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イラスト・木村りょうこ |
知り合いのT先生が学会のシンポジストを務められた。相変わらず切れ味の鋭いご講演だった。T先生を中心に研究会を立ち上げたい、という話が製薬会社からも出ているらしい。せっかくなら私も参加させてほしいと、午後のお茶を飲みながらお話ししていた。「僕は今、研究会を立ち上げる気はない。立ち上げというのはよっぽど注意しなくちゃいけないんだよ。学問のためじゃなければ、やがて衰退する」。先生は、ぽつりぽつりとこんな話をしてくださった。
研究会を持つなら、一体目的は何か。それをはっきりさせなくてはいけない。政治家の資金集めパーティーのような会や、派閥形成のための会ならば、一度や二度は付き合ってもらえても、いつまでも続かない。医学界における研究会は必ずサイエンスとしての業績が必要なのだ。
内分泌内科のS先生は、ご自分の研究にずいぶんと自信をお持ちの様子だった。実際にヨーロッパへ留学してなされたその仕事は立派なものだと思う。ただ、内分泌分野においてそれはメーンストリームのテーマであるがゆえに、業績競争は激烈で、ちょっとやそっとの業績では学会の注目の的、というわけにはいかなかった。それでも、その分野での専門家としての彼の自尊心は高かった。「少なくともこの地区で自分の右に出るものはいない。専門家として、この地区ではトップを取ってやる」
S先生の意気込みは、研究会立ち上げという形から入った。彼は、用意周到に回りの諸先輩方に声をかけ、立てるべき先生を会長や幹事に立て、自らを「事務局長」という雑務係の役割に置いた。この「事務局長」の仕事は、諸事連絡、講演会講師の手配などを通して、面識のない他大学の教授やトップクラスの研究者に声をかけられるうえ(この時に自己紹介を兼ねて自分の売り込みができる)、研究会の実務運営を熱心に行う「若手」印象を相手に持たせることができる。最終的には自分の政治力を誇示できるのだ。「近隣大学の教授、助教授になっている諸先輩がへそを曲げないように」大層周りの人間関係に気を使っていたし、話をする時の彼の言葉遣いは、馬鹿丁寧だった。
いや、正確に言うと「目の前の偉い人には」気を使っていた。けれど、あふれんばかりの自尊心は、抑えても、抑えても頭をもたげてしまう。「僕が立ち上げた研究会」「会長は○○教授だけれど、あんなのはお飾り。本当のトップはこの僕なのさ」「僕以外の役員の先生なんか、何も分かっちゃいない」。そんな思いがあふれ出てしまう。ポリクリ(注1)でラウンドしてくる学生に、病棟のナースに、彼はふんぞり返りながら「本当のトップは自分」と宣伝せずにはいられなかった。特に、会の役職だけで地位を判断しかねない製薬会社MR(注2)へは、しっかり印象付けようと「会での役職人事はお飾り。本当は僕が一番」と何度も念押しした。口汚いののしり言葉を交えた自慢をする彼に驚いた人も多かった。
彼の努力も実り、学会の重鎮の先生方を特別講演講師に招請した結果、会の存在は所属学会の中でも話題に上るようになった。「今までさしたる活動もなかったところで研究会が立ち上がり、S先生が中心になってやっている」。彼は鼻高々だった。
ところが、所属学会内部ではひそかに別のうわさも広がっていった。「あの会の目的って何?」「一体、何がやりたいの?」「S先生が将来の出世のために政治的な目的で作っただけの会?」。当たり前といえば、当たり前の現象だった。特別講演の講師に招かれた先生は講演を行う。ところが、聴衆の医師の反応はちっとも良くない。活発な質疑応答はなく、たまに出る質問は基本すら分かっていないとんちんかんなものばかり。学問的に勉強しようという雰囲気はなく、役付きの諸先生方も学会では会ったこともない人ばかり。会の名称とはかけ離れた中身のない研究会(そもそも研究なんてしていないわけだから)なのだ。S先生は用心深く自分と同じ分野の研究をしている先生を、研究会メンバーから外している。自分が一番になりたいのだ、同じ分野の研究者なんか呼んでたまるか。そんなことしたら自分が目立たなくなっちゃう。
おかげで、研究会と銘打てども、関連学会に出席したことのない先生ばかりが中心となり、研究自体は進まない。「これから勉強するためにまず会を立ち上げたのです」。S先生は言い訳するけれど、同じ分野のホットな研究者が近隣に居るのに、その人が入っていない理由にはならない。そもそもS先生自体、自分の研究分野で大きく評価されているわけではない。ただただ、懇親会での名刺配りに徹した「S先生の業界デビューのためだけの」研究会でしかなかったのだ。
今日もS先生は、張り付けたような笑顔をして馬鹿丁寧な言葉であいさつをしている。相手の先生のみけんにしわが寄っているのも気が付かずに……。
注1)ポリクリ:臨床実習
注2)MR:medical representatives 医薬情報担当者、製薬会社の社員。