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[25417] 【習作】タロス戦記【オリジナルFT】
Name: 参月◆ab5af9c4 ID:91c90832
Date: 2011/01/16 12:18
一応ファンタジーのオリジナルです。
一部残酷な表現があります。

注意事項
・ブラウザで読みやすいような改行はしていません。専用ツール等の活用を推奨いたします

希望として、

・きちんと読み手に情景や動きが伝わっているか
・小説としての体をなしているか

あたりの感想をいただけると幸いです。

1/16 設定ミス修正



[25417] 1
Name: 参月◆ab5af9c4 ID:91c90832
Date: 2011/01/16 12:14
 安全な後方にいたのに、早々に前線へと送り出されたのは幸運だった。
 少なくともはオルテスそう思っている。
 異形の影にのしかかられ、その獰猛な鉤爪の一撃に襲われても考えは変わらない。
 オルテスは両手に握った両刃の剣を振り上げ、鉤爪を弾き返す。
 刃が震え、火花がかすかに散った。
 オルテスは一歩下がり、改めて眼前に立つ敵を見据える。
 成人男性の二倍はあろうかという巨体。全身を覆う硬質皮膚の色は赤黒く、それを太い縄束のような筋肉が押し上げている。四本指の先から伸びる爪は、ナイフのように鋭く湾曲していた。
 何よりおぞましいのは、オルテスの体を映す漆黒の瞳だ。顔の半分以上を占める巨大でいびつな形をした目には、感情らしいものは見受けられない。だが人間に悪意を持ち、攻撃心の塊であることは明白だ。
 何しろ人間は三百年間こいつらと戦い続けてきたのだから。
 大陸の東北部より現れ、人間に襲いかかる悪夢のような怪物。
 いや、人だけではなく無数の動植物にも危害を加えている。まるで、自分達以外の存在がすべて憎いとでもいうように。
 人はこの異形のような化け物を、本能的な嫌悪と恐怖をこめてこう呼ぶ。
 悪魔、と。
 間合いを計りながら呼吸を整えるためにオルテスはゆっくりと息を吸い込んだ。乾いた平原の空気の中には人間の血肉の匂いや、体臭さえ人間に悪意を持っているのではと思える悪魔の硫黄くさい匂いが混じっていた。
 悪魔が、鮫のように牙の並んだ口を開いて咆哮を上げる。魂まで凍てつかせるような金切声。
 それを打ち消すほどの気合を喉から迸らせながら、オルテスは前に出た。
 悪魔と人間の戦士が出会えば、その決着は生か死か、だ。
 恐怖をねじ伏せ、相手に刃を突き立てるしか道はない。
「せえいっ!」
 命を刈り取らんと、風を巻いて振り下ろされる爪を、剣身で遮る。オルテスの腕に凄まじい衝撃が走るが、手首を捻って受け流す。
 頭上に抜けた悪魔の腕の下にもぐりこむように、踏み込んだ。
 悪魔の皮膚は総じて硬く、鋼鉄製の剣といえども適切な角度で打ち込まなければ簡単に弾かれる。しかも刃を食い込ませても、その内側のみっしり詰まった筋肉が阻んでしまうことが多い。
 このため、人間の戦士は一撃必殺の確信がなければ、なるべく間合いをとり少しずつ斬りつけて悪魔の体力を削っていくのが鉄則だ。
 だが、その鉄則に反してオルテスは大きく剣を振りかぶり、悪魔の胸部に叩きつけた。
 悪魔の口元から、小馬鹿にしたような細い吐気が漏れる。攻撃が不発に終わった後で確実に殺してやる、とばかりに。
 しかしオルテスの剣は、跳ね返されることも途中で止まることもなかった。高い斬撃音とともに、悪魔の胸から腹までを垂直に切り裂く。
 悪魔の皮膚と同色の血を振り撒いて抜けた刃は、わずかな燐光をまとっていた。
 反対側の腕を振り上げたまま動きが止まった悪魔に、オルテスは容赦なく追撃をかける。
 悪魔の生命力は人間の常識とはかけはなれており、この程度ではやられてくれはしない。
 刃を返し、開いたばかりの傷口を抉るように、斬り上げ。
 オルテスの両手に、快いとは対極の生々しい手応えが伝わってくる。
 悪魔が苦し紛れに振った巨腕に肩口を掠められながらも、剣を引き戻し間髪いれず体当たりするような突きを放った。
 切っ先が、二度の切り込みで深く開いた傷口に飛び込み、人間ならば心臓があるはずの部位に容赦なく食い込む。
 一連の動きに淀みはなく、悪魔が目の前にいなければ剣舞としても通じるほどなめらかだった。
 全身に返り血を浴びたオルテスが軽い跳躍で間合いを取り直すと、悪魔の体がゆっくりと倒れ――そして、地に伏すより早くその全身が瞬く間に淡い光の粒に変わり、四散して消えた。
 おぞましい姿に似合わぬ、美しい光に彩られた消滅。それこそが、悪魔が完全に命を失った証だった。
 舞い散る光に見とれる暇もなく、オルテスは周辺に視線を走らせた。
 呼吸は荒くなり、全身は鉛を詰め込まれたように重い。着慣れたはずの鎖帷子の重量さえ、全身を苛む。
 異形の化け物と命のやりとりをすることは、心身に壮絶な負担をかける。
 それでも、戦わなければならない。
 悪魔相手に交渉も妥協もない、というのはこの世界の常識であるのだから。
 人間には悪魔に対する武器は、大きく分けて二つある。
 ひとつはオルテスの手にした剣、身に着けた鎖帷子のような装備だ。大地から発掘した鉄などを加工し、生来強い牙や爪・皮膚を持たない人間の体の弱点を補う。
 もうひとつが、術法と呼ばれる力だ。
 術法はさらにふたつに分けられる。
 内力術と、魔法だ。
 人間はじめとする万物に宿る〝気〟を引き出し、力に変えるのが内力術。オルテスの剣を輝かせているのは、その技だ。内力術で威力を増した剣撃は、悪魔の皮膚をも斬る。
 オルテスはじめとして、この戦場に投入された兵士の半数は、一般的な武芸とともに内力術をあわせて習得した精鋭のはずだった。
 だが。
「くっ!?」
 平原は、赤く染まっていた。
 夕暮れの光のせいだけではない。多くの人間の兵士が倒され、彼らの流す血が大地に沼を作っているのだ。
 目につくのは、オルテスが倒したのとそっくりな異形の姿。
 悪魔はまだ五十体近いのに、兵士側は三十人ほどまで減らされている――出撃した兵は、総計二百はいたはずなのに。
 素人目にもわかる、人の劣勢だった。
「このっ!」
 オルテスは、すぐ傍で戦っている兵士に襲いかかる悪魔に気づき、足に鞭打って走りだした。
 だが、その剣が悪魔に届くより早く、絶叫があがった。
 振り下ろされた悪魔の腕が、槍の柄をへし折った勢いのまま兵士の頭部を潰したのだ。恐るべき膂力だった。
 オルテスは歯を噛み鳴らしながら、仇をとるべく悪魔の背中に回りこむと、〝気〟を搾り出して剣に集中した。
 苦戦の原因は、わかっている。
 本来なら、もうひとつの術法である魔法による支援が入っているはずなのだ。
 魔法の原理は、異世界の力をこの世界に導引し、それをもってさまざまな現象を引き起こす技の総称だ。
 内力術が主に術者本人の生命力を使うのに対して、より巨大な存在を力の源泉とする魔法は威力という点で圧倒的な優越を誇る。
 だが、いつもなら頼りになる逆巻く爆炎や、何物をも貫く氷の刃は一向に悪魔に襲いかかる気配はない。
 オルテス達の後方に位置する砦に篭った魔法士達は、沈黙を保ったままだ。
 彼らが何もしないのは、怠けや兵士達への悪意からではない。
 今回の戦闘が始まる前に、突如出された『魔法使用禁止令』のためだ。
 これまでは光を避け、昼間には出現しなかった悪魔達が、夕刻にまで出現するようになった。その数も力も増大しており、戦力の増援・特に一人で数体の悪魔を倒せる魔法士の派遣を求めた司令官の報告と要請に対する、目を疑うような後方からの命令。
 命を懸けて悪魔を食い止めている将兵達にとっては、気がふれたとしか思えない愚かな話。
 だが、司令官はそれに従った。
 軍人にとっては上からの命令は絶対だ。理不尽だと思っても、改善を具申しそれが裁可されるまでは、魔法を使わせることはできない。
 本来は、強大な力をもった対悪魔用の軍隊に反乱を起こさせないための鉄の規律が、裏目に出ていた。
 オルテスは、悪魔と味方の上層部――タロス同盟軍を構成する六ヶ国の指導者達への怒りを気合に変えて、悪魔の背に突撃した。
 弓を引き絞るように全身をひねり、戻す力を剣先に乗せて放った渾身の突きは、悪魔の赤黒い皮膚を紙のように突き破る。
 この時、オルテスの視野は疲労と怒りで狭くなっており、すぐ近くにもう一体の悪魔がいたことに気づけなかった。
 夢中になって悪魔の背を抉るオルテスの無防備な側頭部めがけて、鉤爪が振り下ろされる。
 平原に、血が吹き上がった。
 人間の赤ではなく、悪魔の赤黒い血が。
 はっとなってテオルドスが顔を上げると、悪魔が頭部から真っ二つになって左右に倒れる光景が目に飛び込んだ。
 血煙の向こうに、男が立っていた。その両腕には、今悪魔を屠ったばかりの両刃大剣がある。
 悪魔を両断するためには、当然ながら奴の頭に剣が届く位置まで跳躍し、そこから一気に硬い体を切り下げなければならない。
