現在位置:
  1. asahi.com
  2. 社説

社説

Astandなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)

2011年1月18日(火)付

印刷

このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

統一地方選へ―失政のツケ払うのは住民

この春、統一地方選がある。東京都をはじめ13知事選と、大阪府を含む44道府県議選などが4月10日に投開票される。24日には各地の市区町村長、議員選がある。[記事全文]

チュニジア政変―強権支配、市民が倒した

北アフリカのチュニジアで23年間、政権を率いていたベンアリ大統領が、政府批判デモの中、国外に脱出した。政変と言っても、民主化の指導者がいるわけでも、市民の代表がいるわけ[記事全文]

統一地方選へ―失政のツケ払うのは住民

 この春、統一地方選がある。

 東京都をはじめ13知事選と、大阪府を含む44道府県議選などが4月10日に投開票される。24日には各地の市区町村長、議員選がある。

 市町村合併などで選挙日がずれ、統一率は過去最低の28%台だが、全国で1千を超す選挙がある。ほとんどの有権者に投票の機会がめぐってくる。

 いまの地方政治には、かつてない特徴がある。首長と議会が激突する構図が広がっていることだ。

 折しも、きのう名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票が告示された。市長が旗を振って36万人を超す署名を集め、自分の公約の恒久減税を拒んだ議会を解散させようとしている。

 一昨日には、議会との対立が長引いて、住民投票で解職させられた鹿児島県阿久根市長の出直し選挙もあった。議会を無視した前市長は敗れたが、来月には議会解散をめぐる住民投票があり、住民は改めて議会と向き合う。

 ふたつの事例は「首長VS.議会」の過激な展開を見せつけている。どちらも底流には、議会を邪魔もの扱いする市長の強引さと、特権にあぐらをかき、民意を代弁しているように見えない議会に対する住民の不信感がある。

 こうした議会批判はあちこちで起きており、統一地方選では議員の定数や報酬の削減を公約する首長候補者が続出しそうな気配すら漂う。

 大阪府の橋下徹知事も議会への不満が根強い。みずからが代表の地域政党で府議会や大阪、堺両市議会の過半数をめざす手法は、旧来の議会に向かって、かかってこいよと言わんばかりの「ケンカ民主主義」といえる。

 議論で妥協点を探れないなら、選挙で一気に決着をつけるしか道はない。こんな政治手法をどう評価するのか。それも統一地方選の焦点になる。

 それぞれ選挙で選ばれる二元代表制のもとで、首長と議会はどんな関係にあるべきなのか。大阪や名古屋、阿久根での衝突は、「首長VS.議会」のあり方を考えるための好材料になる。

 その際に、欠かせない視点が住民の役割だ。首長の追認機関のような議会が当たり前のようにあったのは、住民の議会に対する関心があまりに低かったからにほかならない。

 地方政治と国政の大きな違いは、自治の現場では住民が直接、首長の解職や議会の解散までも住民投票で決められることだ。自治体は本来、首長と議会、住民の直接参加という三つの緊張関係で動かすものなのだ。

 だから、北海道夕張市のように財政が破綻(はたん)すれば、負担は住民にのしかかる。主権者である住民は投票権を持つとともに、失政のツケを払う責任も背負わされているのだ。

 この現実を胸に刻んで、首長や議員を選びに行こう。

検索フォーム

チュニジア政変―強権支配、市民が倒した

 北アフリカのチュニジアで23年間、政権を率いていたベンアリ大統領が、政府批判デモの中、国外に脱出した。

 政変と言っても、民主化の指導者がいるわけでも、市民の代表がいるわけでもない。しかし、強権支配に対する民衆の怒りが噴き出した。

 発足する新政権の第一の任務は、強権支配の清算と、民主主義の実現である。できるだけ早い時期に、すべての政治勢力が力をあわせて総選挙をし、民意を問う必要がある。

 そうしなければ、事態は収まらないだろう。求められているのは、民意にたった再出発である。緊急事態を引き継いだ首相も暫定大統領も、そのことを明確に認識する必要がある。

 チュニジアは地中海を背景にした世界的なカルタゴの遺跡が有名で、紛争やテロがはびこる中東では、政治的にも安定している国と見られてきた。

 イスラム教徒が大半の国でありながら、一夫多妻制を廃止し、女性の社会進出を進めるなど、欧米寄りの近代化政策をとった。

 ところが、1月になって失業対策や政権の腐敗に抗議する市民のデモに警官隊が発砲し、多くの死者がでた。穏健な外面の裏に隠されていた警察国家の顔が、市民の怒りを引き出した。

 人権を抑圧してきた実態は、これまでもアムネスティ・インターナショナルなど国際的な人権団体から繰り返し指摘されてきたことだった。

 議会は大統領の与党が牛耳って、批判勢力は排除されていた。秘密警察を操り、とくに2001年の米同時多発テロの後は「反テロ法」を作って、野党政治家や人権活動家、ジャーナリストらを拘束してきた。

 都市と農村の格差は広がり、失業率は15%に迫った。なかでも大卒者の失業は20%を超えた。それなのに大統領の一族は優遇され、手広くビジネスをしているという批判が強かった。

 唐突ともいえる政権崩壊は、近代化の裏で民主化を無視し、強引な支配を続けた政府への国民の不満と怒りが燃え上がったものだ。

 チュニジア政変の教訓は、長年、この国の体制を支えてきた欧米、日本にも反省を迫っている。

 日本政府は80年代から定期的に二国間の合同委員会を開催し、経済協力などを協議してきた。友好国として、人権や民主化について賢い忠告をすることはできなかったのだろうか。

 強権体制は、中東・北アフリカ諸国に広がり、さらには世界中にある。

 今回の政変ではデモに参加した市民がインターネットで情報を交換して、大きなうねりが生まれたとされる。

 反政府勢力や指導者を権力で排除して政治を思い通りにできた時代は、終わりが見えてきた。大衆を侮らない政治が求められている。

検索フォーム

PR情報