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菅再改造内閣:再び表舞台…官房副長官に藤井裕久氏、40年ぶりの官邸入り

2011年1月15日

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官房副長官に決まり、官邸に入る藤井裕久元財務相=官邸

官房副長官に決まり、官邸に入る藤井裕久元財務相=官邸

 内閣改造で官房副長官に就任した元財務相・藤井裕久(78)。体調不良により鳩山由紀夫内閣の財務相を辞任してから1年で、表舞台への再登板となった。3度の重要閣僚や民主党幹事長などを務めたベテランが副長官に就くのは極めて異例。その人事は「松の内」から動きだしていた。

 6日午後4時。「新年のあいさつ」という名目で、衆院議員会館の藤井事務所を1人の男が訪れた。

 官房長官・仙谷由人。「いつも私をサポートする発言をしてくださり、大変ありがたく思っています」と切り出し、早々と「本題」に入った。

 「私は副長官をやります。官房長官になってください。近く、天命が下ります」。今回の内閣改造の「要」、次期官房長官の就任要請だった。

 2009年の政権交代に伴い鳩山内閣の財務相に就任した藤井は、高血圧などを理由に4カ月弱で辞任。鳩山が藤井の辞表を受理し、後任を菅直人に決めたのは、ちょうど1年前のこの日だった。

 藤井裕久は1年前に財務相を辞任した経緯に触れ、「僕の体のことは分かっているだろ。天命が来ても断る」と断言。仙谷由人を介した官房長官就任要請を固辞した。ただ、「表に出るのは嫌だが、ちゃんとサポートはする」と伝えた。

 熱いお茶をすすりながら会談は50分に及んだ。自民・新進党などを歩んだ藤井と旧社会党の仙谷。出自は異なるが、関係は深い。

 2005年、民主党は「戦争は一部のとんでもない人がやった結果ではない。どこで間違ったか明らかにしたい」という代表・岡田克也の意向を受け、「日本の近現代史調査会」を設立。藤井が座長、仙谷が副座長に就いた。自民、社会党時代にも、ある信託銀行がメンバーを指名してつくった勉強会に2人は名を連ね、親交を深めていた。

 今冬、参院で問責決議を受けて仙谷が追い詰められ、長官辞任の流れとなっても、藤井は励まし続けていた。「国会議員の中で、あなたほどの人は数人しかいない。絶対官邸を去ってはいけない。副長官でもいいから残れ。(佐藤栄作内閣時代に)官房長官から副長官になった木村俊夫の例もある」

 藤井は昨年12月に菅直人と会食した際にも同様に進言。だが、長官就任を固辞した藤井に首相が任じたのは、その副長官だった。

 一方、藤井は政界引退を表明していた政権交代前、官房副長官への思いを口にすることがあった。政務ではなく、官僚出身者が就く事務の副長官だった。

 1970年代、藤井は佐藤栄作、田中角栄内閣で、大蔵省派遣の官房長官秘書官を務めた。田中内閣ではカミソリと称された後藤田正晴が事務の官房副長官に就任。若手の活用や各省の抵抗を封じる手腕に、政権運営で事務副長官が果たす役割の重みを痛感した。

 それ故の事務副長官志望だったが、鳩山の要請による引退撤回と財務相就任により、構想は消えたと思われていた。

 39歳で官房長官秘書官として官邸に入ってから、実に40年。老将は32歳下の官房長官らを支えながら、「崖っぷち」からの浮上を目指す。=敬称略

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