 凄まじい腕前だった。
 オルテスは、驚愕を押し殺しながら目の前の悪魔の体内に埋め込んだ刃を回してとどめを刺した。
 悪魔が光に変わるのを確認してから恩人に顔を向けたオルテスは、
「助かった」
 とようやく声を出した。息を切らしかけているため、老人のようにしゃがれていた。
「後衛組か!?」
 男は、全身から金属音をさせながら駆け寄ってきた。体のほとんどを防護する鎧を着込んでいるのに、動きに鈍重さはない。
 激戦の証のように、剣も鎧も返り血と砂塵でまだら模様だが、大きな怪我をした様子はなかった。
「そうだ! 貴方は前衛組だな?」
 オルテスは、唾を何度か飲み込んで喉を潤してから返事をした。
 前衛、後衛というのは大まかに分けられた部隊の名称だ。
 前衛組は、悪魔の侵攻を発見すると真っ先に飛び出して防ぎにかかる。その重要性から、タロス同盟軍でも特に腕利きの戦士や魔法士が選抜される精鋭部隊。
 これに対して、後衛組は前衛組が討ち漏らした悪魔を始末するのが役目。戦況が順調なら出撃さえしないことが多く、箔付けのために参戦した各国の貴族やそのお供が割り当てられる。構成員の半数が、肩書きだけは立派な弱兵だ。
「ここはもう駄目だ、生き残りをまとめて篭城するしかない!」
 男が周囲を警戒しながら言う言葉に、オルテスもうなずいた。
 前衛組が崩れたところで、速やかに後衛組の出撃が下命された。
 前衛組が全滅した後に出しては、各個撃破のいい的になるからだ。
 オルテスが幸運だ、と思ったのはそのためだ。
 今も悲惨な状況だが、司令官の判断が遅れればもっと無残なことになっていただろう。
「魔法の支援があれば……」
 言っても詮のないことだとわかりながら、オルテスの口から絞りだすようなつぶやきが漏れる。
 男とともに、近くの味方を救うために駆け出した。

 オルテス達が、何とか人心地をつけたのは翌日の昼になってからだった。
 砦に命からがら逃げ込み、休むまもなく壁を頼りに防衛戦。要請を受けて駆けつけた近隣の部隊の援軍を受けて、ようやく悪魔を撃退した。
 後は泥のように眠り、目を覚ましたときには太陽が中天に達していた。
 オルテスは寝台から離れがたいと主張する体を無理やり引き剥がし、湯を何杯か頭から被って汚れを落とした後、軍服に着替えてふらつく足取りで食堂へ向かった。
 一個部隊二百人がまとめて食事できるほど広い、石造りの食堂は空席が目立つ。昨日の昼間は、座る場所を探すほどにぎわっていたのに。
 一体何人がやられたのか、とオルテスは暗澹たる気分を引きずりながら、カウンターに近づいて料理人に注文を出す。
 さして美味くないとわかっている軍隊用のまとめてつくる料理でも、その匂いは空っぽの胃を直撃する。
 せかすように料理人の盛り付ける手つきを眺めていたオルテスの背中に、声がかかった。
「よう、お互い生き残れたようだな」
 振り返ると、大柄な男がいた。その燃えるような赤毛と、同じ色の瞳は、同盟加盟国のひとつ・商業国家ラームの人間によく見られる。
 オルテスは十七の男性としては平均よりやや上の背丈だが、それよりさらに頭二つほど高い。立っているだけで威圧感を与えられそうなほど逞しい体つきをしているが、その上に乗った彫りの深い顔には、人なつこい子供のような笑みが浮かんでいる。
 昨日、命を助けてくれた相手だと思い出してオルテスも口元を緩めた。
「貴方も。見たところ大きな怪我もないようで、何よりだ」
 二人分の食事が用意されるのを待ってから、オルテスは席についた。男も、向かい合う位置に座る。
「俺はカルバン。姓は無い」
 男――カルバンは大きな掌でパンを掴みながら名乗った。
 姓がないのは、珍しいことではない。タロス同盟軍の母体である六ヶ国は、それぞれが独自の社会体制を持っている。
 一定身分以上ではないと、姓を持つことが許されない国もあるのだ。
 だが、ついで名乗られた肩書きに、思わずオルテスは目を見開いた。
「位階は第三位」
 同盟軍の階級は、『位階』と呼ばれる。一番上の第一から最下級の第七位まで。位階が同じ場合は、先にその位についたものが上官とみなされる。
 第三位といえば、部隊や砦をひとつ預かれる高位者だ。
 オルテスの驚き顔を、カルバンは面白そうに見やってから首を振る。
「第三位っていっても、先日昇進したばかりの見習いってやつだ。十三歳の時に、故郷が飢饉だったんで志願してそれでやっとさ」
 悪魔を一撃で倒した手並みから、只者ではないと思っていたが、少年の時期から戦い続ける熟練兵だったのだ。
「オルテスだ。オルテス……レバート。第四位」
 オルテスは俯いた。
 レバート。それは、同盟に参加する国のひとつの名前と同じだった。国名と同じ姓を名乗れるのは、直系王族のみ。
 軍に参加した時にすぐに第五位を与えられたのは、出身身分のおかげ。昇進も早いから、叩き上げを前にすると負い目を覚えてしまう。
「おいおい、俺は気にしねえぞ。お前さんが位階にふさわしい働きをしたのはちゃんと見てるぜ。堅苦しいのは抜きの俺、お前でいこうや」
 オルテスの心を読んだように、カルバンはパンを持っていないほうの手を振った。
「一応、王弟ということになっているけど。はっきりいって名ばかりだよ」
 気を取り直したオルテスは顔を上げた。
 これは謙遜ではなく事実だ。
 レバート王国では、お家騒動を避けるために国王および王太子と、それ以外の王族に大きな格差をつける。
 オルテスが対悪魔部隊である同盟軍に送り出されたのも、その一環だ。戦死しても仕方ない、という意図があるのは公然の秘密。
「レバートといえば、最近は魔法研究で名を上げているな」
 カルバンは、そう口にしてから顔をしかめた。表情がゆがむのはオルテスも同じだった。レバートに反感を持っているのではなく、魔法禁止令に意識がいったからだ。
 レバート王国は、オルテスの兄・レムスが王位を継いでから魔法研究を大々的に行い、対悪魔用の強力な攻撃魔法を開発していた。
 特に、密集した悪魔を何体も巻き込める広域魔法は、同盟軍の戦いを飛躍的に楽にしていると評判だ。
 しかし、それを含む一切の魔法が突然禁止されたのだ。
 魔法による治癒や防御さえ駄目、というのだからわけがわからない。
 内力術系統は別だが、効果の強さという点では魔法の代わりは到底不可能だ。
「魔法が使えればもっと楽に戦えたし、重傷者だって助かったかもしれないのに……」
 オルテスは、フォークを取って皿の上の罪の無い肉を刺し貫きながら、つぶやいた。
 内力術にも利点がないわけではない。
 魔法が、異世界から力を引き出す・暴走しないよう制御する・そして発動という三手順をこなさなければならないのに対し、内力術は熟練すれば念じるだけで発動できる。
 だから一秒を争う直接戦闘を行う兵士は、内力術を習得することが推奨される。
 兵士が足止めして時間を稼いでいるうちに、魔法士が強力な攻撃魔法を叩き込むのが、対悪魔戦でもっとも一般的な戦術だ。
「上からのお達しだっていうが、なんなんだろうなあ」
 カルバンががっしりした顎を動かして食事する合間に首をひねった。
「わからない。突然だったから、後衛組の連中も驚いていた」
 故郷では身分の高い者達が、なるべく死なないための配慮として配置される事が多い後衛組だが。決してお荷物一辺倒ではない。
 各国に伝手を持ち、情報の入手が早い。それが軍の役に立つこともままあるのだが。
 今回は、青天の霹靂だったのだ。
 戦っている最中は、上層部を悪罵してやるぞと意気込んでいたが。いざ生還してみると、怒りより疑心が勝る。
 悪魔への防衛力が弱まって困るのは、同盟全域であるのに。
「よほどの事情があるんだろうが。説明もろくにないってんじゃ、納得もできんしなあ」
「出てくる悪魔も、どんどん強くなっている。一年ほど前までは、あれほど手強いのは滅多に見た事がなかった。俺が後衛組だったからかもしれないが」
「いや、俺達も似たような感触を持ってたぜ。獣に毛が生えた程度なのがほとんどだったのに、今は術を使わないと歯が立たない奴らばかりだ」
 二人は疑問を口にしあうが、答えが出るはずもない。
「カルバン。それと、オルテスだな?」
 食事を終えて一服していると、兵士が歩み寄ってきた。胸に、司令官直属の副官であることを示す徽章をつけている。
「司令官がお呼びだ。二人とも、速やかに司令官室へ出頭せよ」



[25417] 2
Name: 参月◆ab5af9c4 ID:91c90832
Date: 2011/01/16 12:16
 司令官に呼ばれてから三日後、オルテスとカルバンはそろって馬上の人となっていた。
 秋の終わりらしからぬ強い日差が大地から水分を奪っていく。風がそよぐたびに乾いた砂塵が舞い上がり、旅人達にまとわりついた。
 オルテスは首筋から流れる汗を拭った。べとついた汗が砂を含んで気持ちが悪い。
 二人が向かう先は、タロス同盟の盟主的地位にある大国・セブール帝国の帝都だ。
