「小沢切り」と「大連立騒動」の行方(1/2)
文藝春秋 1月11日(火)13時8分配信
ねじれ国会打開の方策を見出せない菅・仙谷。小沢切りを敢行できるか――
師走の永田町を賑わした「小沢切り」と「大連立騒動」――。
元民主党代表・小沢一郎の国会招致をめぐって繰り広げられたドタバタ劇の源流は、昨年十月十六日夜、首相公邸で行われた首相・菅直人と元首相・福田康夫の会談にあった。
約四十分間にわたって二人きりで行われた会談は、十一月に横浜でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)を控えた菅が、洞爺湖サミットで議長経験のある福田から議長の心構えを聞くことが目的とされたが、実は民主党と自民党の協力について話し合いがなされていた。
国会論戦などで見せるふてぶてしい表情とは打って変わった神妙さで「自民党にもご協力いただきたい」と懇願する菅に、福田はこうアドバイスした。
「カネの問題を抱える小沢を切ることだ。小沢がいたら協力のしようがない」
どうせ小沢を切るなんてできないだろうが……。福田の表情は、そう言いたげな斜に構えたものだったが、まともに受け止めた菅は、早速、官房長官・仙谷由人、幹事長・岡田克也に福田の発言内容を伝えた。
岡田も公明党幹事長・井上義久から、小沢の国会招致問題で一定のけじめをつければ二〇一〇年度補正予算案に賛成するとの意向を伝えられていた。臨時国会での補正予算案への公明党の協力を通常国会での二〇一一年度予算案への協力につなげ、ゆくゆくは自民党の協力も得る――。
「小沢切り」で一石二鳥の夢を描いた菅、仙谷、岡田は、この時点で「タイミングを見て、小沢が拒んでも政治倫理審査会への招致議決を行う」との基本方針を固めた。
■「死なばもろともだ」
しかし、その後、状況が大きく変わった。尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件への対応や海上保安官によるビデオ映像流出事件、前法相・柳田稔の失言問題などが積み重なり、内閣支持率が急落した。小沢問題に決着を付けられぬまま、反小沢の筆頭格である仙谷が国会答弁で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶなど失言を重ね、自民党や公明党などの賛成多数で参議院で問責決議を可決された。
問責された大臣の出席する審議には欠席すると野党の反発が強まると、俄かに内閣改造論が高まった。だが、影の総理と呼ばれ、実質的に首相官邸を仕切っている仙谷を交代させれば、権力基盤の流動化を引き起こしかねない。菅には仙谷を交代させる気はなかったが、仙谷が冗談交じりに「官房長官も長くはないから」とあちこちで漏らしているとの話が菅の耳に入ってきていた。
十二月三日、仙谷の記者会見での内容を曲解した報道機関が「仙谷氏が辞任を示唆」との記事を流すと、驚いた菅は仙谷に「本当ですか?」と確認した。仙谷が否定すると、菅はホッとしたように笑った。官房長官が首相に何の相談もせずに辞任に言及するという、あり得ない話をわざわざ確認したところに、菅と仙谷の心理的な距離が読み取れる。
小沢との神経戦も菅―仙谷の関係に微妙な影を落とした。
民主党は十二月十三日の役員会で、小沢の衆院政治倫理審査会への招致問題をめぐって協議し、岡田への対応一任を決定した。この日朝、小沢は側近の一人に電話して冗舌に語った。
「俺が政倫審の出席に応じたら、自民党は問責決議を受けた仙谷たちの辞任も含めて雪崩式に攻めてくる。だから、俺は民主党政権を守るために防波堤になっているんだ」
だが、この言葉を額面通りには受け取れない。「死なばもろともだ。そんなことは仙谷も望んでいまい」とのメッセージが込められている。小沢の強がりと牽制、そして危機感を裏書きした発言にほかならない。
その三日前の夜、東京・赤坂のしゃぶしゃぶ店「木曽路」。小沢は地元の岩手県知事・達増(たっそ)拓也や県議ら約二十人との忘年会に足を運んだ。
