「自分の仕事」を考える3日間 建築家 中村好文


「自分の仕事」を考える3日間 – 2日目3時間目
speaker : 西村佳哲氏(聞き手) x 中村好文氏(建築家)
data & place : 2011.01.09 奈良県立図書情報館

written by @tamachangg

今年で三回目になる、奈良県立図書情報館「自分の仕事」を考える3日間。今年はほぼすべての人のログがあるんですが、これを記事として出すかどうか、ちょっと考えました。この会はいずれ西村さんによって半年後には本となって出版されるからなんですが。よくよく考えてみて、その頃までのブランクの時間があるわけで、今回参加した300人以上の方が、会が終わって丁度一週間ほど経ついま、あの場所で思ったこと、考えたことを反芻しながら読んでもらったらいいんじゃないかな「自分の仕事を考えること」が第一義なのならいいか、と思って掲載することにします。



- コウブンさん。ほんとはよしふみさんとお呼びするんですが、みんなコウブンさんコウブンさんて呼ばれるので。

大人になって、社会に出たら嫌なことも仕事でやんなきゃならないんですよねぇ。ってことを、学生から聞くことがたまにある。働かなきゃいけないから今のうちに、みたいなことの裏側に「働く」っていうことのイメージがそこにあるんだなあと思うんです。中村さんていう人は僕からみたら、ほんとに好きでやってるんだなあ、っていうことがわかる人なんです。もちろん責任も果たしているし、好きでやっているんだってことを体現している人がいっぱいいたらいいなぁって思ってるんですが。非常に大切な先輩です。

● ゲストのプレゼンテーション(30分)

高校までは田舎にいましたから。大学に入ってからさまざまなアルバイトをしてきました。学資をいくらかでも稼がなければならない。団塊の世代です。学生運動がものすごく盛んだった。僕ですらデモに行っちゃう。ぐらいの時代だった。デモしてると、ずっと歩いてるのもなかなか辛いなって思っていて。あんまり熱心じゃあないんですよね。僕は日本には革命は起きないとおもっていた。機動隊がものすごい挑発するんですよ。殴るしね。刃向かうとすぐ逮捕だしね。ひどいんですよ官憲のすることは。ロックアウトって言って、警察が入って大学に入れなくなっちゃう。授業も無いしやることないんですよ。

僕は大学四年間を通じてやっていたのは、模型をつくるアルバイトですね。今の最高裁判所を何人かでつくったり。あと本屋さんのアルバイトをしていました。それが一番が長い。丁度川端康成がノーベル賞をもらったときに重なっていたから、いち早く川端康成コーナーをつくって売り上げがあがっちゃったり。企画能力が高いんですよ。いろんなことを企画するワケ。そして、就職する段になったんだけれど、人生を斜に構える癖がついちゃって。まぁ、プータローですよね。神田の有名な老舗の本屋さんで求人が出て、洋書なんかもかなりやっている。僕は武蔵美なんですけれど、武蔵美の出入りの業者でもあって、試験を受けたんですね。高卒の人を募集してたんだけれど、年齢が高かったから大学出てたらダメなんだって言われて。あれって丁稚だから高卒じゃなきゃダメなんですね。その当時アルバイトをしていた設計事務所の先輩が「お前は建築をナメてる!」って言ってすごく怒ったんだよね。それで、建築事務所を紹介されて「お前はそこにいけ!」って言われて。その設計事務所に三年半いた。そこで初めて建築の実務を学んだわけです。

僕は事務能力がすごくないんですよ。たとえば加減乗除が足りないのね、足し算とか。面積計算が必ず間違っているの。僕がやると絶対に検算しないといけないわけ。で、いっつも間違ってるの。僕に頼むと二重手間になるわけ。当時まだ電卓がなかったから。


(ダメダメダメダメダメ、中村に頼んじゃダメ。ぜーーーったい、ダメ)


って聞こえてくるわけですよ。

中村は面積計算できないし、図面もすごく下手。で、あれはもう設計しかないんじゃないか?ってなって。休みの日にボスが基本設計のアイデアをもってきて、で、それを見てるとどうもおかしいんですよ。こうしたほうがいいとか、ズバズバ言うわけですよ。とにかくかみつく。で、僕が基本設計してる。一番おいしいとこだけやってるんだよね。

