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医局の窓の向こう側   


みんな優しい

2007年02月19日

 内視鏡検査を受けて「立派な胃潰瘍」の診断をいただいたのは、前回お知らせした通り。実を言うと私、内視鏡の検査を受ける前に体調の悪さをさんざんみんなに訴えておりました。病院を休んでしまった日もある。正直に言うと、もうちょっと「悪い病気」なんじゃないかと思っていたわけですよ。自分の体調の悪さを無視して患者さんのために働き続けた「名医」な自分を想像して、ちょっと浸っておりました。自分の胃潰瘍もちゃんと診断できなかったのなら「名医」ならぬ「迷医」なわけですが。それにしても体調が悪かったのは事実だし、研究室のみんなも心配してくれていたわけです。もうちょっと重症感の漂う病名が良かったなぁ、あれだけ騒いで「胃潰瘍」じゃあちょっとかっこつかないなぁと思いつつ、一応ご報告はしておかなくっちゃ。

イラストイラスト・木村りょうこ

 Y先生に内視鏡をやっていただいたのがお昼過ぎ。その後しばらく安静にさせてもらって、早引けして帰ろうと廊下を歩きだしたのは午後3時頃だった。のどは痛いしお腹も痛いし、でも診断がはっきりしたのでちょっと気が楽になったし、まぁ薬飲んでちゃんと治そう、などと思って歩いていると、前方から副院長が歩いてくる。すれ違いざま「真田先生。僕、プレッシャー、与えちゃったかな? 病院機能評価のレポートは急がなくていいからね。ゆっくりやって」と満面の笑み。「ぷ、プレッシャー???」いつもは「ケツをたたかないと人は動かない」が座右の銘の方なのになんなのだ?

 いぶかしく思いつつ医局に入ると同級生のM先生がいた。「真田?!何があったんだ?また医局長がむちゃな人事命令を出したのか?」とソファから飛び上がりながら言う。「は?」「いやいや。みなまで言うな。分かる、分かる。また一緒に開業セミナー行こうな」と肩をポンポンたたいてうなずきながら出ていってしまった。

 「開業セミナー?」何が何やらさっぱり分からない。ぼ〜っとしながらコーヒーメーカーに手を伸ばしたところで秘書さんに止められる。「ダメです!真田先生。そんな煮詰まったコーヒーなんかお飲みになっちゃあ。私、先生のお好きな物、買ってきますから。牛乳でいいですね?!」と言うと、彼女もばたばたと出ていってしまった。「お好きな物」と言いながら「牛乳でいいですね」と有無を言わせず決め付けるところや、医局のコーヒーが煮詰まっているのに放置しているところは毎度のことながら、“動かざること山のごとし”秘書殿が私の飲み物を買いにいってくれるなど前代未聞だ。おかしい。何か変だ。

 とりあえずソファにかけて書類を書いていると、どやどやと人が入ってくる。ここの病院では医局という医者のたまり場は1カ所なので、いろいろな科の先生が来るのだ。「あ〜、真田先生だ。I部長と何かあったの?」「I部長は人格者だと思ってたんだけどね〜。やっぱり外からじゃ分からないものがあるのかね?」「ねぇねぇ、どんな仕打ちがあったのぉ?」みんな口々に言う。「I部長は良い方ですよ。仕打ちだなんて、別に何もありません」慌てて言うと、どっと笑いが起こった。

 レポート提出期限延長やら、開業セミナーやら、牛乳やら、I部長とのいさかいやら、さっぱり分からない。状況が飲み込めず焦った顔をする。

 「真田先生、もっとリラックスして。そんなだから胃潰瘍になっちゃうんだよ〜」「胃潰瘍になるほどストレスためちゃあ、いけないなぁ」ちょっと、待て。どうして胃潰瘍だなんてみんなが知っているんだ? カメラを飲んだのは2時間前だぞ。「まぁまぁ落ち着いて。来月の当直1回分はずしてあげるからさ、養生してよ」。当直決めの先生が笑いながら続けて言う。「ストレスためちゃあいかんなぁ。A1stage(注)のでっかい潰瘍があるんでしょ?」

 A1stageの潰瘍だなんて私すら知らない情報をなんでみんな知っているんだ。個人情報保護法だって施行されているんだぞ。こんなことがオープンになること自体が一番のストレスなのに。犯人は1人、Y消化器内科医長だ! 一言文句を言おうと消化器内科外来へ行くと、Y先生がたまったサマリーのまとめ書きをしていた。「Y先生、しゃべったでしょ!」「みんな何か言ってた?」Y先生はいたずらっぽく笑う。「おもしろいねぇ、噂、広がるの早いね。胃潰瘍って一言言うとみんなすぐストレス性って思うんだよね」「先生〜、やめてくださいよぉ」「はいはい、ま、でもこれで大手を振って少し休めるよ。真田先生、もうちょっと規則正しい生活しなさいよ。頼める仕事は人に頼む。帰れる時はさっさと帰る!」Y先生はにっこり笑った。

(注)A1stage:潰瘍の状態区分。S1からA1までの6段階のうち、もっとも重い。

筆者プロフィール

真田 歩(さなだ・あゆむ)
 医学博士。内科医。比較的大きな街中の公立病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。開業する程の度胸はなく(貯金もなく)、教授に反発するほどの肝はなく、トップ研究者になれる程の頭もない。サイエンスを忘れない心と患者さんの笑顔を糧に、怒濤の日々を犬かきで泳いでいる。
 心優しき同僚の日常を、朝日新聞社刊医療従事者向け月刊誌で暴露中。アサヒ・コムにまで載っちゃって、少し背中に冷たい汗が・・・。

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