きょうのコラム「時鐘」 2011年1月17日

 一寸先は「光だ」と脚本家の竹山洋さんが本紙のエッセーに書いていた。「人間が幸せになるためにこの世にある」と

山田洋次監督の言葉もあった。「ああ生きてて良かったと思う瞬間がある。そのために人間は生きているんじゃねえか」と寅さんのセリフを挙げ「でも、どちらかといえば嫌なことの方が多くて、それをクリアしていくのが人生」と

阪神大震災から16年になる。災害による犠牲は、生きる意味や人生のよろこびを振りかえる時間もない。突然の揺れで奪われた6434人の命は、災害死ほど不条理なものはないとの無念の叫びのようにも思える

阪神大震災以降、新潟、能登、東北各地で大地震が相次いだ。時間が遠ざかる分だけ記憶も薄れるが、教訓は弱めてはなるまい。残った者ができるのは、悔しくて、無念で、納得のいかない死を防ぐことである。防災の努力こそが犠牲者と向かいあうことであり次代の命を救うことになる

嫌なこと、避けたいことを避けられないのが地震列島に生きる者の宿命である。が、闇の先に光があるのも人生だ。それを繰り返し、強くなって進むしかない。