みなさんに言うけれど、いろんな能力が高いのは良くないよ。笑 事務能力のなさが自分を有利にした。

オイルショック。ほんとに仕事がなくなっちゃって。見てると我々に給料を払うのが大変だってのが、見えちゃうんだよね。で、そろそろお暇しますって言ってやめたんだよね。で、とりあえず失業保険を貰ってたんだ。あの当時27歳くらいで三ヶ月くらいしかもらえないのね。延長する方法もなくはなくて、職業訓練校に入ると延長できるんだよね。それで木工科に入ってみたの。住宅と家具を二輪にしようと思ってた。家具デザインやるためには道具、しかもできるだけ木の家具をやるためには木工科で、ノミとかかんなとか学んでマスターし、刃物の手入れをマスターし。一方で、最初の入った設計事務所時代に、そこは資料関係で新建築っていう雑誌が、だぁーーーーーーーーーーってあるんですよ。勉強することについてはすごい理解のあるボスだったんで、最初からずーーーーっと見ていって、192-30年くらいからずっと住宅を主に見ていったんですね。


吉村順三「軽井沢の家」長野県軽井沢町

吉村順三さんていう住宅の名人がいるんです。デキがいいんですよ。特にプランが、間取りがものすごくいい。彼はぜんぜん流行に関係ない仕事をしてるんですけど、どこかアメリカの合理的なモダンリビングのにおいがする住宅なんですよね。この人と仕事をしなけりゃと思ったんですよ。吉村順三の顔と声に惚れたんですね。すっごい渋い人で、顔は鬼瓦みたいな人なんだけれど、宮本武蔵が生きていたらこういう顔だろうなっていう顔なんですよ。少し江戸弁があるしゃべり方で、ものすごく低い。西村さんを更に2オクターブ低くしたような感じ。ぼくとつさっていうのかな。失業してからすぐに手紙を出したんだけれど、それで一度会いにいって、会うだけ会った。それでしつこく手紙出してたんですね。

それで先生からハガキが来た。訓練校の生活を読んだ先生から、一行だけ。

「一度事務所で会いませう」

て書いてあった。明治の人だからね、俳句かと思った。笑 先生の部屋に入ったらね「どうしたんだい?」って聞かれて。「明日から来るかい?」っていうんですね。さすがに僕だって都合があるんだけどね。明治の人だからしょうがないと思ったけれど、訓練校をやめて。それから先生のところで折りたたみの家具だけしてたんだよね。好きな映画をたくさん見たり、好きな本をたくさん読んだり。仕入れと仕込みをしてたんだよね。それが今効いている感じなんだけれど。


1988年に建築家・吉村順三により設計され、その後中村好文、丸谷芳正の3人の共同作業により改良され、1990年に発表された「たためる椅子」¥68,250 新宿のリビングデザインセンターOZONE 4階の「にっぽんフォルム」で購入できる。

先生が倒れて、まずは僕が首をきられるんですね。そのとき家具をもうちょっとやってみたいなぁと思って、でももう日本にはこの人から学びたいっていう人はいなかったんですね。で、世界を見回してみたらイタリアのボローニャで、たかはまかずひでさん。イタリアモダンをやっていて。すぐに手紙を書いたんですね。どうなるかわかんないけど、一応会いにおいで、って言われて。シモンガビーナっていう家具の大きい、そして質の高い会社なんですけど、そこでたかはまさんに会って、あのときはもうイタリアは国が破産してるって言われるくらいの不景気で。とてもそんな状況で外国人は働けない。でも、もしきみが木工の機械を動かせて、いわゆる施工図的なものをかくひとは、ドラフトマンて言って、それでもうできちゃんですよ。もしそういう仕事で良かったら仕事を紹介してあげるし。ただし、場所はボローニャじゃないんだよね。ファームっていうところに行ってもらうことになるよ。って、ベネチアから三時間くらいかな、次の次の日にファームに行ってたら、すっっっごい田舎なの。僕は九十九里の出身だから、大学で東京に出たのに、また、イタリアの九十九里に戻ってもしょうがないじゃないかって思った。城壁があってね、そこで海を眺めていて、海風に吹かれていたら、もうそろそろ帰ろうかな、って感じになったんですよ。

それで、帰ってきたんですね。住宅設計として独立したんです。1981年。そんなことしてそれから独立して、家具の仕事してるときと、住宅の仕事してるときと、時計の振り子みたいに揺れ動いて仕事してたんだけれど。大きなテーブルが欲しいときに、気に入った素材で気に入ったデザインて無いんだよね。それで同時に家具と住宅の設計ができるようになって。ズーーーっといくんですね。

