百人一首かるたの尽きない魅力
 百人一首(注1) かるた(注2) の尽きない魅力

 私は百人一首かるたが好きです。神様がくれた贈り物です。百人一首かるたは、私にとっては趣味であると同時に、勉強であり、スポーツでもあります。

 なぜ百人一首かるたが好きなのかと聞かれたら、答えは幾つもあります。しかしよく考えると、やはり「尽きない魅力」があるからだと思います。「尽きない魅力」とは、競技かるたというスポーツ面でも、百人一首という優れた和歌集の作品という点でも、どちらをとっても無限の魅力を秘めているということです。

 私にとって百人一首かるたは、最初はただのゲームに過ぎませんでした。ゲームとして楽しむことができるものでなければ、全く意味が分からない日本の古典文学に惹き付けられることはなかったかもしれません。しかしゲームとしても、百人一首かるたは面白さと難しさを備えたゲームです。記憶力(決まり字(注3) 札の位置(注4) 読まれた札等)、反射神経(決まり字を聞いた瞬間に素早く判断して札を取る技や送り札(注5) の処理などは、いずれも臨機応変な対応に加えてスピードが求められます)、体力等、非常に高い能力が求められます。私はいつも自分の知力と体力の無さが情けなくなり、ため息が出ますが、より早く、より正確に、よりきびきびと札を取ることができるように、今もミスを少なくする努力を続けています。

 決まり字を聞いた瞬間、正確かつ素早く札を取ることができた時は本当に爽快で、決まり字を全部聞いた後に狙いを定めていた札ではないと判断して手を引っ込めたときには、心臓がドキドキします。しかし、この段階で止まってしまっては札取りの練習だけで十分ということになり、百人一首かるたはただのゲームかスポーツです。しかし、百人一首かるたはスポーツとしての激しさやゲームとしての知略だけではなく、無限の奥深さと、考え、研究する価値がある魅力があります。

 百人一首は、心を育むことができる高尚な作品です。和歌は一首一首に大自然と愛を描き、一つ一つの情景と作者の心情を表しています。百人一首の中の和歌を通して、日本人の美意識を垣間見ることができます。非常に恥ずかしいことなのですが、私は和歌の意味を理解するどころか、百首の和歌を全部覚えることさえできていません。しかし、先ずは百首暗記することが一番の基本であると思っていますので、暗記する努力を続けています。

 魅力の尽きない百人一首かるたと一生付き合っていきたいです。そして、より多くの中国人に百人一首かるたを体験し、理解してもらいたいと思っています。



※(注1) 百人一首は藤原定家撰による優れた和歌集であり、歌人百人から一人一首を集めたものです。

※(注2) かるたとは紙製の札のことです。百人一首かるたはかるたの一種で、百人一首の和歌が紙製の札の上に書かれています。取り手用の札には下の句のみが書かれており、読み手が読み上げた上の句を聞きいて対応する札を探します。ここでは特に競技かるたのことを指します。

※(注3) 決まり字とは、上の句の最初の数文字のことです。百人一首は百首の和歌しかなく範囲が限られているため、通常、上の句を全て聞かなくてもどの歌なのか、下の句は何かがわかります。したがって、決まり字の暗記は非常に重要です。

※(注4) 札の位置とは、畳に置かれた札の位置をいいます。通常、競技を始める前に二人の取り手は、自分の好きなように自陣の札を置いた後、50枚の札の位置を全て記憶します。その後、競技中はお手つきや攻め、守りに応じて札の位置が変化しますが、その場合も記憶しなければなりません。

※(注5) 送り札とは、自陣の札の中から一枚または二枚を選んで相手に渡します。相手は自分の好きな位置に札を置きます。相手がお手つきした場合、または敵陣の札を取ったとき、相手に札を送ることができます。競技のルールは自陣の札が先になくなった者が勝ちであるため、相手に札を送ることは自分にとっては有利であり、相手にとっては不利になります。


徐乃馨 ■徐乃馨

北京工業大学ビジネス日本語専攻4年
金沢大学日本語日本文化研修事業留学生

これまでに参加した百人一首かるた大会
2008年7月5日 第1回小倉百人一首かるた 北京大会
2009年5月16日 第2回小倉百人一首かるた 北京大会 
2009年10月3日 第11回全国かるた競技 富山大会
2009年10月4日 第18回埼玉県百人一首大会


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