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らせんの真実−冤罪・足利事件− <終章>
<4>「記憶」 「あのリュックに酷似」 30年目の目撃証言(2010年7月31日 05:00)「カーキ色やいくつもポケットが付いた独特の形。事件のリュックにそっくりでした」 7月中旬、足利市内のファミリーレストラン。県南の40代女性は、1979年8月の福島万弥ちゃん(5)事件で犯行に使われたリュックサックの写真を手に再度強調した。 女性が下野新聞社に初めて情報を寄せたのは2009年9月。足利事件で菅家利和さん(63)の再審無罪が確実となり、県警が未解決の万弥ちゃん事件でリュックの遺留物からDNA型鑑定を実施する方針だと報じた本紙記事の掲載写真がきっかけだった。 「いつか言わなきゃと、ずっと胸につかえていたんです」 約30年前の小学生時代、仲の良かった友人宅。遊びで訪れた居間の柱にかかる「特殊な形」のリュックを、女性は数回目撃したという。万弥ちゃん事件発生前の時期だった。 昨秋から今夏にかけ、女性の証言を詳細に確認した。記憶の大半は正確だった。すると、女性も知らなかった事実と友人宅が予期せぬ形で結び付く。 当時30代だった友人の父親と、万弥ちゃん事件で県警が「有力参考人」の1人としてマークした男は同一人物だった。 ■ ■ 万弥ちゃん事件発生から2、3カ月後の79年秋。 県警は(1)幼女に性的関心を持つ(2)事件直後に万弥ちゃんが行方不明になった現場近くで不審者を見たと自分から県警に電話した(3)現場に土地勘がある−などを理由に、県南の元工員の男の身辺捜査を強化する。女性の友人の父親だ。 79年11月に突然失踪した元工員は翌80年春までに県外にいることが判明し、捜査員が事情聴取した。決め手となるリュックと元工員の接点は出なかったものの、その後も捜査線上に残ったという。 「捜査の過程で浮上した男の1人。捜査は尽くしたはずだ」。高齢になった当時の県警幹部や捜査員はこう答えつつ、細部になると首を横に振った。 「アリバイの有無? もう記憶にない」 ■ ■ 「万弥ちゃん事件発生後、1人で留守番をしていた時に刑事が来て、リュックの写真が入ったチラシを手に『見覚えある?』と尋ねられたんです」 ところが小学生だった女性は「子供心に怖くなり、友人宅で見たリュックの話はとてもできなかった」と当時の心境を打ち明ける。 足利市内で発生した3件の未解決女児殺害事件のうち、もっとも古い万弥ちゃん事件で新たに出た目撃証言。「3件は同一犯」(複数の元捜査幹部)と仮定するなら、リュックは足利事件にもつながる有力な物証になる。 女性が友人宅で見たリュックは、事件と無関係の似たリュックだった恐れもある。 元工員が所持していたとしても、事件前に盗まれたり知人に譲ったことも考えられる。 が、女性の証言は解明されなかったリュックと所有者を結ぶ何らかの糸口になるかもしれない。 捜査線上に上った元工員は、その後親族とも音信不通となり、所在は今も分からない。 「あの時、刑事に伝えておけば…」。女性が抱き続けた後悔の念。「真相解明に役立つのであれば、今からでも記憶しているすべてを警察に伝えたい」 |
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