<2010~2011>
哲学者の内山節さんは、元日を群馬県上野村で迎えた。縁あって古民家を譲り受け、大学の教壇に立つ東京と、この山里との二重生活を始めて今年ちょうど40年。住民の手ほどきを受けながら約500平方メートルの畑も耕す。昨年の暮れには集落の高齢者に代わって餅をつき、各戸に配ったりもした。「まあ、お礼にお節をもらって、一切カネのかからない正月でした。互いに助け合う。地域の共同体が確立している土地柄なんです」
村は613世帯、1375人(1日現在)。急峻(きゅうしゅん)な地勢のため水田こそないが、天領として栄えた江戸期から自主独立の気質は高い。「平成の大合併」にもあらがった。村政の基本は村民自治。「自分たちのことは自分で何とかするから、変に口出しをしないでほしい」。上野村の人々の性分だという。
「昔はどこの村も地域主権でした。長が治め、役人さえ勝手に入って来られない間接支配だったんですね。それが明治維新になって、中央から県、市町村へと縦系列の直接統治になった。その仕組みにガタがきているんです」
民主党が公約の一丁目一番地に掲げる地域主権改革が、遅々として進まない。逆に、子ども手当では自治体の反発を押し切り、国の11年度予算案に「地方負担」分5549億円を計上した。神奈川県は拒否を訴え、川崎市も「民主党の公約ならば全額国費でやるべきだ」と強調する。地方の乱は収まらない。なぜ、かたくなに国の大方針に逆らうのか。
「単に国と地方の財源負担の問題じゃないんですよ」。全国市長会会長の森民夫さん(新潟県長岡市長)が説明する。「親のニーズに直接耳を傾け、地域と現場に見合った子育て支援を進めている基礎自治体の誇りを無視されたことに対する怒りなんです」
普通学級に通いたい障害児へのヘルパー支援▽少子化と学校統廃合に伴うスクールバスの整備▽低所得者層への保育料の減免--。長岡市が虐待と母親の孤立防止に建てた施設は、年間延べ約20万人が利用するという。
「教育費を除いた長岡の子育て関連事業費は約60億円。なけなしのカネを積み上げ、工夫を凝らし、地に足の付いた施策を進めている」。仮に民主党がいう「1人当たり2万6000円」が満額支給となれば、長岡市の負担額は30億円に達する。
「そのカネがあったら必要なサービスを待つ親に的確に分配したい。地方に押し付けるのではなく、現場とすりあわせて進めるべきですよ」
前宮城県知事で、慶応大教授の浅野史郎さんは地域主権の意義を「究極の民主主義を定着させるための必須要件」と位置付ける。「これまでは国にお任せ。補助金もらって規制の範囲内でご指導を仰いで」。改革後は住民が自ら決めることになる。
「必ずしも今より幸せになるとは限りません。失敗する可能性もある。だから、責任を伴うんです。地方にカネが増えるわけでもない。しかし財源を使える裁量に幅が持てることにはなるんですよ」。知事時代、道路1本造るにも国の「縛り」に悩まされた。「地方が勝手に造ると安全が担保されないって国が言う。冗談じゃないです」
小泉純一郎内閣時代の地方分権「三位一体の改革」が骨抜きになった要因は、04年の「骨太の方針」発表後の最終局面で首相が霞が関に丸投げしたからと浅野さんは言う。「逃げたんです。主演男優が消えて田舎芝居を見せられたみたい。地方は、誘惑されて捨てられたんです」。だから今回、期待は高かった。
浅野さんは、地域主権改革の遅れの理由は、陳情受け入れや口利きに固執する一部国会議員の存在と霞が関の抵抗だと指摘する。11年度予算案でも、補助金3・3兆円のうち、一括交付金化されて地方が裁量できるようになるのはわずか5000億円。国の出先機関の見直しは、1割程度の見通しだ。
「現状では地域主権なんて『冠』をかぶせるのもおこがましい。1丁目どころか5丁目です。しかし、官僚を批判するのは筋違いです。組織防衛の意識が働くのは霞が関に限ったことじゃない。問題は改革にかける強い理念が菅直人首相にあるか否か。国の形を根本的に変える事業なんです。言うことを聞かない役所の大臣は更迭するぐらいの覚悟がないとできませんよ」
北海道大大学院教授の山口二郎さんは、民主党の迷走ぶりを政党政治の危機と見る。「菅内閣が機能不全に陥り、しかし自民党政権もイヤだとなれば、出現するのは統治の空白です。深刻な混乱とマヒ状態を引き起こす」。その兆候が表れているのが河村たかし市長の名古屋市だという。
河村市長は市民税の10%恒久減税化を訴え、市議会の議員報酬(年1633万円)と定数(75)の半減を目指したが、議会が否決。議会解散の賛否を問う住民投票は、辞職すると表明している市長の出直し選挙とともに、2月に実施予定だ。
表向きは「改革派」市長と既存政党候補との対決だが、山口さんは「報酬を削減し、その先のテーマは何か。改革というには中身があまりに貧相です」とため息をつく。「自治体には無縁社会対策など緊急の課題もあるし、市の財政悪化の穴埋めに地方交付税を受け取りながら、市民税を減税するのも筋が通らない」
これまで地方自治は首長と議会のほぼ「オール与党」体制で進められ、北海道夕張市のような破綻自治体も現れた。「中央(民主党)も地方議会も公務員もダメなら、住民の怒りが生じて当然。しかし『敵』を作って憎悪のエネルギーを向けさせ、それを政治の糧とする手法は危険です」
大衆迎合的なポピュリズム(人民主義)は戦前の政治を想起させるという。「民主党は政権交代をさせてもらった09年8月のあの時の原点に戻るべきです」
「江戸期は一揆もあったが今はストライキもない時代。他人、国任せの民主主義」。だから政権が少しつまずいた途端に失望感が広まると内山さんは話す。「むしろ地方は国に権限を移譲してもらおうとするのではなく、『これは国がやらんでいい』ぐらい言ったらいい。多くの時間を要して修正も繰り返す必要があるでしょうけれども」。でなければ、真の民主主義は芽生えないという。
相次ぐ地方の乱。その一つ一つは、要因も性質も異なる。ただ、菅内閣がハローワークの移管など地域主権改革を推進しない限り、火の手は収まりそうにない。4月には統一地方選が控えている。【根本太一】
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毎日新聞 2011年1月14日 東京夕刊