求める客はどんな客?
2011.01.01 Saturday 15:00
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、最近、記事の方針を変えています。理由については文末にある「続きを読む」に書きましたが、過激な提言系記事は「ですます調」で書いていきますので、今までのボンペイブログとは違う読み方をしていただければ幸いです。
現在の日本は明らかな「需要不足」であり、これが不景気を長引かせています。需要不足下にあって大切なのは、ロイヤルカスタマーをいかに増やすか。商品やサービスに対して高い忠誠度を保つ顧客は離反しないため、継続的な利益を与えてくれます……などと、経営の教科書には書いてあるのでしょうか。
ロイヤルカスタマーとは、直訳すれば忠誠心の高い客。日本的に言えば、上得意客でしょうか。継続して商品を購入し、浮気せず、サービスの良さ悪さを指摘してくれて、気に入れば他の客を連れてきてくれる。商売をやっている方からすれば、こんなに嬉しい話はありません。利益だけでなく、その後の経営改善の指標までいただけるわけですから、本当にありがたい。真の意味で、優良顧客です。こういった客のいない会社は不幸、というより、必ず淘汰されます。
ここで考えねばならないのは、会社によって、求める客の形は違うという点。
◆テーマパークの求める客
年間を通じて楽しんでくれる。その喜びを周辺の人へ語ってくれる。品質に厳しい視線を持つ。全体を楽しませるために障害となる不備や失敗を指摘してくれる
◆喫茶店の求める客
なんだかんだで毎日来てくれる。店が暇な時は長時間読書でもしつつ、忙しくなってくれば帰ってくれる。コーヒーの品質が変わった時、指摘してくれる
◆昔ながらの定食屋の求める客
さっさと食べて、さっさと帰ってくれる。味はレストランに勝てないと知ってるが、変わらぬ量と価格に価値を置いてくれる。細かい不備はある程度見逃してくれる
単純なイメージだけで書いていますが、求める客は、業界どころか個店単位で異なるという点は伝わるかと思います。テーマパークなんてまさにカムカムエブリバディなはずですけど、必ず、コアとなるゲストを想定している。ディズニーランドだったら、賛否両論ありつつも決してやめない年間パスポート客ですね。
「私の店はどんな客に来てほしいのか」という明確な形。それこそが「優良顧客」であり、求める客であるはずです。単純に金を落とすだけなら、優良でもなんでもない。だって、そんな人だけだったら金の切れ目が縁の切れ目になっちゃいますから。
これを盛大にやらかしたのが、地方の第三セクター系テーマパークでしょう。家族連れ、カップル、観光客など、誰でも良かった。結果として総花的なイベントしか打てず、特徴のない運営となり、客は消えました。「求める客=客なら誰でもよい」「リピートさえすれば誰でも優良顧客」という会社は、リピートする理由にも気づけず、必ず衰退します。
来てほしい客が明確ならば、提供するサービスの方向性も明確になります。サービスの方向性が明確になれば、それは店の個性となる。「うちはこういう客を優良だと考えています」と言えるかどうかがポイント。
逆に、求める客の形を想像できない人は、どうしても前述の「単純に金を落とすだけの客」と考えがちです。これは非常に困ったもので、楽に金を稼げると、経営者の感覚を麻痺させます。簡単に儲けられる蜜の味を知ってしまったら、未来の客を確保するための努力は、耐えがたい苦労になりますから。4号機時代のスロットなど、まさにこんな状況ではなかったでしょうか。
さて、パチンコ業界の求める客って、どんな客ですかね。私の経験上、多くのホール企業は「回りに迷惑をかけないなら、どんな客でもいいよ」という形のように感じます。メーカーも同様で、「打ってくれるなら誰でもいい」というのが現状でしょう。当初の企画書には明確な想定客を記していたはずなのに、2年に及ぶ開発期間を経ると、誰でも良くなる。SISの数字さえ上がれば、想定客が打たなくても構わないとなる。
品質の劣化を指摘してくれるおばちゃんや、出玉さえあれば細かい欠点は見逃してくれる爺さんなど、明確に、来てほしい客を定義しているホールは、どれくらいあるのでしょうか。
「何を言うか! うちは常連を大切にしている!」
と怒るホールさんも多いでしょうか。ならばなぜ、年間を通じて新台ばかりを前面に押し出すのでしょうか。打つ人の絶対数は旧台の方が多いのに、なぜ新台客ばかりを優遇するのか分かりません。
「海物語にも力を入れている!」
ならばなぜ、古い海物語を打つおじさんおばさんが沢山いるのに、それを捨てて新しい海物語を買うのでしょうか。次の海へ差し替えることは、ファンに対してではなく、機械に対して力を入れているだけだと感じてしまいます。
「新台入替は最大のコンテンツだ!」
ならばなぜ、新装は出るという幻想を抱く客に対して、10年前の3倍もの粗利で抜きまくるのでしょうか。3倍の価格に見合う価値を提供できているのでしょうか。
