アリゾナ州乱射事件はどのような他山の石と見るかが問われる
2007年4月16日というと、もう4年近く前になる。米国バージニア工科大学で23歳の在米韓国人大学生・趙承熙がインターネットで購入した銃で乱射事件を起こした。学生と教職員32人は射殺された。なぜこのような事件が起こったのか。日本では銃社会の米国が悪いのだという論調で終わった。銃がなければ銃乱射事件は起こらない。それはそう。
米国では、共和党のジュリアーニ前ニューヨーク市長を例外とすれば、普通そうは考えられていない。彼ですら、為政者の体験から治安について言及しているのであって、銃保有の権利は認めることを強調している。共和党員だからということではない。護憲主義なのである。
民主党の当時上院議員だったヒラリー・クリントン氏も、かつては銃規制を主張していたが、この事件では銃規制の問題とはせず、警察官増員や若者への雇用を与える経済活性化を論じた。同じく民主党の上院議員だったバラク・オバマ氏も銃密売を問題視するだけだった。なぜか。
あの時、彼らは大統領選挙戦にあり、銃規制の議論は票にならないどころか、票を減らしかねなかったからだろう。いずれ米国では共和党も民主党も銃規制の面で実質的な差はないことがよくわかる事件でもあったし、政局がこうした言論を実質統制してしまうご都合主義を垣間見た。
では、この乱射事件はどう見るべきか?
米国では乱射事件は珍しいことでもなかった。前年の2006年には8件、2007年は7件発生した。この年の12月5日にはブラスカ州オマハのショッピングセンターで19歳の少年がライフル銃を乱射し、買い物客らが8人射殺された。続く10日はコロラド州デンバーの宣教師教育施設で、宿泊を断られた青年が乱射し、3人が射殺された。2009年11月にはテキサス州の陸軍基地内で軍医が乱射事件を起こした。13人が射殺された。
2007年に乱射事件を起こした趙容疑者の話に戻ろう。
何が原因だったのか。当のバージニア大学が報告書をまとめたが、そこで調査委員会の8人の理事は、大学当局が趙容疑者の精神疾患に適切な対処をしていなかったと指摘した(参照)。若者特有の精神疾患が直接的な背景にあった。つまり、若者の精神疾患による事件であった。
だが、別の見方ができるのかもしれない。趙容疑者は事件前にメディアの犯行予告のビデオを送っていた。そこで本人が犯行の理由をこう説明していた(参照YouTube)。
お前たちは俺の心を破壊し、魂をレイプし良心を焼いた。それはお前たちによって希望を失われた哀れな一人の少年の人生だ。感謝する。俺はキリストのように死に弱く日力な人々の世代から世代へ霊感を与える。モーゼのように俺は産みを開き人々を導く。か弱く無防備で無垢な全ての年齢の子供達を導く。
侮辱され十字架に釘付けされる気持ちがわかるか?
自身を苦難のキリストに例える思想が読み取れる。
では、この乱射事件をもたらしたのはキリスト教という宗教、あるいはキリスト教が伝えんとする思想なのだろうか。あるいは、そのような言論なのだろうか。
まさか。
やはりただの若者の精神疾患だろう。
さて、1月8日にアリゾナ州トゥーソンのショッピングモールで起きた乱射事件はどうだっただろうか。
民主党の下院議員・ガブリエル・ギフォーズさんの集会で、22歳の青年が銃を乱射し、63歳の連邦判事や9歳の少女を含む6人が射殺され、13人が重軽傷を負った。ギフォーズ議員は頭を撃たれた。青年はジャレッド・ロフナー容疑者である。
この事件の真相は現状でもよくわからない。だが翌日付のワシントンポストはこう論じた。「Questions about mental illness, access to guns follow Arizona shooting」(参照)より。
THE SHOOTING in Arizona, which left six people dead and gravely injured Democratic Rep. Gabrielle Giffords, is a horrifying tragedy. The temptation will be, as Arizona and the nation mourn the dead and hope for the recovery of the wounded, to infuse the terrible attack with broader political meaning - to blame the actions of the alleged 22-year-old gunman, Jared Lee Loughner, on a vitriolic political culture laced with violent metaphors and ugly attacks on opponents. Maybe.6人の死者を出しガブリエル・ギフォーズ下院議員に重傷を負わせたアリゾナ州の乱射事件は恐るべき悲劇である。だからアリゾナ州とこの国が死者を悼み、重傷者の回復を願いながら、22歳の射撃手ジャレッド・ロフナー容疑者の行為を責めるために、この恐るべき攻撃には深い政治的な意味があるのだと思いたくなる誘惑もあるだろう。暴力的な比喩と敵に向けた醜い攻撃を伴う辛辣な政治的言論の文化が元になっているのだと。そうかもしれない(Maybe)。
But metaphors don't kill people - guns kill people. Politicians should choose their words with care and keep debate civil, but it seems an unsupported leap to blame either the political climate or any particular individual or group for inciting the gunman. The suspect appears to be a disturbed young man with no coherent political philosophy.
