寝ていた人を倒れた家が襲った。95年の阪神大震災。神戸市灘区の竹葉房江さん(77)は木造の銭湯兼自宅で生き埋めとなった。3時間後に助け出され、病院へ運ばれた。手の切り傷を縫ってもらい、事なきを得たかに見えた。だが夕方になり様子が変わった。「気分が悪い」。左手足の動きがおかしいことに長女の奥谷薫さん(48)が気付いた。
停電で治療ができず翌日、薫さんの知り合いがいた貴生病院(大阪市淀川区)へ救急車で運んでもらった。脳内出血と分かり「大きい病院で手術を受けた方がいい」と言われ、さらに関西医大滝井病院(大阪府守口市)へ転送された。
夜明けごろ緊急手術が終わったが、左半身のまひが残った。執刀医は「もっと早く血腫だけでも取っていれば障害は残らなかったかも」。今もつえや電動車椅子が手放せない。
竹葉さんのような「震災障害者」が近年問題化している。兵庫県だけで328人(うち121人は既に死亡)いると昨年分かった。兵庫県実施のアンケートでは、回答した66人中45人が転院を1~3回経験。治療まで半日以上待たされた人も8人いた。被災地の病院が機能不全に陥っていたことをうかがわせる。
「患者を搬送するよう被災地の病院へファクスを送ったが、2週間で30~40人しか来なかった」。大阪大病院で救急医療にあたった杉本侃(つよし)・大阪大名誉教授は述懐する。被災地からの患者搬送は、主に口コミや人づてに頼っており、命にかかわる患者の搬送も滞った。救えるはずの命が救えなかった可能性も指摘されている。
震災を教訓に、組織的な広域搬送を目指し、災害拠点病院や災害派遣医療チーム(DMAT)などが整備された。また震災後入院治療を受けた6107人のカルテを調べた杉本名誉教授らの調査を基に、東海地震や東南海・南海地震時の広域搬送計画が作られた。東海では516~629人、東南海・南海は584人を運ぶ目標だ。国は3連動地震についても今後同様の計画を作る方針だ。
だがいざという時、計画通りに実行できるかどうかは未知数だ。DMAT事務局の近藤久禎次長らが全国の災害拠点病院に調査したところ、災害時の多数の傷病者受け入れ訓練について「していないか年1回未満」との回答が4割以上に上った。広域搬送は、被災地の災害拠点病院が情報端末に入力した患者数を基に行われるが、近藤次長は「普段訓練していないことが非常時にできるのか」と疑問視する。
東京医科歯科大の大友康裕教授も、自治体の地域防災計画が、重症患者を災害拠点病院へ集める計画になっていないと指摘。「国の計画があっても、それに沿って地域で誰がどこへ患者を運ぶのか明確化しておかないと、広域搬送はうまくいかない」と警鐘を鳴らす。患者の搬送に有効なドクターヘリも現在全国に23機配備されるが、3連動地震で被害が予想される東海・近畿・四国地方は6機と手薄だ(3月に高知県が1機配備予定)。
3連動地震に備えた医療体制へ向け、課題は多い。=つづく
毎日新聞 2011年1月13日 東京朝刊