 帝国は、この地方最大の穀倉地帯を抱えている。悪魔の侵攻がなければ、他国を傘下におさめて統一帝国を作っているだろう、と言われるほど国力が高い。
 そのセブールの皇帝が、同盟軍に魔法禁止令を出した。
 本来は六ヶ国の合議で出るはずの同盟軍への命令は、実質的にセブール皇帝に独占されて久しい。
 今回の命令に疑問を持つ司令官は、撤回を求める上申をするために書状を書いた。それだけでは説得できないかもしれない、と考えて前線の苦戦を知る二人を使者に選んだのだ。
 実際に命がけで戦った人間の口上は、何より説得力を持つだろう、と。
 オルテスは、本国で冷遇されていようと王族であるから、門前払いは無いという判断からの人選。カルバンはその護衛だ。
 軍内での地位はカルバンのほうが上なのだから、微妙な空気になりそうなものだが。
 鷹揚なカルバンは、「よろしくお願いします王弟殿下」と冗談めかして言って任務を引き受けた。
 事が政治絡みなだけに、司令官は事態に応じて自由に動ける裁量権を与えてくれたが、当座は帝都へ向かうしかないとオルテスは考えていた。
「なあ、オルテス」
 軍服に愛用の大剣を背負った姿のカルバンが、馬を寄せてきた。
「レバートの王宮に顔を出さなくていいのか?」
 オルテス達がいた砦から、セブール帝都へ向かう途上にちょうどレバート王国はある。
「任務中だし、寄り道している余裕はないだろう?」
 オルテスは首を横に振った。こちらは、軍服に剣を腰に差した装いだ。
 砦からセブール帝都までは、馬を使っても通常で二週間かかる。その間、悪魔の再侵攻がないとは限らない。
「俺も最初はそう思ってたんだが。うちの司令官だけの書状だけじゃ弱いんじゃないか? レバートの王様を説得して添え状でも出して貰えば交渉が楽になるだろう?」
「だが、命令が出たということは、あにう……レバート国王が同意していた可能性は高い」
「そうじゃないかもしれない。加盟国のひとつと前線がそろって反対を表明すれば、皇帝だって考えざるを得ないんじゃないか?」
 カルバンはなかなか考えが回る男だ。
 少し考え込んだオルテスは、その意見にうなずいた。
「じゃあ、行こう」
「王宮にいくなんて生まれて初めてだ」
「あまり期待しないでくれよ。うちは貧乏国なんだ」
 レバート王国は、対悪魔の前線に近い地理条件から、軍事に金をつぎ込んでいることもあり国家財政は常に火の車。
 レムス王は若くして賢王といわれている、オルテスとしては劣等感を刺激されずにはいられない存在だが。その兄の手腕をもってしても、国を富ませるのは難しい状況だ。
 馬を走らせると、特に事件にあうこともなくレバート王国の同名の首都に達した。
 白亜の王宮の門番は、突然の王弟の帰国に驚いたが、用件を伝えるとすぐに取り次いでくれる。
 そして、二人は馬を預けると謁見の間に案内された。
「ふわ……」
 謁見の間に入ると、カルバンは大きく口を開けて部屋中を見渡した。
 天井は高く、無数の明り取りの窓が、最大限に陽光を引き入れるよう角度をつけて壁に並んでいる。部屋を支える柱には、王国の建国時代を柄物語として示すレリーフが彫りこまれていた。だが、よく見れば壁の所々にある小さなヒビはそのままで、見るものが見れば維持費を惜しんでいるのが丸わかりだろう。
 しかしカルバンはすっかり気を呑まれた様子で、どこが貧乏だとつぶやいている。
 オルテスはともすれば靴の立てるはずの音を完全に吸収する絨毯を踏みしめ、謁見の間を中ほどまで進みそこでひざまずく。
「オルテス。もっとこちらへ来ないか、遠慮は無用だ。同盟軍の方も」
 玉座に腰掛けた人物が、立ち上がって懐かしげな声をかけてきた。
 とたんに、オルテスの胸は鉛を詰め込まれたようになる。
 レムス王は、光さえ吸い込むような黒髪とわずかに緑がかった黒い瞳をもつ、優男といっていい目鼻立ちの二十代半ばの男性だ。
 兄弟らしくオルテスとはよく似た顔立ち。オルテスが兄と同じぐらいの年齢になり、軍人らしく刈った髪を伸ばせば瓜二つといっても通じるだろう。
 兄はオルテスの前に常にいて、永遠に追いつけない存在だった。年齢や、国王と王弟という身分の差だけではない。
 レムスは五年前に夭折した父の後を継ぐと、若造と侮る廷臣達から主導権を奪い、国政の効率化に着手した。
 国王自ら質素倹約に努め、税制と裁判制度を公平なものに改革し、軍費を魔法研究に重点配分する。急激に、とはいかないまでも国民の暮らしは良くなり、魔法研究の成果は同盟軍にも惜しげもなく公開され、その威力をオルテスは前線で何度も目の当たりにしている。
 誇らしい反面、頭を常に押さえつけられているような気持ちになるのだ。
 武術と内力術ぐらいなら、悪魔と戦う経験を持った自分が勝っているはずだが、兄の功績の前では負け惜しみにもならない。
 国から冷遇されているのはしきたりのためで、兄個人からはむしろ心配されていることも知っているから嫉妬を抱くことさえはばかられる。
 湧き上がる複雑な感情をかみ殺して少し前に進んでから、オルテスは口を開いた。
 カルバンもオルテスの斜め後ろに位置を定めて片膝をつく。
「陛下のご尊顔を拝したてまつり、恐悦至極に存じます」
 オルテスが型どおりの挨拶をはじめるとレムスは水臭い、と言いたげに眉根を寄せたが。話が魔法禁止令のことになると、さすがに顔色を真剣そのものにした。
「やはり、そちらも難儀をしているのか」
「そちらも?」
 オルテスが聞き返すと、レムスは重々しくうなずいた。脇に控える廷臣たちも渋い顔だ。
「セブール皇帝は、我が国にも魔法研究と使用の禁止を要請してきた。応じぬのなら、食料輸出を止めるというのだから、実態は脅迫だ」
「!?」
「我が国に対してだけではない。セブールは同盟加盟国全てにそう要請しているのだ」
 ほとほと困ったようにレムスは自分の顔を掌で覆った。
 オルテスとカルバンは、驚きを浮かべる目を見合わせた。
 話は、単なる前線での魔法使用だけでは済まないようだ。しかも、セブールがなぜそんな真似をするのかがさっぱりわからない。
 廷臣の一人、山羊のような白髭を胸まで垂らしたローブ姿の老人が、王の言葉を継ぐように話し始めた。
 宮廷魔法士であり、魔法研究の実務を担当しているロッサムだ。
「ご存知の通り、魔法は軍事使用はもちろん、医療や社会事業の世界にも広まっております。いまさらやめろ、といわれても困難ですが、かといってかの国に逆らうのもまた難しいのです」
 ロッサムは、悔しげに顔をゆがめた。
 魔法による治療は、通常の医術では対処困難な怪我や病気を治癒することが可能だ。
 攻撃魔法の応用で山を崩し、水路を開いたり、道を作ったりといったことも行われている。
 魔法士になるには、正しい知識と厳しい精神修養が必要であるため、数は多くないが社会にとって不可欠な存在になりつつあった。
 その中での、禁令。
 混乱が広まるのも時間の問題だろう。
「せっかく、我々が心血を注いで新魔法を開発したというのに、まったく何と愚かなことを言い出したのでしょう」
「新魔法、とは?」
 オルテスは老人の言葉に思わず聞き返す。
 ロッサムは、王に視線で了解を求めてから、説明をはじめた。
「広域破壊魔法です」
 これまでの魔法は、どんな優れた術者が発動させても、十体かそこらの悪魔を攻撃するのがせいぜいだった。
 だが、広域破壊魔法を用いれば、大きめの街ひとつをすっぽりと覆う範囲で威力を発揮させられる、という。
「そんなことが本当に!?」
 カルバンがぎょっとなって大声を上げた。これまでの魔法の限界をはるかに超えるからだ。
 そんな反応にむっときたのか、ロッサムは、
「できる! 確かに高度な術であるし、実戦試験はまだだが。このところさらに数と力を増す悪魔どもを打ち倒すのに、必ず光明となる!」
 と、断言した。
 あらかじめ異界からの力を導く魔法陣を大地に描き、複数の術者でそれを制御して任意の地点に叩きつけるのだという。
「準備に手間がかかることが欠点だがね。それもいずれは解消できるだろう。にもかかわらず、研究を凍結しなければならない状況だ」
 レムスは悔しげに肘掛を掴んだ。
「兄上! なんとかならないのですか!? こうしている間にも、仲間が……!」
 オルテスはたまらず声を上げた。
 どう考えても帝国の言うことは横暴、理不尽だ。
 脳裏に魔法の援護がないために次々と倒れていった戦友達の姿が浮かび、それがオルテスの心をかき回す。
「あ……失礼を」
 はっとなって頭を下げるオルテスに、レムスの朗らかな笑い声がかかる。
「いや、気にするな。こちらこそ笑って済まなかった。あの人間嫌いのお前から、仲間という言葉が聞けたのでな」
「え? 人間嫌いって」
 カルバンが不思議そうに目をしばたたかせている。
「我が王国のしきたりのせいもあるが。オルテスは幼いころから人とろくに口もきかない暗い子で、同盟軍でうまくやっているか心配だったんだよ」
 これみよがしにため息をつく兄の姿に、オルテスの顔が羞恥で真っ赤になる。
