「史上最大規模の細菌兵器工場」とされる旧日本軍「731部隊」。本部があった中国ハルビン市で、当時を伝える遺構の保存活動が今年、本格化する。活動するメンバーらは、医学や科学が悪用された「負の遺産」として、アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)や原爆ドーム(広島)と並ぶ「世界遺産」への登録を目指している。【山田大輔】
活動を率いるハルビン市社会科学院の金成民731研究所長がこのほど来日し、今年から6年かけて取り組む保護計画を明らかにした。計画によると、同市郊外の本部棟や衛兵所、細菌を拡散させるためのネズミ飼育室、死体焼却炉、凍傷実験室など7地区計37万7000平方メートル(東京ドーム約8個分)を史跡として整備する。旧日本軍戦犯の供述を刻んだ「証言碑」や、日中交流を進める「平和友好の森」も設ける。
■荒廃進み開発も
部隊は第二次大戦の終戦直前、証拠隠滅のため主な施設を破壊。残った施設も戦後、工場や学校として使われたり荒廃が進んだ。81年、作家の森村誠一さんが、部隊の行為を告発したノンフィクション「悪魔の飽食」を出版。それを機に現地で保存の機運が高まり、中央政府は06年、一帯を「重点保護区」に指定した。一方、保護区内にはショッピングセンターやマンションの建設計画が相次ぎ、地中から見つかった毒ガスなどの遺棄兵器による健康被害も問題となった。
金所長によると、09年から10年にかけて、保存の動きが進展したという。本部棟の一角にあった中学校や民家288戸が移転。1500平方メートルの地下貯水池が見つかり、他の地下施設とともに公開される見通しとなった。だが、解剖室などの重要施設は既に失われ、毒ガス発生室や細菌弾組み立て保管室は工場、市街地にある将校宿舎などは今も店舗や住宅として使われている。史跡として整備するには、今後数年かけてこれらの退去を促すほか、景観を損なうビル6棟の撤去も必要だという。
■人類への警告
金所長は遺構の価値として(1)細菌戦争の発祥の地(2)人類に幸福をもたらす医学と科学がその目的に背いた野蛮な歴史の記録(3)旧日本軍の侵略と証拠隠滅の物証(4)人類に警告を発し、戦争を反省させる最も説得力のある例証--など6項目を挙げる。「遺構はハルビンにあるが、全世界の所有物。残酷な歴史が人類に残した特殊な資産だ。保存はハルビン市民の責任であり、全世界の平和を愛する人々の問題でもある」と金所長。日本政府への要望として「保存に参加し史跡として利用を進めるなら、世界平和への大きな貢献になる」と述べ、「責任」という言葉を慎重に避けた。
昨年11月、東京都内で開かれたシンポジウムでは、初来日した犠牲者の遺族、李鳳琴さん(69)が「殺された父は普通の庶民だった。軍国主義が滅び、日本が大きな変化を遂げた今、日本政府にはきちんと謝罪してほしい」と訴えた。
「悪魔の飽食」を書いた森村さんも「(軍事力を背景に覇権主義を強める)今の中国はかつての日本に似ている。我が国が行った戦争犯罪、人間性の喪失を隣国に繰り返させてはいけない」と、中国で保存活動を進める意義を強調した。
■医学界も取り組み
ヒトラー政権によるユダヤ人迫害が行われたドイツでは88年、ベルリン医師会が医師の責任を認め、行為を謝罪する声明を出した。日本の研究グループ「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事長の刈田(かりた)啓史郎・元東北大教授(生理学)は「日本の医学界はまだ道半ば」と話す。
しかし、全国の医師らが09年、「戦争と医の倫理の検証を進める会」を設立。今年4月9日、東京都内で開かれる日本医学会総会に合わせ、国際シンポジウムを東京大で開く。刈田さんは「戦後65年以上たってまだ総括ができていないのは残念だが、医学教育の場で731部隊の行為を教える例も出始めており、これからの若い医師に期待している」と話す。
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■ことば
中国東北部(旧満州)を支配した関東軍の細菌戦部隊「防疫給水部」の別称。1933年に前身が活動開始。ハルビン郊外の本部に軍医ら約3000人が勤務したほか、南京などに4支部があった。ペスト菌などの細菌兵器や毒ガスを開発、連行した中国人らに人体実験を行い、犠牲者は3000人以上とされる。感染実験の後に凍傷や銃弾貫通実験を行うなど、死亡するまで「効率的に」次々と実験を重ねるなど残酷で、多くの研究者も参加していた。
毎日新聞 2011年1月11日 東京朝刊