【5月】
8日=米ニューヨーク市の国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議のNGOセッションで谷口稜曄さんと田上富久長崎市長が演説。
14日=口蹄疫(こうていえき)の被害が宮崎県で拡大している影響で、佐世保市亜熱帯動植物園で飼育しているシマウマが鹿児島市の動物公園への「嫁入り」を延期。
19日=国営諫早湾干拓事業(諫干)の潮受け堤防排水門開門訴訟で、長崎地裁の須田啓之裁判長らが現地視察。
22日=長崎原爆資料館の入館者が5000万人を突破。前身の長崎国際文化会館当時から55年での達成。
31日=口蹄疫の影響で、五島市で6月13日開催予定の「アイアンマンジャパントライアスロン五島長崎大会」が中止に。実行委員長の中尾郁子市長が表明。
31日=諫干の開門調査を巡り、事業推進の立場だった社民党県連が開門賛成の立場に方針転換。
【6月】
2日=「長崎ちゃんぽん」のリンガーハットは佐世保市の「佐世保大野店」でドライブスルー方式を導入。
7日=子ども手当支給が県内トップを切って佐々町で。
7日=雲仙市の9人ら16人が死傷した韓国釜山市の室内射撃場火災で、釜山地裁は業務上過失致死傷罪に問われた経営者と管理者にそれぞれ禁固3年の判決。11月の控訴審判決も1審判決を支持。
8日=菅直人連立内閣が発足。民主党の山田正彦衆院議員(長崎3区)が農相で初入閣。
9日=第2山田丸の船体引き揚げ作業中、船内から乗組員2人の遺体を発見。13日には船体が引き揚げられ、16日までに行方不明者10人全員が遺体で発見された。
11日=HTB(ハウステンボス)が新装オープン後、第2弾となる夏の事業を発表。人気アニメ「ワンピース」の世界を体験するアトラクションなどが目玉。
20日=平戸市の民家寝室で、農業の男性(当時83歳)と妻(同81)が首に電気コードを巻かれて死亡。県警は殺人事件として捜査本部を設置したが、12月に男性が妻を殺害した後「自絞死」した無理心中と断定。
27日=口蹄疫の影響で休止していた平戸市の子牛の競り市が、平戸口中央家畜市場で再開。関係者は全員防護服を着用し、子牛は競り前に獣医が全頭チェック。
【7月】
2日=長崎市野母崎の海岸から白亜紀後期に生息した大型草食恐竜ハドロサウルス類の化石見つかると、福井県立恐竜博物館が発表。
3日=五島市で電気自動車100台がパレード。世界初で、11年版ギネスブックに掲載へ。
11日=参院選が投開票され、長崎選挙区(改選数1)は前知事で自民新人の金子原二郎氏(66)が民主現職、みんな新人、共産新人の3人を破り初当選。
20日=原爆症認定第2次長崎訴訟で長崎地裁が新基準外の2人を新たに原爆症と認定。
22日=長崎帆船まつりが開幕。
23日=諫干の調整池に3匹のワニらしき生物が発見され、騒ぎに。その後の写真分析で、生物はスッポンの可能性が高いことが明らかに。
24日=長崎市が長崎平和特派員の第1号にニューヨーク平和映画祭主催者の田中有美さん(42)を認定。
26日=HTB中心の観光振興を目指す「西九州統合型リゾート研究会」(172法人・個人)が総会を開き、カジノ誘致へ向けた「官民一体行動宣言」を採択。
28日=山田正彦農相(当時)が、9月にも諫干の現地を視察すると表明したが、口蹄疫の対応に追われ、見送りに。
30日=参院議長に民主党の西岡武夫参院議員(比例)が就任。県出身者で初。
【8月】
5日=潘基文国連事務総長が長崎市を訪問。原爆落下中心碑前で演説し、核廃絶の決意表明。
9日=長崎市平和祈念式典に最多の32カ国が参列。核保有の英・仏と、核保有が濃厚なイスラエルが初参列。
12日=平成新山を間近に見る登山道を12年までに建設する計画を環境省が発表。
14日=空襲を受けた約25都市の被害者らでつくる全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」が発足。
14日=夏の甲子園大会で、長崎日大は2回戦に進出するも、佐賀学園に接戦の末敗れる。
〔長崎版〕
毎日新聞 2010年12月30日 地方版