環境問題は自分自身の問題としてとらえられるかどうかが鍵
──環境負荷軽減にどう対処するのかというのは、知識や経済力よりも、行き着くところは「気の持ちよう」ともいえそうですね。
平沢: 「環境に配慮する」ということは、難しいことでも、専門的なことでも、なんでもなくて、要は「成熟した公共マナーの拡張」(※11)という範ちゅうの話なんだと私は考えています。
つまり、公共マナーを地球全体、動植物全体へと拡張したものが、環境問題へどう対処しながら生きるかということだと思うんです。
※11 「成熟した公共マナーの拡張」について。マクルーハンはメディアやテクノロジの発達を身体器官の拡張や切断という比喩で説明したが、インターネットをはじめとするメディアの普及により、公共の概念も民族や国家、宗教といった枠組みを越えて拡大してきたと考えられる。
例えば、隣の庭にゴミを捨てながら、自分の家では美味しい料理を食べるなんてこと、普通はやらないですよね。しかし、隣の国にゴミを捨てるということになると、結構、平気でやったりする。隣の県に対しても、まだ無関心かもしれない。人によって、公共マナーと自覚できる空間の大きさに違いがあると思うんですよ。
隣人には優しく、思い遣りや自己犠牲の精神もあるのに、なぜかツバル(※12)の人たちに不便を押し付けても無関心でいられる。はるかツバルまでいっちゃうと、「関係ない人たち」になってしまうんですね。
身近な公共マナーの精神を拡張していくには、ツバルの人たちが膝まで水に浸かってるということを、どこまでリアルに感じられるかという想像力が必要になってくると思います。
※12 オセアニアの旧イギリス植民地だった島国。バチカンに次ぐ小国。海抜が最大でも5mと非常に低いため、現在でも高潮の被害が多い。地球温暖化で海面が上昇すると、真っ先に海に沈むといわれている。ちなみに、2000年には「.tv」ドメインを米国の会社に売却した資金を元に国連(国際連合)に加入して話題になった。
──ただ、無関心とか創造力が足りないとかではなく、環境問題には良かれと思ってやったことが、実は総合的に見ると、悪い結果を招くこともあるという独特の難しさがあります。そう考えれば考えるほど実行できなくなる。あるいは、本当のことを知れば知るほどできなくなるという側面もあると思うのですが…。
平沢: 確かに、良かれと思って自分のやった行為が、逆に誰かの不幸や環境破壊につながったりすることはあります。
ただね、個人ができる規模は決まってるじゃないですか。国家的なプロジェクトで実行することと違って、個人が取り組んでも“取り返しのつかない事態”にまでは至らないのではと私は考えます。
ミュージシャン 平沢 進 氏
ここで話題になっているような、「1人の人間が生活していくなかで、一体何ができるか」という範囲であるならば、もし間違いがあっても、十分に軌道修正はできるはずですし、気にしなくてもよいのではないかと。
なおかつ、個人であろうが、国家的なプロジェクトであろうが、行動の根拠が仮説に過ぎないことは常によくあることでしょう。しかし、どの説が正しいのか、正しくないのかを見極めている間に、効果的な予防のタイミングを失ってしまえば、それこそ取り返しがつかなくなりますよね。だから、何もしないより、する方がいいんだと考えます。
私がそうしたことよりも問題だと考えるのは、地球環境という公共的なモノを自分のこととして考えられないことなんです。政治に任せたり、NGO(非政府組織)や専門家に任せて「自分は関係ないや!」と思ってしまう未熟な公共感覚が問題だと思いますね。
そういう感覚を持ち続けていると、どうなるか。照明ひとつ消すのさえ面倒くさいと感じるし、暑ければ簡単にクーラーをつけてしまう。一度そのように身につけた習慣は止められませんよね。
もし、大勢の人たちがそのようになったら、いずれ何らかの制度や取り決めによって、他者から自分の行動が制限されたり、何かを強要されたりするようになるかもしれません。本人が特に他者から不快な強要を受けていると感じていなくても、気が付けば欲しくもなかった省エネ製品が部屋中にあふれかえっていて、トータルすると以前より消費電力が増えていた──なんていうこともあるかもしれませんよ(笑)。
そこまでは大げさだとしても、「こうしなければ、あなたの権利は制限されますよ」と言われるような事態まで招いてしまう前に、地球環境に配慮する生活パターン、公共マナー、公共感覚としての環境配慮生活みたいなことを、より自発的に、実践し始める必要があるのではないかと思います。
私が初めてソーラーパネルを買おうとしたとき、国内で十分な情報を得るまでとても時間がかかってしまったことは残念です。米国は、いわゆる国の方針としては京都議定書への批准を蹴ったけれども、個人レベルでの環境問題への取り組みは非常に盛んなようです。だから、個人でソーラーパネルを設置するための情報もたくさんある。逆に日本のソーラーパネルは性能も生産量も世界トップレベルなのに、日本での普及率は非常に低い。
京セラ製の多結晶型太陽電池パネル(120W)4枚を自作のタワー(やぐら)に設置している。
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