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谷啓さん事故死 自宅階段で転倒…脳挫傷 (3/3ページ)

2010.9.12 05:06
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谷啓さん事故死 自宅階段で転倒…脳挫傷
「ガチョーン」のギャグを決める谷啓さん。元々はマージャンで好牌をツモったときなどに叫んだのが始まりだった=1991年4月【フォト】

 他にも、いじめ抜かれた後に突然開き直る「谷だぁ!」や「ビローン」でも楽しませたが、自分について生前、「人見知りする性格の半面、人を喜ばせたい気持ちがずっとある」と分析。子供のころからサービス精神が強く、「お手伝いさんを驚かそう」と硬くなった犬のフンをかじったことも。そんな両極端の面が、喜怒哀楽を表現する俳優業には役立った。

 映画「クレージー作戦・くたばれ!無責任」(63年)など「無責任」シリーズで演技力を磨き、88年からは映画「釣りバカ日誌」シリーズにレギュラー出演。小心者の中間管理職、佐々木課長を好演、昨年末に公開された同映画のファイナルが俳優としての最後の仕事となった。

 日ごろから「クレージーがなかったら、私はなかった。何でも私の好きなことをさせてくれた」とクレージーに感謝していた谷さん。今ごろ、あのとぼけた笑顔で、天国のハナさんや植木さんらメンバーとふざけ合っているに違いない。

谷 啓(たに・けい、本名・渡部泰雄=わたべ・やすお)

 1932年2月12日、東京・大田区生まれ。父親は会社員で、転勤に伴い、小学校時代は横浜市で過ごす。逗子開成中学(旧制)から関東学院大に進学。1年で中退し、中大経済学部へ。授業料未納で除籍後、プロのトロンボーン奏者に。クレージーキャッツに加入してブレーク。「寺内貫太郎一家」、NHK大河「武蔵 MUSASHI」など、ドラマにも多数、出演した。58年、歌手、ペギー葉山のマネジャーだった和子さんと結婚。3女1男に恵まれ、知的障害者の実弟とは結婚後も同居を続けた。初主演ドラマ「田辺死す」で谷さんが演じた役は弟がモデルで、人間的な優しさや純粋さをテーマにした心温まる物語だった。



この記事のフォト

「ガチョーン」のギャグを決める谷啓さん。元々はマージャンで好牌をツモったときなどに叫んだのが始まりだった=1991年4月
音楽コントで爆笑を誘ったクレージーキャッツの左から桜井センリ、谷啓さん、安田伸さん、ハナ肇さん、犬塚弘、植木等さん。また1人、メンバーが天国へ旅立った
トロンボーン奏者としても活躍した谷啓さん。若き日には、その腕前で専門誌のランキングコーナーで上位にランクインした=1992年6月
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死去した谷啓さん
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