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医局の窓の向こう側   

永遠のライバル

2006年11月27日

イラスト

イラスト・木村りょうこ

 夏前からK先生と始めた昼休みキャッチボール。K先生の悲鳴とボールを拾いに走る足音しか聞こえなかったのが、このところはズバ〜ンとグラブに受けるボールの音がすがすがしく響くようになった。これも少年野球チームエースのご子息が、K先生を特訓した成果だ。病院のコンクリート壁面に反響するグラブ音を聞きつけて、窓から患者さんが顔をのぞかせる。「もっと体の中心で捕らなきゃだめだぁ!」「体重を乗せきらないと!」。窓枠にはにわか監督が鈴なりで、あちこちから声援が飛ぶ。日頃、医者から注意されるあだをこんなところで討たれるとは。「K先生は神経内科なのに手足に神経が回ってないやぁ〜!」。K先生担当のYじいさんのせりふにどっと笑い声が広がった。「シナプス回路は訓練することで構築されるんです!リハビリと一緒です!僕は回路を作ります!」。とんでもない暴投をしながらK先生は律義に答えた。「真田先生!K先生のキャッチボールと、おらのリハビリと、どっちがうまくなるの早いかねぇ?」「最近K先生も上達が早いよ。Yじいさんもリハビリがんばらないとなぁ」「そりゃあ、いかん!リハビリがんばるだに!」。私とK先生の昼休みキャッチボールはちょっとしたイベントになっている。

 グラブの音に誘われるのは患者さんたちだけではないらしく、時々ほかの医師が顔を出す。グラブを差し出すと、出入り口にすら回らず、1階の窓から飛び出してくる。窓に鈴なりの患者さんは、出てきたのが自分の主治医だったりすれば歓声を上げる。慣れた感じで肩を回し、奇麗なフォームで豪速球を投げたのは若い小児科のT先生。高校、大学と野球部で鳴らしたそうな。観衆の拍手に軽く手を上げて応える。さぁ、そうなると止まらない。我こそはと思うやからがどやどやと集まってきてしまった。「ちょっと代わってよ」「次は僕だよ」と騒がしい。

 「僕だってね〜、名ピッチャーとして鳴らしたものよ!」。先の小児科T先生に対して、がぜんライバル意識をむき出しにしながら消化器内科部長が振りかぶった。ばふ〜ん! ボールは見事にワンバウンドして私のところまで届かない。周りは静まりかえる。「どんま〜い!もういっちょ〜!!」私は努めて明るく声を出した。「いやぁ!手がすべっちゃったなぁ」。部長は言い訳をしながら返球を受けた。消化器内科部長、第2球振りかぶって……ぼてぼてぼて。

 「下手くそ〜!お前は学生の頃からだめだったんだよ〜!」。皆がしーんと見守る中、とんでもないヤジが飛んだ。声の方向を見ると、2階耳鼻科外来の窓から耳鼻科部長が昼食のサンドイッチを片手に窓から半身を乗り出している。「うるさ〜い!お前はどうなんだ!」「待ってろ!今降りてってやるからな!おれの球見てビビるなよ」。

 この2人、大学の同級生なのだ。仲がいいのか悪いのか、しょっちゅう言い合いのケンカをしている。部長会ではお互い、とにかく相手の言うことに反対しないと気が済まないらしく、無意味な反対論を持ち出して議事進行を遅らせることで有名らしい。

 耳鼻科部長は反射鏡を頭に着けたまま、肩をいからせながらわっしわっしと歩いてきた。私からグラブを取り上げると、「勝負!」と叫んで振りかぶり、消化器内科部長に投げた。ぼってぼてぼて……。ボールは届かない。

 「わぁ、今の球、ビビっちゃったよ〜」。消化器内科部長はにやにやしながら前に出て球を拾いつつ言った。「ボールを放すのが遅いんですよ。だから下向きになってバウンドするんです。もっと早く放さないと。それからキャッチボールですから投げつけないでください。もうちょっと寄って距離を短くしましょうか」。私は取りなして言った。次に消化器内科部長が投げた球は早く放しすぎてフライになった。「オーライ、オーライ」。ところがボールは耳鼻科部長のグラブには収まらず、反射鏡に命中。「あ〜!!商売道具を!!」「そんなもの着けてるから悪いんじゃないか!」「わざとだな」。2人は言い合いをしながらも、その後もしばらく下手くそなキャッチボールをやめようとしない。ケンカしているのか?

 翌日、午前外来の終わり近い時間、整形外科外来の待合いすに消化器内科部長と耳鼻科部長が座っていた。「どうかされましたか?」と声をかけると、「腕が上がらない。急に動かしたから四十肩になった」と耳鼻科部長。「お前は五十肩だ」と消化器内科部長。整形外科部長が出てきて、「はいはい、お二人とも肩関節周囲炎です。明日から少しリハビリに来てください」と笑いながらおっしゃった。「絶対先に治ってやる」。耳鼻科部長が肩をさすりながら言った。「私が先に治る!」と消化器内科部長。明日からは、さぞ気合の入ったリハビリテーションであろう。楽しそうである。


筆者プロフィール

真田 歩(さなだ・あゆむ)

 医学博士。内科医。比較的大きな街中の公立病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。開業する程の度胸はなく(貯金もなく)、教授に反発するほどの肝はなく、トップ研究者になれる程の頭もない。サイエンスを忘れない心と患者さんの笑顔を糧に、怒濤の日々を犬かきで泳いでいる。
 心優しき同僚の日常を、朝日新聞社刊医療従事者向け月刊誌で暴露中。アサヒ・コムにまで載っちゃって、少し背中に冷たい汗が・・・。


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