「護衛や従者をつけてやろうとしても、不要の一点張りで。ある程度の位階ぐらいはつけてやってほしい、と軍に頼んだのだが、それも嫌がって――」
「へ、陛下、今は私のことより帝国への対策を!」
 羞恥に声を上ずらせる弟をひとしきり笑った後に、レムスは考え込むように口を閉じた。時折、廷臣を呼び寄せて小声で何かを話し合っている。
 空気が変わった、と察したオルテスが黙っていると、やがてレムスは厳かに口を開いた。
「実は、今回の事情を説明すると帝国から使節団がこちらに向かっている。そこで、国境まで迎えをださなければならないのだが。オルテス、行ってみるか?」
「使者?」
「うむ。本来なら命令を勝手に出す前に、事情を話すのが筋のはずなのだがな。同盟軍も、早く理由を知りたいところだろう。使節団から話を聞いたら、そこから改めて帝都へ撤回要請に向かうなり、軍へ一旦戻るなり決めたほうがいいのではないか?」
 オルテスは、カルバンと顔を見合わせた。
 レムスの言うとおり、理由は一刻も早く知りたい。二人はうなずきあった。
「わかりました。では、これより国境へ向かいます」

 レバート王国とセブール帝国の国境に位置する都市は、タロスという。
 タロス同盟の名の元になった、中立自由都市だ。
 三百年ほど前、それぞれの地域で勃興し独自の発展を遂げた六ヶ国の勢力圏がいよいよ接触し、この地の覇権を決める戦が始まる気配が濃厚となった時期。
 出没しはじめた悪魔の脅威を訴えた、時のセブール皇帝が、相互不可侵と対悪魔戦協力を謳って同盟を呼びかけたのだ。
 当初は各国とも反応は薄かったが、悪魔が辺境を荒らしまわるようになると、大国セブールに睨まれたくない事もあって同盟が成立。
 その同盟条約調印の場に選ばれたのがタロスだった。
 地理的に見れば、この大陸の臍にあたる中心地にあり、タロスから北東へいけばレバート王国。さらに進めば、同盟軍の城砦群が。そこから先は、悪魔の出現地とされる『黒い山脈』がある。
 その六ヶ国の歴史的同盟の場になった都市の城門をくぐる行列があった。
 セブール帝国の紋章である「翼の生えた馬」のシンボルを掲げているが、規模は小さい。
 装飾のほとんどない馬車一台と十人ほどの騎馬の護衛、そして徒歩のお供が二十人ほど。
 あまり身分の高くない貴族でもあつらえられる程度の一行であり、道行く街の人々も道を塞ぎはしないものの特に注意は向けない。
「あーあ。どうして? どうして私がこんな事をしなければならないの?」
 馬車の中から、退屈で仕方ないというような聞こえよがしの声があがる。それは街の雑多な音の中にあっさりと打ち消されたが、従う騎士達の耳には届いた。
「お嬢様」
 騎士の一人が馬車と並走しながら、中へ声をかけた。
「何がご不満なのです」
「不満に決まっているじゃない! こんな狭いところに押し込められて! お尻は痛いし息は詰まるし! だいたい何よこの粗末な行列は!」
「粗末でなければ困るのです、今回は、目立ってはいけないのですから」
「そんなの私には関係ないわ! 書簡を届けるだけなら誰にでもできるでしょう!?」
 騎士は大きくため息をついた。馬車の中にも聞こえるように。
「お嬢様が選ばれた意味を、少しは考えましたか? 必要がなければ贅沢三昧しか能がない、世間知らずな娘を一国への使者に立てるわけがないでしょう」
 騎士は、形のよい唇から慇懃丁寧な言葉をつむいだ。女だった。
 馬車の中から、うなり声があがる。
「エリーヌ、前々から思っていたのだけど。主に対する敬意が足りないんじゃないの……?」
「私の主はお嬢様のお父君です。小生意気で、すぐ拗ねたりかんしゃくを起こすような、大平原胸の小娘のお世話は職務の一環にすぎません」
「胸は関係ないでしょ! お父様に言いつけるわよ!?」
「どうぞご随意に。その前に、しっかり使命を果たしてくださいませ。誰にでもできるのでしょう?」
 すまし顔で言う女騎士・エリーヌに、馬車の小さな窓から怒りのこもった視線が向けられる。
「そ、そんな慇懃無礼だから嫁の貰い手がないのよ! もう二十をいくつ超えているわけ!?」
 ある意味で女性に対する最大の侮辱が飛んだが、エリーヌはふんと鼻を鳴らした。
「勘違いなさらないでください。私にふさわしい貰い手がいないのです」
 エリーヌは馬上で胸をそらした。そうすると、肩口まであるプラチナブロンドの髪が軽やかに広がる。ほっそりした顎の線はなめらかで、到底荒事に向いているとは思えない。せいぜい、貴族の令嬢が暇つぶしの仮装に軍服を着ている、という風情だが。その腰に下げた長剣には無数の傷があり、かなり使い込まれていることが見受けられた。
「ふさわしい殿方の基準が、エリーヌのは腕っ節でしょう? 滅茶苦茶よ」
「残念なことに、私より強い帝国の殿方は皆そろって既婚者か御歳を召した方ばかりなので、いきおくれもやむなしかと」
「相手がみつくろえない事じゃなくて、基準そのものが滅茶苦茶って言ってるのだけれど」
「私の好みです」
 すっぱり大上段から斬りつけるように、エリーヌは言い放った。
「内力術を応用した私の秘剣『疾風奪命波』を受け止められるほどな未婚の殿方がいれば、出会ったその日に嫁ぎますともええ」
「なんでいちいち技に名前をつけるのよ……」
「名前をつけたほうが技をはっきりと意識できて、〝気〟を集中させやすくなるからです。あと、かっこいいでしょう?」
「よくないわよ!」
「…………」
 エリーヌは肩を落とし、馬に揺られるままに体をがっくんがっくんゆすりながら、恨めしげに馬車を見る。
「ですが、お嬢様も騎士ごっこの時には、『ブレード・オブ・ムーンライト』などとご自分の技に――」
「いくつの時の話よ! かわいい子供の無邪気な遊びと一緒にしないで!」
「自分でかわいいとか言いやがりますか……さておき、名前をつけるというのは神聖な意味があるのです。たとえば臣下が主君から名前をいただくのは、永遠の忠誠を魂に誓ったということ。武器に名をつけるのは、命を預けるほど得物を信頼しているという――」
「そ、それはいいから、とにかく退屈なの! 少しは外の空気を吸わせてよ!」
 口で言い合っても埒があかないと理解したのか、馬車の中から子猫がいたずらをして回っているような騒音が漏れる。
 エリーヌはため息をついた。
「わかりました。その代わり、少しだけですよ。あと、どこかでお召し物を変えてからです」
 妥協の言葉を伝えると、騒音はぴたりと収まった。
「ありがとう! エリーヌ、大好き!」
「相変わらず現金ですねえ、お嬢様は……」
 一転してあがる明るい声に、エリーヌはしかめ面を作り――ほんの少しだけ口元をほころばせた。



[25417] 3
Name: 参月◆ab5af9c4 ID:91c90832
Date: 2011/01/16 12:17
「こんな重大事にのんびり使節団を送ってくるとは、何を考えているんだ」
 オルテスのつぶやきを、吹きすさぶ風が巻き取っていく。そろそろ落ち行く太陽が、夕暮れを告げる赤を帯びはじめる時間だ。
「ま、大国の面子ってやつだろうさ。最低限、そこらの貴族ぐらいの行列は仕立てるってね。まして使者っていうのが皇女様なんだ。馬を飛ばすわけにもいかんだろうさ」
 カルバンがなだめるように言う。
 二人は王宮を辞すと馬に乗り、タロス目指して街道を進んでいた。
「それがわからないんだ。なぜ書簡ひとつ届けるのに皇女を出す? 早馬のほうが到着はずっと早い」
「……王弟殿下にわからないものを、俺がわかるわけがないだろう。国っていうのはそういうもんじゃないのか?」
「婚姻や重大な儀式ならともかく、帝国の皇帝一族は国外どころか帝都の外に出るのも稀なはずなんだ」
「うちやレバートとは違うんだな」
 カルバンの故郷であるラームは、横暴な政治を行った王家を追放して成立した、いわゆる共和制の国だ。貴族はいるが、称号だけの存在で平民との差異はない。
 うなずきながらオルテスは、目をすがめて見えてきたタロスの市壁を見上げた。
 中立都市として周辺国から特権を認められるタロスは、外敵に攻撃される心配が少ないことから壁は低い。
 盗賊達でさえ、自分達を悪魔から守ってくれる体制の発祥となったこの歴史的都市に手を出すことは避けている。
 風に乗って、市街のざわめきが聞こえてくる。安全な街は、自然と人々をひきつけ繁栄するのだ。
「とりあえず、皇女様に面会を申し込もう。えっと、たしか……」
 カルバンが馬の腹を軽く蹴って速度を上げると、オルテスもそれに倣った。
「ロザリー第一皇女。『輝ける娘』と呼ばれている」
「輝ける? そんなに美女なのか、オルテス?」
「いや、容姿のことじゃない。本当に輝いて生まれてきたらしいんだ」
「……どういうことだ?」
「生まれつき、〝気〟に恵まれているらしい。何もしなくても燐光をまとっているぐらいだったそうだ」
「本当か?」
 カルバンは目をしばたたいた。
 〝気〟を一定水準以上に高めると、発光をともなう。内力術使いなら常識だが、それは意識的に練りこんだ場合にやっと起こる現象だ。
