赤坂太郎

菅・仙谷の稚拙な「民公連携」作戦

浅はかだった菅の「学会接近」。仙谷は矢野叙勲で公明党を激怒させた――

「すべてその通り、と言いたいようなご質問だ。社会保障全般のあり方について、財源も含めて超党派で議論させてもらいたい。ある程度の負担をしても、安心できる社会にしていくという大きな問題で協力いただければ、いっそう進むのではないか」

 十月十五日の参院予算委員会。首相・菅直人は、ワクチン接種への公費助成を求める公明党参院議員・松あきらを持ち上げ、公明党との「部分連合」への期待感を隠さなかった。九八年の「金融国会」で、菅は民主党代表として参院で少数与党だった小渕内閣を四苦八苦させたが、いまは正反対の立場にいる。数合わせに失敗すれば政府提出法案は通らず、政権は崩壊する。渡辺喜美率いるみんなの党との連携も一時取りざたされたが、官公労を支持基盤とする民主党にとって、みんなの党の急進的な公務員制度改革案は受け入れられるものではなかった。

 菅は、参院で十九議席を持つ公明党にターゲットを絞った。連携に成功すれば、与党は一気に参院過半数を回復する。ただ、菅は野党時代、公明党と創価学会は「政教一致」だと口を極めて非難してきた。仇敵に政権の命運を託さざるを得ない皮肉な構図。それは、政治理念の実現よりも政権維持に汲々とする「空疎な宰相」の実態を映し出している。

 菅は二〇〇八年、国会で「オウム真理教の麻原彰晃死刑囚が党首だった真理党が権力を握り、オウムの教えを広めたら政教分離に反するのではないか」と質問し、政教一致批判に敏感な公明・学会サイドの激しい怒りを買った。内閣法制局長官が「宗教団体が統治的権力を行使することに当たるので違憲になる」と答弁するや、公明党は猛反発。答弁の撤回を求め、当時の麻生政権が応じた経緯がある。撤回に憤った菅は、公明党から環境相・斉藤鉄夫が入閣していることを取り上げ、「創価学会という宗教組織が閣議決定まで左右させている」と攻撃した。

 公明党幹部は官邸サイドに「菅は創価学会にとって『仏敵』だ。それを忘れない方がいい」とくぎを刺し、「民公連携」のハードルの高さを予告した。

 焦った菅は九月二十六日、創価学会名誉会長・池田大作が設立した東京都八王子市の東京富士美術館を訪れ、特別展「ポーランドの至宝」を鑑賞する見え透いたパフォーマンスに出た。菅側近の内閣府政務官・阿久津幸彦が、八王子を地元とする公明党幹事長代理・高木陽介に連絡し、その翌日に訪問する慌ただしさだった。菅が元首相・小泉純一郎の創価学会への接近を手本にしたのは間違いない。中選挙区時代の激しい選挙戦が尾を引き、首相就任後も公明党と距離があった小泉は〇二年十一月、公明党大会に出席し、池田が撮影した月の写真を絶賛。この行動が学会員の共感を呼び、政権基盤の強化につながった。小泉はこの二カ月前、外遊先の南アフリカ・ヨハネスブルクで、非政府組織(NGO)の展示会場を視察した際、「創価学会インターナショナル」(SGI)のコーナーに立ち寄り、池田の写真を鑑賞していた。小泉の周到さとは似ても似つかぬ下心丸出しの菅。公明党代表・山口那津男は周囲に「小泉さんは芸術に造詣が深かったが、菅さんがレンブラントに興味があるとは知らなかった」と皮肉り、「誰の入れ知恵か知らないが、本当に浅はかだ」とこき下ろした。民主党幹事長・岡田克也も「環境整備もなしにいきなり行くとはなあ」と呆れた。

 菅が空回りを続けている間、官邸を取り仕切ったのは官房長官・仙谷由人だった。九月七日に尖閣諸島周辺で起きた中国漁船衝突事件で「仙谷内閣」の様相は鮮明になった。当時、菅は小沢との一騎打ちとなった党代表選に没頭。事件対応を仙谷に任せ、首相執務室にこもって党所属議員に電話をかけ続けた。中国人船長の釈放問題や、十月上旬のアジア欧州会議(ASEM)首脳会議に合わせた日中首脳会談設定でも仙谷が中心になって動いた。国会質疑の際も菅に代わって答弁に立ち「主役」然とした振る舞いが目立った。野党の追及をやり過ごす一方で、際どい答弁も連発。政府参考人として審議に出席し、民主党政権の公務員制度改革を「不十分だ」と批判した経済産業省の官僚について「彼の将来を傷つけると思う」と、恫喝まがいの発言をして顰蹙を買った。