(住宅設計の図面の)プランをいつもノート状にして、いつも見てるのね。将棋の棋譜っていうんですが、よく電車の中でおじいさんがみてるじゃないですか。好きな住宅を僕もみたいなぁと思って、途中で46歳だったと思うんですけど、いままで好きな住宅があって50までに見たいんだよ、って言って。住宅巡礼っていう本の連載がはじまるんですよ。ページはあげるけど、お金はあげませんみたいになって。29回くらい連載したかなぁ。原稿用紙でいきなり25枚くらい書くんだよね。そのとき初めて文章と向き合うことになるんだけれど、好きな文体もあるし、文章の呼吸ってのもあると思うんですよ。超有名な住宅があると、評論はいっぱいあるんですよ。それで現物をみにいくと、僕の感じていることと評論はずれているんですよ。サボア邸とか。それが連載になって本になるわけですけど、文章を書くことが始まって、二輪車だったことが三輪車になるんですよ。それから大学で教えることも始まって四輪車になるし。そんなことをして仕事をしてきました。

仕事の中でなにを大切にしてきたか。やっぱり身の丈を超えないこと。身の丈を超えることはしない。等身大であることはいいことだと思うんで。背伸びしないってことですかね。それからまわりをあんまり見回してないですね、世の中の動きやなんかにもあんまり乱されてないし、競争しないってことですかね。ある種の立身出世を望まない。自分ができる範囲の仕事をして、それでいい。地位と名誉と権威からできるだけ遠いところにいたい。それが大事にしてることですね。あと、割と遊びながら暮らしていきたい。子供の頃に母親に、遊び半分じゃダメって言われていたけれど、半分は真剣だものね。笑 遊びながらいきたいと思います。

● ゲストにインタビュー(20分)

- 中村さんのお仕事や設計を拝見してきて、この人は、好きでやってるんだなっていうこと。それについて何かもう少しお聞かせいただけたら

好きでないと続かないかな。好きじゃないとやる意味が無い。それとまあ継続っていうのも大事なことだと思います。学生時代に伊丹十三のお父さんの伊丹満作の著作に「才能っていうのは一つのことを愛しつづけることだ」って書いてあったんですよ。僕は自分の建築の才能なんてないと思っていたけれど、好きな建築を好きって言い続けることに関しては才能があるんですよ。惚れ続けるんですね。

- 身の丈を超えない、背伸びもしない、萎縮もしない。っていう言葉もでてきて

いじけないってことだよね。背伸びしなくてもいいけど、萎縮しなくてもいい。自分がなんかできないんじゃないかって、ならなくてもいい。大切にしてるっていうか、それしかできないってことかなあ。

- あらかじめしてあったコウブンさんのインタビューに「自分の走れるペースを崩してやっちゃダメになっちゃうんじゃない?生き方の脚力。僕は競争しないんで」って書かれてますよね

良いこと言ってるよね。笑 これは僕の方法だからね、みんながそうしなくてもいいと思う。

- それがコウブンさんの持ち味なんですね。

- 長い視野が入ってますね。

もう先ないなぁって感じになってますけどね。過ぎてくると早いよねぇ。西村さんはどうなの?

- だんだんそういう気分になってきました

西村さんいくつなの?

- 46です。

じゃあまだまだだよ。笑

学生時代くらいは自意識過剰だから、自分を格好良く見せたいとかあるじゃない。だけど、それメッキだからはがれちゃうのよね。すぐ地肌が見えちゃって、グレーなのね。だんだんメッキがはがれてきて、地が見えてくると楽なのね。おいしいもの食べて帰ろう!って。今日ね、おいしいものたべれそうなんだよね。笑

- 周りを見始めると、建築双六ってのが始まっていて、その当時から振り出しを行ったりきたりすればいいんだって思えたのは凄いなぁって

向上心がないのね。ポジティブに無い。無理しなけりゃいけないとかね。

- 自分のペースで走るとか、昔からのことだったんですか?