 何も知らない赤ん坊にそれほどの力が内在しているのは、十分驚きに値した。
「本当かどうかはわからないさ。皇帝家の権威を高めるため、ちょっとした見間違いを大げさに言い立てたのかもしれない。ちなみに、年齢は俺よりひとつふたつ下のはずだ」
「ってことは美少女か」
「……美しさについての風評は知らないな。たとえ残念なご面相でも褒め称えるのが帝族・王族の常識だ」
 タロス同盟成立以前の小国乱立時代の話だが、王族の子女の顔をけなしたために戦争が起こった、などという話もあるのだ。
「いや、顔は平均ならいいさ。大事なのは首から下だろう? 美しいかどうかは」
「…………」
 男ばかりの同盟軍砦では、当然のようにあけすけな話が飛び交う。
 休暇の時に遊びに行くあの村の酒場の娘がきれいだの、あっちの都市の踊り子はかわいいだの。
 そんな流れがどうにもオルテスは苦手だった。
 カルバンが一方的に、
「俺の好みは一途な性格で胸が大きくて家事ができて、かつ雑魚悪魔ぐらいは一蹴するような強い女だ」
 などと、どう考えても無茶な理想をしゃべるのを聞き流していると、馬はやがて市の門についた。
 同盟軍将兵であることを証明する鑑札を示すと、警備兵はへたくそながら敬意のこもった敬礼を施して通行を許可してくれた。
 悪魔と戦って人の世界を守る同盟軍兵士は、好意的に扱われることが多い。
 馬を警備隊の厩舎に預けてから、オルテス達はタロス市に入った。
 六カ国の結節点であるタロスは、交易の拠点にするにはもってこいだ。重い荷物を載せた馬車が車輪をきしませて行き過ぎていく。荷を背負って歩く商人は数知れない。
「使節とは街道で行き違ってはいないから、まだこの街にいるはずだが」
 オルテスは、大通りの左右に立ちならぶ露店から津波のように湧き上がる客引き、値引き争いの声に顔をしかめて言った。
「と、なると都市の迎賓館か、どっかのでかい宿屋を借り切るのが相場だろうな」
 あやうくぶつかりそうになる人々を器用に避けながらカルバンが答える。
「あるいは、まだ到着していないのかもな。役所にいって聞いてみるか」
 オルテスは街の中心部を目指した。
 進むうちに目につくのは、王宮と見違えてもおかしくないような白い石造りの建物。病院だ。
 タロスは、治癒魔法を含む医術の先進地だ。これは、交易地であるがゆえに他所からの旅人が風土病や疫病を持ち込みやすいからだ、と言われている。
 その隣に立つ、病院と同じぐらい立派な黒い建物が役所。オルテス達はそちらへ歩を進めた。
「ん?」
 カルバンが、不意に足を止めた。
 病院の入り口の前に人だかりができている。
「お願いします! 先生! どうか、どうか息子を助けてください!」
 聞いているだけで胸をかきむしられるような悲痛な声が上がる。
 オルテスとカルバンは顔を見合わせた
「あの、何かあったのですか?」
 オルテスは、人だかりの外周にいた職人風の男に話しかけた。
 難しい顔をして振り返った男は、オルテス達の服装を見ると驚いたように目を見開いた。
「これは、戦士様方。ええ、困ったことになっていましてね」
 男は、病院の入り口の前に膝をつく夫婦を目で示した。
 夫婦は、それぞれ頭に小さな布切れを巻きつけている。同盟加盟国中、もっとも東にあるエルマス公国の風習だ。
「あの夫婦の息子が近くの町に商売に出かけた帰りに、はぐれ悪魔と遭遇したんでさあ」
「はぐれ!? タロスにか!? まさか飛べるやつか!?」
 カルバンの表情が、一気に緊張の水位を上げる。オルテスも同じだ。
 同盟軍、そして各国軍は必死に悪魔を防いでいるが、大陸は広く守備兵力には限界がある。どうしても後方地帯へ突破してしまう悪魔がいて、これをはぐれと呼ぶ。
 だが、レバートの辺境地帯あたりならともかく、前線からはかなり離れているタロスに出没した例はほとんどないはずだった。
「本当に運が悪かったんですね……ああ、その悪魔はたいした奴じゃなくてもう警備兵に退治されているんですが」
「負傷したんですね?」
 悪魔はもういない、と聞いてほっとしたオルテスが先を読んでいうと、男はうなずいた。
「かなり深い傷で、治癒魔法……それもかなり高度なやつをかけないと、危険な状態らしいんですが。セブール帝国の魔法禁止要請をうけた禁令のせいで、できないんですよ」
 カルバンが太い片眉を跳ね上げた。
「ちょっと待ってくれ。タロスは自由都市で、皇帝の要請どころか命令でも聞く必要はないはずじゃないか?」
「ええ、理屈からいえばそのとおりなんですがねぇ」
 男はくやしげに拳を握り締めた。
「要請だ、なんていってますがね。従わないと帝国が街の商人に貸し付けている資金を全部引き上げる、なんていってますから……」
 オルテスは思わず天を仰いだ。
 レバート王宮で聞いた話を思い出す。自治都市にまで圧力をかけているとは予想外だった。
 話を聞いていたらしい老人が、横から口を挟んできた。
「実は、タロスでは個別の魔法を禁止すること自体は、決してめずらしくないのですじゃ。人間の生命活動は複雑な活動の産物であり、治癒魔法が逆に危険を及ぼすこともありましてな」
 口ぶりからすると、引退した医師か魔法士かもしれない、と考えながらオルテスは老人にうなずいてみせる。
 たとえば風邪をひいた人に、熱や咳を抑える魔法をかけたとする。確かに病人は一時的に楽になるだろうが、実は熱や咳は体内に入り込んだ病気の元を弱らせるための人体の自然な作用であり、かえって風邪自体を酷くするような場合があるのだ。
 問題が発生したら、解決されるまで禁令を出すのはむしろほめられる対応といえた。
「ですから、通達があったときにはセーブルで新魔法の副作用か何かが発見されたのだろう、と街の皆は気にも留めなかったですが……詳しく聞いてみると、安全性が確立されたものを含めて一切の魔法が禁じられた、と聞いて驚いておりますのじゃ。まして、脅迫じみた要請など初耳で……」
 オルテスは自分の顎をさすり、考え込んだ。
 セブール帝国の意図がまったくわからなかった。魔法の恩恵を受けているのは、あの国も同じ。仮に何らかの理由があるとしても、やり方が強引すぎる。いかに大陸一の強国とはいえ、他国と自治都市すべてを敵に回した場合の損害は、計り知れないはずだ。
 食い物を売らないぞ、とレバートに圧力をかけたが。食料輸出で収入を得ているセブールの農民や商人も困るだろう。タロスに落とした資金を引き上げれば、その運用で生活している貴族や富裕層も打撃を受ける。
 なぜ、そこまで?
 オルテスは忙しく頭を回転させたが、一向に答えは出ない。
 病院から、白衣を着た医師が何人か出てきて、夫婦達をなだめにかかっているが。息子の命がかかっている親が簡単に引き下がるはずもない。
「お願いします! 禁令を破った罰なら我達が受けます! 身代をつぶしででも治療費はお支払いします! なんとか、なんとか……!」
 父親が、医師の袖にすがりついている。
 見ていられなくなって、オルテスは顔を背けた。
「あの子は私達の生きる希望なのです……!」
 母親が涙でぬれた顔を地面にこすりつけて哀願しはじめた。
「俺達の内力術じゃ、治癒魔法の代用は無理だしなあ……」
 カルバンは悔しそうに口元をゆがめる。
 兵士の身に着ける術は、どうしても殴り合いに使う系統に重点が置かれる。応急処置ぐらいならともかく、本格治療は無理だ。
 それに、力不足の問題もある。内力術で魔法に匹敵する力を出す方法がないわけではないのだが……。
 やがて、病院の中から白いローブをまとった中年男が出てきた。引き締まった厳しい顔つきで、夫婦の肩に手を置く。
「顔を上げてください。治療――やりましょう」
「術士長!?」
 声を上げたのは、それまで夫婦をなだめていた医師だ。
 禁令破りになる態度を見せた術士長に、野次馬達の視線が集中する。
 長、というからには病院でそれなりの地位にある人物なのだろう。
「法をないがしろにするつもりはありません。ですがほかに手段がなければ、やむをえないでしょう。我々の仕事は人を癒すこと。それが罪だというのなら、甘んじて受けましょう」
 特に気負うでもなくそう口にした術士長に、夫婦が何度も頭を下げる。
「しかし……いえ、わかりました。『法式』は?」
 止めようとした言葉を飲み込んだ医師が、こちらも腹を括ったとばかりに白衣の裾をひらめかせる。
「時間を浪費したので、より強大な治癒魔法が必要です。大地に直接魔方陣を描いて力を導き、三人がかりでやります」
 オルテスとカルバンは、すばやく視線を交わした。
 攻撃か治癒かは違うが、レバート王宮で聞いた新魔法と同じようなものだ。
「すみません! 皆さん、下がってください!」
 医師の一人が大声を張り上げて、病院前に詰めかけた人々を下がらせる。
 数人の医師が開いた空間をいっぱいに使って、直接手で地面に文字や直線を刻んでいく。医師達の表情は、刃物を頭の上につるされているように真剣だ。
 ほどなく、大人が二十人ほどまとめて寝そべられる範囲を使って、魔方陣が描かれる。
