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三島由紀夫没後40年 「果たし得ていない約束」が現代に問いかけるもの (3/3ページ)
尖閣諸島などに代表される国防の問題を考えると、結局は自衛隊、憲法改正というところに行き着かざるを得ない。三島が死んだ昭和45年というのは政治の季節が終わった年で、そこから現在までは地続きだ。新たな時代の転換期を迎えつつある現在、もう一度、三島の主張をよく考えてみる必要があるだろう。(談)
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■予言的エッセー 痛烈な自責と慨嘆
昭和45年11月25日、自衛隊市ケ谷駐屯地でクーデターを促す演説を行った後、自決した三島由紀夫。同年7月7日付サンケイ新聞(当時)夕刊のテーマ随想「私の中の25年」に、「果たし得ていない約束」(新潮社『決定版 三島由紀夫全集』第36巻)と題した予言的なエッセーを寄稿している。
三島は、以前から、戦後日本社会の現状に批判的なまなざしを向けた文章をいくつか発表してきた。「八月二十一日のアリバイ」(36年)や「私の戦争と戦後体験」(40年)など。「果たし得ていない約束」では、痛烈な自責と慨嘆の言葉が並ぶ。
「私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする」という書き出しで始まるこのエッセーは、戦後民主主義を「偽善」として激しく拒否。一方で、「それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間を、否定しながらそこから利得を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている」との複雑な心情を告白する。
三島が見通した日本の将来は、きわめて悲観的だ。「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」。そして、4カ月後の事件を暗示するかのような戦後社会への決別の辞を続けてエッセーは終わっている。