自己紹介 ひかないでね
今日は暇なので自己紹介でも・・・。
生い立ちは静岡で生まれ静岡で育ち、小学校の5,6年の時の担任が日教組の熱心な真っ赤な先生でいつも自衛隊批判や、日本軍は悪いから謝罪しなければいけないと教えられていました。
幼馴染のおじいちゃんは特攻隊の生き残りでいつも話を聞いていましたので、先生とまったく違ったことを聞いていた私は学校の授業になんの意味があるのか不信に思っていました。
そのころに今の考え方の基本が身に着いたのでしょう。
そんな学校不信な私はろくに学校も行かず、悪い連中と遊んでばかり、結局高校も1年の夏に辞めてしまいました。皆さんが俗に言う不良ってやつでした。
免許を取ってもやりたいこともなく自動車整備関係の仕事につきました、そこで三年ほどだらだらと将来のことも考えずに仕事をしていましたが、23の時にいつかは自分で店をやりたいなとおもい、給料の良い仕事に転職、大型免許も取って大型ダンプの運転手になりました。
大型ダンプ乗ってる連中なんてまともな人間も少なく、893か右翼がほとんどで、自分も右翼団体に入って粋がっていました。
そんな26の時に事件がおきます、とある事件で5年半の実刑判決を受けて服役することになりました。逮捕されても自分の保身やわがままばかり言って、反省なんてこれっぽっちもしていません、自分を大きく見せることに夢中でヨタ話ばかりしてましたね。右翼になって息巻いて勘違いしてました。
そんな時に親父(塾長)が面会に来てくれました、そこでこんなことを言われました。
「てめえがしっかりできないのに意見を言ったって、誰が意見を聞いてくれるんだ?」ってきつく言われました、
その時に目が覚めました、粋がって街宣車乗りまわして街宣したって誰も聞いてくれないし、笑われるだけだって・・・。
でもどうしていいのか分からず、もんもんとしていましたが父が一冊の本を差し入れしてくれました、野村秋介のさらば群青です、内容はここでは割愛させていただきますが、興味のある方はググっていただければすぐに出てきます。野村先生も獄中18年で勉強家でした。
その本を読んで目からうろこが落ちるというか、衝撃をうけてというか今まで自分はなにをやっていたのだろうと自問自答するようになり、それからはむさぼるように本を読み漁りました。
5年で読んだ本は1500冊を超え、親父の言葉を思い出し勉強もしました、おかげで高卒認定試験も高得点で合格し、英検2級や自動車整備士等取得しました。今まで全く勉強なんてしなかったのですが、面白くて面白くて、昔にやってれば違った人生も送れていたでしょう・・・。
まあ後悔はしてませんよ、今まで自分を支えてくれた方々に出会えたし、まだまだ恩を返してませんから、
だからみなさんのように立派な人生を送っていませんし、偉そうなことは言えません。
なぜこんなことをカミングアウトしたかといえば、う~~~~~んなんでだろう?
こんな自分でも受け入れてくれる本当の仲間が欲しいのかもしれませんね、ピグともはずしてくれてもかまいませんよ。ありのままを出しますから。
だから言いますが、いまでも民族派運動してますよ、抗議に行ったり靖国神社、多摩御稜へ参拝したり。
昔と違って大きな音で軍歌流しながら走ることもしないし、一般の方に迷惑かけるようなことはしてません。
ちゃんと総務省に政治団体として登録してある団体ですし、任侠右翼とは違います。
まあだいたいの生い立ちはこんなもんです、ろくなもんじゃないですね。でも西郷隆盛の言葉で「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、国難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
始末に困る人間になりたいと思います。お勉強ばっかしていい大学行くのもいいけど、自分みたいな人間がいたっていいじゃない。はみ出し者だっていろんな経験したよ、刑務所入ったし、薬物に手を出した時期もあった、身体に落書きしてあるし、皆さんが知らずに町で会ったら目をそらすような人間ですよ。
でもいろんな経験したからこそ言葉に重みってあるじゃない、薬物をやったことない人間がやめようって言ったって重みがないよ、経験したからこそやめたほうがいいって言えるし、人を傷つけた事があるから人に対してやさしくなれる。刺青なんて若者は入れたがるけどやめた方がいいって、銭湯に入れないし歳とるとみっともない、消すのに100万かかるって言われたし、若気のいたりの代償が大きすぎる・・・。
だからすべて包み隠さず話しました、最後まで読んで頂いてありがとうございます。
感想を聞かせていただけたらありがたいです。
無知無学ゆえ乱文失礼いたしました。