子供じゃないんだから、すべては自己責任でどうぞ!
この日は、私が少し前から仕事でお世話になっているBさん(仮名)をお誘いした。仕事とは別で、今回は休日にプライベートで。
「えっ?!まさか大塚に本格フランス料理店があるとは想像できないのだけど・・・」とBさんは懐疑的であったが、私は是非一度、Bさんをこちらにお連れしたかったのだ。この世で行ったことのないレストランや面識のないシェフはいないのではないか?と思わせるほど精通されたお方だが、お仕事をいただけるようになって以来、数回お会いしたのみではあるが、お話から察するBさんの嗜好性・価値感とこの店はそう遠くはないと、私は勝手に確信していた。
私のための裏メニュー、配合も私仕様のサングリアがいつも食前のお決まり。Bさんは、ソーヴィニヨン・ブランで。(ドリンクはコース外)
Bさん:「へえ、フレンチレストランにサングリアがあるとは!」 (邪道?!)
私:「いえいえ、以前特別にお願いして作っていただいて以来、いつも出してくださるんです。私が家で作るときは、シナモンや、もっと多種のリキュールやフルーツも入れるんですけど、スペイン料理屋じゃないので、そこまで求めちゃ、酷ですからね。笑」
さて、前置きが(いつもながら)長くなってしまったけれど、ここでこの日の午餐の内容デジュネ(ですね)。笑
■アミューズ
すでに当ブログで何度も紹介済み、(国産牛ではなく)和牛のカルパッチョ、アンチョビソース、ミモレットのフレーク
ちょっと失礼します、とサッとコンパクトデジカメを一押しした私に、「オッ、出ました!商売道具」とBさん。「いえいえ、趣味です趣味。ブログの。これがお金になればいいのですけどねえ・・・はァ〜・・・」と私。
私は数ある同店アミューズの中からどうしてもこれをBさんに召し上がっていただきたく、事前リクエストしておいた。「この肉質、そして皿の完成度。もはやアミューズの域を超えてますね!」と、Bさん。数日前にも名だたる上質な業務用ブランド牛を数十種、一流シェフの火入れで試食なさったBさんが言うのだから、私の勝手な思い込みではなかったことがここで証明された。ヨカッタ!
印象も完成度も霞むチャコマカした原価率分散の多種アミューズが出るより、私はこういう潔く1品でビシッと決まるアミューズが出るほうが、男気があって好き。
■前菜
リー・ド・ヴォーのグラタン、ブルーチーズ風味
ベシャメルではなく、高貴な旨みあふれるフォンドヴォー仕立てで。チーズはごく少量、香り付け程度にとどめてある。リードヴォーは、私にはやや硬めだったかな?下にほうれん草、シャンピニヨンの薄切り。上の自家製フイユテ、超真っ当。こういう細かいところに店の実力が出る。
ただ、この店にはもっとほかにその実力を堪能できる珠玉前菜が多いので(ただしフォアグラ系はおすすめしない)、おそらく私にとってリードヴォーのリピートはないだろう。
■スープ
ごぼうのクリームスープ、カプチーノ仕立て ごぼうチップス添え
私が今まで食べた、こちらのシェフによるスープの中では、夏のガスパチョが一番好き。でも今はもう秋だから、温かいスープに衣替え。
「パン=(本来料理が主体のはずのレストランとしての)店の評価」となりがちな、日本の大多数の女性客の考え方にどうも賛同できない私とBさんであるが、こちらのパンは私も以前から何度もブログで述べている通り、「自家製とは思えない!」(Bさん)、レベルの高さ。確かに、それが本業ではないレストランでパン10種類も出して肝心の料理がおろそかになる店はどうかと思うのだが、脇役とはいえ、パンも不味いよりはうまいに越したことはない。
■肉料理
トップのくだりでも触れた、この日の本命。
オーストラリア産・乳飲み酩酊仔羊。(勝手に命名)のロティ、
ジュ・ド・アニョー(正式発音ジュダニョー)、ジュ・ド・ヴォライユ、トマト・クラリフィエのソース
しばし悶絶・・・・
2人揃って目を大きく見開き、これだ!とばかりに深く大きく何度もうなずきながら、しっかりかみしめつつ、黙々と食べる。
キング・オブ・乳飲み仔羊 in 東京。
(2人同時に):「おいしい・・・・・ッ!」
Bさん:「肉、ソース、ガルニチュールはそれぞれ1種のみ。この潔さ!!上質だからこそできる、無駄な要素のない本物!」
私:「今っぽい料理とは対極にありますね。見よ、この引き算の美学!!本当の美人には、厚塗り化粧も、ごてごてアクセサリーもいらないのです!しなやかなのにへたれない、締まっているのに硬くない、この肉質!ミルキーでシルキーで繊細な脂のうまみ!」
Bさん:「今までの、ヨソの店の自称・特上仔羊は一体なんだったのでしょう?!これにはまったく、まとわり付く嫌な脂がありませんね!」
私:「そう、そう!例えるなら、今までの仔羊がデコボコ砂利道を走るオンボロ車、こちらは良く舗装されたドイツのアウトバーンをスーッ!としなやかに滑るように走り抜けるロールスロイス!!」
(2人揃ってふたたび黙々と食べ続ける・・・・ひと呼吸おいて、別皿で野菜のガルニチュール登場)
私:「これは、トランペットと・・・セップかしら?」
Bさん:(茸の形をじっくり眺めつつ)「うーん・・・、笠の形がくぼんでないから・・・・でもどうかな?」
(・・・ここで、2人同時に口に運んで、美味しさのあまりパッと大きく見開いた目が合った)
(2人同時に):「セップだ!!」
この値のコースで、大ぶりで味もよいセップを出すとはなんとも気前がいいと、ヒデキ感激!しながら、サーヴィスの篠田さんに聞いた。「これはセップですか?」
「あわび茸です」
そりゃいくら鈍感力を誇る私でも、あわび茸とセップの違いくらい、わかるさ・・・と思ってた。
前者は笠が平茸のごとく平べったく、軸も短い。つぶれたスライム状。香りはいいのだが。
いっぽう後者は、厳密な形は異なるが、軸足の長いエリンギに近い風貌。(笠と根元には丸みを帯びているが)
この店で出てきたあわび茸、どうみても私がフランス、イタリアで何度も目にしたセップそのものなんだよなあ。
都内のデパ地下で売られているあわび茸とはまったく違うのだ。突然変異か?!長野産とのことだが。
あわび茸は以前何度か別の店でも食べたが、これほど芳醇な香りと素晴らしい食感ではなかった。
食通のBさんをして、特上セップかと思わせる茸を仕入れ、また最適なアセゾネと火入れで供するシェフはさすが!
■デセール
スフレ・グラッセ。パリで好きでよく食べていた。別名ヌガー・グラッセ。クリスマス時期には高級スーパーの冷凍ケースで特によく目にした。
今まで食べたこちらのデセールの中で、私はこれが一番気に入った。美味!
スフレグラッセはもちろん、上にのったフイユテが上質!前菜にのった物と似て異なる食感。
薄いアメ細工でグラサージュした、パリッパリの表面。フォークを入れてもへたれない、薄いのに襟のピシッときいた生地、焼き加減。Bさんも大絶賛。
Regardez!
■エスプレッソ(本当は夜だけ。今回は特別にお店のお心遣いで。)
昼のコーヒーと同じ店のものとは思えぬほど(失礼!)、美味。
私:「お行儀悪いんですが、私がパリで覚えちゃった悪いクセ。こうして、まだ完全に溶けきらないキャソナードの塊をじゃりじゃりかじりながら、エスプレッソをちょびちょび・・・。実はこれ、あの上野万梨子さん(パリ在住料理研究家の重鎮)も同じことおっしゃってました。笑」
Bさん:「イタリア人は、溶け残った砂糖をスプーンですくって最後に食べるそうですよ。これがウマイんだ、って。ちなみにトルコでは溶け残ったコーヒー粉の形状で見る占いもありましたよ!」
私:「へえ!!」
それにしても、いつにも増して素晴らしい食材と調理法で極上のお料理の数々をご用意くださったシェフ以下厨房の皆さん、さり気ないながらも的を得た過不足のないサーヴィスで和やかな食事の時間を提供してくださった篠田さん、そしてこの日は普段の激務でお疲れのところ楽しいランチをご一緒くださったBさん、皆さん本当にありがとうございました!とても有意義で幸せな午後でした。感謝感激、雨あられ。
お料理はいつもながら微に入り細に入り抜かりなく堪能させていただいたのだが、この日、改めてサーヴィスの篠田さんの力量を見直した。この日は22席ほぼ満席で、ある一組は10人以上の七五三祝いの近所の親戚御一行、ある一組は結婚記念日の若いカップル、ある一組はトレーナーとGパンの起きぬけファッション?のカップル、ある一組は初老のご夫婦、そして我々は仕事関係だがプライべート利用・筋金入りの料理マニアックな2人。年齢、嗜好、用途、同伴者、食の経験値・レベル、すべて全く異なる20余名を、おひとりで、そつなく、過不足なく、慌しさを感じさせずサラリとこなす、篠田さん。どのテーブルを見回しても、料理や飲み物が間に合わないということはまったくなく、それぞれのペースに合わせた絶妙のタイミングできちんと行き届いている。都心の今っぽい店では同じ客席数に対して5,6倍のサーヴィス要員がいながら全然間に合っていないことも珍しくないのに。
詳述はしなかったが、今回は仕事でお世話になっている方をお連れする旨事前に申したせいもあり、(いつも私がひとりで自宅の居間よろしくランチにゴロンチョさせていただいている時の篠田さんのおだやかモードから一変し)、いきなり(でも不自然さは全く無く)帝国ホテルあたりでも通用しそうな、こちらの気を煩わせることはないのに細やかに気の利いたサーヴィスをしてくださった。いつも私がひとりでゴロンチョ(あるいは親類と休日ランチ)する時や、地元常連のおばさま方にはグラスのテーブルワインのみをすすめるのだが、この日Bさんのために、私が初めて見る種類ももう少し多いワインリスト(グラス・ボトル)もご用意くださった。そして、我々の会話内容からBさんがかなり食に精通していることを察してくださってか、普段地元常連にはしない(品書きにも取っ付きにくい仏語表記なし)ソースの詳しい説明などもしてくださった。かといって慇懃無礼や過度なへつらいもなく、とても自然に。
そうかと思えば、同じフロアでギャーピー走りだした女の子(未就学児と思しい)に対しても、篠田さんが、とがめることなく優しく笑顔で一声、ふた声かけた途端、女の子は笑顔でニコッと笑っておとなしくなった。「未就学児お断り」ということもなく(ただし客側のわきまえも必要だと私は思うが)、ドレスコードもなく、すべてのお客を受け入れる大らかな店。それでいて、これだけこじんまりした店内ながら、どの食レベル・年齢・用途・同伴者の客も、それぞれのペースを乱されることなく、かつ、ある客のペースにより他の客の心や雰囲気が煩わされることがないように、さり気なく、でも抜け目無く、気配り・目配り・心配りができる、篠田さん。どのレベルの客にもフィットする、それでいて客同士が温度差を感じない、的確かつ分け隔てないサーヴィス!今っぽい店や一部グランメゾンにありがちなのだが(フランスではなく日本でのみ)、疎外感であれ優越感であれ、(個人の邸宅ならともかく)レストランという公共の場において、客同士がサーヴィスの温度差を感じた時点で、すでにサーヴィス失格。客によりある程度のサーヴィスの使い分けはやむを得ないが、それを客側に感づかせないのが本物だと私は考える。相手(客)に気をつかわせないことこそ、私の考える「最高の気遣い」。個人の好みは別としても、模範的なのがアピシウスや、2年前訪問時のラリアンス(ただしラリアンスは最近行っていない)、あとはロ・ア・ラ・ブッシュ、若いわりに精鋭揃いなのがオテル・ド・キタオカ。
私と同世代の20代〜30代前後の一部の人が、あるサイトでこのお店のサーヴィスが「女の子っぽい」とか「ぱっとしない」と言っていたが、言いたい奴には言わせておけばいい。彼らの好む、都心の今っぽい洗練も結構だが、本物の洗練とは、それをサーヴィスの側が見せ付けることではない。
何気なくフラリと入った京都の小さなメシ屋の地味な女将のふとした素振りに育ちのよさを感じ、後で知ったら実は名家の令嬢・・・というのならカッコいいが、暖簾に「上流階級出身」「箱入り娘の名物女将」なんて書いてあったら、みっともないだろう。あるいは、(事実はともかく)営業マンの名刺に「伝説のトップ・セールスマン」と書いてあるほどダサイことはない。
昔、生前の祖母がこういっていた。「バカになるほど利口なことはない」。
言わんとしているのは、先日の記事でも述べたとおり、私の考える真の賢者とは、自らのカッコよさを難しくふりかざすことではなく、相手の理解・知能レベルに合わせて咀嚼し、的確に過不足なく伝えること。自己顕示欲ではなく、相手(お客)への一点の偽りもない心からのもてなし。これに尽きる。
この日は、料理・レストラン談義以外にも色々と話に花が咲き、つい長居してしまった。Bさんは、お仕事でも第一線でご活躍され、ガストロノミー事情以外にも非常に深く広い知識・ご関心事がおありで、私にとってはいつも大変勉強になり、毎回お会いするのがとても楽しみな方。私も、仕事・プライベート問わず、「この人に会うのが楽しみ。一緒にいて楽しい」と周囲に思わせるような人になりたい。すべての人に好かれるアイドルのような存在になるのは無理としても(それは初めから目指していない)、少なくとも身近な仕事仲間、友人知人を巻き込んで幸せにできる人になりたい。
その頃の影響か、いまでもときどき自分で川柳を思いつく。
以下、「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」と建前の笑顔で店を出た後
心中おだやかではない客 VS 店、ホンネの川柳対決!!
客:「ムカつくな 潰れてしまえ あんな店」
店:「もう来るな 出入り禁止だ 塩まくぞ」
はぁ・・・しっかし、もし本当にこんな事思ってたらオソロシイ!!
