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イラスト・木村りょうこ |
医局の誰かに送られてきた医学雑誌がテーブルの上に置かれている。病棟も落ち着いているゆったりした午後、医局のソファに寝転がって当てずっぽうにページを開いてはぼんやりと読んでいた。う〜ん、こうしてみると結構その時々のトピックが網羅してあって、その分野の専門家が分かりやすく解説している。専門外のことを勉強するにはいいなぁ。私も「エッセイ」じゃなくて、医者業として原稿依頼がこないかな? 医者としての業績で掲載されたらかっこいいなぁ。
医局のドアが開いて、「原稿依頼在中」「校正刷在中」と朱書きされた出版社名入りの封筒を抱えたI先生が入ってきた。I先生はある分野のトップ研究者で原稿依頼も多い。
「せんせ〜、どうやったら依頼原稿来るようになるのぉ?」。I先生と仲良しな私は、失礼にもそのままソファから体を上げずに聞いた。「ふ〜ん? そりゃ、自分の分野で評価されるような仕事をすることでしょ。何に載りたいの?」「たとえばこの、『朝経メディカル』」。私はソファの背から腕を上げてぱたぱたと雑誌を振った。「あ〜、そりゃあ難しいわ。執筆陣の選択は厳しいよ〜。よっぽどじゃないと載らないなぁ」。I先生は私の手から雑誌を取り上げると、ぱらぱらとめくって見ている。「うん、いい雑誌だね〜。これに掲載されるのは難しいよ」と強調する。以前、これに掲載されましたものね、I先生。知ってますよ、ずいぶん古くなったその切り抜きがまだお部屋に貼ってあるの。遠回しに自慢しているんでしょう。「真田先生、なんでもいいから原稿依頼が直で来たら肉おごってあげよう。肉!」「ほんと!?」。私はがばっとソファから体を起こした。「肉」の一言に、「アサヒ.コムでエッセイが連載されている」と言いそうになってしまったが、それは内緒、内緒。
「でもね、雑誌に掲載されるっていっても気を付けなくちゃいけないことがあるんだよ。特に自分で原稿を書かない場合、相手がどういう意図で記事を書くかはちゃんと監視しておかないと、名前や肩書きを利用されるだけでとんでもないことになる場合も」。I先生は、急にまじめな顔になって続けた。
「インタビュー記事ってことですか?」「もちろんそれもあるけど、インタビューならまだ相手の顔もはっきりしているし、校正もある程度かけられるからコントロールが利くんだよ。問題は講演なんかの取材記事だよ」。I先生はゆっくり話し始めた。
ある時、公開市民講座の講師のひとりに招かれたのだそうだ。講演の内容がその後ある雑誌に掲載された。記者が取材して執筆したという体裁を取っている。したがって、事前にI先生に記事内容の確認があったわけではなかったのだそうだ。市民講座の主催者側の誰かがざっと目を通しただけで、OKを出してしまった。主催者側は自分たちの主催した市民講座が大きくマスコミに取り上げられることに重きを置いた。講演内容は二の次になったのだ。
後に、雑誌を読んだI先生は驚くことになる。ご自身の発表内容の論点がずれている。しかも、一部を取り出してセンセーショナルに書いてある。記事は注目はされるだろうが、I先生自身が現在の医療のあり方を真っ向から非難しているような書き方になっていた。
「そんなこと、言ってなかったんだけどね」。I先生はため息交じりにおっしゃる。「でももう雑誌では私がそう言っているってことになっちゃっているんだから、後の祭り。教授や院長や医師会長からは呼び出しを受けるわ、その後の取材申し込みは来るわ、患者は逃げるわで、あの時ほどぞっとしたことはないよ。本来の自分の主張と違ったことの旗振りにさせられたわけだからね」「で、具体的にはどうしたんです?」「上の先生の呼び出しにはすべて応じて、断じてそんなことは言っていないと言うしかないでしょう。でも、結局は原稿をチェックしなかったことがミスの原因でもあるから、それをしかられてしまうよね。活字の恐ろしさを思い知ったよ」「復活するのに時間がかかった?」「かかったよ。今だって私の本当の信用なんて傷付いたままだと思っているさ。真田先生、気を付けないと! 自分の意見は論文で! 自分の言葉で自分で書くに限る!!」
I先生は丸めた雑誌でポコッと私の頭をたたいた。I先生に論文のチェックをしてもらうと、実にきちんと直して下さる。ブラッシュアップされた文章は論旨の流れも明快で、小気味良い。その裏にはこんなご経験があったとは。「今度論文書いたらチェックしてくださいね〜」。私は部屋を出ていくI先生の背中に向かって声をかけた。「肉おごってくれたらね。肉!!」。