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「小沢切り」と「大連立騒動」の行方(2/2)

文藝春秋 1月11日(火)13時8分配信

■公明か自民か社民か

 秋の臨時国会を前に、菅は公明党との連携を模索し始めた。公明党は〇九年度第二次補正予算案には賛成した。一〇年度の補正予算編成でも、当初は仙谷が公明党幹部から政策の優先順位を聞き出すなど、政府側が初めから公明党の主張を大幅に取り入れる姿勢を示している以上、賛成の方向になるとみられていた。

 だが、臨時国会召集二日前の九月二十九日、読売新聞朝刊に「民主、公明 政策協議へ『部分連合』模索」との記事が一面に掲載されると、風向きが大きく変わる。補正予算案などをめぐって両党の幹事長や国対委員長らが近く政策協議を開始するとの内容だったが、これに直ちに反応したのが、公明党前代表・太田昭宏だった。自公路線の中心にいた太田は、民主党に接近しようとする現執行部の路線に反発を強めていた。太田は政調会長(当時)・斉藤鉄夫を呼び出した。

「この記事は何ですか。説明してください」

 言葉は丁寧だが、太田が怒っていることは斉藤もすぐに察知した。この日、斉藤は民主党政調会長兼国家戦略相・玄葉光一郎と会うことになっていたが、「これは前から正式にきまっていることで、この記事とは関係ありません」と釈明した。実際、読売の記事は斉藤にとっても寝耳に水だった。

 これより少し前、仙谷は旧知の井上と都内で極秘に会談し、両党の幹部会合を開くことを決めていた。仙谷は、補正予算のみならず多くの政策課題について意見をすり合わせ、ゆくゆくは「部分連合」から「閣外協力」へと発展させたいと考えていた。だが公明党・創価学会からの反発も予想され、当面は秘密裏で進めることにしていた。これが早々に表に出てしまい、公明党内は混乱に陥った。太田だけでなく、前幹事長・北側一雄らベテランが強く反発し、代表・山口那津男や井上ら執行部を突き上げた。

 さらに記事を見た全国の学会員たちから党本部に抗議電話が次々とかかってきた。電話の主の多くが婦人部の活動家たちだった。山口や井上、斉藤らは緊急に協議し、この日の政調会長会談のキャンセルを決めた。もちろん、仙谷―井上ラインで決めた幹事長・国対委員長会談も中止せざるを得なくなり、両者の協議は最初から躓くことになった。

 最終的に公明党が補正予算案に反対する決め手となったのは、内閣支持率の急落だ。創価学会会長・原田稔ら学会幹部と山口ら公明党幹部は、一〜二週間に一度は、東京・信濃町の学会関連施設で意見交換している。十月中下旬に開かれた協議の場で、学会側は民主党政権に厳しい学会内の雰囲気を伝え、結局公明党は十一月九日に反対の方針を決めた。

 公明党に袖にされ、追い詰められた菅の「大連立への色気」は、福田を通じて読売新聞グループ本社会長・渡辺恒雄に伝えられた。渡辺は二〇〇七年の福田と小沢の大連立騒動を仕掛けた張本人だ。渡辺は十二月八日、自民党本部に出向き、総裁・谷垣禎一と会談した。

「今は内政も外交も駄目だ。国家の危機だ。民主党には数はあるが、経験がない。自民党の経験を生かして危機を救うべきだ。大連立で政治を安定させないといけない。その上で解散だ」

 渡辺は衆院任期満了までという「期限付き大連立」を強く迫った。しかし自民党では、小選挙区選挙しか経験していない当選五回以下の衆院議員や一人区選出の参院議員を中心に大連立への抵抗感が根強い。福田ら、中選挙区制度下で政党の合従連衡に慣れ親しんだベテランの感覚とは違って、自民党は簡単に大連立に舵を切れる政党ではなくなっていたのだ。すでに「対決による倒閣」方針を固めていた谷垣は「その時期ではありません」と丁重に断るしかなかった。

 公明党の抱き込みに失敗し、自民党との大連立の見通しも立たない。頼みの綱である仙谷との二人三脚の関係も危うくなってきた菅は、政権交代の原点である民主・国民新・社民の三党連立への回帰も模索し始めた。

「総理、いろいろやったようだけど、はかない夢に終わったな。見果てぬ夢を追いかけてもしかたない。国民新と社民を合わせれば衆院の三分の二で法案を再可決できるんだから、何でもできるじゃないの。そのカードを見せながら公明党とも交渉すれば、向こうも『ベストを求めてゼロより、ベターがいい』と判断して歩み寄ってくるんだよ」

 十二月二日昼すぎ、官邸の首相執務室で、国民新党代表・亀井静香はソファに背を持たれながら、懇々と説いた。

 亀井は参院選から二週間が経った七月二十五日夜にも、東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京の日本料理店「雲海」で、菅に「三分の二」を使うよう促していた。当時の菅は「三分の二を使うのは簡単じゃないよ」と後ろ向きな姿勢を崩さなかった。

 それから四カ月余り。八方塞がりとなった菅は亀井にこう答えた。

「おっしゃる通りです」

 機嫌を良くした亀井が続ける。

「福島のおばちゃんには俺が連絡するから」

 早速、亀井が社民党党首・福島瑞穂に連絡を入れ、十二月六日の菅―福島会談がセットされる。会談では、民主党と国民新党に社民党を加えて、一一年度予算編成で政策協議を開始する方針を確認したが、福島は「武器輸出三原則の見直しがあれば政権との距離を考えないといけない」と菅に注文を付けることを忘れなかった。政府は新防衛計画大綱の策定に連動して、三原則見直しに伴う武器輸出解禁措置を模索していたが、福島の一声でこれがあっさりと消えてしまった。

 いつか見た光景である。嫌でも、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で社民党に振り回され、迷走の果てに退陣した前首相・鳩山由紀夫を思い出す。早速、社民党は政府が決めた一一年度予算案での普天間移設経費の計上に反対した。

 公明党、自民党だけでなく、社民党までもが政権末期の様相を呈し始めた菅の足元を見ている。

 自民党執行部には「小沢を切れば民主党と協力できる」との声もあるものの、菅が小沢の強制起訴を受けて離党勧告や除名処分に踏み切る保証はない。

 菅とて「小沢切り」の動きを加速させれば、民主党内の小沢支持グループの猛反発は必至だ。小沢が民主党を出た場合、たとえ同調者が少数にとどまっても、菅政権の基盤は揺らぐ。また、問責された仙谷や国土交通相・馬淵澄夫を続投させれば、通常国会の波乱要因は残ったままだ。菅にとっては進むも地獄、引くも地獄である。 (文中敬称略)

(文藝春秋2011年2月特別号「赤坂太郎」より)

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最終更新:1月11日(火)13時8分

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