中学高校くらいからおちこぼれちゃうしね。陸上競技してたんだけれど、棒高跳び。そのときは競争心もあったし、向上心もあったのよね。あれは向上心だったかな。今も、悪条件ていうバーを超えようと、敷地無いぞとか、予算無いぞ、とか。笑 バーが揺れる。笑

棒高跳びの練習ってのは鉄棒とトランポリンなんですよ。あとは走ることですね。100m 11秒100くらいで走ってたけど、ぜんぜん、役に立たない話ですね。

- マイペースっていうか、自分のペースを大事にされている。中村さんの事務所は長い人が多いですね。

18年とか。教え子がいるからね、22歳で入ってくるでしょ。だから長いですね。

- 丁稚奉公で、言い方悪いけれど若い内に安くつかえる内につかって、結婚したりする前に独立して。っていう業界の慣習がありますよね。

若い人は給料も安いし。

- 建築っていうのは、一般デザイン界の中で給料が安いことで有名だと思う。

若い子を二年間とか働いてもらって、独立していってもらうっていう考え方は僕にはない。仲間意識の方が強いかなぁ。あんまり指示を出さないですね。クライアントから頼まれるじゃない?敷地狭いからがんばろうぜー、みたいな話を仲間とするじゃない。あの感じをだそうぜって。その人の普段着を作っている感じ。仕立て屋なんだよね。でね、パーティー着はやってないの。理想的にはジーンズがつくりたいんだよね。洗っていると風合いが出る。そういう住宅が作りたいんですよ。

- 中村さんの住宅はキッチンが充実していてね。

自分がしてほしいように、してあげたい。例えば黒澤でも小津でも、好きな映画があるでしょ。そういうの平日に見に行ってもいいよって。僕はそうしてほしかったんだけど。笑。みんなだからそういうふうにしている。割と自由に。スタッフはそれぞれ、みんな「自分の仕事」と思ってやってくれますからね。プランをつくったり決めたりすることは僕が責任とりますけども。スタッフの持ち味が出るからね。きくちゃんてのがいるんだけども、きくちゃんらしいなぁって。

- きくちゃんて誰ですか 笑

給料の話。っていうかお金の話ね。設計事務所って経営は大変なんですよ。ボスがどっかからお金を、、、みんなが稼いだお金をみんなで使うって考えてるのよ。給料にしたり維持費にしたり。だからだれでも事務所に今いくらあるのかが解るようになってるのよ。事務所にお金が無くなることがあるのよ。だから「あの設計来月までにやんなきゃ!」とか、みんなが自覚するのよ。今度インドにみんなで行くんだけど、みんな行きたいから稼ぐわけよ。それ励みになるじゃない。だからみんなで運営してるって感じなんですよ。別にこまんないもんねぇ。

- ボスがスタッフに対して恥ずかしくていえないってことあるかもしれないですね。お金がないことを恥ずかしくて言えないっていうこともありますよね。

だってしょうがないじゃない。仕事してないんだもん。笑 そこが大事な問題だと思うね。

- すこやかさに繋がりますね。

すこやかさ?そうかなぁ。

- 中村さん自身、健康だし

あと、口が悪いとかはなおんないな。笑


● 会場とのやりとり(30分)

5歳のコータローっていう甥っ子がいて。ツリーハウスをつくってくれって言われて。僕の一番若いクライアントなんですよ。

Q 私は去年までインテリアの設計事務所に勤めていて、そこを退職してフリーで活動しています。50年続いていたインテの設計事務所で。かなり世代のギャップがある事務所だった。けっこうコミュニケーションが大変で、50代60代のところに突然20代が入ったんです。まぁ、コウブンさんのお昼ご飯の話がいいなぁと思って。そこでコミュニケーションができたりすると思うんです。私はいつかここでご飯をたべたい!って思いながら、いまはやめてしまったんですけども。質問なんですが、中村さんがスタッフに押しつけないとか、やる気を大事にされてるっていいますけども。中村さんが人と一緒に仕事をすることってどういうことなんでしょうか?

仕事って協同作業ですよね。設計もあるし、家具の職人もあるし。大きくは建築家の仕事ってのは、映画監督に近いと思う。最終形がその建築家にしか見えてないっていうところも似てますね。すごい量の雑務をこなさないといけない。一件ですらすごい大変なのにスタッフがいないと回らないですよね。僕は外にいることが多いから、スタッフがやってくれないと。一人ではもうできないんじゃないかなぁ。図面下手だし、面積計算ができないからさァ。でも、どんどん断っちゃうんだ。できないからねぇ。

- どんな答えがかえってくると思ってた?

Q 自分の100%の理想があるときに、面倒なことってありそうだなって。スタッフさんを抱えたりすると、例えば、思い通りにならないとか。

それは僕はあんまりなかったなぁ。でも相性はあるんだよね。人同士だから。スタッフの能力を完全に引き出すことができなかった。相性が良ければそんなことはないんですけど。30年やってきて、スタッフの交代は少ないし。

- 中村さんは頭の中にイメージがあって、でも同じ人間ではないからイメージがずれていっちゃったりとか、そういうことが起きないのは何故ですか?