今もサラ川があるなら投稿したいのに。
(注:この川柳はフィクションであり、実在する団体・人物には一切関係ありません。)
こちら、かなり前に夜に来たことがあったのだが、その時たまたまオイルマネーで潤う某国の王族がお忍びで来ていた。
彼ら王族は意外と普段旅先では地味なことも多いし、ジャラジャラと飾りを付けているというわけでもないのだが、やはり何か違うんだなあ。
こう食べるしぐさとか、話し方とか、言葉では上手く言い表せないけれど。
私が暮らし、いまも通うシンガポールやマレーシアでは、かなり庶民的な屋台に高級車で乗り付けてやってくるセレブも意外と多いのだ。
ランチは今回初訪問。シンガポールで暮らした約3年間以外にも、その前後に頻繁に現地を食べ歩いてきた私にいわせれば、いま現在日本にあるシンガポール、マレーシア料理店はみなショボい。だから滅多に東京では食べない。シンガポール、マレーシア両国で食べる現地料理は本当に美味しい店も多いのに、今現在東京に進出してきている店は皆、現地でも味の分からない若年ミーハー新興成金の好きそうな店ばかり。私のいう「今っぽい料理」のシンガポール版。
前置きが長くなったけれど、こちらのお店、かなり丁寧度高し。例えば、下に写真のある(↓)ラクサにのっている鶏肉にしても、やわらかくしっとり蒸し上げていながらも型崩れせず、また臭みもない。この手の調理法のチキンは家禽臭さがわずかとはいえどうしても出がち(タイのカオマンガイや、S'poreの海南鶏飯など)なのだが、こちらはそういうこともなく。
しかし味付けの系統が自分の嗜好性ベクトルと不一致。(善し悪しではなく。)
多分再訪はないだろう。
前回の夜は夜で、店内がタバコ臭すぎて料理の印象、霞ヶ関だったし・・・・。
以下、日替わりランチ1,000円の内容。
7〜8種あるメインからひとつ選び、スープとサラダ、それにデザートorドリンクが付く。
■メイン料理を待つ間に運ばれてきた、サラダとスープ。
■デザートは三者択一。私はボボチャチャ(サツマイモ、タピオカなどのココナツミルク煮を冷やしたもの)に。
ボボチャチャももう何百回も現地で食べたし、日本の自宅でも作るのだが、こちらも雑味がなくクリアな後味。
がしかし、こちらも私の嗜好性のベクトルと完全不一致。
まあ、言ってみれば、「超美男子だが、自分のタイプではない」というのと同じかな。
■ラクサ命!の私は迷わずラクサに。現地でも、店により落差のあるラクサ。
こちらのラクサは、ややカリー・ラクサ寄り。
個人的感想を言わせてもらえば、こちらはレモングラス、ライムリーフ、ケフィアリーフの風味がやや強く、強いて言えばタイに近いマレーシア北部ケランタン州、トレンガヌ州あたりのものを彷彿とさせた。
(これを作った料理人は、おそらくそっち方面の出身じゃないかな。想像の域を超えないけれど。)
私個人は、ここにもう少しベラチャン(発酵エビ味噌)とガランガル、キャンドルナッツ(カシューやマカデミアに似た風味のナッツ)、エシャロットの風味が欲しい。
さらにここに刻んだDaun Kesum(ラクサリーフ)でものせてあったらもう、ひっくり返って喜んじゃう。
麺もこちらはミー・スア(極細米麺)と中太米麺のミックス(よりマレーシア風)だけど、私は丸口太めで表面ツルツルぷりぷりのシンガポールの米麺のほうが好み。
スープももう少しthick(ココナツミルク多めの濃度のあるものを現地英語でこう表現する)なほうが好き。
でも私はやっぱりシンガポール風「カトン・ラクサ」が一番好き。
シンガポールのチャイナタウンの観光客のまず行かない団地の一階にあるフードコート(熟食中心)の中に
大好きなカトン・ラクサ専門店があり、毎日一食は必ずそこに通った。家からもオフィスからも遠かったにも関わらず。
昨年末に久しぶりにシンガポールを訪れたら、なくなっていた。
ある朝起きたら昨日まで隣にいた男に逃げられた女のごとく(笑)、血相変えて近隣屋台にその行方を聞いて回った私。
あまりの取り乱しぶりに尋常ではないと思ったのか、親切なおじいさんが「ああ、あの名の無い店は通り一本挟んだ別の建物の地下に移動したよ〜」と教えてくれた。
猛ダッシュでその店へ。いた!あのおじさん!運命の再会。でもそちらのフードコートでは別の店ですでにラクサ専門店があったため、おじさんの店(なぜか名前がない)は
蝦麺(Prawn Mee)のみ販売していた。「予約するから、手間賃ウン万シンガポールドル払うから、作って!!お願い!!それか日本に店だして〜!!!!(←バカも休み休み言えッ)」
ラクサは仕込みにも時間がかるし、今は店が忙しいから無理だと言われた。数あるラクサの名店でも、300軒以上食べ歩いたカトン・ラクサの中で、私は名も無きおじさんの店のラクサが一番好きだった。
もう一生食べられないのかな・・・さみしいな。おじさんのラクサが私は誰のものよりも好き。
ベルベティックで蝦の風味が濃厚で、それでいて臭くない、力感と繊細が両立した珠玉のスープ、麺の種類と太さ・茹で加減、すべてが私にとっての理想形だった。載せるトッピングの種類、量に至るまで・・・。
おじさんのラクサがもう一度食べたい。3シンガポールドル(日本円で約210円)の丼一杯の中にぎっしり詰まった手間と時間、そしておじさんの技と誇り。
いつも何も言わなくても、私が座ると、数あるサイズ、麺の中から私の好みぴったりものがスッと出てきた。それと私が気に入っていた蝦麺のスープだけ(麺なし)をいつもちょこっと小さなお椀で添えてくれた。
無愛想ではまったくないが、ほとんど喋らないおじさんだったけど、なぜかおじさんの顔見るといつもほっとした。
東京に私がおいしいと思えるラクサはないから、私は家で作る。おじさんの味を思い出しながら。
でもラクサ・リーフも、コックル(Cockles:スペイン・ガリシアにもある、生アサリに似た味の小粒でぷっくりした貝)も、米粉(いわゆるビーフン。ただしベトナムやタイのような平麺ではなく、丸麺で太さも1.7mmくらいある)
も日本では入手不可なので、どうしても同じ味にならない。人でも、物でも、もう二度と会えないと思うと、とてつもなく恋しくなる。
マレーシアにはそのほか、甘酸っぱい中に濃厚魚介ダシのきいた真っ赤な(でもあまり辛くない)アッサム・ラクサ、ドロみ感微妙なペナンラクサ、カレーラクサなど
枚挙にいとまのないバリエーションがある。私、(日本のラーメンも含め)洋の東西を問わず汁麺はあまり好きではないのだが、シンガポール、マレーシアに限っては私ごのみのニッチかつ美味な汁麺に多く出合った。
日本にはまだ、私の満足するシンガポール料理の店がなく(食わず嫌いではなく一通り試した末の結論)、服でも食べ物でも家具でも、「自分の気に入るものが無いなら、自分で作ってちゃえ!」が私の信条なので、
(ネタが多すぎてブログではほとんど紹介できていないけれど)私のシンガポール料理のレパートリー・完成度は相当なもの。レシピ本出す際にはいくつか載せる予定。だけど本当は教えたくないほど自信のある
レシピばかり。世の大多数の料理研究家は、5歳頃からほとんどの料理月刊/週間誌を読み漁っていた私からみればすべて、「どっかからのパクリ」。どのレシピがいつのどの本のどのページの無断引用か言えといわれればすべて証拠記事とともに告発できるけれど、そんなことをしてヒトを陥れても何もよいことはないので、しないけれど。実際私自身も、以前交流のあった、今では著書多数のブロガー女史に頼まれて教えたオリジナルレシピを無断でパクられ出版までされてしまった。それがベストセラーになっているのだから、世の中恐ろしい。ただ、私に代わって彼女が、私のレシピが世の中で需要があることを証明してくれたことには感謝している。
だから私は、彼女がパクリ損ねた私の未発表レシピのみを集めて出版したい。実は出し惜しみレシピこそ完成度が高いから。フフフ。
曲がりなりにも有名になったのは彼女が先だから、後発の私が同じものを出せば、私がパクったと世間には思われるのがオチ。理不尽だけど、世の中、恨み言を言ってもはじまらない。今できることをやらなきゃ。
他人にマネをされても私は平気。だって源泉を持たないパクリはいつか、アイディアに枯渇するはず。自分で汗水流して掘って湧き出た井戸水は、そう簡単には枯れないから。他人がたかがバケツ一杯の水を無断失敬しても、痛くもかゆくもない。どうぞどうぞ、お持ちくださいな。井戸の底は深いから。
私の料理はすべて独学で、母にも料理教室にも一度も教わったことがなく、服部学園ならぬ「ハッタリ学園」なのだが、一度食べた味は絶対に完璧に忠実に再現できる。何が入っているか聞かなくとも油、酢、スパイス、酒、ハーブに及んで微に入り細に入り言い当て、そこから味の綿密な記憶で配合を割り出す。中華の鉄人のように葱をものの1秒でダーッッッ!と切るようなテクニックこそないが、味の分析・再現能力に関しては、熟練料理人からも天才的だと言われる。
タイはともかくとして、シンガポール、マレーシアには私の好きな店が沢山あり、いずれも観光客や現地の新興成金には見向きもされぬ地味な店ばかりなのだが、いつかそうした私の食べ歩き手帳と莫大な日本誘致候補リストの店をピックアップし、(シンガポールのビジネス街にならい)都内オフィス街カフェテリアにでもシンガポールのようなフードコート(いわゆるダイエーのFCのようなのびのびラーメンやドムドムバーガーのようなお子様向けではなく)を作れたら嬉しい。
お金があればすぐできるのに・・・・。「貧すれば、鈍する。」笑
シンガポール系フードコート運営企業としては、すでに豊洲にFood Republic社(オーチャードの伊勢丹4階、ブギスの改装前SEIYUの地下にあったほか、シンガポール市内で多数出店)が出店しているが、味の面ではチーン・・・価格も高くは無いが、なにもそこで食べなくても間に合う料理とレベルと選択肢。そこだけにしかない絶対価値や他店との差別化がほとんど見当たらず、客の入りもまばら(豊洲の場合)。他方、同じFood Republicでも、本国ではいつも客でごった返している。ひとつに同社の本国での出店先はいずれも中心部ショッピングモール内や、大手日系デパート内、あるいはオフィスビル内など、安定した客の入りを確保できる立地を選んでいることが勝因だと思う。片や、たとえ銀座に近くとも中心部とはやや言いがたいベッドタウンの豊洲・・・そんでもって味本位でない店の寄せ集めときたら、いったいどれだけ客が見込めるものか、やや疑問である。そこを選んだ理由はなんだろう?
まあ、私の率直な考えを申し上げれば、前出Food Republicにしても、(これまたシンガポール大手フードコート運営会社の)Kopitiumにしても、どこもチョイスする店がフランチャイズ化していて(経営効率はいいのかもしれないが)味の面ではマンネリ化している。いっぽう、どの運営会社系列でもなく、とある現地B級グルメ誌
で殿堂入りした人気店のみをセレクトし一同集結させた、マリーナやエスプラナード周辺の、夜空とリヴァーヴューの気持ちいい屋外フードコート「Makanstra Glutton's Bay」なんかは私にとっては理想モデル。ただしMakanstraは、出店のセレクトがイマイッチング・・・。ジュースに関しては罰ゲームかと思うほど雑味が強く、私に言わせれば、ほかに市内にいくらでもいい店あるのに。
うーん、スポンサー・・・シンガポールあたりの新興成金サマにお願いしようかな。
私のコンドミニアムの貸主だったテオさんとかね。でも金持ちって意外とケチだから、初期投資したがらないのよねぇ・・・・。
(投資だけに)とうしよう・・・?!いっそ、パパでも探そっかな。笑
でも私にとってお金はあくまでアイディア具現化の手段のひとつにすぎず、最終目的ではない。
資本主義社会に生きる人間として、実際問題お金が無ければ衣食住にも事欠き病院にもかかれないから、あるに越したことは無い。
搾取や詐欺ではなく、自分の力で真っ当なお金を稼ぐ世の中の経営者や創業社長を私は尊敬する。
彼らは彼らで高額納税や雇用創出といった面で社会貢献しているからだ。なんでもとりあえず頑張れば評価された高度経済成長期ならいざ知らず、バブル崩壊以降、考えうるほとんどのサーヴィス・商品がすでに慢性飽和状態と
なりつつある現在において、なおも他の追随を許さぬ差別化政策で純利益を上げ続ける企業の発想力と経営手腕には脱帽する。(ガイヤの夜明け、大好き★)
一部の人は、お金を稼ぐことが悪であるかのように言うけれど(だったら北朝鮮へGO!)、私はそうは思わない。
それが汚いやり方で無い限り。しかし、(何度もしつこいが)私にとってお金はあくまでアイディア具現化の手段のひとつにすぎず、最終目的ではない。
お金はあの世に持っていけないから。私の場合、(無欲主義というわけでは決してないが)世の中にほしいものもほとんどないし。ブランド物を見ても、宝石を見ても、本当に心底欲しいと思ったものは今まで2つだけ。
あとは目に飛び込んでくるものがほとんど無い。世の中で売られている物が悪いという意味ではない。単純に私の心に響かないだけ。
だから私はいつも創作意欲に掻き立てられるのだ。
この数ヶ月、いわゆる3K・不人気職種の社員採用はおろか、とりあえず生活のための暫定的バイト求人に応募するも「貴殿にご活躍の場を提供できません」と不採用続き(いずれも書類落ち)で、もう私は規格外ダメ人間なんだなあ・・・と一時は死をも覚悟した。都内で別に暮らす父親にも「一家の恥」と言われ(金出さないのにクチは出す)、
もう誰にも理解されないと思った。(そもそも私を理解する人自体、ミラクル真央!ではあるが。)
昔、いじめや家庭不和に苦しみ、死にたいと言った私に、当時唯一の理解者であった祖母が言った一言を思い出した。
「世の中、死ぬ気でやれば何でもできる」。
今がどん底ならこれ以上最悪な事態にはならないはずと自分に言い聞かせ、その道で食べてきた経験もない分際であらゆる出版社に自分の原稿を持ち込んだ。いっちゃ悪いが、三流雑誌(失敬)には相手にもされなかった。しかし、私自身10歳前後から愛読し、今でもそのジャンルにおいては唯一、かつ絶対的な信頼を集める有力誌が、今回一番最初にお仕事をくださった。
その豊富な知識、マネジメント能力、お人柄ともに大変尊敬できる敏腕編集長にも色々ご教示いただき、寛容にも、実績も知名度もゼロの私のような飛び込みのどこのウマの骨ともわからぬ若輩者に記事を任せてくださった。
ヘタしたら企画丸つぶれになる上、編集にも支障が出るリスクを覚悟の上でチャンスを下さったご勇断には感謝の言葉も見つからない。本当に有難く、胸が熱くなる思いで無い知恵を絞りに絞りぬいて原稿が先日、無事完成した。
今はかつてほどレストランめぐりに投資できる金銭的余裕が無く、最近めっきり訪問数が減っていたのだが、「初原稿が仕上がったら、ここへ行こう」と自分を鼓舞してきたお気に入りの店へ2か月ぶりに訪問。
当ブログでは3回目の登場、実名ヒミツのフランス料理店・L。
前回訪問から2ヶ月ぶり。1週間ほど前のこと。
フランス料理というよりは、こちらのお店は「シェフ○○氏の世界」といったほうが良いかもしれない。
私に言わせれば、東洋のマルク・ヴェイラ。
そのアプローチたるやファンタジーにして、着地点にはいつも絶対的な美味しさがある。
レストランとしては、料理が結論として美味しくなければ(私にとっては)訪問価値なし。
イケメン・サーヴィス&シェフが好きな人ならホストクラブ(or タツヤ・カワゴエ?)へ、パンが食べたけりゃパン屋へ、酒が好きならホテルのバーへ行けばいい(麻生太郎)と思うから。
最近はその辺りが混同されてしまい、明らかに女性ウケ(それもよりによって味の分からない一部の客)を意識しすぎてブレているレストランも少なくない。
残念ながら客層に恵まれないと嘆く店もあるが、その一方で、客に媚びないし客を選ぶわけでもないのに、結果として店の意図する客層に愛される店というのも実際には存在する(実はそれも店の手腕次第なのだ)。
こんな食材、日本に自生していたんだ!といつも思わせる珍しい野菜、野草、その他諸々。
ただの珍しさで終わらず、なじみのある野菜も、ない野菜も、その調理法と組み合わせで、
いつも未知で、それでいて感動する味わい方を教えてくれる、このお店。
前回の、空輸フレッシュ・フォアグラ&超一流アナゴのポワレ(店側は自分で「一流」などとは言わないが)もそうだったが、こちらのシェフにボッタクリはありえない(それどころか恐縮するくらいの原価率!)ので、
お決まりのコースではなく、その日の食材でおまかせで作っていただいた。税サ込みで7,150円なり。
本日のジビエとして、北海道の付き合いの長い猟師さんが射止めた「クマ」もありますが、いかがですか?
