【萬物相】天安門広場の孔子

 1925年、中国の作家、郭沫若は短編小説『マルクス、孔子に会う』を著し、儒教と共産主義が一体だという考え方について巧妙な解釈を示した。マルクスが孔子に「すべての人が飢えたり、寒さに震えたりすることがなくなるのがわたしの理想社会だ」と語るや、孔子は「わたしの大同社会と同じ考えだ」と答えた。『礼記(らいき)』には「大道の行われるや天下を公となす」「盗賊がいないため、門に鍵を掛けない。これが大同だ」という孔子の言葉が収められている。

 孔子の言葉を聞いたマルクスが「妻を手伝いに行く」といって席を立った。すると、孔子は「わたしは他人の家族を自分の家族と同様に愛せと説いたのだから、先生の奥さまはわたしの妻も同様ではないですか」と述べた。それに驚いたマルクスは「わたしは『共産』について言っているだけで、『共妻』まで主張するとは随分と危険な方ですな」と言って逃げ帰った。孔子の思想がマルクス主義よりも急進的な点もあるという中国人のユーモアだった。20世紀初めまではそんな冗談が通じた。

 1960年代に中国で文化大革命が起きると、孔子は中国を世界の歴史に遅れさせた元凶へと転落した。毛沢東は「孔子を尊敬する人は半封建文化を代表する」と攻撃した。紅衛兵は孔子の故郷で孔子像から目をくり抜き、腹に穴を開けた。孔子がよみがえるのは、1976年の毛沢東没後だった。

 1980年代に入って、急激な経済成長で階層間の対立が深刻化すると、中国政府は儒教を社会統合に利用し始めた。天安門事件以降、政府は知識人の関心をそらそうとして、伝統文化の宣揚を支援すると、10年間で儒教に関する研究書籍が600冊以上刊行された。2005年に中国政府が国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)と共同で孔子文化祭を開いてからは、儒教が教育に取り入れられ、孔子復活運動が活発化した。中国語と中国文化を海外に普及させる「孔子学院」が89カ国、500カ所に設置された。

 今月11日、北京の天安門広場で青銅製の孔子像の除幕式が行われた。高さ9.5メートルの像は、高さ6メートルの毛沢東の肖像画を400メートル離れた通りから斜めに見下ろしている。『論語』には弟子の子貢が孔子に「一言にしてもって終身これを行うべきものありや」と問うと、孔子は「それ恕(じょ)か、己の欲せざれるところは、人に施すなかれ」と答えた。広場の孔子は毛沢東に向かい「君子は事に敏にして言に慎む」(論語)とばかりに「もう許した」とささやいているかもしれない。

朴海鉉(パク・ヘヒョン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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