はじめは、小泉政権の最後、郵政民営化の仕上げに竹中平蔵氏が経済財政・郵政民営化担当大臣から総務大臣に異動したときだ。与謝野氏は竹中氏の後任の経済財政担当大臣になった(2005年10月31日 -2006年9月26日)。このときは郵政民営化の論功行賞であった。
しかし、小泉政権の任期満了が近づき、徐々にレイムダック化するにつれて、与謝野氏は郵政民営化と同時に行った政策金融改革について財務省の意向に従い巻き返したり、増税の地ならしをしていた。もっとも、小泉総理のパワーが強かったので、それらの改革逆行は不発だった。
私は、竹中氏が総務大臣に転身したあと、政策金融改革をできるだけ守るように1ヵ月間内閣府に残り、与謝野氏と一緒だった時期がある。その時、財務省は与謝野氏を使って政策金融改革の骨抜きしようとしたため、私は与謝野氏と大臣室でしばしば議論した。与謝野氏は「政策通」といわれるが、私の説明に対して政策論は一切なかった。財務省の具体的な担当者の名前をあげ、そのいうとおりにせよと、およそ経済財政担当大臣らしかぬ発言をしたので強く印象に残っている。
安倍、福田両政権は入閣1ヵ月で崩壊
次は安倍政権の最後だ。閣僚の不用意発言などで参院選に惨敗した安倍晋三総理は内閣改造し、与謝野氏は官房長官になった(07年8月27日 - 同年9月26日)。官房長官の本命であった菅義偉氏になぜか急に事件が起こり、急遽与謝野氏に差し替えになったのである。与謝野氏は官房長官になると、体調不良の安倍総理を出し抜いて官邸人事などを牛耳った。私の場合、安倍総理から官邸に残れという指示であったにもかかわらず、結局官邸から追い出された。そして、あっという間に安倍政権は崩壊した。
三番目は福田康夫政権。福田改造内閣で与謝野氏は経済財政担当大臣に就任した(08年8月2日 - 同年9月24日)。このときも安倍政権のときと同様に1ヵ月あまりで政権は終わっている。
最後は麻生政権である。与謝野氏は福田退陣を受け、持論の消費税増税を掲げて総裁選に立候補した。そのまま麻生政権でも経済財政担当大臣に就任(08年9月24日 - 09年7月2日)。中川昭一財務大臣が辞任したあとは財務大臣も兼務している(09年2月17日 - 同年9月16日)。財務大臣の間、金融担当大臣も兼務した(09年2月17日 - 同年9月16日)。麻生政権では、ほとんどすべての経済政策は与謝野氏が関わっていた。その麻生政権は、発足直後に支持率が上昇した時が総選挙の機会であったが、それを逃して、結局09年の総選挙で惨敗し、政権交代になった。
こうしてみると、与謝野氏が自民党関係者から「墓堀人」と呼ばれるのがよくわかる。
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