お嫌でなければ、ご覧になります?と仰ったので、「怖いのでやめておきます」と私。(←アンタにも怖いものがあったとは!)
■前菜
フォアグラと赤座海老のポワレ、フォンドヴォー・海老のジュのソース、五味子、
シェーヴルのワッフル添え
五味子(ゴミシ)は漢方や、韓国の伝統飲料でおなじみですね。
外見、味ともに、ポワヴル・ロゼによく似ている。
自然界で唯一、ひとつの実の中に5つの味を持つ植物。生で、しかも国内に自生していたなんて!
前日が店の定休日だったため、シェフとスタッフ皆で蓼科まで出かけて摘んできたんですって。
さすが若かりし頃アヌシーの野山を師匠マルク・ヴェイラと駆け回っていたシェフ!
あれ?!今日のフォアグラはどうしちゃったの!?前回のむっちり、艶やかプルンプルンの食感, au revoir.......
赤座エビ・・・・あれ?パッさーる??
ソース、いつもながら秀逸。
シェーヴルのワッフル・・・エッ?嘘・・・今日はどうした??焼き目の香ばしさau revoir.....
■魚
手前:黒ムツのポワレ、根セロリのムースリーヌ、上にはプルピエ(別名ヒョウ)とサラダ春菊
奥:黒ムツのおかしらのフリット、名称不明の酸っぱい野菜のみじん切りのせ
本当は百合根のムースリーヌと青柚子のソースだったのだけど、「○○様、おそらく柚子あまりお好きでないでしょう?(図星)」
と根セロリで。根セロリよりも、柚子無しを条件に百合根のムースリーヌがよかった・・・
こちらのシェフにしては、いつになく酸味に尖りあり。繊細な風味、au revoir....
でも黒ムツのポワレ自体の火入れは完璧。魚の質・鮮度も最上級。
今っぽい「中、半生」ではなく、ジュスト・キュイ!ギリギリやっと魚の身の透明感が消えたか消えないかな位の火入れが、
フランス料理の魚料理としては理想的。
中ジューシー、外はこんがり。食べ終えるまでその食感を損なわず。
しかしそれにしてもいつも思う。こちらのシェフは魚介類の火入れが上手いなと。
フランス料理、イタリア料理で生の魚って、私にとっては違和感最大級なので。
私に言わせればフランス料理としての魚の火入れで、都内でこのシェフの右に出る者はいない。
フランス料理は往々にして、魚がショボい店も少なくない。
ただいつも、こちらの魚のソースに関しては平均的・ガルニチュール非凡。
逆に肉に関しては、火入れ平均的・ソース超非凡なのだ。
今度いつか「魚の火入れ+ 肉のソース+魚のガルニチュール」で何か作ってくれると嬉しいのだけど・・・(ワガママ)。
右に添えてあるナゲット状の物体は、長芋のピュレのクロケット、エスプレット唐辛子風味。
これが、この皿では涙が出るくらい美味だった。こちらのシェフがいつもスゴイと思うのは、
和食材を使ってもヨソのシェフのようにコンフュージョン料理にならないところ。
ホクホクしっとり感はあるのに、(前回のオクラ同様)ネバネバしつこい糸を引いたりしない。
日本の滋味あふれる食材を使いつつも、いつも着地点はキュイジーヌ・フランセーズ!!
■肉
ブルターニュ産鴨肉と秋野菜のトリアングル仕立て、
レモングラスの香りのバイオレット・マスタードソース、レモンのコンフィを添えて
肉に関しては上(↑)の魚の項目で述べたとおり。
皿の周囲には、かぼちゃのピュレと紫芋のパウダー。単一では珍しくない身近な食材も、
このシェフの手にかかるとたちまちファンタジー。いつも、フランス料理は芸術だと再認識させてくれる
こちらのお店の盛り付け。今っぽいヨソのシェフの「サインペンさっと書き」のうわべだけの華やかさではなく、
こちらのシェフの作品はきちんと輪郭線と構図、タッチのある深みのある絵。
盛り付けがいつも大変勉強になる。(←それが日々の生活にまったく活かされていないけれど)
■デセール この日は寒く、温かいもので。
紅玉リンゴとフランス産ジロール茸のタルト仕立て、キャラメルとショコラのソース、
キャラメル風味のバナナソルベ添え
ジロール茸単一の質としては、超真っ当。この価格帯で、これ以上の香りのものを出す店を私は知らない。
ただこれはリンゴとではなく、できれば肉と食べたかった・・・いつものシェフの組み合わせの妙、au revoir.....
フイユテ、良好。
キャラメル、ショコラのソース、秀逸。相当上質で高純度なショコラを使っているのは一口で分かる。
上にのったバナナのシャーベット。舌触り、味、風味、ほのかなシナモンの香り、すべて完璧。
ソルベの鏡。ベルティヨン、真っ青。(あ、でもあちらにはバナーヌ・キャラメルは無かったはず。)
■カプチーノとミニャルディーズ(カシス・ショコラのマカロン・パリジャン、カヌレ)
今日のカップはヘレンド。
このお店のチェコのピンク色の縦長カップも素敵だった(過去記事に写真あり)。
ウィーンの重厚な雰囲気のカフェで、あのカップにアインシュぺナー(ドイツ語で「一頭だての馬車」という意味のコーヒー)
が入って出てきそう。あのカップが欲しくて、どこで買えるか聞いたところ、「20年くらい前に買ったのでわかりません」。
ああ、でもザッハーの「マリア・テレジア」(オレンジリキュール入りモカ)も好き。
カフェ・ツェントラルのエスターハージ・トルテ、オーバーラーのアプフェル・シュトゥルーデルも・・・。
いいなあウィーン・・・。懐かしい!なんで日本にはまだウィーンの本格的カフェ・コンディトライが無いのかな。
赤坂のカヤヌマは、味がうーん・・・しかもテイクアウトのみ、青山のラントマンはケーキの種類、チーン・・・、神宮前デメル、狭すぎ。
ハンガリーのジェルボーは入ってきたのに、なぜウィーンの本格カフェ&ティーサロンはまだなの?!
絶対、先陣切って手を付けたもの勝ちだと思うんだけど。どなたか興味のある投資家のかた、いらっしゃいませんか?!
リスト膨大にあります。私に投資しなくていいので、ウィーンのカフェ文化誘致に投資してください!!笑
私はパリですら思わなかったのに、ウィーンでは本当に「カフェっていいなあ」としみじみ思った。
オーストリア大使館商務部(?経済部?)または政府観光局か、オーストリア航空と組んでやってみたら面白いかも?
昨年だったか、ウィーンの紅茶葉の店Teehausも六本木に店を出したし、これからブレイクしそうな気はするのに。
あとちょうど今の時期タイムリーな話題として、いつかウィーン市庁舎(ラタウス)前のクリスマスマーケットを芝公園あたりに持ってきたい。
今年から札幌の大通り公園にミュンヘンのクリスマスマーケットは来るようだし。フランスのマルシェは来たのに、なぜウィーンのクリスマスマーケットは日本に来ないのか?!
これも大使館とコラボしたら面白そう。
相談を受けたことがある。「メディアのおかげで知名度はそれなりにあり、コンスタントに一定数の客は
入るものの、シェフ(雇われ)が最近ブレてきている。ひとつには、ウチは不幸なことに客に恵まれていない」と。
ほう。それはどういう意味で?と聞いた。近隣の同価格帯・同客層の同業ライバル店は私にいわせれば開業以来まったくブレていないように見えたから。
そこのシェフはもともと、火入れ・塩加減がものをいう迷いのないシンプルなローストなどが得意で、構成・皿数ともにシンプルなメニューを出していた。(開業して今年で10年弱。)
ところが、ここ近年の「今っぽい見た目重視・内容ニの次」の女性ウケ狙い料理の流行に流され、
チャコマカした8,9種類の得体の知れない前菜盛り合わせや、(本来シンプルな王道定番デセールのみ出していたのに)これまたチョビチョビした多種多量のミニャルディーズやアヴァン・デセールを粗製濫造するようになり、「明らかに一皿ごとの完成度が、この2年で皿数の増加に反比例して低くなった」。
無論それだけ皿数・品数が増えれば、一品あたりの原価率・かけられる時間と手間は低下する。よほど多くの厨房スタッフを抱えるか、あるいは価格を上げない限りそれは避けられない。よってかなり質の面では劣る魚介などをてんこ盛りにし、それがその店の今の客層にはウケるから、やめられなくなり堂々巡りになっているというのだ。
その一方で、昔からの常連は明らかに離れているという悩みを抱えているらしい。
オーナー氏は、大手コンサル会社A社(「ハイパフォーマンスの実現を」で有名)出身で、現在は自身が代表を務める不動産ビジネス会社や資産運用コンサルティングを本業としている。
「僕がコンサル時代に培った経験とノウハウを駆使して現状をアナライジングした結果、とどのつまり客層が悪いという結論に至った」そうだ。
ふーん。それって「アナライズ(分析)」じゃなくて、日本語で「責任転嫁」っていうんじゃないの?
前出の近隣競合他店を見よ。開業以来20年、変わらず、色あせず、媚びず、客を選ばず。でもそのライバル店は「うちは昔から、理解ある物事のよく分かったお客様に恵まれている」と
言っているし、現にメディアにはほとんど登場しないのに、常連の入りは引きも切らない。ほとんど同じ立地条件、客席数、価格帯、コンセプト、客層なのに、この違いは何か。
ズバリそれは、店側の姿勢である。
相談をもちかけたオーナー氏は「うちの客は目も舌も程度が低いから(←類は友を呼ぶ)、その手の見た目だましのちゃこまかした料理で喜ぶ。だから悪いと知りつつ、それをやめられない」。
「♪わかっちゃいるけどヤメラレナイ、ス〜イスイ・スッタカラッタ・スラスラスイスイス〜イ!」と歌いだしそうになっちゃったよ、私。
オーナー氏の言っていることはつまり、私に言わせればこういうこと。
オフィス街にあり商談や待ち合わせのビジネスマンをメイン・ターゲットとした喫茶店が、内心「小さなお子様ご勘弁」と思いつつ、店内にアンパンマンやポケモンの絵本を全巻揃え、
ファンシーなぬいぐるみで入り口を飾り、そのくせ「うちは意図する客層に恵まれない」と愚痴を言っているようなもの。
アナタが恵まれていないのは「客」ではなく、ご自身の発想と経営手腕ですよ!と言いそうになったが、私の出る幕ではないと察してグッとこらえた。
私はどうも、コンサル肌の人が苦手。結局難しいコンサル用語をふりかざしながら、一体、ことの本質を本人もどれだけ理解しているのだろうか?
シンク・タンクはあくまで「タンク」であって、発電所とは異なり、必要なもの(ソリューション)をゼロから創り出して提供するような人種ではないと私は思う。
私のような能力も脳力もない「頭の悪い人間」に言わせれば、真の賢者は、自身の知識を難しい言葉でカッコよく振りかざすことではなく、相手の理解・知能レベルに合わせて咀嚼し、的確に伝えることである。その良い例が、池上彰センセイだと思う。彼がテレビで言っていることは、すべてもう私がそれこそヨチヨチ歩きをしていた頃から父が私に話してくれていたことばかりで、内容自体は私にとって「今更テレビでわざわざいうほどのことでもないのに」と思うのだが、池上センセイのすばらしいところは、それを万人にわかりやすくかつ的確に伝えておられるということだ。
そこが(私にいわせれば)既存の(マニュアルとまでは言わなくても)「スキーム」だとかナントカに当てはめてもっともらしく(でも内容スカタン)おっしゃる、(すべてとは言わないが)大多数のコンサル諸氏の常套手段との違いである。結構なご身分だこと!コンサル、「Con(仏俗語で「野郎」)・猿」。笑
自分から相談を持ちかけておきながら、結局オーナー氏はご自身のお考えの正当性がゆるぎないことを改めて確信し、(頼みもしないのに)ご丁寧にも私の頭の悪さをご指摘くださった。
まあ、その調子で頑張ってください。
もう3年も前の秋にミラノのカフェ・バーで。現地在住フランス人の親友・Elsa(右)と。
そう、私のブログのニックネームも彼女の名前からとったのだ。
彼女と私は、双子かと思うくらい息がピッタリあう。
日本人でも私とこんなに以心伝心の親友はいないと思う。
彼女はパリ生まれ・パリ育ちだが、お母さんはイタリア出身(幼少時代にフランス移住)のため、かねてからの希望で数年前からミラノで仕事をし、今年はじめにイタリア人男性と結婚した。
私が仕事でシンガポールに住んでいたころ、彼女は当時フランスのグランゼコール(エリート養成学校)のシンガポール・サテライトキャンパスでメトリズ(修士課程)在学中で、共通の知人であったルノーのアジア・パシフィックGM(正式役職名失念)のムッシューの紹介で、在星フランス人コミュニティーのバンケットに招待された際に知り合った。
お互い普段は忙しく、今ではメールも月1,2回くらいだが、彼女が旅行しているとき、パリに帰省しているときは、
それを知らずとも私は彼女と、彼女の夫と3人でその国で会っている夢を見る。パリにいるときはパリで。
メールで聞くといつも「なんで行き先までわかったの!?」と驚かれる。
彼女も彼女で、私が以前大骨折で入院した際、私が怪我をした夢を見たと、心配して連絡をくれた。
何万マイルも離れて暮らしていて、今ではたまにしか会えないのに、お互いのことが見えてるし、わかってる。
久しぶりに(チャットやスカイプでなく)メールを打つと、偶然同じ瞬間に行き違うのだ。
育った国も環境も違うし、出会って5年もたたないのに、あるとき初めて彼女のミラノのアパートを訪ねた際、部屋に一枚だけ飾ってあった小さな絵を見て驚いた。というのも、私は壁にごちゃごちゃ絵やらポスターを飾るのは好きではないのだが(シンプル・清潔第一)、ただ一枚、東京の自宅で机の上に飾っていた小さな一枚の絵とまるっきり同じ画家(サルバドール・ダリ)の、それも数ある中から同じ絵(有名ではない作品)だったのだ!
何という偶然!
さて、写真の話題に移ろう。
トリノ、ミラノなど北イタリアでの「アペリティーヴォ」の時間(=ハッピーアワー)は大好き。
ドリンク1杯(4〜6ユーロ)注文すればおつまみ・フィンガーフード(結構キチンと作られている)食べ放題。
私はシラフ大統領だからレモネードで。ヨーロッパでは、ソフトドリンクやミネラルウォーターが、ワインより高いことはザラ。
それにしてもミラノもトリノも、北イタリアは経済的に南より豊かなのに、食べ物のCPは中部・南部よりむしろイイし、味のレベルも高い。
アペリティーヴォのバル文化を日本で流行らせてみたいな。
スペインのバルとはメニューもだいぶ違うし面白い。おいしかった店のレシピをいくつか
聞いてきてメモしたものを、たまに東京の自宅でも作る。
海外ひとり旅は10年以上前の10代半ばからしていたが、写真を撮るようになったのはここ1年。デジカメで国内旅行の写真を撮るようになってからはもう2年くらいになるけれど。
というのも基本、私は海外にはカメラは持参しない・
そのとき見たままを、感じたままを脳裏に焼き付けておきたいから。
忘れたら、実物をまた見に行けばいい話。
ガニ股で片目つぶってカメラのアングルに夢中になるより、レンズ越しではない、裸眼でその風景を見たいから。
写真で実物を厳密に記録するのは所詮無理。
この写真もわたしのカメラではなく。
左の黒いのが私、右が友人のElsa(本名)。
いつもはキャリアウーマンのバシッとしたスーツがお似合いの彼女だが、この日はリラックスモード。
こんな意外な所に、非凡な若き鬼才の店、現る!