やっぱり長いスタッフはかなりよく解っちゃってるからね。また同じシャレ 笑 みたいな。ツーカーのとこはすごくツーカーなんですよ。みんなで料理をつくるから。しかもくじ引きだから僕がつくることもあるんですよ。くじだからねぇ、そういうふうにしてやってると、定番に近いメニューはほとんど会話しないよね、二人でつくるんだけど。あれをつくる、ってなると、ぱっといくよね。ジャズのセッションみたい。夫婦よりずっとツーカーかもしれない。一緒にいる時間が長いしね。ぜんぜん答えになってないけど、いいよネ。笑

Q ツーカーに至るまでって、すごく時間がかかることだったと思うんですけど、意識的にそういう時間を過ごしてきたのか、天然・・・・・自然。笑

天然ってのは、ボケって言葉に繋がるよね。笑。いろいろ忘れちゃう。辛いことはどんどん忘れる。割と神経質な人はひきずるけれど、それはないんだよね。建築家で一番大事なのは楽観的なこと。それから計画性がないってことだと思うね!

海外転勤だとかさ、離婚しましたとかさ、計画性があったらそのたびにガッカリしちゃうじゃない。だからさあなた、これから設計をやっていくのに、楽天的じゃなきゃダメだよ。

Q 自分の身の丈と性分を大事にされてるとおっしゃっておられましたが、大学後卒業された事務所だとか、吉村先生の元でされていたときはどうだったのか。

身の丈に合った「人への遣え方」ってのがある。自分以上のことをしない。その先生にあわせてなにかをするってことはあるんだけれど、助手をしてるってことと、身の丈に合ってるってことは、違うことでしょ?だからいい助手っていうのは、ガンガン自分のことを言うことはないよね。タバコにライターだとかさ。笑。そういうこともあるよね

Q 二つ聞きたいことがあるんですけど

二問目から有料です。笑

Q えっと。笑 遊び半分ていう言葉に、私の遊びの感覚と、ちがうんじゃないかなあと思って

そりゃ本気ですよ。・・・むずかしいねぇ。これは。僕は趣味らしい趣味はないんですけど、替え歌ってのはいっぱいつくってるよね。老眼てつらいもんなんですけど、このつらさをなんとかしなけりゃならないって、こりゃ歌で吹っ飛ばすしかないよなぁ、って。で、老眼の歌をつくったんですよ。「ろうがんろうがんろうがん〜♪」

この歌を本気で推敲するんです。笑

家具職人と働いていると、すごい大変なんだよね。これもまたなんか
タイトルも「値切りの渡し」とか。負けておくれよ♪安くして〜よねぇ〜♪ って
80から90曲。折に触れてね、ラジオ体操の歌がある。



遊びをしようと思ったら、それは真剣にしますね。

Q エンターテナーだなって思って。趣味っていう趣味はないっておっしゃいましたけど、ご自分のことを映画監督に例えたり。カルチャーのにおいがぷんぷんするんですね。

- それはカルチャーのにおいなんだな 笑

やっぱり若い時代ってのは凄い大事だと思う。その時代に仕込んだもの仕入れたものが、ある時間を経て発酵してくるってものじゃないですか?僕なんかけっこう古漬けですよ。だから今でもほんとによく旅行をしてますけど、見る物すべてが面白いって感じですよね。仕込みはずっとですよね。ある程度いくと仕事に追われるもんじゃない。若い頃は遊びに没入できるし。やっぱりおぼれるくらいしないとダメじゃない?やるとなるとしつこく。ラテン系のくせにねぇ。

- どういうものに浸ってきたんですかねぇ

映画もあるし、本もあるし、旅ですよね。ジャズは好きだったし。なんかいろんなもの。古道具も好きで、買える値段でいろんなものも買った。洋服も仕立ててたりしたねぇ。

Q 以前家具メーカーに勤めてた時期があって、モデラーが日本にいない。その商業が成り立たない。自分の工房では鉄を中心とした家具をやっている。もともと彫刻をやってたのと、まぁ、自分でも受けた家具をデザインするんですけども、ものがあふれてますよねぇ。世の中に。これ以上デザインというか、ものが必要なんだろうか?とアンティークを触ると余計感じてきた。あと景気が悪くてなかなか食べれてない。モデラー的なというか、新職人として受け例れてみたいなことをされたいとおっしゃってられたり。モデラーっていうのは、スケッチを形にしていったり。なかなか日本ではプロダクトデザインとして図面にならないと試作もあがってこないっていう。そういう時代の転換期にラテン的な中村さんはそんなん問題ないよと言われるかもしれないし、日々のお仕事のなかで思っていることをお聞きしたい。

