内調「機密流出の恐れ」、首相に届かず…領事館員自殺

2006年04月11日 | 支那朝鮮関連
 2004年5月に在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が自殺した問題で、自殺の2か月後に現地で調査にあたった内閣情報調査室が、「我が国の機密情報が漏れた恐れがある」とする報告書をまとめ、二橋(ふたはし)正弘・内閣官房副長官に提出していたことが明らかになった。

 報告書は、自殺の背景に、中国の諜報(ちょうほう)機関「国家安全省」の脅迫があることも指摘し、機密流出の有無を徹底調査するよう求めていたが、1年半近く小泉首相に伝わっていなかった。

 官僚の判断だけで、外交機密が漏えいしたかどうかの検証が行われなかった可能性が高く、首相官邸の危機管理のあり方に批判が集まりそうだ。

 読売新聞が3月末、自殺した館員が上司の総領事にあてた遺書の全容を報じたのをきっかけに、複数の政府関係者が、報告書の存在を明らかにした。

 それによると、04年7月初め、内閣情報調査室に、上海総領事館の館員が外交機密の提供を強要されて自殺したとの情報が入った。外務省がこの問題で、中国側に口頭で抗議を伝えただけで事実を解明しようとしないことについて、事情を知る同省職員が不満を抱き、政府関係者に相談したことがきっかけだった。

 これを受け、同月中旬、同調査室の担当者が上海入りし、問題の館員が同年5月に総領事館の電信室内で自殺していたことや、遺体のそばに5通の遺書があったこと、さらにコピーをしてあった5通の遺書の内容をそれぞれ確認した。

 同調査室がこの結果をもとにまとめた報告書では、自殺した館員に外交機密の提供を強要した「公安の隊長」について、外国に対する諜報活動を行う国家安全省の工作員だった可能性が極めて高いと指摘。5通のうち、自殺に至る経緯をつづった総領事あての遺書も、内容が正確かどうか詳細に検討する必要があると分析している。

 特に報告書が不自然だと指摘しているのが、〈1〉自殺した館員が、「公安の隊長」と初めて接触した03年12月から、自殺する04年5月までの経緯が詳細に記されている中、同年2月からの約1か月間分だけが、接触の日時や回数を「自分でも分からない」などとあいまいになっている〈2〉同僚への遺書には「総領事には例のナンバーは言っていない」といった文言があり、総領事あての遺書に真実がすべて書かれていない可能性がある??といった点。

 総領事や同僚への遺書などには、「日本を売らない限り私は出国できそうにありません」など情報漏えいを否定する記述があり、報告書は「意図的な漏えいがあったと断定はできない」としている。しかし、館員が暗号コードなどを扱う「電信官」の立場だったことから、「館員が日常的に触れていた機密情報について、相手との一般的な会話の中で漏れた可能性もあり、再度、徹底調査する必要がある」と結論付けている。

 同調査室は、この報告書がまとまった直後、首相官邸の二橋官房副長官に提出した。しかし、報告書は小泉首相だけでなく、当時の細田博之官房長官にも届かず、本紙や一部週刊誌が昨年暮れに取材を始めるまでの1年半近く、二橋副長官は指示を出さなかったとされる。

 この問題を巡っては、鹿取克章・外務報道官が1月11日の会見で、昨年暮れの報道があるまで、自殺の事実を官邸に報告しなかったことを公表。安倍官房長官も同日、「官邸に報告はなかった」と述べている。

 読売新聞の取材に対し、二橋副長官は10日、「個別の事案にはお答えできない。この問題については何度も記者会見で答えており、改めて話すつもりはない」と述べた。
(読売新聞) - 4月11日3時9分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060411-00000001-yom-pol
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