私がもし赤本調査員なら、初年度からスコーン!と2ツ星以上は捧げたい。
なぜお店はもっと派手に宣伝しないのか?!
お店やメディアが宣伝しないなら、私が勝手に宣伝しよう!
だって皆、「メディアでおなじみ有名ランベリーのおまけのちょっと高めの片手間ティーサロン」くらいにしか思ってないのだから。
隣接ランベリーより客の入りが少ないのが不思議で仕方ない。
デセールは言うに及ばず、塩味の料理においてまで、その緻密で正確な味の着地点。
斬新かつ類を見ない発想ながら、単なるものめずらしさや華やかさで終わらない。
ピタッと決まる味。意図された非対称の、調和。
森田さんの料理とデセールを人間に例えると、今まで会ったことのない新人類だが、違和感や警戒心を与えることなく、こちらから身を乗り出してもっと知りたい、もっと見たい、もっと聞きたい!と思わせるタイプ。
「パティシエの本業に集中なさったほうがいいのでは」などと余計なことを思っていたのだが、食後には本当にそんなこと一時でも思ってゴメンナサイ、参りました!と言った。
別席の「私は普段絶対ほめない。以前デザートコースを出す別の店でマズすぎてキレて途中で店を出た
」と豪語していた女性も、食後に絶賛しておられた。
こちらは、ランベリーのパティシエ森田さんの「パティシエの切り口で見た、料理コース」のお店で、7月にオープン。ランベリーのコースでも森田さんのデセールはいただけるのだが、私の正直な感想を申し上げると、
先日のランベリーのコース(こちら)で出てきたアンポ柿のデセールを食べた際は、ごめんなさい、20点しか付けられませんでした。(本業に専念したほうがいい、と考えたのもそのため。)
ところが!!!こちらリベルターブルでいただいた同じ森田さんの料理は、デセールも含めてすべて非凡であった。
たとえ専業「料理人」の店でさえ、この手の今っぽい料理で私の心を虜(トリコ)ロールに出来る店は滅多にないというのに、まさかパティシエの料理コースで感動するとは。
なんだか絶賛するとサクラっぽくて自分でも嫌だが、でもそのくらい、少なくとも私が訪れた2回のコースの完成度はいずれも申し分なかった。
(私も毎日通っているわけではないので、ミシュランの好きな「ペルマノォ〜〜ンス=一貫性」については保証の限りではないが。)
お店の方は「塩味のバランスや、その時によってブレがあるんで、完成度はまだ30%くらいなんですけど・・・」とのことだが。
これで30%なんて、どれだけ非凡な逸材なのだろう。末恐ろしい。
ここで敢えて言う。私は20代女子にしては珍しく、甘いものに頓着が無い。美味しいものを出されれば食べるが、自ら強くは欲しない。
コンビニ新発売菓子にも興味ないし、デザートビュッフェなんぞ聞くだけで寒気がする。
完成度の鈍るものを多量に食べるより、卒倒するくらい秀逸なものをひとかけら食べたいタイプ。
(形式的な実況中継メールを日に20回もらうより、たまに会って本気で一言「愛してる」と言われたいね。笑
仕事中に女にメール打ってるような男は、要らネーゼな私)
こちらは、この数日前にすでに夜に一度お邪魔しており(その夜はうかつにもカメラなし)大変感銘を受けたため、今度はお昼にお邪魔した。
■写真の奥はノンアルコールドリンクで、スイスのGrapillon。
5種のフランス産ぶどうとスイス産1種、そこに炭酸水をブレンドしたものだと伺った。
ファンタグレープに毛がはえた程度かと思いきや、芳醇な味わい。美味。
以下、10月の内容
■アミューズ
手前から・・
◇ヴァニラのアイスのコロッケにマカデミアナッツ粉と塩
奇抜かと思いきや、塩と甘みのバランス良好。ただし口に運ぶ際にマカデミアがこぼれる。
レンゲ型スプーンにでも載せたらいいかもしれない。
◇(ヴェリーヌ)ジャガイモのエスプーマ
モサッと感がまったくなく、なめらかで爽やか。
◇唐辛子をきかせたフィユテ
個人的には辛味が少し強く感じたが、のんべえにはいいのかな?!
■Salade Gargouille
これがスペシャリテらしい。
多種の野菜と果物が、さまざまな調理法や状態で構成されている。
それも均一に散らばっているのではなく、敢えて意図された非対称な配置が、
口の中で合わさったときの味の要素とテクスチャーの調和、そして食後の余韻に至るまで、計算され尽くされている。
この手のサラダは、最近の今っぽい店であちこち出るけれど、国内で美味しいと思ったのは初めて。
ベラサテギやホセアン・アリハのレベルまではいかないものの、かなり近いところに来ていると思う。
今後さらなる頭角を現すかと思うと、非常に楽しみな人だ。
サラダの内容詳細は月により、日により微妙に変わるとのこと。
先日の夜にも出たが、今回のほうが味の調和がよい。
(前回の夜に入っていた、生のカリフラワーのクスクス仕立て?は青臭く不要だとおもったが、今回
は入っていなくて良かった。
上にのっているブイヨン・ド・レギュームの泡は、決して邪魔ではないが、必要不可欠な要素だとも思わない。
これが今後毎月だと飽きるかな・・・。月によっては隣のランベリー岸本シェフのビーツのソースを拝借して、泡かエスプーマにしても面白いかも。
玉ねぎのアイス。これも秀逸。野菜のアイスだと、昔ナルカミの葱のアイスとワッフルが美味しいと思ったけれど、こちらも大変すばらしい。玉ねぎのコクと塩味、甘み、香ばしさ、そこに僅かに入った焼きクレープのかけら仏語で言うCrepe dentelle)のテクスチャーが冴える。
トリュフと生クリームの白いムース。軽やかな酸が香る。トリュフの芳醇な味わい。
写真右奥の赤パプリカの甘酸っぱいコンディマンも量・味の加減ともに完璧。
老婆心からひとつ余計なことを言わせていただくと、泡の下のルッコラ、ベビーリーフは若干
大きく、一口でエレガントに食べるには少々難あり。個人的には白金のラシェリールのような配慮のあるサラダが理想的。
(詳しくはこちら。)
■フォアグラとショコラのテリーヌ
周囲には、コーヒーでゆでたタピオカ、オレンジのゼスト、黒コショウ、ピスタッシュ、ポワヴル・ロゼ、
レモンのゼストなど。
若干、苦味と、コショウ由来のピリピリ痺れる要素が強い気がする。酒飲みを意識してか?
テリーヌの周りにノワゼットのキャラメリゼがまぶしてある。
あえて言うと、ここに「酸」の要素が少しあると味がしまる気がする。
以前私がイタリアンのカステリーナで提案して新スペシャリテになったマルサラやヴィネガーを飴のかけらにして、ノワゼットのキャラメリゼと半々くらいで合わせたらどうかしら?
(詳しくは、こちら。)
フォアグラのコクって、酸味が少し加わることで輪郭が出ると思う。
フォアグラの質は、この価格帯コースでは真っ当。かなり真面目。
ただ、フォアグラに対してショコラが若干多すぎたかも。
フォアグラを増やせとは言わないので、ポーション少な目にしたとしてもショコラの割合を少し
減らすとよい気がする。あとショコラ自体も割と甘めなので、もう少しアメール(ビター)なほうが
よいかも知れない。(酒飲みを意識したとするなら、なおさら。)
■うずらの「ラケ」、ピオーネの5時間コンフィ、柿、白ワインとカルダモンのジュレ、シードルヴィネガーのキャラメリゼ
パリなどの中華料理屋で、いわゆる北京ダックのような表皮が甘辛パリパリの焼き物調理法を「ラケ」という。
フランス人の目で見たオリエンタル嗜好の「ラケ」をうまく表現している。
前回の夜でも同じものが出たが、今回のほうが完成度、ソースとのバランスが良い。
ただ、肉の中心部に(嗅覚過敏な私にとっては)若干、家禽特有の臭みを感じなくもない。
それこそ、お隣の岸本シェフのお好きな「下味のマリネ」をここに活かしてはいかがか。
(逆に岸本さんの料理におけるマリネは必要性を感じないのだけど・・・)
鶏やうずらの家禽類は2時間程度、塩、コショウでマリネをしたほうが味しみがよい。
逆にそれ以上置くと、塩の浸透圧で脱水状態になり肉がパサるので要注意。
香りが前面に出ないほどの極微量のショウガ、ニンニクもマリネに加えれば、臭みを消し風味もよくなるかと思う。
■モンブラン「リベルターブル」風
超非凡。アンジェリーナ、真っ青。
中が空洞の卵の殻状の焼きメレンゲの中は・・・・
手前のほうが半熟とろーりヴァニラのスポンジとクレーム・シャンティ
奥のほうがフランボワーズのソルベと栗のクリーム(つまり、栗ーム。笑)
■レモンのマカロン。中にはシェーブルのクリーム。
パートフィロ状のものは、ジャガイモ!
こんなに薄いのに、ほっとする大らかなジャガイモの味がする。
■10月のスペシャルデザート(夜のもの)
温かい栗のフォンダンショコラ、トリュフ入り(フレッシュ黒と、トリュフオイル白)ヴァニラアイス、
栗の粒入り冷たいクーリー(ダジャレじゃないよ)
フォンダンショコラ、アイス、クーリー。すべて味わいと温度の異なるものが口の中で
渾然一体となったときの完璧なバランス!!
全体にではなく、敢えて対角線上に非対称に配置したクロッカンなノワゼットのキャラメリゼ。
配置から口に入ったときの合計値まで、緻密に計算しつくされている。
最初に名前を聞いた時にぞっとしたのだが、食べた瞬間に、美味しすぎてある意味ふたたびぞっとした。
これ、私が審査員ならクープ・デュ・モンドで最高金賞差し上げたい。
今まで食べた幾多のデセールのなかで、私が生涯で一番感動した。
卒倒するかと思ったほど。お世辞抜きで。
これを通年スペシャリテにしてはいかがだろう?
これほどまでに温度差を堪能するデセールが作れるパティシエ・・・
私の知る限り、右に出るものはいないだろう。
日本、フランスのカリスマパティシエ(コンクール優勝・入賞者)でも、
大抵彼らのデセールは、テイクアウトやコンクール出品を想定し作られているため、
どうしても時間的耐久性を優先するものばかりで、この作品のようにまさに出来立て作りたてのもの
を味わうライブ感はない。
ヨロイヅカさんも、モンサンクレールの辻口さんのイートインでも、所詮はテイクアウトを想定し作られたものをその場でいただくだけ。
この森田さんの作品のように、店で食べる絶対意義があるデセール・・・・
こういう愉しみを教えてくれた店はパリにも無かった。(私の勉強不足かもしれないが)
素敵な出会いに感謝!
これからもその非凡な才能とセンスを活かし、さらに飛躍していただきたい。
■カプチーノとミニャルディーズ
左から・・・
◇コーヒーのポルボロン(発祥のスペインよりも、はるかにレベル高し)
◇パッションフルーツのアイス、チョコがけ
◇ルッコラ・セルバチカのフィナンシェ
◇四角いガレット・ブルトンヌ
近々、東急東横店での催事ほか、伊勢丹でクリスマスケーキ数十台を販売する予定だそうだけど、
彼の作品はお店で味わうほうが、その真価を余すところなく堪能できるはず。
気になる人は迷わずGO!(サクラかいな)
ここに写真はないけれど、先日の夜にいただいた10月のコースの「フォアグラのクレームブリュレ」
(サラダの後)も秀逸だった。こちらも通年スペシャリテにしてほしい。メニューが変わる前にもう一度食べたい!!
職種を問わず、なかなか世間に名前の出ない人には2通りあると思う。
1つ目は、単純に実力が無い人。これがほぼ9割9分。
もう1つは、その才能が非凡すぎるゆえ、それを受け止める側の感度が低すぎて真価を理解されない人。
(例えるなら、イチローの投げた球を、そんじょそこらのキャッチャーでは受け止められないということ。)
森田さんは明らかに後者だろう。
これだけ素晴らしいパティシエ(もはや料理人!?)なのだから、もっと皆に知ってほしい。
テーマ : こんなお店行きました
ジャンル : グルメ
こちらのお店も、そのひとつ。
私の場合、3〜4日以上フランス料理が切れると落ち着かない。
仮に1ヶ月以上フランス料理を断てと言われたら、それは私にとって死刑宣告されたも同然。
明日この世が終わるなら、最後の晩餐もやっぱりフランス料理。
Je ne pourrais pas vivre sans! (これなくして、我が人生なし)
京料亭?それもいいなあ・・・でもファイナルアンサー?と言われたら、やっぱりフランス料理。(非国民)。
当ブログで既に何度も登場、大塚の「ビストロ・ジュイエー」。
家からは不便なのに、毎月行ってしまう。
■アミューズ
イクラ(実はロシア語。知ってた?)、サーモン、チーズ、トマトのアッシェを挟んだフイユテ。
毎回、席につくと何も言わなくても出てくる、私の好みの配合指定サングリアと。
パイ生地まで無理して作らずに外注すれば・・・と思うレベルの店も少なくないなか、こちらは秀逸。
■前菜
シャラン鴨のコンフィ、じゃがいものドフィノワ風、レンズ豆のサラダ・ティエード
以前から何度もサーヴィスの篠田さんに薦められつつも、所詮コンフィとタカをくくっていた私。
皮はパリっと、すべて食べ終えるまでその食感を損なわず、
それでいてナイフを入れるとスッとホロッとしなやかに艶やかに身が外れる。パサりもなくジューシー。
この一見簡単そうに思える両立が完璧にできる店は、フランスでも日本でも意外に少ない。
コンフィの塩加減に関しては大塚という土地柄、中高年の地元常連を意識してか、日本人向け。
私の好みを察して別皿で塩を添えてくれた。
上に載ったアンディーヴのアセゾネも良好。ほどよい酸に、ほのかに香るのはクルミ油かな。
東洋軒時代の修業仲間の京都「ビストロ・ラマージュ」のシェフもクルミ油を隠し味に使ってましたね。
散らしたノワゼットのカリカリ感も素敵なアクセント。
レンズ豆も抜かりなく、ル・ピュイ産。
こちらのお店は、フランス産トランペット茸などきのこ類の質も素晴らしいと以前述べたが、
このル・ピュイのレンズ豆にしても「もしかして仕入先はフレンチF&B?」と伺ったところ、
ご名答!
