きょうのコラム「時鐘」 2011年1月18日

 「苦役列車」で芥川賞を受けた西村賢太氏の実質的デビュー作は「北國文華・2001年春号」に載った

七尾出身の作家・藤澤清造の生涯を描いた「破滅に殉じた“能登の江戸っ子”」と題する長文である。西村さんの5年前の候補作「どうで死ぬ身の一踊り」の中に、初めて原稿料を得た「北國文華」での体験が描かれている

藤澤清造に傾倒し自費で全集を発刊する青年がいるので応援して欲しい、との研究者の熱意に動かされて掲載に踏み切った記憶がある。肩書きを「作家」でなく「東京生まれ、中卒」と書いてくる人だった。10年後に芥川賞作家になるとは思わなかった

その後、西村作品は本紙「北風抄」を執筆していた脚本家の久世光彦さんが「一読して震えがとまらず。この作品に芥川賞を出さぬなら、何に出す」とまで激賞した。が、暗く孤独な私小説を嫌う風潮もあって、話題にはなっても受賞はできなかった

文学の本質は「告白」にあるという。日本文学特有の私小説はその象徴である。今回の西村作品の評価は、消えかかった私小説の流れに強力な一石が投じられたように見える。