僕は社会問題的な話はしないんだよねぇ。エネルギーを自給自足する小屋はやってるんだけれど、地球環境をなんとかするってことじゃなくて、面白いからやってるんだよね。楽しいからやってる。みなさんのヒントになったり役に立てば嬉しいことだけど、それを売り物にしようってことはない。先ほども言ったけれど、ものがあふれてって、それはいるかどうかはわからない。ただつくりたい。いる?とかじゃなくて「僕がやりたい」。一人のものをつくりたい人間としての発露。もういらないよとか言われても、そぉう?じゃ、つくろ!ってなる。

- ペンダントの照明。ロットはいくつくらいから?

30くらい。50つくって、20捨てるって感じだね。厚さが均一にいかないと、吊ったときにバランスが悪いのね。昭和中期くらいまでガラスの傘ってあったわけじゃないですか。数も少なくなって、もうこれは自分のデザインでつくるしかないってなって。インテリアのカタログって、厚さばっかりでろくなのがなくって。だから、自分で本当に欲しいものをつくっているだけだよ。

- ナショナルが照明器具をつくるときには3万とか5万という量でつくるわけですよね。それを30とか。大量生産の話とは位相が違うので、一緒くたんにはできない話ですね。

いいんだよそんなのは 笑

Q 仕事といってもいろんな次元の仕事があるなと思っていて。私は普段ドキュメント製作の仕事をしています。ひとつの案件で契約してしまうと、もらえる金額っていうのは決まってしまって、そこからどういう仕事をしていこうが、もらえる対価は変わらない。できれば全力で取り組みたいけれど、振り返ってみたら手を抜いてしまったな、とか思うことがあるんですけれど。

僕はないね。ぜんぜん。お金のことは考えないしね。やるかやらないかだよ。仕事そのものが報酬なんだよね。シャーロックホームズがそういうこと言うんだよね。あの人は、美人が訪ねてくると「探偵量はいくら?」って聞くと「私にとっては仕事が報酬です」って言うんだよね。5歳のクライアントのために四日間そこに行ってやることないでしょ?予算はないから壁は自分たちで塗るかー、とか。スタッフは13人連れて行ったんですよ。三班に分かれて、三泊四日でツリーハウスつくってるんですよ。お金はあんまり関係ないけど、そういうことをすることが大事。

ま、僕の言葉じゃないんだよ。ホームズの言葉。

- なにかを実現するためには仲間は必要かもね

ものづくりの人ってほんとに真摯に仕事をしようとすると、なかなか経済的なことがむずかしいよね。相談されると「かすみでおにぎりを握って、夢を振りかけて食べなさい」って言うんですよ。建築家はそうでないと務まらない。で、聞かなきゃよかった、って顔されるんですけどね。

- そこでお金のことを考えてもしょうがない

こんな僕でも30年やってきてますしね。笑

● 講師の著作

中村好文 普通の住宅、普通の別荘


普通って言葉が大好きなんだけど。
独創性、新規性、話題性。これをみんな追いかけるのよね。僕はそれをまったくやってない。


50代の奈良のクライアントがね。奥さんの方がスウェーデン語には普通で丁度いい、って言葉があるんですよ。って普通って日本語だとなぁんかネガティブだよねって。私が欲しい家はそういう家。っていわれて、いたく感動して。この言葉を調べよう!ってなって。たまたまスウェーデンに留学してる友達がいて聞いたんだけど、知らない。って。で、スウェーデン大使館に電話をしたんだけど、すごく冷たくて。結局みつかんないなぁ〜と思っていたんだけど、スウェーデンからいろんな日本人の職場を訪ね歩きたいっていう33くらいの子が、ほんとに真剣に考えてくれて。エンケル enkel っていう言葉なんですね。誠実っていう言葉でもあるし、シンプル。プレーンてことばでもあるし、オーネストって言葉でもある。これが合体してるんですね。それで、その奈良の家をエンケルハウスって名前にしたんですけどね。普通の別荘。


住宅読本


住宅ってなんなんだろうってことを考える本なんですよね。これはね、買わないとダメ。あしながおじさんの中にね、友達のうちに遊びに行ったらね、階段のさきっちょがまるっこかったとかね、屋根裏がかくれんぼに丁度よくてね、っていう手紙を書く話があるんですよ。あの子は家っていうのはわからないんですよ孤児院で過ごしたから。だから、家ってものがなんなのかがわかるんですよ。

- 中村コウブンさんの向こうに、伊丹十三さんがおられますね。

女たちよ!