(他方、レカンも多分そうだと思うけれど、ノーザンエクスプレスは肉は珍しいものもいち早く入れているけれど、あちらは
キノコ類がめっぽう弱い。香りがまったく違う)
最近、食材の産地や品種だけでなく、その味や質から、仕入れ業者までわかるようになってきた。
ただ業者に関してはまだまだ無知なため、最近は食材卸の商業見本市に度々出かけている。
私ももっと勉強しないと。
先日の見本市で、これイイ!と思ったピッツァ釜の値段を聞いたら「450万円から」。
ひょえ〜〜!!@0@
■本日のスープ
この日は寒かったのでミネストローネ。
シェフの若き日の勤務先であった帝国ホテルなど、上等なホテルのブレックファーストに出てきそうな、
目新しさこそないが基本に忠実に作られた真面目な味。
■肉料理
蝦夷鹿のフィレ肉、赤ワインソース
おすすめいただくも、こちらも「ケッ!(悪態。)自称・特上蝦夷鹿なんて散々食べたけれど、どれもこれも似たかよったかだわ」と
内心思いつつ、でもこちらのシェフの食材仕入れ・火入れ・ソースはいつも秀逸なので、一度くらい試しても
悪くないと思って挑戦。
本当にごめんなさい。私の今までの食べ歩き史上、鹿としては最高の肉質・火入れでした。
鹿1体から腕1本分くらいしか取れないという、フィレの部分でも特に上質なものをポワレしただけあり、
非常に繊細でしなやか、かつピシッと締りのある素晴らしい肉質。
昨今、道内で鹿が激増し価格も手頃になり、本州でもよく出回るが、他店のものとはひと味もふた味も違う。
何故かと聞いた。何でも、仲卸を通さず直接仕入れているというこちらの畜産農家「ハマナカ」さんは、もともと
上質な牛肉の飼育をしており、厳選した上質の草の生えた敷地内に、鹿があるときから乱入して住み着き、そのまま
その一流飼料を食べて育ったそうな。
それも偉そうに自慢タラタラ店が言ったのではなく、あまりに美味しくて食後に身を乗り出してシェフに聞いたら
教えてくださった(ウザイ客)。
ソースも申し分なし。赤ワインソースの味の中核に、鹿の芳醇でありながら洗練された旨みを感じた。
鹿を焼いたジュというより、なんかフォンに近いけれど、フォン・ド・ヴォーとは異なる。
こちらも後でシェフに聞いたところ、なんと贅沢にも鹿の端部分を大量に業者に分けてもらい、
丁寧にフォンをとってベースとしたらしい。強いて言うなら、フォン・ド・シェヴルイユとでも言うのだろうか?
ほのかに鼻腔に香るクローブ、コリアンドル(かしら?)、それにバターモンテも完璧。
しかしこちらのお店、ソースが本当に上手い。
コク深くたおやかで、それでいて引きがよく、軽やかな余韻。
よく「フレンチはもたれる。しつこい」という人がいるけれど、そういう人達はきっとフレンチではなく、
鍋が「振れんチ」シェフの粗悪品を食べたんじゃない?と思う。ソースのレデュイ時間端折りのために
やたらに砂糖やハチミツをぎとぎと加えたり、市販品のざらつきのあるフォンを使っていたり、フュメ・ド・ポワソンを翌日に持ち越して使っていたり、質も鮮度も劣るバターをいまいちな火加減でモンテして分離させてしまったため雑味が出たソースを。
本物のきちんとしたソースは、手間ひまかけ、微に入り細に入り抜かりが無い。よって雑味もしつこさもない。
芳しいまでにいとおしく、うっとりしてしまうのだ。こういうソースがきちんと作れるシェフが最近めっきり
減ってしまった。今っぽい手抜き料理を、ホストまがいの風貌のサーヴィスとシェフの演出でごまかし、女性にもてはやされる少し履き違えた昨今の東京のレストラン文化。(だいたい本当にオーヴンの前に真面目に立っているシェフなら、あんな額に汗ひとつ無い涼しげで爽やかな笑顔でお見送りなんて無理。)
私はまだ30歳に満たないが、すばらしいフランス料理の伝統技術が廃れつつあることは非常に嘆かわしい。
こういう真っ当なお店には長きに渡り頑張っていただきたい。
肉の下に敷かれたアンディーヴのエチュベ。
これも手抜き店ならバターでちゃちゃっとソテーしただけのものが多いなか、
フォン・ド・ヴォライユ、ごく少量の砂糖とバターで下煮してある。これは私も自宅でやる手法だが、
味つけ自体はほとんど感じないものの、このひと手間で風味がまったく別格となり、ソースや肉との境界線を
感じることなく、なめらかな一体感が生まれるのだ。
いつもながら、野菜のグレックが別添えなところも評価したい。「洋食」ではなく「フランス料理」としては、
(ティエードの前菜ならまだしも)メインの肉料理の皿の上に冷たい野菜が同載してあると私としては強い違和感を覚えるからだ。
一般的日本人はあまり気にしないかもしれないけれど、私、変わってるから。笑
■本日のデセールは、バナナの熱々グラタンにココナッツのアイスをのせて。
前回は夏のデセールに一言してしまったが、今回のこの一品はなかなか。冬の定番だというこの一品だが、
普段はヴァニラアイスのところ、以前私が褒めていたココナッツアイスをのせてくださった。
酸味そのものは感じない程度の適量なバルサミコをかけることで、最後まですっきりと飽きずにいただける。
バナーヌにヴァニーユにココ・・・仏領タヒチの香り。
■こちらも前回一言してしまった食後の飲み物。
昼はコーヒー(先日私が改善の余地ありと申し上げたもの)と紅茶のみだが、夜はこちらのエスプレッソも選択可能。これが思いのほか美味であった。
食後にシェフとお話した。先日私が、(肉質の硬い北海道産サフォーク種や、NZ産ではなく)ヨーロッパ産の乳飲み仔羊(アニョー・ド・レ)を熱烈リクエストしたことを覚えててくださり、色々調べてくださったそうな。すでにハンガリー産乳飲み仔羊を輸入し卸している(レカン、オストゥなど)前出業者ノーザンとは付き合いがないため、ニッチな別業者が最近新しく輸入をはじめた希少種で幻のオーストラリア産・ストレスフリーの酩酊仔羊「オーロラ・ラム」を来週から仕入れる予定だそう。
ただし原価2倍で要追加料金のため、経験値の低い一部のお客は価格だけ見て「高い」と文句を言うため価格設定が難しく、「味の違いのわかる一部のお客様にしかおすすめしない」とのこと。来週も行かなくちゃ。
台風の中、雨にも負ケズ、風にも負ケズ、店を後にした。
Arrosto di Maiale con Mele
豚肉とリンゴのロースト
これも他の料理同様、旧ブログ休止中つまり2,3年ほど前に撮った写真。
この料理は、いつだったか秋にトリノのとある総菜屋で見つけて買い、おいしかった料理を、
私なりに思い出しつつ再現したレシピ。
本式の作り方だと、生肉を塩漬けにし、さらに1時間以上じっくりオーブンでローストするので
トータル2時間以上かかるところ、私オリジナルの超・時短レシピなら、漬け込む時間はナシ、
それに火入れ時間も10分で完了。生の材料から写真の状態まで15分とかからない。
味はまったく遜色なく。う〜ん、ブォニッシモ!
ここにジュニパーベリー(ねずの実)があれば、申しブリア・サヴァランなのだけど、
手に入らなかった。
これらの「ショボくない黄金の時短レシピ集」を来年出版することになりそうな運び。
それにしても、私の痛(イタ)リア語。
10代のころはペラペラ、手紙もすらすら書けたのに、最近使う機会がなく鈍ってきた。
スペイン語は普段使わなくても、現地入りして2日目にはすぐ思い出してペラリンチョになるのだけど・・・。
読むとすれば、ノンフィクションや、サイエンス本(ただしUFOとかオカルト、新興宗教まがいのナントカの科学とかいったものは除く)、関心のある政治家、有名人、専門家の事実に基づく著書くらい。あとは国内外の一般向け・およびプロ向け料理月刊誌くらいかな。
漫画はどこからどうやって読めばいいかわからず、ストレスがたまるので読まない。
漫画が悪いという意味ではなく、私がその面白さを味わう感性をもち合わせていないだけ。
ファッション、恋愛、カルチャーいずれも同世代女性誌は、私にとってはつまらなくて仕方ない。
むしろオヤジ向けビジネス誌がけっこう好き。プレジデントとか。笑
(ただし同じオヤジ向け雑誌でも、他人の下世話ばかりのゴシップ系雑誌はアレルギーにつき、ダメ。)
「婚活」も、ファッションの「今年の流行」も、結局すべてメディアが意図して情報発信し、「乗り遅れちゃいけない!」と自称・流行に敏感な若い女性が、まんまとそれを追いかけ真似し、結果として「流行った」→「やっぱり世間はそういう方向に動いているのネ」→ヒトがヒトを呼びさらに真似する人が増えて、あたかも本当に流行しているかのように錯覚する(実際心底好きで追いかける人がいったいどれだけいるだろう?)・・・
戦前・戦中・戦後から今現在に至るまで、日本の純粋な国民は、いつもメディア(国)の情報操作にそうとは気付かず動かされていると常々思う。
何でも「右に倣え」。
「愛されOL」ファッション特集も「婚カツ」扇動も、結局は日本という国が、女性の社会進出を阻み、家庭に閉じ込めておきたいからなんでしょ?と懐疑的に思ってしまう私。
乗り遅れ心理を煽り、若い女性を結婚させる→ 厳しい雇用情勢の折、ある一定数の若い女性が家庭に入り求職者数が減ることで、(求人数自体は増えなくとも、数字の面では表面的には)有効求人倍率の改善 → (政治家は何の対策も講じないくせに)景気に回復の兆しが見えてきた、とのたまう。
ついでに婚活特需(出会いパーティー、勝負服購入、美容院、婚約指輪、結納、結婚式費用、ハネムーン、引き出物、新居・家具準備、結婚式参列者の衣服・美容院代など)で、ある一定のまとまったお金が動くわけで、これまた「消費回復」などと謳うのは想像に難くない。そんでもってバラまき「子供手当て」(年収100万円の子無し夫婦に手当てがなくて、年収1億円の子あり夫婦に支給される矛盾!どうせママさんランチに消えるのがオチ。だったら保育園待機児童ゼロをめざすとか、月謝の無料化を進めるとか、制度面で平等にバックアップすべき。本来の目的は親のおこづかいではなく、子供のためではないのか?一過性の支持率ほしさに血税をバラまく政治家は本当に困りものである。それは実際的な子育て支援の手立てではなく、ターゲットを選挙権を持つ親へ向けたことは明白だ。愛情あふれるご母堂からの「子供手当て」をたんまり貰っていた鳩山前首相の考えることはよくわからん。
世の中には奇特な方もおられるものだ。自慢ではないが事実、私は過去に付き合った人すべてにプロポーズされた。いずれも周囲大賛成の知性溢れるハンサムで社会的・経済的にもまともな方々ではあったものの、求婚されればされるほど、逆にますます生涯独身願望の強くなる一方の私である。更にこうも国を挙げて婚活扇動をされると、その意思はゆるぎないものとなる。今のところ優雅な生活とは無縁ながら、一人で何の不自由もない(少し前に失業したこと以外は)。
強がりでもなんでもなく、休日は一人でいるのが楽しくて仕方ない。
だって自分で働いて稼いだお金で誰の干渉も受けずに一人で自由に暮らし、旅行したり、レストラン行ったり、料理したり・・・私にとってこれ以上羽を伸ばせる環境はない。Viva 徹子!
私は、他人に不義理をしない範囲で「自由」を貫きたい。
「己の魂の叫ぶままに生きたい(by 杉本彩?!)」
自由と一口に言っても、私がここで言っているのは「リベルテ(精神の自由)」であり、
不特定多数の人と取っ替えひっかえ遊び回る「リベルティナージュ(不貞)」のことではない。
子供の頃、自分の親にさえ気を使って物音ひとつにもアンネ・フランクのようにビクビクし(私のためを思って叱るというより、私の存在否定発言を繰り返す単なる八つ当たり的な母の言動のせい)、学校ではイジメに遭い、自分の家ですら片時も心が休まることのなかった私にとって、小さいながらも誰の攻撃も干渉も受けない今の我が家(賃貸だけど)と一人暮らしを絶対に手放したくない。
この先もどんなに愛する人がいても結婚はしないつもり。
フランス人のような事実婚というわけではないし、意外に考えが古い私は、子供の頃は「結婚もしないでいい年して何十年も一緒にいる」本やヒトから見聞きしたフランス人カップルのような男女がならず者に思えて仕方なかったのだが、あるとき一家言あるといわんばかりのフランス人のオッサンがこう言っていた。
「籍を入れないことよりも、むしろ結婚という紙の上での形式的な絆に束縛され、とっくに愛情のなくなったはずの男女が一つ屋根の下で生活を続けることのほうがよっぽど人間としての道徳に反する」と。
いくら変わり者の私でもそこまでの悟りの境地には達しないとは思うが、世の中にはいろいろな考え方があるというものだ。
「結婚するもしないも本人の自由。親や他人がとやかく言うことではない」と私たち兄弟に昔から言っていた父に以前、「私、絶対結婚しないから。万が一100歩譲って仮に結婚したとしても、そのときはDINKS(Double Income No kids=共働き・子無し)だからそのつもりで!」と宣言したら、「なにも決め付けなくてもいいんじゃない・・・」と、♪ジジイがぼやいと〜る(痔にはポラギノール)。
小学生のころ、軍隊まがいの運動会の行進、(他の先進国ではありえない!)休み時間以外は炎天下で一滴の吸水も許されずに過酷な訓練を強いられる運動会の練習。北朝鮮でもアルマーニ(あるまいに)、指一本でも列からずれると先生が怒鳴る。
私は「軍隊みたいで人間的でない行事に参加したくない」と親に言い放ち、一度だけ運動会の朝に自宅の押入れに隠れてしまったことがあり(ドラえもん)、ご丁寧に家まで迎えに来た担任の先生からは「変な子」だといわれ、嫌がる手を無理やり力ずくでひっぱってまで、軍隊行進に強制連行されてしまった。ランチタイムを見計らって脱走兵と化した私。
私は盲目的な外国かぶれではないつもりだが、この話をフランスやシンガポールでした際、「変なのはあなたじゃなくて、その先生とその当時の学校だよ」と誰しも皆、口を揃えて言っていた。
はたして今の小学校事情がどのようなものなのか知らないが、私がもし子供を持ったとしたら(基本的には持たない方針)、日本の学校には通わせたくない。別に子供をバイリンガルにしたいとは全く思っていないが(むしろ母国語をまともに話せるように育てることが最優先。私の親も、私が中学入学までは英語ほか外国語を習いたいと私が言っても「新聞の漢字・語彙が辞書なしですべて理解できるまでは中途半端に外国語を勉強するとどっちつかずになるからダメ!」と禁止した)、画一的で軍隊的、違い(個性・人種・外見・障害)に不寛容な学校教育を受けさせたところで、果たして将来、社会的・身体的に[Challenged]な人のことを慮ることのできる大人になるとは到底思えないのだ。
道徳の時間でお仕着せで教わった「教科書どおりの思いやり」より、自分の心からの思い。これが肝心なのでは?