「なかなか地元に戻れず、申し訳ない。戦後初めて国民の一票の積み重ねで政権交代を果たした民主党政権を大事にしなければいけない。来年の統一地方選は民主党の理念を忘れないで戦ってほしい」
そう挨拶した小沢は、熱燗のお銚子二合をいつも通り手酌で飲みながら、熱く説いた。
「今のままじゃ、日本が駄目になるという声があちこちから聞こえてくる。政権交代の原点に立ち返って、国民への約束を果たさなければいけない」
途中、給仕の女性がお銚子を下げようとすると「自分で量りながら飲まないといけないんだから、まだ持っていかないで」と笑いを誘う。小沢の発言を聞いた出席者の誰もが、菅政権への痛烈な批判と権力闘争の決意表明と受け止めた。
この時期、側近の一人が「強制起訴されても民主党代表や総理を目指してください」と水を向けると「ベルルスコーニも同じそうじゃないか」と、数々の疑惑で汚職裁判を抱えるイタリア首相・ベルルスコーニを引き合いに復権への意欲をのぞかせてもいた。
小沢は十二月十七日、面会を要望し続けていた岡田を自分の個人事務所に呼びつけて「政倫審に出席しなければならない合理的な理由はない」と伝え、二十日には首相官邸に自ら出向き、菅にも直接「出席拒否」を伝えた。菅は「それでは、党として何らかの物事を決めなければならない」と応じ、落としどころの見えないチキンレースに入った。
菅や岡田が小沢の国会招致にこだわり続けたのは、この一月に始まる通常国会で野党の協力を得られる見通しが立たず、政権運営行き詰まりの打開策を他に見つけられなかったからだ。
振り返れば、菅にとって六月の首相就任以来、小沢との「摩擦熱」を起こすことが政権浮揚策となっていた。参院選のマニフェスト公表会見での「消費税率一〇%」発言で躓(つまず)き、参院で野党に主導権を奪われる事態を自ら招いた菅にとって、「小沢切り」は虎の子のカードだ。
――(2)に続く
(文藝春秋2011年2月特別号「赤坂太郎」より)
師走の永田町を賑わした「小沢切り」と「大連立騒動」――。
元民主党代表・小沢一郎の国会招致をめぐって繰り広げられたドタバタ劇の源流は、昨年十月十六日夜、首相公邸で行われた首相・菅直人と元首相・福田康夫の会談にあった。
約四十分間にわたって二人きりで行われた会談は、十一月に横浜でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)を控えた菅が、洞爺湖サミットで議長経験のある福田から議長の心構えを聞くことが目的とされたが、実は民主党と自民党の協力について話し合いがなされていた。
国会論戦などで見せるふてぶてしい表情とは打って変わった神妙さで「自民党にもご協力いただきたい」と懇願する菅に、福田はこうアドバイスした。
「カネの問題を抱える小沢を切ることだ。小沢がいたら協力のしようがない」
どうせ小沢を切るなんてできないだろうが……。福田の表情は、そう言いたげな斜に構えたものだったが、まともに受け止めた菅は、早速、官房長官・仙谷由人、幹事長・岡田克也に福田の発言内容を伝えた。
岡田も公明党幹事長・井上義久から、小沢の国会招致問題で一定のけじめをつければ二〇一〇年度補正予算案に賛成するとの意向を伝えられていた。臨時国会での補正予算案への公明党の協力を通常国会での二〇一一年度予算案への協力につなげ、ゆくゆくは自民党の協力も得る――。
「小沢切り」で一石二鳥の夢を描いた菅、仙谷、岡田は、この時点で「タイミングを見て、小沢が拒んでも政治倫理審査会への招致議決を行う」との基本方針を固めた。
■「死なばもろともだ」
しかし、その後、状況が大きく変わった。尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件への対応や海上保安官によるビデオ映像流出事件、前法相・柳田稔の失言問題などが積み重なり、内閣支持率が急落した。小沢問題に決着を付けられぬまま、反小沢の筆頭格である仙谷が国会答弁で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶなど失言を重ね、自民党や公明党などの賛成多数で参議院で問責決議を可決された。
