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阪神大震災から16年 県内に住む被災者に聞く
6千人以上の命を奪った阪神大震災から、17日で丸16年を迎えた。街は急速に復旧を遂げたが、被害に遭った人の心には爪痕が深く刻まれ、その後の人生観に大きな影響を及ぼしている。激震地となった神戸市東灘区から智頭町波多に移住した石井マス子さん(70)も、震災を乗り越えて今を生きる一人だ。
「自宅も家も全壊しました。今は何もありません」と話す石井さん |
1995年1月17日午前5時46分。六甲山麓のマンションで就寝中だった石井さんを大きな衝撃が襲った。「ドーン」という地鳴りと激しい揺れ。「最初、地震とは分からなかった。ダンプカーが突っ込んだのかと思うほど」と衝撃の強さを振り返る。別室にいた夫が「布団をかぶれ」と叫ぶのを聞き、あわててかぶった。後日、同じように布団をかぶったが落ちてきた屋根や家具で圧死した人が多かったことを知り、青ざめた。
石井さんは当時、32年間勤めた会社を退社し、念願だった花店を2年前に開いたばかり。店の様子を見に行こうと一歩外へ出ると、路上のいたるところに寝ている人の姿があった。「なぜこんな寒い路上に寝ているのだろう」。不思議に思いよく見ると、がれきから掘り出されたばかりの遺体だと分かった。
倒壊した家屋、頭から血を流す人…。様変わりした街を歩き、ようやくたどり着いた店は屋根が抜け落ちて全壊していた。店の前の学校に避難したが、校舎は倒壊の危険がありグラウンドで寝ることに。寒さは厳しく、明け方には布団に霜が降りた。耐えかねて自宅に戻り、近所の知人が持ち寄った冷蔵庫の残り物で数日を乗り越えた。
震災を目の当たりにして、自らの死について真剣に考えるようになったという石井さん。その後、花店の2階を喫茶店に改装して再出発したが、喫茶店を担当していた夫も震災の3年後に病気で亡くなった。宝石や衣服を処分し、10年前には自分用のひつぎも作った。独り身の老後に正面から向き合う覚悟を決めた。
田舎で静かに暮らそうと2009年9月、智頭町の山あいに喫茶店「花祥庵」を建てて移り住んだ。多くの常連客が訪れ、神戸時代の知人と昔話に花を咲かせることも。「大事なものは全てなくした。今、この時間が一番大事」と笑う石井さん。震災と復興を経験して、今を生きる大切さを実感している。
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