女たちよ、っていうのを読んで、暗記してしゃべれるくらい読んだんですね。僕のいろんなものを形成するときにこやしになってるんですね。聖書みたいな本です。伊丹十三記念館の仕事が来なかったら、なんで俺じゃないのーーー?ってへこんでたでしょうね。


- 奈良のここから近い場所にある「くるみの木」の設計も中村さんなんだそうです。



第3回「自分の仕事」を考える3日間
http://www.library.pref.nara.jp/event/talk_2010.html

  • http://topsy.com/www.monogatari.jp/eid=11/?utm_source=pingback&utm_campaign=L2 Tweets that mention 「自分の仕事」を考える3日間 建築家 中村好文 | monogatari — Topsy.com

    [...] This post was mentioned on Twitter by イシカワタケル, せん, 京町家同居人募集中(京都市左京区), 上野太朗 (Ueno Taro), kumiko and others. kumiko said: 建築家の方の言葉は、自分の中の何かが解放される感じが多いなあRT @tamachangg: みなさんに言うけれど、いろんな能力が高いのは良くないよ。笑 [自分の仕事を考える3日間 建築家 中村好文] http://t.co/QNnthFv #jbnsgt3 [...]

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「自分の仕事」を考える3日間 建築家 中村好文


「自分の仕事」を考える3日間 – 2日目3時間目
speaker : 西村佳哲氏(聞き手) x 中村好文氏(建築家)
data & place : 2011.01.09 奈良県立図書情報館

written by @tamachangg

今年で三回目になる、奈良県立図書情報館「自分の仕事」を考える3日間。今年はほぼすべての人のログがあるんですが、これを記事として出すかどうか、ちょっと考えました。この会はいずれ西村さんによって半年後には本となって出版されるからなんですが。よくよく考えてみて、その頃までのブランクの時間があるわけで、今回参加した300人以上の方が、会が終わって丁度一週間ほど経ついま、あの場所で思ったこと、考えたことを反芻しながら読んでもらったらいいんじゃないかな「自分の仕事を考えること」が第一義なのならいいか、と思って掲載することにします。 Details »

オートマタ作家、関野さんとネフと機素


speaker:関野倫宏(意匠士+絡繰士)
date & place:2010.12.13 岡山県西粟倉村 関野意匠室にて
written by @tamachangg / interview @nishio_naoki & @att705

中国地方の山村の西粟倉村で、生態循環に基づいた地域再生を行っているニシアワーというプロジェクトがあります。ここで、その地域の一員として外から入ってこられた関野さんがつくる「からくり」についてお話を伺いました。 Details »

謹賀新年2021 – ソーシャルECが変えた10年後の未来



written by @tamachangg / support @ryutaro_i @aknh8 @niwatae

明けましておめでとうございます。2021年になりました。

僕は、アメリカの大学から日本に来ている留学生です。流通とメディアの変化が社会にもたらした影響について研究していて、主に日本で過去の10年間に起きた変化について調べています。この国では、2010年を過ぎた頃からそれまでの基幹産業であった製造業が急激に衰退していく中で、本当に良質なものとはなんなのかをゼロから考え直す機会に恵まれました。 Details »

和傘のイノベーション「京和傘 日吉屋」


interview:西堀耕太郎氏(株式会社日吉屋 五代目)
date & place:2010.06.07
京都市上京区堀川寺之内 株式会社日吉屋 工房にて

written by @tamachangg / interviewer @niwatae

イノベーションってなんだろうか?技術の革新、人間の革新、さまざま言われているけれど。究極の所、切羽詰まらないと人は変わらないんだなぁと常々思います。ホントに食えなくなったときほど、変化のチャンスはありません。いろいろ意見はあると思いますが、中途半端なぬるま湯のまま、中途半端な危機感からはなにも生まれないのですね。

ものがあふれていて「物」から「事」が大事になってくる時代になると、伝統というのは一つの大きな文脈として力を持ちうる。日吉屋さんは、京都のど真ん中でひたすらに文脈作りをされておりました。