 夕暮れの日に照らされる魔方陣は、素人目には、子供が殴り書きをしたようないびつな文字で構成されていた。
 オルテスはこっそりと周囲を見回す。
 歴史ある自由都市民の誇りからか、露骨な禁令破りを妨害したり警備兵に通報しようとしたり、という動きはない。ただ、微妙な表情をした者が何人もいる。
 おそらく医師達に下される罰を心配しているか、セブール出身の人間だとオルテスは想像した。
 と、オルテスの視線が奇妙な二人組みを捉えた。
 二十代はじめぐらいの腰に剣を下げた軍人風の女性と、十三、四歳ぐらいの少女の組み合わせ。
 少女は富裕な商人や下級貴族の子女が好んで着るような、青色の単衣をまとっている。
 ぱっと見たところ、いいところのお嬢様とその護衛。その組み合わせ自体は、街では別に珍しくないのだが。
「なんで口を抑えているんだ?」
 オルテスは思わずつぶやいた。
 年上の女性が、年下の少女の口を白い掌で抑えこんでいる。鼻は覆っていないので息ができないわけではないだろうが、少女の顔は真っ赤だ。何かうなるような声を出し、身をよじっている。
 明らかにおかしな光景に目を奪われていると、
「オルテス、始まるみたいだぞ」
 と、カルバンが緊張を帯びた声を出した。
 オルテスが視線を戻すと、病院から担架に乗せられた少年が出てくる。細い全身には包帯が巻きつけられていた。包帯には血の滲みがあちこちに見られる。顔色は青白く、口から漏れる息は弱く荒い。
「……」
 オルテスは息を呑んだ。見ている間にも、包帯の白を侵食する赤がどんどん面積を増やしている。
 少年の両親が、魔法陣の傍でひざまづき、祈りはじめる。
 術士長が、魔法陣の中心に置かれた担架の前に立つ。その後ろに、医師が二人。魔法陣の外にも、医師が二人。
 空気の中で、緊張が濃度を増しはじめる。あの口を塞がれていた少女はじめとして、野次馬全員が誰が合図するともなく黙り込み、動きを止めた。
「はじめます」
 厳かに宣言すると、術士長が胸の前で手を組んだ。二本指を天に向けて立てた印を組むと、ゆっくりと詠唱を始めた。魔法陣内の二人の医師も唱和しはじめる。
 最初は、低くつぶやくように。少しずつ、術士長達の声が高くなっていく。彼らの額に汗が浮かびはじめる。
 それに呼応するように、土に刻まれたでこぼこにすぎないはずの魔法陣が、光を放ちはじめた。小さな雷が生まれては消えるように、文字に沿って閃きが跳ねる。
 ある一定の音は、次元を超えて響き渡るといわれる。詠唱によって、世界の間にある次元壁にほんのかすかな穴を開けているのだ。
「……」
 オルテスは、頬にわずかな風を感じた。自然の空気の動きではなく、異界から導き出されつつある力の影響がではじめているのだ。
 詠唱が進むと光も強くなり、やがて魔法陣が隙間がないほど光に満たされる。ここまで来ると、魔法の知識がない人間にも尋常ではない力を感じ取れるはず。
 しかし、これはまだ第一段階にすぎない。次の制御が失敗すれば、導かれた力は元の世界に還元されてしまう。下手をすれば、無秩序な破壊力として暴走する。
 魔法陣から浮き上がった光が、横たわる少年の体の上に集まり、輝く雲のようになった。
 術士長らは、一層詠唱の声を高くする。
 輝く雲から、雨のようにやさしい光の線が少年に降り注ぎ始める。
「すげえな」
 カルバンが、思わずといった調子でつぶやいた。
 強大な力を引き出してそれを一気に少年に送り込めば、傷で弱った体がもたないかもしれない。だから、治癒に転化した力を少しずつ送り込んでいるのだ。
 呼び込んだ力をそのまま敵にぶつける攻撃魔法より、数段上の技術。
 光の雨が当たって消えるたびに、少年の呼吸が穏やかになりその頬に赤みが戻りつつあるように見えた。
 そしてほどなく、術士長の唇から鋭い気合が迸った。印を解いた両腕を、振り下ろす。
 光る雲が、少年の体に雪崩落ちていく。目もくらむような閃光に、息を呑んで見守っていた人々がたまらず叫び声を上げる。
 土が鳴った。術士長が、倒れこんだのだ。魔法を補佐した医師達も、ふらついてその場に膝をつく。
 魔法陣の外にいて、魔法に加わらなかった医師二人が、土に書かれた模様を踏みながら心得顔で駆け寄る。一人は術士長に、もう一人は少年に。
 少年の体から、丁寧な手つきで汚れた包帯がはずされていく。
 その下には、無残な傷跡があった。
 そう、傷跡。つい先ほどまで血を流していた傷口が、完全に塞がったのが素人目にもわかった。
 医師の手を借りて立ち上がった術士長は、目をいっぱいに見開いて凍りついたようになる夫婦に顔を向けて、
「成功です。息子さんはもう大丈夫」
 と、荒い息の中しかしはっきりと言った。
 夫婦がはじかれたように少年に駆け寄り、正常に戻った呼吸を確認する。まだ意識は戻らないが、命は助かったのだ。
 お互いを抱きしめて、おいおいと嬉し泣きをはじめる夫婦。
 緊張が、人々の爆発的な歓声によって吹き飛ばされた。
 よくやった、さすがだ。立派だよ、街の誇りだ。
 そんな人々の喜びの声を聞いているうちに、オルテスは不安になってきた。
 高度な魔法が成功し、少年が助かったのはオルテスもうれしい。だが、人々の口の端から漏れるのは喜びだけではなかったのだ。
「セブールの脅しなんぞに屈するな!」
「先生達を守れ! 愚帝に媚を売る議会の連中を追い出せ!」
「俺達は自由な都市の民だ!」
 などと、セブールや都市を統括するタロス議会への悪口まで混じりはじめる。
 セブール帝国に反感を持つ気持ちは、オルテスにもよくわかる。
 だが、この街には命令とは無関係なセブール人が沢山いるはずなのだ。実際、セブール人らしい者達は、気まずそうに押し黙っている。
「……いこうか。時間を潰した」
 オルテスは知らず知らず詰めていた息を吐いて、カルバンを見やった。つい見物してしまったが、街に来た目的はそのセブールの使節団に会うことだ、と思い出したのだ。
 ああ、とカルバンがうなずく。だが、次の瞬間。
「無礼者!」
 歓声を貫くように、少女の声が空気を震わせた。
 声には、自然とその人が送ってきた人生が現れる。特に、感情的になった時には。
 戦士の声は獣じみているし、魔法士の声は怒っていてもどこか理性の歯止めを感じさせる。
 オルテスの耳を打った少女の声は、王宮にいた頃よく耳にしたもの――呼吸するように人を従わせることに慣れた、支配者層のそれだった。
 オルテスが目を向けると、そこには先ほど口をふさがれていた少女が顔を真っ赤にしていた。
「皇帝陛下を、貴様らのような者達が罵ってよいと思っているのか!? そこへ直れ! まとめて打ち首にしてくれるわ!」
 なんということを――オルテスの顔つきが厳しくなる。
 反感を高めつつあった人々の中でそんな台詞を言い放つのは、虎の尾を踏むようなものだ。
 たちまち人々の不機嫌そうな、あるいは早速怒りを込めた視線が少女に集中する。
 だが、その少女はひるむどころかさらに口を開く。
「そもそも、自由都市の特権自体が皇帝陛下の御慈悲により許されているなりたむぐぅ!?」
 少女の声が、途切れた。いや、背後から伸びた掌に口を塞がれ、強引に途切れさせられたのだ。
「皆様、うちの馬鹿お嬢様が暴言を吐いて申し訳ありません」
 軍服姿の若い女性は、プラチナブロンドの髪を艶やかに揺らして頭を下げた。
 すでに周囲の人々の怒りは膨れ上がっており、今にも誰かが少女への罵声を吐き出しそうだった。
 だが、その女性は落ち着いた物腰を崩さない。
「お嬢様にはきつくお仕置きをしておきますので、どうぞご寛恕を」
「お仕置きって、どんなだよ!?」
 最初にオルテスが話を聞いた職人風の男が、歯をむき出しにして怒鳴る。
 女性の返答は、すぐだった。
「侍女の刑です」
「…………は?」
 男は、怒りをどこかへ置き忘れたようにぽかんとした。聞いている周囲も同じで、突然出てきた侍女という言葉に首をかしげている。
「エプロンドレスにカチューシャをつけさせ、炊事洗濯給仕三昧の日々を送らせます。もちろん他者への暴言などもっての外。徹底したご奉仕を……ふふふ。普段威張り腐っている娘には、効きますよ」
 女性の周りにいた人間が、揃って一歩下がった。
 顔の表情をまったく動かさないまま、口元だけを別の生き物のように緩める女性がひどく不気味だったからだ。
 口を塞がれたままの少女が抗議のうなりを上げるが、まったく無視している。
「あの、病院ならすぐ目の前だけど」
 男が、白い建物を指差した。
「ご親切にどうも。ただこのボケお嬢様のねじくれた性根は、お医者様でもどうにもならないでしょうね」
 ため息をつく女性に、あんたも変だよという視線が集中する。
「……いこう、カルバン」
 頭痛をこらえながら、オルテスは言った。
 女性の発言が素なのか、それとも群衆を煙に巻くためのものかはわからないが。どちらにしろ、関わるのは馬鹿馬鹿しい。
 術士長達も、医師達に少年の担架を担がせて病院内に戻っていた。
