リチャード・ニクソン元米大統領の「指導者とは」(86年文芸春秋、徳岡孝夫訳)をかねて愛読している。
ニクソンといえば、ベトナム戦争終結、米中国交正常化とウォーターゲート事件だ。権力を極め、失意のうちに去った。体験に裏打ちされた目で20世紀の20人の指導者を見たままに描き分け、最終章で「強い意志の力、強い自我意識なくしては、人は偉大な指導者になることはできない」と書いた。
日本人では吉田茂を取り上げている。ニクソンはアイゼンハワー政権の副大統領だった40歳の時、75歳でまだ現役首相だった吉田の知遇を得た。その交際をふまえ、戦後の混乱を乗り越えて日本を軽武装・経済立国路線に導いた吉田ワンマンの表情を伝えている。
吉田が演説中の撮影を嫌ってカメラマンにコップの水をぶっかけたとか、ステッキで記者を追い回した逸話も共感を込めて紹介している。
ニクソンは20世紀初頭の剛腕大統領、セオドア・ルーズベルトの次の言葉を引いてこの本をしめくくった。
「評論家(critic)の言うことは取るに足りません。偉いヤツがどうつまずいたとか、あれはこうやったほうがよかったなどとご託を並べる連中はどうでもいい。注目すべきは、顔を土と汗と血で汚して実際に戦場に立つ男です……」
長々とニクソンを引用したのは、近ごろ仙谷由人官房長官がマスコミにかみつく場面が増え、ルーズベルトの言葉を思い出したからだ。仙谷の胸中を推し量れば、この辺りではないかと見たからである。
経済同友会との会合で、テレビ収録中と知りながら、「法人税を下げなきゃ批判、下げても批判、何をやっても日本のメディアは批判だけだ」と怒りをぶちまけた(15日)。
菅直人首相が、官邸にやってきた横綱白鵬に「私も連勝できればいいんですが」と話しかけた直後、官房長官の定例記者会見で「首相は何に連勝するつもりか」と突っ込まれ、何でも政局・政略に絡めて聞くなと言いつのった(21日)。
吉田のコップやステッキには及びもつかないが、これほど公然と報道にかみつき、ボヤいてみせる官房長官も珍しい。政権末期症状という解説もあり、現実にその趣があるが、この政局には、そう指摘しただけではすまない深刻さがある。
「官僚主導の是正」を掲げて政権交代した結果、政と官の関係が変わった。いい変化もあり、悪い変化もあるが、外交・防衛という基本分野が特にうまくいかない。体制が脆弱(ぜいじゃく)化したところへ内外から猛烈な風圧がかかり、国の屋台骨が動揺している気配さえある。
再来年(2012年)は、米露韓の大統領選挙と中国の国家主席交代があり、国際政治が大きく変わる節目だ。団塊の世代が年金の受給年齢に達し、雇用と社会保障の基盤が激変する内政の節目でもある。
節目に備えて国策を練る通常国会(明年1月召集)は、このままいけば、野党が、問責閣僚である官房長官と国土交通相に対する審議拒否を貫き、立ち往生必至の情勢だ。
進退きわまった中で内閣改造や連立組み替えや政界再編が取りざたされている。行き詰まりを打開する指導者は誰か。歴史の大局を見据えた選択が求められている。(敬称略)(毎週月曜日掲載)
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次回は1月10日掲載です。
毎日新聞 2010年12月27日 東京朝刊