2011年1月15日5時32分
兵庫県の山間部を走る延長約50キロのJR加古川線。鉄道ファンが「大回り」と呼ぶ乗り方を楽しむ路線として知られるものの、昨年度は乗客数が過去最低まで落ち込んだ。だが、かつて大阪と神戸を結ぶ「迂回(うかい)路」として活況に沸いた日々がある。16年前の阪神大震災だ。
JR加古川線は、神戸線の加古川駅(加古川市)と、山間部にある福知山線の谷川駅(丹波市)をつなぐ。谷川駅発着は平日1日18本。48.5キロの単線を、1両運行を基本に最短1時間16分で走る。
週末には鉄道ファンがやってくる。切符を1区間買って迂回する「大回り」。加古川駅で隣の東加古川駅まで3.6キロ区間の切符を180円で買い、加古川線経由で宝塚線の尼崎駅で神戸線に戻れば182.4キロの旅を楽しめる。昨夏、仲間と回った加古川市の主婦(59)は「おしゃべりして、ホームでお弁当を食べて。すごく楽しかった」。
とはいえ、迂回路を利用するのは休日に10人ほど。それが4千人に達したのは、1995年1月17日の阪神大震災直後だ。JR神戸線は地震後1週間でも甲子園口駅(西宮市)と須磨駅(神戸市須磨区)の27.5キロ区間が不通となり、全線復旧は4月1日だった。
このため、加古川線は大阪と神戸を結ぶ迂回路に。福知山線と接続する谷川駅では、1日平均260人だった乗り換え客が8500人に膨れた。直通列車(加古川―谷川間)も1日9本から2月初めに45本になり、各地からディーゼル車をかき集めた。
加古川線は1913年、前身の「播州鉄道」の一部が敷設されたことに始まる。沿線の人口増で、統計の残る55年度以降、乗客は毎年数十万人ずつ増加したが、66年度に約517万人に達した後は減り続け、震災前の93年度は272万人まで半減。一時は廃線もささやかれたが、震災で評価は一変し、45億円で2004年に全線を電化した。