「……」
 だが、カルバンは動かない。それどころか、恐ろしいほど顔つきを厳しくしている。
 それに気づいたオルテスは、どうしたと聞こうとして――その気配を察知した。
 人々の放つ雑多な気配の中にいたために気づくのが遅れたが、一旦意識すれば全身を貫く寒気。
 その主を探して、オルテスは周囲に視線を走らせる。右、左。そして。
「上だ!」
 カルバンが叫んだ。すでに背中に背負った大剣の柄に、緊張感を爪の先にまでみなぎらせた手を伸ばしている。
 女性の異様な発言に毒気を抜かれ、やはり馬鹿馬鹿しさを覚えて解散しかけていた人々の足が止まった。
 濃い葡萄酒をぶちまけたような空の色。そこに、シミがあった。黒いシミだ。
 それが見上げた人々の視線を受けながら、ぐんぐん大きくなっていく。
 一見すれば、夜の訪れを告げる先触れとなる蝙蝠にも見えたが。
「まずいぞ……! 翼ある――」
 オルテスが我知らずもらしたつぶやきに続いて、誰かが叫んだ。
「悪魔だ!」



[25417] 4
Name: 参月◆ab5af9c4 ID:91c90832
Date: 2011/01/16 12:28
 悪魔、と総称される怪物は多種多様だ。
 多くが人間はじめとして動物や植物を悪意を持って再構成したような形をしているが。
 その中でも特に厄介なのが、飛行可能なやつだ。
 人間の張った防衛線を簡単に飛び越え、無防備に近い後方地域を襲うことがあった。突然村や街が壊滅した、というような怪事件の相当数が飛行悪魔の仕業と見られている。
 気まぐれに飛び回り上空から奇襲してくる悪魔は、戦闘力自体は低くても厄介極まりない。
 それが、タロスの街に向けて急降下してきた。
 オルテスは本能的になるまで叩き込んだ動きに従い、流れるように腰の剣を引き抜こうとして、その手を止めた。
 今、周囲には街の人々がいて、剣を抜くだけで傷つけてしまいかねない。
 その上、
「あ、悪魔だぁ!!」
「うそ、うそ!? どこ?」
「ひぃぃぃぃぃぃ!?」
 などと、人々は恐慌状態に陥ってしまった。叫び、おののき、あるいは他者を必死の形相で突き飛ばしてまで逃げ散ろうとする。
「しまった……!」
 ぶつかりそうになる人々をかわしながら舌打ちするオルテス。
 こういう場合、一番怖いのは恐怖にとらわれた者達が、衝動のまま無秩序に動くことだ。
 カルバンが声を張り上げた。
「落ち着け! 相手は一体だ! 屋根の頑丈な建物の中に逃げ込め!」
 その叫びは、恐怖と狼狽の叫びと足音の中に紛れてほとんどの者達の耳には届かない。
 中には、自分の子供とおぼしき連れを放り出して逃げる女性もいた。こうなると、我が身だけを優先する人間が出るのはやむを得ない。
 オルテスは、話を聞かせてくれた老人が誰かに突き倒されるのを見た。
「いかんっ!」
 急な悪魔出現へのものとは別の焦りを覚えて、オルテスは老人に腕を伸ばす。倒れたままでは、誰かに踏みつけられ悪魔が来る前に圧死してしまう。
 老人を立ち上がらせるのと同時に、髪の毛を突風がかき乱す。
 悪魔が高度を下げてきたのだ。
「来るぞ!」
 いまだ得物を抜くことができないカルバンが、群衆に踏み殺されかけた子供を助け、近くの建物の中に強引に押し込む。
 その時、衝撃がきた。
 ほんの少し前に、魔法の鮮やかな奇跡が現出した病院前の空間に、そいつは降り立つ。
 全身を黒光りする鱗に覆われた四足の蜥蜴に、無理やり蝙蝠の羽根をつけたような姿。手足の爪は、すでにべっとりと赤い液体で装飾されている。街に来るまでに犠牲になった、哀れな誰かの血だろうか。
 竜、と呼ばれる超自然的な怪物に似ているが、全身から噴き出す妖気は悪魔のものだ。その体躯は、馬車に匹敵するほど大きい。
 老人が震えながらも大丈夫じゃ、と言って自分の足で立つのを確認してから、オルテスは悪魔に向き直る。
 オルテスの緑がかった瞳と、そいつの黒い円盤のように感情のない目が合う。
 その瞬間、オルテスは奥歯をぐっと噛んだ。かなりの威圧感を覚えたのだ。
 最後には光になってしまう悪魔は、遺体を残さないためにその生態や能力の情報収集は困難を極める。強さの把握は、ほとんど直感に頼るしかない。
 正面からやりあえば倒せないわけではない、と思うが相手には翼がある。飛行という優位は、多少の戦力差などあっさりと消し飛ばしてしまう。
 人々が逃げ散ったため、ようやく空間を確保したオルテスは剣を抜いた。心臓が早鐘を打ち、全身の神経が死闘を予感して戦慄に満ちる。
 だが、オルテスより早く悪魔に立ち向かった者がいた。カルバンではない。
 あの軍服姿の女性だ。背後の単衣の少女を守るようにして、剣を構えている。
「エリーヌ! 無茶よ! 逃げましょう!?」
 少女は今にも倒れそうなほど顔を青くしている。
 だが、エリーヌと呼ばれた女性は首を横に振った。
 頬からは血の気が引いており、唇は震えているが。それでも、その青い瞳には闘志の輝きがあった。
「駄目です。下手に逃げては恐慌を起こした者達に巻き込まれる恐れが。それに悪魔に背を向けるのも危険です」
 悪魔に恐怖を感じながらも、まだ冷静な判断を下すあたりただの護衛ではない、とオルテスは思った。
「でも!」
「ご安心を。お嬢様は私が必ず御守りいたします」
 エリーヌは、剣を右脇に構えると唇をすぼめ鋭く息を吐き出した。その全身から、夕日の照り返しとは違う光が零れる。
 内力術だ。
 しかも、その光はどんどん強まっていく。同時に、彼女の体を中心に軽い風さえ巻き起こった。
「あの女は!?」
 ようやく人々から抜け出してきたカルバンが、息を呑んだ。
 彼女は、急激に〝気〟を高めている。
 内力術の中には、力を大きく上昇させる方法が存在する。〝気〟を燃焼・爆発させるのだ。
 これは〝気〟意図的に暴走させるに等しく、うまくいったとしても、本来は生まれてから死ぬまでの間にゆっくりと消費する生命力を乱暴に扱うのだから、体を損ねる危険性も高い。
 かなり高度なやり方だが、エリーヌは悪魔を見据えて剣に力を蓄えていく。剣身が、雷を宿したかのように震えはじめた。
 悪魔は、そんな人間に赤い舌をちろちろと見せながら、四肢をぐっと膨らませて翼を大きく広げる。
 オルテスはとっさの行動に迷った。
 本来なら悪魔に迅速に攻撃をしかけ、翼を斬って二度と飛び上がれなくするのが定石だ。
 しかし、エリーヌはすでに大技の動きに入っている。下手に手を出せば、巻き添えを食う恐れがあった。
「まずいぞ! やめろ!」
 カルバンが叫ぶが、彼女はすでに極限の集中に入っているらしく何の反応も見せない。
「疾風――」
 さらに力を蓄えるように、エリーヌが体を捻り込んだ。
「奪命波!!」
 彼女は剣を下から上へ、跳ねあげた。その切っ先は到底悪魔に届く間合いではなく、普通ならむなしく空を切るだけのはずだったが。
 剣にから打ち出された太い光が一筋、地を這うように走り悪魔の足元に達した瞬間、まるで地面に爆薬でも埋めてあったかのように空に向けて衝撃が上がった。
「!」
 オルテスは、巻き上がる砂塵に思わず目をつぶった。
 戦闘中にわざわざ名を叫ぶほどの剣技は、まずその人物が最高と自認する大技だ。
 普通の人間相手なら、死角になる下から上へ吹き上がる衝撃は、かなり有効だろう。
 だが――
 土煙の中から、悪魔が飛び出した。全身の鱗の何割かは剥がれて赤黒い血を撒き散らしているから、かなりダメージは受けたようだ。
 しかし、ナイフを植えたような牙を備えた口を開き、技を放った直後の虚脱状態にあるエリーヌを襲う動きに遅滞はない。
「!」
 エリーヌの表情が驚愕と恐怖に塗りつぶされる。
 彼女は、質の高い訓練を受けているが実戦経験は少ない……そんな戦士にありがちな間違いを犯していた。
 強大な生命力を誇る悪魔は、大威力の攻撃にも耐え切ることが多い。隙ができるような大技に賭けるより、小技を使って常に余力を残して対峙するのが良策なのだ。
 だが悪魔と対決するという状況に慣れていないと、頭ではわかっていても一刻も早く恐怖の根源である相手を倒したくて、今の彼女のような行動に出てしまう。
 なまじ威力がある技を出せるゆえにはまる落とし穴。
「エリーヌ!?」
 少女の叫び声を打ち消すように、悪魔が大きく羽ばたきながら、その顎でいまだ動けない女性の頭に噛み付こうとした。
 防具のない人間の頭部など、西瓜のように簡単に噛み砕いてしまうであろう悪魔の一撃は、しかし不発に終わる。
 この事態をある程度予測していたオルテスと武器を抜いたカルバンは、すでに動いていた。
「ふんっ!」
 エリーヌの前に強引に割り込んだカルバンが、大剣の厚みのある刀身を盾のように使って悪魔の突進を受け止めた。
 カルバンの靴が地面に深い溝を刻み、軍服を内側から破らんばかりに全身の筋肉から力を振り絞る。
 いくら鍛え抜かれた戦士といえども、悪魔との力比べは不利だ。だが、カルバンが押し切られるより早く、オルテスが踏み込む。
「はあっ!」