しかし、隠喩は人々を殺さない。殺すのは銃である。政治家は注意して言葉を選び、市民と討論すべきであるが、政治文化や特定の個人、射撃手をけしかける団体などを責めるというのは、話が飛びすぎていて納得しがたい。この容疑者についていえば、精神疾患(disturbed)を持ち、なんら一貫した政治思想のない若者のようだ。
政治言論の修辞が暴力的な言動の背景にあるかといえば、Maybe(そうかもね)、というくらいであり、言論と実際の暴力とは異なる。そして、今回の乱射事件の容疑者も精神疾患を持っていたようだ。
ワシントンポスト社説がデマでも言っているのだろうか。
11日付けニューヨークタイムズ社説「An Assault on Everyone’s Safety」(参照)もそう見ている。
The Glock 19 is a semiautomatic pistol so reliable that it is used by thousands of law enforcement agencies around the world, including the New York Police Department, to protect the police and the public. On Saturday, in Tucson, it became an instrument of carnage for two preventable reasons: It had an oversize ammunition clip that was once restricted by federal law and still should be; and it was fired by a disturbed man who should never have been able to purchase it legally.グロック19は信頼に足る半自動拳銃であるから、ニューヨーク警察を含め、世界中、数千の警察機関が、警察と公衆を守るために使用している。だが土曜日、ツーソンでは、それが虐殺の道具となった。だがこれは2つの理由で防げた。1つは、弾倉サイズが大きすぎることから、連邦法で規制されたことがあり、今でもそうすべきだということ。もう1つは、乱射は法的には購入が許されない精神疾患者であったことだ。
つまり、銃規制ではなく、このグロッグ19という弾倉サイズの大きな銃は規制されてしかるべきだということ、青年は精神疾患者であるがゆえに銃保持が認められるべきではなかったということだ。
問題は、精神疾患者の管理ということになる。
先のワシントンポスト社説はこうも主張していた。
The episode also underscores the importance of providing mental health services and finding some mechanism for keeping track of individuals who might be a danger to the community, consistent with civil liberties protections.今回の事例が強調することは、精神面での健康を提供する重要性と、市民の自由と矛盾がないようにしながら、市民社会に気概を加える可能性のある個人を追跡するなんらかの仕組みが求められるということだ。
市民社会に危害を加える可能性のある人物に対して、なんらかの追跡の仕組みが必要だろうということ、おそらくその点は、日本社会にとっても同様なのだろう。
しかし、日本社会でのこの事件への論調はそうではなかった。
12日付け朝日新聞社説「米乱射事件―銃社会に決別する時だ」(参照)は、安易な銃規制と政治言論の修辞への誘惑に屈した。
ところが、犯行に使った銃はスポーツ用品店で昨年11月に合法的に購入していたという。警官や兵士が使う殺傷力の高い銃だ。麻薬の使用歴がある人物がどうして、そんな物をやすやすと入手できるのか。米国の銃規制の甘さに、今さらながら驚くばかりである。
犯行の背後に、米国政治の対決ムードを指摘する声もある。民主、共和両党の党派対立が抜き差しならないほど高まり、メディアやネットで個人攻撃が繰り広げられている。なかには相手への銃の使用すら示唆するような過激な言動もある。
撃たれたギフォーズ議員は民主党内の穏健派だが、オバマ政権の医療保険改革法案に賛成したため、脅迫メールが送りつけられたり、地元事務所の窓ガラスが割られたりしていた。政治家を標的とするような異常な雰囲気を、許すべきではない。
13日付けの毎日新聞社説「米乱射事件 政治の「過熱」が気になる」(参照)も同様の誘惑に落ちた。
また、昨秋の中間選挙で台風の目になった「茶会」運動の人気政治家、ペイリン前共和党副大統領候補は、ギフォーズ氏らを批判する文書に、銃の照準のような十字を描いていた。来年の大統領選もにらんで対立が過熱するのも分からないではないが、多様な価値観を奉じる米国で、あまりに単純、短絡的な個人攻撃がまかり通っていないか。それが民衆を政治的暴力に駆り立てているなら、罪が深いと言わざるを得ない。
政治言論の修辞が悪いとすれば、いかに正義に見えてもそれは思想弾圧に辿り着く。そして銃規制が問題だとすれば、ワシントンポスト紙が提起した精神疾患者の追跡の問題は議論しないですむ。
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コメント
「It had an oversize ammunition clip」は
「弾丸サイズが大きい銃」ではなく
「装弾数が過大なマガジンを持つ銃」かと。
標準では10発以上装填できるマガジンであっても
民間向けは10発までしか入らないように加工されて
売られていたように記憶してます。
投稿: macs501 | 2011.01.17 17:28
macs501さん、ご指摘ありがとうございます。「弾倉」と修正しました。
投稿: finalvent | 2011.01.17 17:33