問責された大臣の出席する審議には欠席すると野党の反発が強まると、俄かに内閣改造論が高まった。だが、影の総理と呼ばれ、実質的に首相官邸を仕切っている仙谷を交代させれば、権力基盤の流動化を引き起こしかねない。菅には仙谷を交代させる気はなかったが、仙谷が冗談交じりに「官房長官も長くはないから」とあちこちで漏らしているとの話が菅の耳に入ってきていた。
十二月三日、仙谷の記者会見での内容を曲解した報道機関が「仙谷氏が辞任を示唆」との記事を流すと、驚いた菅は仙谷に「本当ですか?」と確認した。仙谷が否定すると、菅はホッとしたように笑った。官房長官が首相に何の相談もせずに辞任に言及するという、あり得ない話をわざわざ確認したところに、菅と仙谷の心理的な距離が読み取れる。
小沢との神経戦も菅―仙谷の関係に微妙な影を落とした。
民主党は十二月十三日の役員会で、小沢の衆院政治倫理審査会への招致問題をめぐって協議し、岡田への対応一任を決定した。この日朝、小沢は側近の一人に電話して冗舌に語った。
「俺が政倫審の出席に応じたら、自民党は問責決議を受けた仙谷たちの辞任も含めて雪崩式に攻めてくる。だから、俺は民主党政権を守るために防波堤になっているんだ」
だが、この言葉を額面通りには受け取れない。「死なばもろともだ。そんなことは仙谷も望んでいまい」とのメッセージが込められている。小沢の強がりと牽制、そして危機感を裏書きした発言にほかならない。
その三日前の夜、東京・赤坂のしゃぶしゃぶ店「木曽路」。小沢は地元の岩手県知事・達増(たっそ)拓也や県議ら約二十人との忘年会に足を運んだ。
「なかなか地元に戻れず、申し訳ない。戦後初めて国民の一票の積み重ねで政権交代を果たした民主党政権を大事にしなければいけない。来年の統一地方選は民主党の理念を忘れないで戦ってほしい」
そう挨拶した小沢は、熱燗のお銚子二合をいつも通り手酌で飲みながら、熱く説いた。
「今のままじゃ、日本が駄目になるという声があちこちから聞こえてくる。政権交代の原点に立ち返って、国民への約束を果たさなければいけない」
途中、給仕の女性がお銚子を下げようとすると「自分で量りながら飲まないといけないんだから、まだ持っていかないで」と笑いを誘う。小沢の発言を聞いた出席者の誰もが、菅政権への痛烈な批判と権力闘争の決意表明と受け止めた。
この時期、側近の一人が「強制起訴されても民主党代表や総理を目指してください」と水を向けると「ベルルスコーニも同じそうじゃないか」と、数々の疑惑で汚職裁判を抱えるイタリア首相・ベルルスコーニを引き合いに復権への意欲をのぞかせてもいた。
小沢は十二月十七日、面会を要望し続けていた岡田を自分の個人事務所に呼びつけて「政倫審に出席しなければならない合理的な理由はない」と伝え、二十日には首相官邸に自ら出向き、菅にも直接「出席拒否」を伝えた。菅は「それでは、党として何らかの物事を決めなければならない」と応じ、落としどころの見えないチキンレースに入った。
菅や岡田が小沢の国会招致にこだわり続けたのは、この一月に始まる通常国会で野党の協力を得られる見通しが立たず、政権運営行き詰まりの打開策を他に見つけられなかったからだ。
振り返れば、菅にとって六月の首相就任以来、小沢との「摩擦熱」を起こすことが政権浮揚策となっていた。参院選のマニフェスト公表会見での「消費税率一〇%」発言で躓(つまず)き、参院で野党に主導権を奪われる事態を自ら招いた菅にとって、「小沢切り」は虎の子のカードだ。
――(2)に続く
(文藝春秋2011年2月特別号「赤坂太郎」より)
最終更新:1月11日(火)13時8分
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