■秘書官室に置かれた「イラ菅」

「仙谷なんて、日大全共闘の秋田明大の足元にも及ばないんだよ!」

 東工大時代に学生運動のアジテーターとして鳴らした菅は、政権交代前、酔うと東大全共闘だった仙谷の影の薄さをしばしば揶揄した。しかし、同い年の二人の存在感は今や完全に逆転している。仙谷は「俺が『陰の首相』と言われるが、そんなことはない。ちゃんと菅ちゃんに相談して、最後は菅ちゃんが決めているんだよ」と気を使うものの、しょせん建前に過ぎない。仙谷は各省などから集めた十人もの秘書官に加え、東大時代からの友人である評論家・松本健一を内閣官房参与に起用するなど、スタッフの規模でも菅を圧倒している。

 小沢との激闘を制して代表に再選された菅は内閣改造・党役員人事を終えると、官邸内での自身の空白ぶりに気付いたかのように「イラ菅」を爆発させる場面が増えた。ニューヨークで開かれる国連総会出席のため訪米する前日の九月二十一日には「何で船長を釈放できないんだ。十一月の横浜APEC(アジア太平洋経済協力会議)をつぶす気か」と激高。外務省から出向している秘書官・山野内勘二らを叱責した。その後も、臨時国会の提出法案説明や答弁打ち合わせのために訪れる官僚らを、ささいなことで机をたたきながら怒鳴りつけた。

 官邸秘書官室には、国会みやげの定番商品「怒り度MAX イラ菅の缶コーヒーチョコレートクランチ」が置かれている。官邸スタッフは、菅の機嫌が悪い時は「イラ菅」のイラストを表に向け、数少ない上機嫌の日には裏面の「ニコニコ菅」を人目につくように置く。菅に呼ばれた官僚らは「今日はどっちかな?」と苦笑しながら首相執務室に入るようになった。菅は歴代首相と異なり、秘書官らを交えずに一人で昼食を取る。執務室の奥に設けられている小部屋で、昼寝をして過ごすことも多い。仙谷が「参院選で負けて消費増税が駄目になり、目標を見失ってるんだよな」と評する菅。政権内での孤立感は深まる一方だ。

「優先順位をつけてほしい」

 九月下旬、仙谷は公明党幹事長・井上義久に対し、政府が検討する追加経済対策への要望を尋ねた。腕利きの弁護士として知られた仙谷は、かつてピース缶爆弾事件で起訴された井上の親族の弁護を担当し、無罪を勝ち取った経緯がある。井上は仙谷に請われるまま、代表の山口の携帯電話番号も教えた。政権中枢が公明党トップの連絡先さえ知らないほど、民主、公明両党の関係は希薄だ。仙谷はこれに先立って創価学会幹部との接触を試みた際、学会広報室を通じて「正面玄関」から連絡を取ろうとし、周囲を呆れさせた。

 仙谷が対公明党・創価学会工作を担うのは、民主党でこれまで学会との窓口だった元代表・小沢一郎が検察審査会の議決で強制起訴されることになり影響力を低下させたことに加え、菅の交渉ルートがゼロに等しいからだ。

 だが、仙谷のアプローチにもかかわらず、公明党・創価学会側の動きは鈍い。十年間続いた自民党との連立政権の間、選挙協力関係が深まり、来春に統一地方選を控えて急旋回は不可能だからだ。参院選で党代表の山口が「菅政権にレッドカード」と連呼したため、民公連携に踏み切れば支持者が戸惑うことは確実。一〇年度補正予算案をめぐり民主、公明両党幹部が会談すると報道されるや、公明党本部には「レッドカードと言ったばかりなのに、もう方針転換するのか」と抗議電話が殺到した。

 民公接近の兆しに波紋が広がる中、両党の政調会長ら幹部による会談は相次いで中止。仙谷と学会幹部の極秘会談も延期された。十月一日朝、当時、民主党国対委員長代理だった牧野聖修が国会内の公明党国対部屋にドーナツを持って現れると、公明党側は受け取りを拒否。牧野が無理やり置いていったドーナツは、党職員が民主党国対に突き返した。あからさまな政権すり寄りには学会員の拒否反応が強く、民主党のラブコールを受け入れる見通しは立っていない。

