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年代 |
主な出来事 |
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1971年 |
大阪府吹田市にて誕生 |
1978年 |
地元の公立小学校に入学。高学年になると1人で園田競馬場や阪神競馬場に通うようになる |
1984年 |
地元の中学校に入学。陸上(長距離)に明け暮れる |
1987年 |
某大学付属の高校へ進学。陸上を続けながら、寿司屋でアルバイトを開始 |
1990年 |
大学進学。勉強には目もくれず、陸上とバイトに勤しむ日々 |
1994年 |
実業団への内定を辞退して、ケイバブック社に入社。栗東の想定班を担当 |
2006年 |
JRAが騎乗依頼仲介者(エージェント)制度を認可。四位洋文騎手、福永祐一騎手、岩田康誠騎手などを担当する |
2007年 |
四位洋文騎手騎乗のウオッカがダービーを勝利。エージェントとしてかかわっている騎手が初めてダービーを制覇する |
2010年 |
紙上にて予想デビュー。また、『週刊競馬ブック』のコーナー「広角視点」では“皐月賞はヒルノダムールとヴィクトワールピサ、穴ならエイシンフラッシュ”と3頭を推奨。レース当日の紙上予想でも○◎△と印を打ち、見事に的中! |
エージェントの醍醐味
06年、JRAは騎乗依頼仲介者、いわゆるエージェントの存在を公認したが、小原TMは以前からそれに近い役割を担っていた。決して金銭目的ではない。Give and Take――取材でいい話を聞くには、相手にとっても有益な情報をこちらが提示する。そう、すべては本業につながっている。その延長が、エージェントだったのだ。
四位洋文とチームを組んでからは福永祐一、武幸四郎と次第に地位を確立していく。福永にいたってはデビュー前から追い切りの段取りや騎乗馬の手配など、ずっと2人3脚で歩んできた。そして現在では、岩田康誠など栗東のトップジョッキーを多数抱えるまでになった。
そんなエージェントとしての醍醐味は、担当するジョッキーが勝つことにほかならない。そのなかでも小原が喜びを噛み締める瞬間がある。
四位が重賞を勝った夜。決まって小原の携帯電話が鳴る。
そしてひと言だけ――、「ありがとう」。
自分の力でジョッキーが勝っているわけではないことは、小原自身が一番理解している。それだけにこのひと言が何よりも小原に喜びを与えているのだ。
2010年春、栗東トレセンの調教スタンドに、ジョッキーたちが集まっていた。その中心にいたのは小原だった。いつか憧れた光景は、いまや日常の風景となっている。
(次週、6月7日から競馬評論家・原良馬ヒストリーがスタート! お楽しみに)