自分の上司のためならドアを押さえてあげるのに、休日に出かけた街なかで足の弱いおばあさんが歩いていても、道を譲るどころか我先にと、その女性を押しのけるように通り過ぎる光景が日常的に目に付くのも、日本くらいなものだろう。仕事では非凡なまでに細やかで気の利く抜かりのない誠実な日本人なのに、こと日常となると、いきなりヒューマニティに欠けた行動とのギャップは一体、何なのか。
だいたいシルバーシートと書かないとゆずらない(書いても譲らない?)のも日本だけ。
8月のとある平日の昼間、炎天下でぶっ倒れていた35歳位のスーツ姿のサラリーマンがいた。(酔っ払いではない)
品川駅ビル前ということもあり、すでに黒山の人だかりができており、救急車の到着を待っていた様だった。
まず第一に、人がうつぶせに倒れいていたら仰向けにし、ネクタイやベルトなど締め付けるものをはずし、窒息しないように気道を確保するのは常識中の常識。こんな当たり前のことは、小学生の頃に教わった。
ただ私はやせ型の女性で、他方倒れていた男性は(たるみはなく引き締まった筋肉質だったが)かなりの大柄。
とうてい私一人では起こせないので、野次馬の一人でそのビルの警備員の男性に協力を求めたところ、何もせず「大丈夫ですかあ?さわらないほうがいいんじゃないですかあ?」というだけ。
本来なら若い女性が白昼堂々、横たわっている男性のベルト(→下着までは下げないよ!笑)も首元のシャツのボタンを緩めるのも相当恥ずかしいことだが(遠目に見たら「昼間から猟奇的なオンナ」にしか見えなかっただろう。笑)、もう考えてる場合ではない!救急隊到着までの4分が勝負と聞くし、脳が酸欠になるとその後も後遺症が残るのも常識だもの。私、ひとりでやりましたよ。誰も手伝ってくれないから。
そうしたら少しして、その男性がまだ呼びかけに反応はないものの呼吸再開。到着した救急隊員にも「そうしてくださってよかったですよ、ありがとうございます」と言われた。
しっかしねえ・・・こういう状況下で何もしないで「大丈夫ですかあ〜?」と眺めているのは世界広しとはいえど日本人くらいでは? 心配だけなら、サルでもできる!!
本来、細やかな気遣いができる民族なのに、モッタイナイ。
恥ずかしいから・・・というのも分からなくもないけれど、緊急時にそんなことは言っている場合ではない。
先に体が動くのが人間だと思うのだけど。(そういう事言うと、理性に欠けるとか言われちゃうかな?)
いいさ、je vais mon chemin(我が道を行く)…
夜のコースは、Menu BEAUTE(12,600円、サ料別途)、Menu PASSION(15,750円、同左)の2種。
この日は、Menu PASSIONで。
内容はこちら ↓
■ローズの香りをほのかにきかせたシャンパーニュのカクテル
いつか一度は言ってみたいひとこと。
「君の瞳に、カンパーニュ(田舎)!」=3
百年の恋も冷めちゃうね。
普段私は酒を口にした途端味覚がブレるので、それでは真剣に料理をつくってくれた人に
失礼なため(料理そのものを味わいたいときは)シラフ大統領なのだが(店にとってはゴミ客)、
これは非常に繊細で美味しくいただいた。悪酔いもなく。
■アミューズ・ブーシュ
手前から・・・・
◇トマトのエスプーマ:岸本氏は「軽やかな酸味使い・でしゃばらない甘み使い」が得意ですね。
適度な酸味は唾液を促し、食欲増進にもよし。
◇シャンピニオンのデュクセル:トマトのエスプーマ同様、先日の昼と同じなので詳述省略。
◇クリのコロッケ
◇蟹脚の蕪包み
アミューズ全体を通して。トマトのエスプーマ以外、口中の水分を奪われるものが3品続くのはいかがか。
ピエール・ガニェール(過去記事カテゴリ参照)もそうだったが、4品は多すぎ。アミューズはあくまで物足りない、
もうちょっと食べたいな・・・位が妥当だと思う。シェフのサーヴィス精神からだとは思うけれどね。
2品くらいがちょうど良いのでは。
■さらにアミューズ
柿、カブ、柑橘のジュレ
やはり苦味強し。空腹時はただでさえ胃が苦い胃液で満たされているので、
コース最初にあまり強い苦味を持ってこないほうが無難な気がする。
■前菜1(スペシャリテとのことなので、下のコースと差し替えてもらった)
野菜のテリーヌ
うまい・不味いではなく、苦味の要素が突出している。グリーンペッパーが強すぎ、せっかくそれぞれ
別の火入れで下ごしらえした(シェフのご苦労お察しします)野菜の魅力を、アセゾネひとつで半減
させてしまっている。また、苦味以外の要素、具体的には甘み・酸味の要素が足りない。そしてグルタミン酸
系統の、舌にじわじわと訴える繊細ながらも奥行きある旨みが足りない。トマトのコンカッセかドゥミ・セック
などを加えてはいかがだろう。あるいは、テリーヌのゼリー地を野菜のブイヨンではなく、ジュ・ド・オマール、
あるいはトマト・クラリフィエ(トマトをミキサーにかけ一晩漉して抽出した透明のエキス)、
または同店で頻繁に使うラングスティーヌの頭や殻の廃棄部分でフォンを取り、活用してはいかがだろう?
(←余計なお世話。)野菜本来のやさしい風味をいかしつつも、味わいに輪郭が出るのではなかろうか。
また添えるソースとして、例えばシャンパン・ヴィネガーなどでも良いかもしれない。繊細な野菜の風味
を損なうことなく、華やかさとキレのある軽やかな酸味が合うと思うのだが。
あと周囲に巻いたリボン状のキャベツ。びよーんと長くて非常に食べにくい。私のような不器用な客にとっては。
同じリボン状でも長さを短くしてツギハギにしては?(また余計なお世話。)
サラダひとつでも客がエレガントに食べられるように切り方、盛り方を工夫している店もある。
(具体例:白金のラシェリールのサラダ。当ブログ過去記事カテゴリ「ラシェリール」参照)
■前菜2
マリネし炙り焼きにした鯖、ドライトマトで巻いた帆立のムース
批判ではなく、単純に鯖をマリネした意図はなんだろうかと疑問に思った。何を目指しているのか
よく見えてこない。ドライトマトで帆立のムースを巻いた物。これはおそらくスペインのバスクあたりで
赤ピーマンをグリルし皮を剥いた物の中に魚介のムースを詰めたタパス「Pimientos Rellenos」にインスピレー
ションを受けたと察するが、鯖とあわせる必要性があるのか疑問。現地でも単一で食べるのが普通。
また、ドライトマトのツギハギは鯖とともに口に運ぶ際、中の柔らかいムースが空中分解して食べにくい。どうしても帆立のムースを何かで
巻きたいのなら、一枚でつながった状態のトマトまたは赤ピーマンのほうがよいと思う。
(逆に前出テリーヌの場合、ゼリーでしっかり固まっているので、キャベツはツギハギのほうが食べやすいが)
この料理の構成として、味の支柱が多すぎる。鯖、帆立、トマトとそれぞれ強い旨みを持つものが3つ、
しかも多種のコンディマンを添えると、逆に何にピントを当てたのか分かりづらくなる。結果として
(味の濃淡ではなく)料理としての残像が残らない。
鯖のポーションも(腹のすき具合の問題ではなく)2皿目の前菜という位置づけとしては
これだけ大きい必要はないと思う。
■いちじくのベニエ、ビーツと梅酒のソース、豚バラのチップス
これは非常に完成度高し。先日昼に来た際の、豚のローストに添えられたビーツと梅酒のソース
とは味わい・粘度ともに異なる。しかし、こちらのほうが味のバランス、ソースとしての役割
いずれも緻密に計算されている。申しブリア・サヴァラン。笑
ただ、ほんのりアクセントという位置づけであるならば、豚バラはここまでの量はいらない。
このイチジクのベニエの量に対しては、豚バラはこの1/4程度の量で十分だと思う。一口大にして
ベニエの上に突き刺してもよいかも。
■小甘鯛の炭火焼き、いろいろな茸、クリ、空芯菜のつぼみ(だっけ?)牛乳の泡
今度は前出の鯖とは逆に、味の中核となる要素がまったくない。塩の濃淡の問題ではなく。
この料理だったら、私の行きつけのある店(ブログ未登場)のシェフのあの皿を食べれば、何か見えてくるものが
ある気がするのだけど・・。あのシェフと交流を持つ事は色々な意味で有益なことだと思う。
よければ紹介しますよ、蒋介石(笑)。常連だし。(←頼んでませんって!)
■肉
手前が岩手産・短角牛グリルの上に、ブール・エスカルゴの小松菜ファルシ
奥が北海道産・乳飲み仔牛のブレゼの上に同仔牛のゴルジュ(のどの辺りの部分)
まず手前の短角牛。かなり硬い脂身がその1/3以上を占め、ラギオールのクトー(ナイフ)ですら
クロー(苦労)。私の皿がたまたまこうだったのか、いつもこうなのかは知らない。しかし、
筋切り(ou 叩き),肉の柵取りの仕方(繊維の方向)については今後の課題。
あと岩手の短角牛はそもそも赤身が美味しい肉であって、ロスビフや、生でのタルタルでこそ真価を
発揮する食材だと私個人としては思う。脂身を味わう類のものではないと。
小松菜のファルシとの組み合わせ、それに皿の奥の乳飲み仔牛のブレゼ&ゴルジュとの取り合わせ
と、その存在意義不明。ただしこちらに関しては、何が余計で何が足りないか、また具体的な改善策を
今の段階では提案するに至らないため、コメントは差し控えたい。
ただ皿として、私自身は「おいしい」とは思わなかった。ゴメン。
■フロマージュ(コース外)
知っているものばかりだが、店のアフィネ技術の度量を知りたく食べてみた
左から・・・
◇ロックフォール
◇スイス産 Mont d'or (フランスだけでなくスイスでも作ってたのね。
規定の厳しいスイスではフランスと違い無菌乳しか使わないらしい)
◇伊ロンバルディア産Rossini(青カビの周囲にVin Santoの葡萄搾りかすを塗し熟成)
◇コンテ 18mois
20代後半にしてすでにヨーロッパチーズ歴15年以上のチーズおたくの私の結論。
アフィネ具合については要勉強ですな。こちらの現在の仕入先は知らないけれど、
以下おすすめチーズ店2軒。試す価値あり。
1)プランタン銀座地下の(2つあるチーズ店のうち、ワインショップ内の)「アロマッシモ」
仏で102年の歴史をもつ熟成士によるチーズ。パリ3ツ星レストラン顧客多数。
高いが都内で買えるものの中では右に出るもの無しの抜群の味・アフィネ加減。
2) EATALY 代官山。(詳細についてはこちら)。
特にタレッジオDOPなどの風味は格別。「イタリアのチーズは平板」という先入観を覆す。
味本位でも選びたい質のものばかりであるのに、申し訳なくなるくらい安い。こちらも要チェック。
(←我ながらお節介にも度が過ぎる!)
■ライチ風味のソルベと白桃、エスプレット唐辛子風味
岸本氏はソルベにおける味の引き出し方が上手いと思う。ライチをかじった瞬間にあふれ出すような
フレッシュ感あふれる芳醇な香りが素晴らしい。しかし(また余計な一言ながら)ここに唐辛子
は本当に必要だろうか。この前にすでに肉料理(持続性のある辛味の黒コショウ)、そして同じく
持続性のあるチーズの塩味・(青カビ)のピリリとした刺激的な風味が続いているところに、さらに唐辛子
というのはいささかパンチが強すぎると思う。確かにこのエスプレット唐辛子自体の単体としての
辛味の引きは早いのだが、この前の2皿の口直しという役割としては不要な要素だったかも知れない。
ソルベ自体は悪くなかっただけに、惜しい。
■デセール(本来はアンポ柿だったのだが、先日と重複するため差し替え)
移転前からの岸本氏のスペシャリテ、アーモンドのブランマンジェ。
奥は口直しのバジルのソルベとフルーツのモザイク仕立て
まずブランマンジェ。どういうわけかスペイン・カタルーニャ地方〜バレアレス諸島あたりの
夏の飲み物「オルチャータ」(カヤツリ草の根をつぶした植物性ミルク。悪いが垢抜けない)を
思い起こさせた。アーモンドミルクが固体と液体2種でひとつなのだが、どうも飽きる。
味の強弱の問題ではなく。いってみれば、アイスが溶けたアイスの上に浮いているような印象。
ただブランマンジェ(固体のほう)の舌触り、滑らかさは申し分ないだけにもったいない。
輪郭の出し方として提案したいのは、例えばここに同じアーモンド由来でありながら対極的
かつ華やかでアーモンドの風味を引き立て補完する要素として、杏仁霜(よく香港スイーツに使用)をごく少々と、
アマレット(またはDisaronno) を隠し味程度に加えてはいかがだろうか。もちろん、杏仁霜そのもの
の味は前面に出ないごく少量であることが大前提。でなきゃ杏仁豆腐になっちゃうからね。
アーモンド粉のこっくりとした風味の中に杏仁霜が爽やかさとジューシーさを添え、イタリア洋酒が芳醇さと
華やぎを添えると思う。(←勝手にレシピ介入しないでください!!)