 オルテスの剣が、十字を描く。悪魔の翼のつけ根を狙って、縦横の斬撃を叩き込んだ。
 硬い手応えと鈍い音に、オルテスは舌打ちする。刃はほとんど通らず弾かれた。
 見た目どおりの蝙蝠の翼なら、皮膜部分は薄いはずなのに鱗並みの感触だ。かなりの〝気〟を込めなければ斬れそうになかった。
 それでも悪魔の癇に障ったらしく、カルバンを押し込むのをやめ、翼で空気を一打ちして後方へ飛び下がる。
 砂が巻き上げられ、オルテスの顔にかかる。
 オルテスは口の中に入った砂を吐き捨てながら、悪魔を追った。翼が巻き起こす風が、思ったより厄介だ。どうしても動きが鈍ってしまう。
 それでも、追撃するしかない。剣の届かない空に逃げられては、攻撃手段がほとんどなくなってしまうからだ。
 迎え撃つように振りぬかれた悪魔の前腕の爪を、体をひねって回避する。オルテスの軍服の胸に、一筋の裂け目が走った。
 オルテスはひるまず上段に構えた剣を振り下ろす。狙いはやはり羽根だ。
 剣が悪魔の体に触れる直前に、精神を集中させ〝気〟を斬撃に乗せる。今度こそ硬い肉を切り裂く手ごたえがあり、赤黒い血が噴き出す。
 だが、浅い。
 怒りを示すような唸り声を上げた悪魔が、丸太ほどもある尻尾を振った。
 転がるようにして地に伏せたオルテスの黒い髪を、剛風が撫でていく。
 わずかでも避ける機を読み違えたら、頭は卵のように割られていたかもしれない。
 防具のない戦いの不安に背筋を寒くしたオルテスだが、同時に勝算が立ったことを確信した。いかに悪魔でも、体全体をしならせる尻尾攻撃の直後に高く飛び上がることはできない。
 カルバンが突進してきた。
 沈み行く夕陽の光を厚みのある剣身で跳ね返す大剣が、容赦なく悪魔の頭部を襲う。
 オルテスのものよりはるかに威力ある一撃が、悪魔を地面に叩きつける。
 頭から赤黒い血を撒き散らしながらも、悪魔は体を起こしカルバンに爪を向けようとするが。
 身を起こしざま振るったオルテスの一閃が、悪魔の前足を切り裂いて動きを妨害する。
「よし!」
 その隙に悪魔の側面に回りこんだカルバンの大剣に、力強い光の脈動が走る。
 掬い上げるように走った大剣は、オルテスが苦戦した羽根の皮膚を鋭く食い破った。
 たまらず、悪魔がのたうちまわる。
 翼を封じた、と見たオルテスはカルバンと呼吸を合わせて斬りかかる。めちゃくちゃに振り回される爪や尾を避けながら、着実に悪魔の全身に傷を増やしていく。
 できれば一気にかたをつけたいが、二人の戦士はともに防具をつけていない。不運な一撃が、そのまま致命傷になる恐れがあるから慎重にならざるを得ない。
 と、悪魔の動きが急に弱くなった。その爬虫類じみた口元から、うなり声が漏れる。低く、少しずつ高くなる音。
「!」
 その韻律にどこか聞き覚えがあり、オルテスの顔に疑問が走るが。体は、相手が作った隙につけこもうと半ば無意識に動く。大きく踏み込み、剣を横薙ぎに強振した。
 口を割られてのけぞった悪魔の胴体に、カルバンの大剣が叩き込まれる。
 悪魔の体が、宝石を砕いて撒き散らしたような光となった。そして、またたく間に飛散し消える。
「……ふぅー」
 大剣を土に突き立て、カルバンが肺が空っぽになるほど息を吐いた。
 オルテスも額の汗をぬぐう。悪魔の痕跡は、鼻につく匂いと土に残った赤黒い染みだけだ。
「あの……終わったのですか?」
 オルテス達の背後に、声がかかった。エリーヌという女性のものだ。その手は、剣の柄をいまだ強く握り締めている。
「ああ、なんとかな。あんたらは大丈夫か?」
 カルバンは、武器を収めてから振り返った。
 オルテスがそれにならうと、エリーヌの後ろにひっついている少女と目があう。
 普段なら美少女なのだろう。それが、落ち着いてみた彼女の容貌へのオルテスの感想だった。
 動きやすいよう頭の後ろでまとめられた淡い金髪、紫色の大き目の瞳に華奢ながら流麗な線を描く鼻筋。春に咲く紅の花を思わせる唇――それらの愛らしい部位も、怯えに震えていては魅力も何もあったものではない。
「な、なによぉ……?」
 それでも、オルテスの不躾な視線に、弱弱しいながら文句を言ってくる気力はあるようだった。
 オルテスは、言い争う気などないので視線をそらす。
 改めて周囲を見渡してみると、あれだけいた人々はどこかへ消え去り、建物の中からこちらをうかがうような顔がいくつか見えただけだ。
「助かりました。ありがとうございます」
 エリーヌが剣を鞘に戻しながら、一礼してきた。その顔色が悪く、足元がふらついているのは〝気〟を激しく消耗したからだろう。
「いや、これが俺達の仕事だからな。それより、この後――」
 カルバンの声が不意に途切れた。
 無数の足音が近づいてくる。それも、三人や四人ではきかない数の。
 警備兵が部隊ごとかけつけたのか、と思って顔を上げたオルテスの目に映ったのは、衣服がばらばらな群集だった。ざっと五十人はいる。
 彼らの視線は、オルテスらを通り過ぎてエリーヌ達、特に少女に注がれている。
「あの娘だ! あいつが悪魔を呼んだんだ!」
 一人の男が、少女を指差す。
 それが火蓋となり、人々の間から次々と怒声が上がった。
「あいつは俺達をみんな殺すって言ったんだ! 悪魔使いだ!」
「セブール皇帝を擁護してたのも聞いたぞ!」
 カルバンとオルテスは、ぎょっとなった顔を見合わせる。
 確かに、少女が先ほどの群衆に高圧的な言葉を放った直後に、悪魔は現れた。
 だが、悪魔というのは人間が使役できるようなかわいげのある存在ではない。同盟軍でさえ、悪魔を操った人間などというものは確認していないのだ。
「お、落ち着いてください皆さん! それは」
「な……ぶ、無礼者! 言うに事欠いて私がおぞましい悪魔使いだと!? なんたる侮辱!」
 オルテスが人々をなだめにかかる声に押しかぶせるように、怒りによって勢いを取り戻した少女が叫ぶ。
「お嬢様! いけません!」
 エリーヌが彼女を抱きすくめるようにして宥めたが、一度放たれた言葉は戻らない。
 たちまち、突然の悪魔出現に冷静さを失っている群衆の心に火がつく。わけのわからない叫びを上げて、人々が少女に向かって殺到してきた。中には、手に武器を提げたものもいる。
 冷静さを欠いた人間、まして集団となって異様な雰囲気に飲まれた者達に、普段の理性など期待できない。
 同盟軍の軍服を着て武装したオルテス達にさえ、少女の一味だといわんばかりの殺意の篭った視線が突き刺さる。
「逃げるぞ!」
 カルバンが叫ぶと、オルテスは人の少ないほうを探しながら「わかった!」と返した。
 相手は人間だから、悪魔のように力づくで蹴散らすわけにはいかない。
 その時、迫る人影の中から何かが飛んだ。拳大の石だ。少女の頭部を放物線を描くように目指している。
「あっ!?」
 オルテスが気づいた時には、少女を守るようにエリーヌが頭に石を受けていた。当たり所が悪かったのか、彼女はそのまま膝をつく。容赦なく迫る人々の怒りを帯びた足音。
「オルテス! 担げ!」
 同じ光景を見たカルバンがエリーヌ達に向けて駆け出す。自力では逃げられそうにない彼女達を助けるつもりなのだ。
 オルテスは、そこまでする必要があるのかと躊躇したが。
「エリーヌ! エリーヌ! しっかりして!」
 一転して泣き出しそうな少女の声に、やむなくカルバンに続く。
 カルバンがエリーヌを、オルテスが少女を荷物のように肩に担ぎあげる。
「な、何するのよ! 放して! ぶれいも……」
「しゃべるな! 舌を噛むぞ!」
 いきなり知らない男に触れられ、顔を真っ赤にする少女にオルテスは戦場で出すような声を叩きつけた。
 その剣幕に驚いたのか、少女がおとなしくなる。
 元々、やたら傲慢そうなこの少女に良い印象は持っていなかった。本当なら、お望みどおり放りだしてやりたいぐらいだったが。
 ぎりぎりのところで良識が嫌悪感を打ち負かした。カルバンに続くようにしてオルテスは走りだし、病院前に来るまでに辿った道を逆走する。
 だが、逃げる事自体がまた群集心理に油を注いだのか、人々は執拗に追ってくる。
 駆けるオルテスの視界の端を、事態とは無関係の街の人の驚いた表情がかすめていく。
「脇道に入るか!? カルバン!」
「いや、道がわからんから迷っちまう! このまま街の外に出るぞ!」
 皆の頭が冷えたところで戻ってきたほうがいい、とカルバンは続けた。
 オルテスは心の中でくそっと毒づいた。使節に面会するどころではない。
 噂の回りが早いのか、後ろからだけではなく横合いからも突っかかってくる奴が出てくる。
 オルテス達は普段から悪魔を相手にしているため、並の兵士より数段上の力を持つが、人一人抱えたままではどうしても動きは鈍くなってしまう。まして、戦闘直後で全身の筋肉が重たい。
 普通なら鼻歌混じりでもかわせそうな、素人の感情任せの棍棒に背中をかすめられ、オルテスはくそっと本当に声に出して毒づいた。


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