新人のリコール団体元監事、西平良将氏(37)が前市長、竹原信一氏(51)を破って初当選を決めた、16日の鹿児島県阿久根市の出直し市長選。2年半近く続いた竹原市政に終止符を打ったのは、議会ではなく、リコール運動を展開した市民だった。だがこの間、市は二分され、乱発した専決処分など竹原市政の「負の遺産」も残る。2月20日には議会解散を問う住民投票も控えており、市政の正常化には、まだ時間がかかりそうだ。【河津啓介、村尾哲、馬場茂】
「長い長い1年間でした。いろんな方に協力してもらい、こういう結果を勝ち取りました。感謝です」
初当選を決めた西平氏は、同市港町の選挙事務所で、共に歩んだ若い仲間に謝意を示した。市長リコール運動から共に活動し、選対責任者を務めた川原慎一氏(42)は「ようやく阿久根に正月が来ます。若い仲間たちをほめてやってください」。2人は抱き合って喜びをかみしめた。
竹原市政の「暴走」を止めようと動き始めたのは約1年前。最初の仲間は「わずか5人だった」。議会を招集せず専決処分を乱発する竹原氏に対し、議会は歯止めになれなかった。川原氏を代表に立て市長リコール団体を結成し昨年8月、署名活動に着手。西平氏はリコール成立を信じ、一足早く9月、出直し市長選への出馬を表明した。知名度では竹原氏に遠く及ばない。ゼロからのスタートだった。
「転機は昨年12月の住民投票」と川原氏。有権者の半数を超える1万197人分の署名で実現した住民投票に楽観ムードが漂っていた。竹原氏にレッドカードを突きつけたが結果はわずか398票差。「惨敗に等しい。甘かった」と西平氏。「対立から対話へ」を掲げて臨んだ市長選。危機感をバネに巻き返した。
やがて選挙に関心のなかった若者たちが西平陣営の中心を担うようになる。市内の有力商工業者や反竹原派市議らも水面下で協力した。川原氏は「5人だった仲間が今は10倍以上。みんなが阿久根の将来のために行動してくれた」と語った。
一方、竹原氏は午後10時すぎ、阿久根駅近くの事務所で報道陣の前に姿を見せた。「選挙で市民が成長したと思うか?」との質問に「成長した部分もあれば、だまされた部分もある」。誰がだましたのか問うと「あんたたち(報道陣)」と語気を強めた。今後の活動には「まだ考えられない」と述べた。
市民の批判は竹原氏と対立した市議会などへも向く。西平氏の支持者からも「議会や市職員でなく、市民のための政治を」との注文が相次ぐ。
市政正常化を公約した西平氏だが、市議会解散の是非を問う住民投票などまだ試練が続く。
鹿児島県阿久根市の出直し市長選に投票した有権者に投票先を尋ねた。「竹原市政」の是非を巡って市を二分した選挙戦。西平氏を「市の将来像を示した」と期待する声と、竹原氏を「市を変えられる」と評価する声とに割れ、複雑な民意が浮き彫りになった。
行政経験のない新人の西平氏だが「新しい人で再スタートを」と前向きな評価にもつながっていた。建設業の女性(60)は「竹原氏はやり方がむちゃくちゃ。改革は必要だが、あれは破壊」と語気を強めた。男性会社員(53)も「市職員の給与カットなどは良いことだが、自分勝手で子供のようだ」と語った。
一方、竹原氏へ投票した人に共通するのは「阿久根を変えてほしい」との思い。「昔の市長はなあなあだった」「市職員の対応が見違えるように(良く)なった」と以前の市政への不満があふれた。無職男性(65)は「暮らしにお金がかからないように減税するなど期待できる」と「実績」を評価した。
ただ、投票先を明かさずに足早に立ち去る人も少なくなかった。ある高齢女性は自転車にまたがりながら「話したいけど、今は面倒な時期だから」と苦笑した。
毎日新聞 2011年1月17日 東京朝刊