バジルのソルベ。申し分なし。バジルは強いて言えば苦手なほうなのだが、美味しいと思ったのは
10年前、生意気にも10代の小娘の分際でパリで当時うちから徒歩圏にあったアルページュ(★3 au
guide Michelin)で食べたバジルのソルベ以来。これは素晴らしい。非の打ち所なし。
■写真はないけれど、最後にミニャルディーズ7〜8種と、食後の飲み物
■その他、全体を通して感じたこと■
1) 苦味の引き出し方が強すぎる傾向がある。苦味が、それを取り合わせる素材とぶつかっている。
どういうわけか、まったく別の店なのに、ラ・ロシェル南青山店(過去記事カテゴリ参照)と
味の引き出し方における弱点のイメージが非常に重なる。もしかして過去にどこかで接点あった?と
思うのは私の気のせいか。
2) 尖りのない繊細な酸味・甘みの引き出し方が上手い
アミューズ・ブーシュのエスプーマ、それといちじくのベニエに添えたビーツのソース。
ビーツのソースにしても、何かこうしたコースにいくつか散らばるキラ星のようなパーツを
うまく構成させていけば、今後岸本氏の料理はさらに向上していくと思う。
課題は全体としての構成。まず皿の上での構成。パーツがよくても、コーディネイトがいまいちだと
もったいない。これによく似ているのが原宿の東郷神社裏の「レストランI」(今年1月訪問)。
次に、コースの流れとしての構成。
3) 重箱の隅をつつくようで恐縮だが、パンに添えたバターの供し方。ジャガイモのシャトー剥き
のようなラグビーボール状にくり抜いたものを、ガラスの平らな皿に置いている。確かに見た目
は綺麗だが、時間とともにバターが溶け出し回転し、バターナイフで切るときに何度となく滑り落ちる。
氷上のスケート靴のごとく。これは要検討かも。
4) 量の問題。これは満腹度としての量ではなく、味覚の面での量について。食べ物には、
一口だけにとどめることでその魅力を感じるものと、ある一定量食べることでより美味しさを
感じるもの、二通りあると思う。その辺りの適量の見極め・バランス感覚は重要。
量によって同じものでも味に対する印象は大きく異なるから、無碍にはできない。
◆その他諸々…
残酷な言い方をすれば、今のランベリーの料理そのものは、(夜の場合)価
格に見合う価値は見いだせません。少なくとも今のままでは。岸本さんはパーツとし
ては良いものをたくさんもっているのに、皿の上での構成と、コースとしての流れの
構成。こちらを今後改良すれば、その真価を発揮することでしょう。ただひとつ言え
るのは、客層をみていると、おおむね連れと幸せな食事の時間を過ごし、気持ちよく
店を去っていくーこれは大切ですし、これからも大切にしていただきたいです。レス
トランというのは皿の上の料理だけがすべてではありません。どんなに完成度が高い
料理でも、不愉快な気分になったり、店の押し付けがましい態度で連れとの会話が邪
魔されるようであったはならないからです。そういう意味においては、ランベリーは
「客の幸せな時間のすばらしい演出家」。
ラールエラマニエールのように「店がその場の主役」とならないところが、当たり前
だけどランベリーはきちんとふまえておられます。
先日のランベリーでの食事中、私は非常に難しい顔をしていたかもしれません。帰り
にご挨拶の時に岸本さんのお顔が若干ひきつっている印象を受けたからです。でもそ
れはまずかったからではなく、パーツとしてキラリと光る非凡な部分も少なくないの
に、食後に味の残像が残らない(単に塩の濃淡ではなく)ー何が過不足しているのか
、どうすれば味の輪郭がでるのか、これからの彼の課題は何か、そしてその解決策は
・・などなど考えていたためです。
彼も一生懸命作ってくださったから、こちらも真剣に味わって、分析して、その答え
を考えていたのです。これだけは岸本さんにお伝えいただきたいです。
今の岸本さんは、「力強い作風の絵が得意な画家が、モネのようなやわらかい作風の
絵を無理に描き、しかもサイズのあわない額に押し込んでいる」ような気がします。
彼は非常によいものをもっているのに、それをうまくいかしきれていない。何かつま
らない呪縛にとらわれている気がします。とくにミシュラン受けを意識した呪縛に。
おそらく岸本さんご自身が、それを一番よくわかっていらっしゃることでしょう。
今非常に葛藤をお抱えになっているのでは・・・?よけいなお世話か。
東京23区内とはにわかに信じがたい都心からの乗車時間と駅からの距離だが、時折通わずに入られない、私が一番好きな店である。
ポップなど一般的な人気歌謡曲ばかり聴いていた親に反して、小さいころから今に至るまでヨーロッパのクラシックが大好きな私。その私が小学生時代毎朝学校に行く前に聴いていた「美しく青きドナウ(An der shonen Blauen Donau)」の交響曲を、高校生の時初めて本場ウィーンのオペラ座で聴いた瞬間に等しいくらい、体じゅうが震えあがるくらいの感動がこのレストランにはあるのだ。そう。音の分子が空気を伝わって、その振動が体の細胞の隅々まで響き渡り、心臓を直接ビートしたかと思うくらい感動し、涙が溢れて震えがとまらなくなったあの瞬間のように。
都内で今のところ、私が膝ガクガク・背筋ゾクゾクするくらい、料理でしびれるフレンチはここだけ。サーヴィスでなら、アピシウス、コートドール、少し若い所だとラリアンス(ただし最終訪問は2年前。最近は知らずジロウ)などもあるのだが。
実は今回の写真は8月中旬訪問時のもの。書きたいネタが多すぎて、アップが今さらになってしまった。
8月の昼コース。前菜差し替えをお願いし若干追加料金あり。税サ込みで7,040円なり。
ここは多種のミニャルディーズやアミューズなどはなく、「価格に対しての品数=CP」という純粋な発想の方々には「高い」と文句をつけられそうだが、「あなたには、その価値があるから」(by.川原亜矢子)。
私が国内外いろいろ食べ歩いた末、この価格帯でここまでの原価率と手間をかけている店はそうそう滅多にないといえる。それもコダワリを押し付けるタイプの店ではなく、何も言わずにサッと出された皿でいつも衝撃を受け、こちらから色々聞いた末にやはり想像していたとおりの抜かりない仕事の裏側が垣間見えるという、見かけだましではない「論より証拠」の本物の贅がここにはある。
■前菜1
かぶのバヴァロワ、ヴァニラの香り、ウニ(この日は厚岸産)、グリンピースのクーリ、じゅんさいのジュレ
ヴァニーユの香りが前面に出ないところが、逆によい。おそらく塩コショウのアセゾネだけではボヤけがちなカブの味を、カブ自体の繊細な風味を邪魔することなく輪郭を引き立たせるものは何か・・と考えた末の取り合わせであろう。じゅんさいも下処理が丁寧で、後味の引きもよく、ベタな和風ふれんちにならないところが良い。
高床式(?)の器の底には、庭の青モミジ。ああ、美しきかな実相院の床紅葉・・・。
■自家製パンとディップ(詳細は同店過去記事参照。こちら)
■前菜2
フォアグラのポワレ、金沢八景産アナゴ、トマト・バルサミコソース
フォアグラ。この厚み、この弾力、このしなやかさ、この旨み。これは絶対、冷凍ものではないことは一目(一味?)瞭然。それもカットタイプではなく、塊のまま仕入れたに違いない、でなければこれほどまでの風味を空輸後にもなお留めておくことは不可能だ。食後に聞いたら、やはり、Rougieの仏ペリゴール産の生のフォアグラ(塊キロ売り)をアルカンから仕入れているそうだ。翌日速攻、高島屋のアルカンで個人でも入手可能か聞いた。予約の上なら可能だそうだ。ただしキロ単位のみ。ついでに値段も聞いたところ、さまざまな産地・ランクがある中で、これはかなり上等な部類で1.2万円/Kgだそうだ。この厚みから察するに、一皿100g〜120gは下らないので(私は食材の分量をはかりなしで肉眼でかなり正確に見抜ける)、相当な原価率。頭が下がる思いである。それを偉そうに自慢せずさり気なく、しかも絶妙な火入れ(ジュスト・キュイ!)とソースで供せるのだから、素晴らしい。きっとフォアグラも食材冥利に尽きるだろう。
それにまた、このアナゴ。こんなにムッチリ肉厚でオンクトゥーでクレミュ〜なものは初めて。うなぎの如く脂もしたたるいい女、それでいてヌメリやアクはなく、鱧のようにふくよかでふっくらとしながら、しっかり締まるところは締まる。骨切りも秀逸。そこらへんの駆け出しの和食料理人も、ここに見習いにきてはいかがだろう!
ソースも、いわゆるバルサミコの安さと煮詰め時間端折りをゴマかすためにハチミツをぎとぎと加えた安っぽいものではなく、フォンを丁寧に取るところから始まり、レデュイも丁寧に抜かりなく。これほどまでの甘み・酸味・コクがありながら、キレがよい。上等なバルサミコ・トラディチオナーレ(*注釈)を惜しみなく使っているであろうことは、聞かずともすぐに分かった。
*ちょっとウンチク。(注釈:巷にあふれる大多数のバルサミコは、熟成3〜5年以下で、味と色、風味の薄さをごまかすためにカラメル色素などを添加している。他方、中世のイタリア・モデナ周辺の貴族のためにもともとは作られるようになり、現在でも伝統的な製法を厳密に守り大切に作られているものをイタリア語でAceto di Balsamico Tradizione(伝統バルサミコ)という。熟成は10年以上、その間何度も段階に応じて異なる材質の樽に詰め替え、手間も時間もコストもかかる貴重なもの)
ここから先の青字部分は自分用備忘メモ。
Sauce:Madere reduit a 1/2, ajouter Balsamique et F.d.Veau;
reduire de nouveau a 1/2; des de tomates pelees/denoyautees
■肉
NZ産子羊のロティ、無花果とヴィネガーのソース、野菜のトリアングル、生イチジク&ミント
ここのシェフの皿にはいつも華やかで珍しい多種の野菜(30種くらい?)がてんこ盛りなのだが、ヨソの見かけだましの今っぽい料理とは一線を画し、こちらのシェフの皿の上には何一つとして無意味なものは載っていない。意味のないゴテ塗り厚化粧は一切なく、その香り、食感、歯ざわり、味、食後の余韻に至るまで、すべての要素が、完璧な交響楽団のパートとして過不足なく機能している。いつもその天性のセンスに驚かされる。
この日珍しかったのはソウメン南瓜。見たことはあったのだけど、フレンチでは初めて。
また見慣れたオクラも、生産効率優先の昨今は栽培農家がめっきり減ってしまった「丸オクラ」。切り口が星型ではなく、丸い。お店の人は何も自慢らしいことは言わないけれど、これ、少し前に都内のデパートの贈答用高級野菜コーナーで見たものだ。
フレンチやイタリアンにはオクラは不向き!というのが私のいままでの持論だったのだが、その天才的なブランシールのテクでもって、なめらかさは残しつつも、いやな糸をひかない。(逆に和食にはその粘りが合うのだが)
聞けば海水ほどしっかり塩を利かせた湯(3%)で2分ほどブランシールしたとか。マルク・ヴェイラほかフランス三ツ星店(どうでもよい)でのキャリア豊富なこちらのシェフだが、イタリア・ミラノ三ツ星「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」でも経験がある。(あちらから言ったのではなく、専門誌のシェフプロフィールより)
このしょっぱい湯で野菜を下ゆでする手法は「〜(野菜名)nell'Acqua marina :海水茹で」と言い、イタリアには根付いた手法のひとつ。ただの塗り重ねではなく、必要に応じて適材(適法?)適所の要素をうまく融合させる、経験と確かな感性に裏づけされたセンス。これこそが、コンフュージョンではなく、フュージョンたる所以だ。
肉自体の火入れは平均的なものではあったが、ソースに火を入れたイチジクとヴィネガー、ガルニチュールには生のイチジクにミントを合わせ、これがまた新鮮かつ合点のいく絶妙なる美味であった。いちじくは種が苦手で嫌いだったのだが、これほどまでにしなやかにトロリと熟していながら、種のベチョベチョ感がみじんもなく、シルキーな上等のモモのようですらあった。
■デセール
オレンジとパッションフルーツのケーキ、葛パートの詰まったシガール、ピュミロールのひまわりの花クリスタリゼ
どこの店でどのような形で出ても「かえるの卵にしか見えない」と私が思っていて、そのきつい酸味とあいまって避けていたパッションフルーツだが、このシェフの手にかかると不思議とおいしく仕上がるからスゴイ。種も通常のものよりかなり小さめ(ゴマ粒大)でしかも種の味のエグみがない。いや、むしろ、そのプチプチ感と香ばしさ、ほのかな甘さまでもが、表面の砂糖とあいまって、本当にクレームブリュレの表面ぱりぱりにキャラメリゼされたカソナードのよう。うますぎる!
脇役のジュレほか、ハーブ使いも秀逸。いわゆるミントです、タイムですといった想像の範囲の風味ではなく、知っているハーブも、見慣れぬハーブも、その絶妙な取り合わせと量で得もいえぬ驚きをいつも覚える。それでいて難しい理屈抜きで、五臓六腑に素直においしくスッと入る。
こちらのシェフ、それこそデセールのクープ・デュ・モンドに出ればいいのに。
一時期いろいろ試してみたけれど、都内のほとんどの優勝/受賞パティシエのデセールでもここまで感動させられる、心が震えるデセールを作れる人を私は知らない。
■シェフのお心遣いでミニャルディーズ
モモのパート・ジュレと、ショコラ&シャルトリューズのタルトレット
普通に見えて、超非凡。
その職種が何であれ、人を感動させることのできる仕事人を、私は心から尊敬する。最高の敬意を表したい。
もう30年以上も前、父が結婚前に母を連れて勝負デートによく利用していた店。
私ももう15年ほど前に祖母と一度来たが、それ以来ご無沙汰していた。
結論。30年前はいざ知らず、都内に廉価優良フレンチ店が星の数ほどある今の時代、いささか名前と立地に♪「アグラ・牧〜場」!サーヴィスも以前よりかなり若年化しているが、同価格帯近隣老舗フレンチとしては、私自身は日比谷アピシウスのほうがはるかに居心地も良く、料理の満足度も高い。こちらレカンのサーヴィス陣は知識もアピシウスよりはるかに乏しく、その割には客を値踏みしている雰囲気丸出し。威圧感でもって、自らの無知ぶりをひた隠しているのだろうか。
アピシウスのサーヴィス陣はまさに、熟練のなせる洗練。いかなるアクシデントがあろうとも動じずスマートに軽やかに。こちらがこそばゆくなるくらいよく気が利くのに、なぜかとてもリラックスできる。知識も豊富で、立て板に水のごとく、フランス料理・文化、フランス料理史について精通している。何があってもそつなくこなす、有能な年配執事のよう。
他方レカンは、今日のカルトの料理の付けあわせすら知らないし、また調べようともしない。本日のおすすめは何かと聞いても、「まあランチですから」と。そりゃディナーと同じスペシャリテを出せとはいわないけれど、6000円なら6000円、8000円なら8000円を、客が満足して気持ちよく出せるような料理やサーヴィスを提供しようという気概に欠けている。確かにレカンは内装は赤・黒・金銀とゴージャスで、同伴や接待など社用客、勝負デート客のための演出には良いかもしれないけれど、アピシウスのような「ああ、やっぱりフレンチっていいなあ・・・」としみじみ惚れ直す(プロポーズ・アゲイン。By.寺尾聡のCM)ような店とは言い難い。例えるなら、アピシウスは背後からフェレ・マルティネスかヴァンサン・ペレーズのような甘いマスクの男性が、耳元にふっと優しく息を吹きかけて何かをささやくような、とろけて酔ってしまうような空気がある。(そんな変態給仕はいないが。)まさに、フランス料理は芸術であることを再認識させられる。滑らかでしなやかな曲線美のバレエのよう。一方、こちらレカンは、機械じかけの人形。想定外の事態が起きれば即、動きが止まる。ブチッと。カタッと。
大きな不満はなかったけれど、また足を運びたいと思わせる要素が、少なくとも私にとっては無かった。
昼コースは3種あり、品数によって値段は異なるが、料理の選択肢は(特別コースを除き)すべて同じ。
私は、アミューズ、前菜、メイン1品、デセールのコースにした。税・サ込みで6000円弱。お冷は頼まずともすべてのターブルに出てきたが、私にとっては(少し高めの有料水を頼まなくてはいけなくても)やっぱり総合的にはアピシウスの満足度のほうが高し。アピシウスも料理と自分の嗜好性とのコンセンサスは完璧に一致するというわけではないのだが、あそこには、あそこにしかない、ゆるぎないものがある。(しつこいなあ・・・)
■アミューズ(写真撮り忘れ)
キューヴ形のサーモンのミ・キュイ、クスクスの土台と、カレー風味のアイヨリ
■前菜
蝦夷鹿のテリーヌ、カンバーランドソース
クランベリー、グリオット、ポルト、オレンジのソース。
テリーヌ自体はともかくとして、ガルニチュールの野菜のグレック、特にカリフラワーが美味だった。ほのかに香るコリアンドル(粒)が良し。
■メイン
和牛のロティ、赤ワインとトランペット茸のソース
肉自体の個体としは、かなり上等。がしかし、リソレが不十分。シュエよろしく水分が出て、レデュイの足りない間の抜けたソースとあいまって、エッジがきいていない。塩の濃淡ではなく、意図せぬぼかしが出ている。トランペットの質も、ソースの仕込みの丁寧度も、これより安価な大塚「ビストロ・ジュイエー」のマンガリッツァ豚に添えられたもの(過去記事参照。カテゴリ内)のほうが、はるかに上。まあ、ここは銀座一等地だから、食材より場所代にお金をかけているのだろう。
東京がフレンチ未開の地だった40年前はいざ知らず、今この時代においては、同価格帯で比較した場合、一流店で修業をつんだ腕のいいシェフが、地の利のあるとはいえない地代の安い場所に開いた店のほうが、料理そのものとしてはレベルが高いことは冷静に考えれば(考えなくても)わかること。我ながら今日は冴えていなかった・・・。
■ラギオール、全身シルバーコーティング編。
いつも君のボディラインにメロメロさッ。
■シャリオ・ドゥ・デセール(ワゴンデザート)とミニャルディーズ、エスプレッソ
オペラくらいかな。美味しかったのは。
アピシウスのように、食後もその余韻を愉しむような優美な雰囲気もなければ、うっとりと見入るほど鮮やかな青空の映えるユトリロの絵なども無く、さっさとラディッションを頼んで、アデュ!