■「俺も仙谷も創価学会とはダメだ」

 とはいえ、公明党が本音では政権復帰に前向きなのは間違いない。オウム真理教事件を受けて九五年に宗教法人法改正が浮上した際、池田の「防波堤」として当時の会長・秋谷栄之助が国会に参考人招致された恐怖感は、多くの学会員の記憶に残る。支持者や世論の抵抗感が徐々に薄れるのを待ち、統一地方選後には連立へ踏み出すとの見方は多い。九九年、自民、旧自由両党との連立政権に参加した時と同じ「熟柿作戦」だ。

 ただ、公明党は自自公連立発足前、数合わせに応じる見返りとして、小渕政権に地域振興券の実現を迫った。今回も、連携受け入れの条件に何らかの政策要求を突きつける可能性が高い。公明党の悲願である中選挙区制復活を持ち出すこともあり得る。だが「小選挙区制度の申し子」を自任する岡田は絶対拒否の構え。財政再建路線に傾斜する菅政権で、公明党型のばらまき予算が編成されることも想定しにくい。公明党が投げ込むであろう「高めのボール」に政府、民主党側がどう反応するかによって、協議は難航するかもしれない。

 政府は、秋の叙勲で元公明党委員長の政治評論家・矢野絢也に対し、旭日大綬章を内定した。矢野は元公明党国会議員に自宅から手帳などを奪われたとして、創価学会などを相手に損害賠償を請求。公明党・創価学会と敵対関係にある。公明党幹部に叙勲が打診されるケースは多いが、池田大作への遠慮から辞退するのが通例となっている。九六年に勲一等旭日大綬章を受けた元委員長・竹入義勝が例外だが、竹入も矢野同様、学会との関係は最悪だ。政府は「主要政党の党首を務めた功績」と強調するものの、公明党幹部は「明らかな挑発だ」と激怒。民事訴訟を理由に叙勲を渋った内閣府賞勲局に対し、仙谷が「被害者として訴訟を提起したのに、そんな馬鹿な話があるか」と強く働き掛けたのが真相だ。

 仙谷は野党時代、矢野を自身の勉強会の講師に招いたほか、昨年秋からは矢野の長男を公設第二秘書として雇っている。「矢野ジュニアを雇う度胸がある議員は俺ぐらいだ」と笑い飛ばす仙谷に、公明党・創価学会側は神経をとがらせる。公明党幹部は「一体、うちと組みたいのか、そうでないのか。どっちなんだ」と困惑。ねじれ国会で政権ががけっぷちにあることを忘れたかのような仙谷の動きは分かりにくく、今後の波乱要因だ。

「俺も仙谷も創価学会とは駄目だ。しかし、このままではまずい」

 十月中旬、菅は周辺に危機感を漏らした。政権交代の大目標に向けて突っ走っていた頃、政敵として切り捨てるだけで済んだ公明党・創価学会の存在感にようやく気付き、歯がみする日々だ。

 菅は十六日、公邸に自民党の元首相・福田康夫を招いた。菅側近の首相補佐官・寺田学が、三菱商事勤務時代の先輩である福田の長男・達夫に依頼して実現した異例の会談だった。外交舞台に不慣れな菅が十一月の横浜APECに向けてアドバイスを受ける名目だったが、首相在任中、ねじれ国会で苦しんだ福田に大局的な立場から打開策の指南を仰いだとの観測も絶えない。かつて福田の鼻面を引きずり回した一人である菅にとって、これほど皮肉な巡り合わせはない。

 一方、自民党は十月二十四日の北海道五区補欠選挙で、小沢への強制起訴議決が追い風となり、民主党に勝利した。選挙戦では「政治とカネ」問題がクローズアップされた。自民党は民主党の「小沢隠し」に照準を合わせ、執拗に証人喚問を求める方針だ。そこには、政治資金問題に敏感な公明党と民主党の接近に楔(くさび)を打ち込む狙いもある。民主党執行部が小沢を国会に突き出す決断をすれば、党内を二分する小沢系と反小沢系による対立再燃は必至。応じなければ、菅がよりどころとしてきた世論の支持を失う。自民党にとって「王手飛車取り」の局面だ。

 菅は自ら小沢に引導を渡すどころか、対応を岡田に丸投げしてしまった。官邸「奥の院」で守りを固める姿には、舌鋒鋭く時の政府、与党に迫った往時の面影はない。政権浮揚の方策を見いだせず、八方ふさがりに陥りつつある菅。自民党政権末期から繰り返されている短命首相の系譜に連なる日は、そう遠くないかもしれない。 (文中敬称略)


【関連記事】