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デザインって本当に人を幸せにしているのか?ランドスケープ・アーキテクト 山崎亮


オープニング企画 ランドスケープアワー
speaker:山崎亮氏(株式会社studio-L 代表)@yamazakiryo
date & place:2010.03.21
3331 Arts Chiyoda(旧練成中学校)1F 株式会社トビムシオフィスにて

written by @tamachangg



僕はランドスケープデザインということをやってます。風景をデザインする仕事。1862年にニューヨークにセントラルパークをつくったフレデリック・ロー・オルムステッドという人がいます。 Details »

個人発メディアの作り方 greenz.jp 鈴木菜央


monogatari lab 第2回 個人発メディアの作り方 鈴木菜央
speaker:鈴木菜央氏 @suzukinao(greenz.jp編集長)
date & place:2010.03.26
株式会社ビオピオ オフィスにて

written by @tamachangg
participant : @ryutaro_i @a_kodama @stkbys @scommunity @tumaMo @yu_nakamura8

だいぶあいだがあいてしまいましたが。iPadが発売する前、出版業界再編、黒船がやってきた!さあ大変だっていう妄想をばりばりにふくらませていた今年三月の末。ようやく楽しくなってきたと思っていた頃に、greenz.jp 鈴木菜央さんにお話して頂きました。 Details »

作り手と売り手、そして使い手の関係性。エフスタイルのものづくり


京都精華大でのプレデザイン授業 第三週
speaker : 西村佳哲氏 x 五十嵐恵美氏、星野若菜氏(F/Style エフスタイル)
data & place : 2010.05.29 京都精華大学黎明館 L-001教室 2限~4限

written by @tamachangg

なかなか西村さんのワークショップって、いままで文字にしたことがありませんでした。今年一月に奈良で行われた西村さんによる「自分の仕事をつくる三日間」のワークショップは、ちょっと頑張りすぎていて、おなかいっぱいになりすぎてしまう内容だったけれど、今回はとてもいいボリューム感で。後味の良い一期一会の会でした。 Details »

ジェームズ・タレルの「光の館」


written by @tamachangg
participant : @niwatae @kamucome @koyury @ryutaro_i @from_saico

光の館についての説明はpingmagの記事でも読んだ方がよくまとまっているのでそっちにまかせるとして。2003年に初めて越後妻有に行ったときにこいつはえらいもんを作ったなぁと思ったのが光の館だった。

2003年といえば、僕にとってはちょうど100万人のキャンドルナイトの立ち上げの直後で、谷崎潤一郎の陰影礼賛を拝読して蛍光灯にひどく嫌悪感を感じていたり、照明デザイナーの面出薫さんとイベントをつくったりして、日本の近代文化に関する光と闇の興亡にひどく敏感になっている時だった。 Details »

Designing Obama / デザイニング・オバマ


Designing Obama – ムーヴメントをデザインする
speaker:Mr.Scott Thomas
date & place:2009.08.28
IID(世田谷ものづくり学校) 3階にて
written by @tamachangg / coordination @whynotnotice / photo @saikocamera

いやぁ、東京にたまたま居てよかった。今日は二つのことが解った。

ひとつは、新しいアートディレクターと、古いアートディレクターが居るということ。かなり率直に言うと、ウェブやインターネットのことが解らない、印刷の世界のみを相手とするアートディレクターがいるから、ウェブデザイナーとかいって仕事を無理矢理切り分けられるけれど、むしろそれは彼らがもはや仕事になんないってことであり、まだまだそういう人が多い日本では、アートディレクターという言葉のイメージが古めかしく聞こえるが、もはやそういう時期ではなくなってるってこと。 Details »

地球大学クリエイティブ 第3回 水戸岡鋭治「旅の経験をデザインする」


地球大学クリエイティブ 第3回 旅の経験をデザインする
speaker:竹村真一氏×水戸岡鋭治氏(工業デザイナー)
date & place:2008.11.21
新丸ビル エコッツェリアにて

written by @tamachangg

たぶん、いままでの話の中で、最も素晴らしいプレゼンテーションだったんじゃないだろうか。今日はいくつもの大きな大きな気づきがあった。

まず、九州で走っている電車の九割がデザイナーズ電車だということ。次に、経済的な評価基準からは割り出すことができない「心がここちいいデザイン」という領域があること。ただ着飾っただけでバカにされるデザイナーズマンションみたいな、代名詞としてのものではなく、本当に心地いいものはやっぱりデザイナーズなのだ、ということ。 Details »