9月上旬にまた訪問するも、雑事にかまけて今頃アップ。
2ヶ月ほど前に父と別の店で食事した際に、父がKY発言を人目も構わず大きな声でしたのが大変頭にきて、メールも返さず無視を決め込んでいた。そしたらある土曜の朝、突然訪ねてきた。「おー!生きてるかあーーーーッ!?」と。同じ都内に住みながらも別々に暮らし、よほどのことがないと外で会うわたしたち父子。
私は起きたばかりで寝ぼけ眼でスネをぶつけ、間抜けな顔で部屋でのたうち回っていたら、突然インターフォンが鳴った。食事でも行こうということになり、土日でも当日流しで入れそうな店ということで、こちらに。うちからは少し不便なんだけどね。
一番上のランチコース。追加料金もふくめてドリンク別で、5000円強だったかな。
■前回と同じアミューズの和牛カルパッチョ(説明は前回記事参照)
■穴子のかりっと焼き、生姜がほのかに香るソース(勝手に命名)
■前回も堪能したガスパチョ(説明は前回したので省略)
■オマール海老の焦がしバターソース
ブール・ノワゼットを想像していたら、エシャロットが入ったソースで少し甘さが気になった。
こちらのシェフは肉のほうが得意そうだ。
■豚バラ肉のかりっとスパイス焼き、赤ワインソース
きみまろ。「奥さんあなたは薔薇です!バラです!!三段腹です!」
→どうでもよい。
いわゆるフランスで豚バラをかりかりに焼いた料理「リヨン」のように固くはなく、
また豚角煮のようなもろさもない。
ソフトでふっくらしていながら、外側に薄くパリッパリの層ができている。
長崎の上等な卓袱料理コースのトンポーロー、あるいは上海の一流店の「壇肉」のよう。
スパイスはでしゃばらず、ほのかに香る。
付け合わせとの相性が少々微妙だが、ソースはまあ好みの仕上がり。
■デセールはいつも固定。
この日はレンス豆とパンナコッタ、抹茶のソース。この日は暑くコーヒーか紅茶(いずれもホットのみ)どちらにするか真剣に悩んでいたら(「アンニュイ」像の図。笑)、給仕さんが「特別なものがあるんですヨ」と含み笑いをしながら台湾の文山ウーロン茶をすすめてくださった。
うーん。応援しているからこそ、あえて悪者になる覚悟でよけいな一言。お力あるシェフのこと、デセールもうすこし頑張ってほしい。(種類はふやさなくても問題なし)奇をてらわなくて結構なので、なにかスペシェリテがあるとなおよいと思う。強いていえば、以前いただいたココナツのアイスはなかなか秀逸であった。ただし、ほかの要素との相性がいまひとつだった。
飲み物。ホットのみなのは私は気にならないが、もうすこしコーヒー、紅茶ともに気合いを入れていただきたい。申し訳ないけれど、今のままではマックの100円コーヒー以下。安くてもよい豆は探せばいくらでもあるので、ぜひここはひとつ、研究してみては。
父チョイスの魚と肉。
■本日の魚(すずき)とモンサンミッシェル産のムール貝
小さい頃ですら、皿からのお裾分け/チェンジは御法度と厳しかった父。
がしかし、この日はかなりゆるーモードだったのか?「ほれ、○○(私)。ムール大好きで、フランスに訪ねていったときも、レストランで夢中になって食べてたよなあ。お父さん、小粒の貝はいらないから、あげるよ。(→大きいことはいいことだ、というのはもう古い!)」と私の皿にのせてくれた。
美味。やっぱりムールは仏産またはベルギー産に限る。濃厚で甘みがあって、ジューシーでクリーミィ。
NZ産, 国産(愛知ほか)、韓国産のものは味が薄い。
ああ.. mon amour(モナムール:私の愛しいもの/人)
モナムール、Mon aMOULES!!
(解説: amour 愛と、moule(s)ムール貝をかけてみた!!)
私は仏語、英語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語ほかアジア言語数カ国語でだじゃれがいえる。
何の役にも立たないが、旅先で人を笑わせられると、雰囲気が和む。
■和牛のロースト
3年前にオープン以来ミシュラン一つ星を獲得、いったん改装休業ののち、今年6月に再開したフレンチの店。
比較的若い女性に人気な昨今できた「今っぽい、芯のない見かけだましのフレンチ」を想像していたので、なかなか行く勇気が起こらずも、なおも気になっていた店。
たまには固定概念を払拭し思い切ったことをするのも、新たな出会いや発見、感動にめぐり合うチャンスかも!と思い、今更ながら初訪問。7月に電話を入れた際は、数日先まで予約で満席だったのだが、この日は当日電話でOKだった。
結論としては、料理・サービス・雰囲気ともに思いのほか真っ当な優良店で、(今の状態でもそつはないのだが)これからのますますの発展を心から応援したくなる店だった。
昼はおまかせ1コースのみ。税・サ込で5,775円。
この価格帯でここ3年以内にできた、似たコンセプトのフレンチ(南青山「フロリレージュ」、銀座「ラール・エ・ラ・マニエール」ほか都内数店)の中では一番、料理の完成度の高さも、本気度も、快適度も高かった。少なくとも私にとっては。
昼の「ムニュ・パッション(情熱のコース)」内容はこちら。
■アミューズ
いわゆる「とりあえずお茶をにごす」レベルではなく、最初から期待感の高まる味。
手前:トマトのムース
甘さと酸味のバランスが良い。非常にみずみずしく凝縮した味わい。フルーツトマトと思いきや、
普通のトマトを煮詰め、シェリーヴィネガーで酸を補い、はちみつ、生クリームを少々。マズカルポーネチーズのようなコクすらを感じさせつつも、引きがよい。
奥:シャンピニオンとエシャロットのデュクセルをサンド。
美味。
■築地に通うシェフの、海の幸の前菜盛り合わせ
奥左から時計回りに・・・
◇北海道産・地はまぐりのセビーチェ仕立て
セビーチェはもともと中南米の魚介のマリネ(酢、レモン、コリアンダーの葉)だが、こちらではポシェしたハマグリを柑橘系のジュースに浮かべたもの。ハマグリの身がふっくら大ぶりで、甘み豊かなジュが口の中でほとばしる。かんきつ果汁の苦みが個人的には強く感じたが、ハマグリ自体は素晴らしい品質。
◇サーモンとマスタード風味のじゃがいものタルタル
◇たこのマリネ、たこ吸盤をサクッとかるくフライにして煮詰めたバルサミコでさっと和えたもの
吸盤の仕立てが素晴らしい。サクッとしたかと思うと、しなやかに(歯に引っかからず)消えていく食感。
バルサミコの煮詰め加減もよい。
◇アワビ、長いもと岩のりのソース
この価格設定でアワビを使うのはやはり無理があるのかもしれない。
少々外側の硬さが気になった。個人的感想としては、もう少し手近な旬の食材でもランクの高いものを使ったほうが、少ないコストでより高い質の食材を提供できるのでは・・といったところだが、やはり「5000円台でアワビ」と喜ぶお客さんもおられるとのこと。その辺は、個人的好みによるものなので仕方ない。
◇カニ、赤パプリカのムース(手前)
前菜5種としては、とくに問題はなく、丁寧に作られているのだが、飾り用に添えられたワカメの磯の香りがややきつく感じた。これは文句を言っているのではなく、せっかくの繊細な味わいの珠玉の前菜の数々の香りを妨げている気がして勿体ないと思った。(ワカメは嫌いではないのだけど、ここには不要だと感じた)
■かぼちゃのニョッキ(というよりはピュレのような滑らかさ)、NZ産ラングスティーヌ、キノコのソテー。
ラングスティーヌの身がこんなに太っているのは初めて見た。(メタボ・エビ。笑)かといって大味にならず、適度なしまりとしなやかさ、濃厚なうまみとたおやかで優美な甘み・・・。ため息がでそう。ソースは牛とラングスティーヌの殻と頭を入れて煮込んだフォンにクリームを合わせてモンテしたもの。素晴らしい香りと風味。ローズマリー、赤しそと、いずれも清涼感のあるすっきりした味わいながら似て異なる2種を重ねることで、香りが増幅される。美味。皿を舐めつくしたいくらい。(←やめてください!笑)
■沖縄産・純朴豚のロティ
奥に添えられたのは、サトイモ。これが今っぽい中途半端な「和風ふれんち」にならないところがよい。
その絶妙な火入れと味付け(上に乗っているのはチーズパン粉かな。エシャロットのようなうまみも感じた気がしたのだけど)で、外側は粉ふきいものようにホクホクと、内側は甘くないスイートポテトのようにしっとりと滑らかに。粘りや筋は一切なく。シェフが火入れや素材の活かし方に、細部に及んで心を砕いておられるであろうことは、何も言われなかったが、十分に理解できた。
ソースも3種を取り合わせることで、その酸味、甘み、香り、そしてマスタードリーフと生のオニオンのトランシェの小気味良いほろ苦さとの重層で、食べ進むうちにも飽きることなく、グラデーションを描くようなストロークであった。
沖縄や鹿児島の豚の脂のパンチはやや強い気もするのだが(岩手産・岩中豚の脂のほうが、より繊細)、これはあくまで個人の嗜好の問題であって、ソースとの合わせ方、ガルニ、火入れ加減ともに完成度はなかなかのもの。ただ、まだ成長ののりしろはある気がする。
■デセール
柿三昧。ヌガーグラッセのクレープ包み、レモンバームのジュレ。
ここに少し、シナモンでもふりかけたら、良いアクセントになるかもしれない。
以前、別の店(日本料理)で、柿を二つ割りにし、断面をさっとキャラメリゼ(クレームブリュレのようにカリッとパリッと)して冷やしたものの表面にシナモンを少しかけたものが絶妙であった。この店とは、ミシュ★2の料亭「赤寶亭」のこと。(料理いまいち。松葉ガニの脚など、切りも調理もなにもしないものだけが美味しかった。手をかければかけるだけ、「普通の奥さんの手料理」風になっていくコースだった。飲み物別の特上コース3万円弱。昨年末のこと。)
あと韓国の伝統甘味の「水晶果」という、柿、なつめ、砂糖、シナモンをシロップを煮だして漉し、冷やした飲み物にも通じる発想かな。
■カプチーノ
カップはヘレンドですね(ハンガリー)。
ほかのテーブルにもすべて食後の飲み物が出てスタッフの皆さんお手すきのようだったので、ソムリエ笹倉さんとレストラン談義に花が咲き、別のセルヴール(の雨傘・・・ではなく「給仕さん」の意)がおかわりまで持ってきてくださった。今度はウェッジウッド。
ミニャルディーズは左から順に・・・・
ピスターシュのヌガ、いちじくのクグロフ、フランボワーズのギモーヴ
おみや(さん。渡辺恒彦)笑
料理、サービス、雰囲気ともに、「ラール・エ・ラ・マニエール」と一見似ていそうだが、実際は全く違う。
かくも似た食材、アプローチでも(詳しくは過去記事カテゴリの「ラール・エ・ラ・マニエール」参照)、シェフとサービススタッフの焦点の当て位置・目指すもの・力量により、ここまで差がつくとは。
こちらランベリーの皆さんは、なによりもお客さんに幸せを提供することに喜びとやりがいを見出す方々。皆さんとても細やかでよく気がつくのに、押しつけや気疲れをまったくこちらには与えない。空気が読める。そして非常に生き生きと、さわやかで、よいお顔でお仕事をされている。
それが結果に自然に結びついている。
(やはりこれからのレストラン産業においては日本もフランス同様、週休2日は必須だろう。インプット&アウトプットには不可欠。こちらの店も週2休。ただし今月は試験的に、一部日曜も営業とのこと。
たとえば、お隣のご婦人がたがお話に興じておられる最中にデセールが到着した際も、説明で会話を遮らず、黙って静かにサッと皿をテーブルに置き、一歩下がって静かに待ち、会話が一息ついた絶妙のタイミングでさりげなく軽やかに、控えめに、春風のごとくデセールの説明を一言にとどめて去っていく。
心を煩わされることなく、各人が心おきなくくつろげる。目の前に立って気を使わせたりしない。でもよく気がつく。こういうことができる店は意外に少ない。
日比谷のアピシウスや神楽坂のラリアンスほどの大箱のサーヴィスの洗練とまではいかないが、ここには心からの、紋切りではないもてなしを随所に感じた。ここなら何時、誰と、どんなシチュエーションで来ても、まず不愉快な思いをせずにすむであろうと確信した。
非常に幸せな時間を提供していただいた。お料理、サーヴィスともに。
みなさん、本当に素敵な午餐のひとときを、ありがとうございました。
また明日からも頑張る元気をいただきました。
またお邪魔させていただきます。
Lomo Salteado
ペルー定番料理/牛肉とトマト、玉ねぎのソテー
これもフライパン一つでさっとできるレシピ。
牛肉と野菜を、醤油と酢でいためたところに、フライドポテトを載せたもの。
ペルーは、大航海時代の宗主国スペインや、日本や中国、アジア各国からの食文化の影響と、地元の古来からの食材と調味料の融合された料理も少なくない。
おかずと白いごはんの組み合わせや、醤油を使うことも一般的である。
また、フィリピンなどもそうだが、かつて大航海時代にスペインの支配下にあった国に共通しているのは、
酢と醤油の組み合わせ。フィリピンでは「アドボン」と呼ばれる手法だ。
料理のグロバリゼーションは、かなり昔から進んでいたのねえ..
Paprikás csirke
鶏肉のパプリカソース煮込み
「今日は列車でウィーンからブタペストへやってきました。」(by世界の車窓から?!)
ハンガリーは意外と日本では知られていない。
ボールペンもキュービック(私の出生前)も、パソコンも、もとはハンガリー生まれ。
ハンガリーは「アジアの飛び石」ともいわれ、かつてアジア遊牧民がたどり着いたとする説もある。
ハンガリー語はなんと、日本語と同じ属性の「ウラル・アルタイック言語」。
ヨーロッパでは非常に珍しい。
(ほかに韓国語、モンゴル語、トルコ語、フィンランド語も)
ハンガリー語はさすがに私もお手上げだが、言われてみれば語順や単語の発想がなぜか日本語と共通点が多い気もする。なんとなくだけど。
数年前にハンガリー大使館の要望で都内にできた、ちょっとお上品なハンガリーレストラン「トカイ」もあるけれど、私は10代のころからの旅行で現地の人々が日常的に食べている料理にむしろ惹かれた。
でも日本ではなかなか外ではありつけないので、これもやはり自分で作るしかない。
これもいつもの私の時短オリジナルレシピ。通常1時間以上かかるところ、生の肉と野菜を冷蔵庫から出して完成まで10分!でも本当に思い出の味になった。
たまに質問をいただくのだが、ここに断言。
私は圧力鍋は、もっていません!!
つまり私のブログの「時短レシピ」は、すべてアナログで原始的な作り方で「10分」ということです。
昔ためしに圧力鍋を買ってみたところ、使い方がよくわからず中身ごと爆発し、おぞましい事態になった。もう生涯買う勇気はない。本当に機械音痴なのだ。
仕事の関係でシンガポールへ引っ越したとき、日本から炊飯器を持参し変圧プラグを差し込んで使用した際も、ボンッ!というすさまじい爆発音とともにぶっ壊れた。志村けんの浦島太郎のコントよろしく、眉毛も髪の毛もハゲ・・・・はしなかったが。笑
そもそも大きな負荷のかかるW数の多い家電を変圧プラグにつなぐ自体、我ながらマヌケである。
そのわりには、壊れた冷蔵庫もレンジも自分で修理してしまう、器用貧乏の私。
世界ご飯紀行、明日はどこへ行こうかな?
とはいっても、明日以降、今週はお仕事の依頼をたくさんいただき、しばらくは公私ともに1日2食〜3食は外食になりそう。うれしい悲鳴である。