「機械代が高いから抜くのは仕方ない!」
仕方なくても客の懐は痛み、ファンは減ります。では、昨年買った機械の中で「無駄な機械」はどれくらいあるのでしょうか。その一台の稼働しないスロットは、本当に新台で買わねばならなかったのでしょうか。
このような現状を見てしまうと、どうしても一つの結論に行き着きます。ホールの求める客とは、品質の劣化を指摘してくれるおばちゃんではなく、渋釘でも黙って打つ人なのではありませんか。そう、前回指摘した「共有地の悲劇」です。
業界全体が「渋釘でも打つ新装好き」の財布から吐き出される現金をアテにしたことにより、彼らは退場を余儀なくされました。彼らはもう戻ってきません。大好きだったパチンコから裏切られた彼らの心情はいかばかりか。
それでも「うちの店は、ひたすら金を使う人を優良顧客と定義する」と決めているならまだいいでしょう。問題なのは、何も考えずやっているホールです。来て欲しい客を決めずに、SISの結果を見ながら、なんだ他のホールも抜いてるじゃないかと安心する。機械代の高さゆえに仕方ないと結論を一本に絞り、釘を閉めきる。
メーカーも一緒ですね。営業サイドは、ひたすら金を使うホールだけを「私達の求める客」と定義しているように感じます。ホールが「渋釘でも打つ新装好き」の財布を収奪したように、ホールの財布をトロール漁船のように根こそぎ収奪していないでしょうか。
求める客の基準を設定しないホールは、惰性で渋釘を続ける可能性が高い。これは明確に、新装に対する幻想を破壊しました。
新装開店に対する期待感とは、メーカーもホールも一体となって死守せねばならない大富源でした。なのに業界はここ10年、マグロの乱獲よろしく、徹底的に収奪してしまったのです。収奪したのは金だけでなく、期待感、幻想も含まれます。金は釘を開ければ還元できますけど、壊れた幻想は釘を開けても、ちょっとやそっとじゃ戻りません。
自社が守るべき客の形を定義せず、新装という固定化された漁場に頼ったツケがドカンと来ています。「どんな人でもいい」は、定義にならないんですね。それは結局、黙って渋釘に座る人を「おいしいw」と馬鹿にしてるに過ぎないのです。
想定顧客の内容を客へ告げる必要はないでしょう。これは事業の根幹、基本コンセプトですから。しかし、経営者は明確に意図せねばなりません。自社の利益を握るのはお客様。未来の利益を握るのもお客様。未来を共に作る相手を想定する時、「数さえいれば誰でもいい」では、経営とは言えませんよね。
感謝してると言いながら釘を閉める。本当は出したいんだよ仕方ないんだよと言いながら値上げする。1万2万と負け続ける金額に見合う価値は、綺麗な液晶と接客だけ? パチンコってそういう娯楽でしたっけ?
メーカーが悪い、ホールが悪いと互いを罵るのも結構ですけど、誰のためにやっているのか、外からは全く分かりません。相手が悪いんだから自分は何もやる必要はないと、まるで「やらない理由探し」をしているかのようです。
「ファンの皆様、悪いのは●●でした! さあ、パチンコに戻ってきて下さい!」と結論を出した時、誰がそんな言葉に耳を傾けるのか。「お前らの魂胆は見えたんだよ。求める客ってのは、黙って金を落とすだけの客なんだろ?」と、唾を吐かれて終わりではないでしょうか。
自社の未来にとって必要な客とは何かを定義し、それを守り育て増やすために必要な幻想を考える。幻想を実現する手法と費用を算出し、一方で幻想を破壊する手法も考えておき、これを回避する。
売るだけ、抜くだけでは、ただの乱獲です。互いに「そうせねばならない理由」はあるでしょうけれど、現実問題として、客の財布には限度があります。当たり前ですよね。当たり前だから、みんな知っている。
それを知ってなお、同じ行動をとり続けている。もしくは、このままじゃダメだと叫ぶことで、自分を正義の側へ置こうとする。こんな状態では近い将来、絶滅した「渋釘でも打つ新装好き」を夢見て、閑散とした店舗、動かない工場を散歩するだけの毎日が待っているでしょう。
前回の記事にも書いたように、もう「渋釘でも打つ新装好き」は絶滅しつつあります。自店にとって必要なお客様の形、今こそ考えてみませんか。そしてもう一歩踏み込んで、業界にとって必要なお客様の形も、考えてほしいなと思います。
現在の日本は明らかな「需要不足」であり、これが不景気を長引かせています。需要不足下にあって大切なのは、ロイヤルカスタマーをいかに増やすか。商品やサービスに対して高い忠誠度を保つ顧客は離反しないため、継続的な利益を与えてくれます……などと、経営の教科書には書いてあるのでしょうか。
ロイヤルカスタマーとは、直訳すれば忠誠心の高い客。日本的に言えば、上得意客でしょうか。継続して商品を購入し、浮気せず、サービスの良さ悪さを指摘してくれて、気に入れば他の客を連れてきてくれる。商売をやっている方からすれば、こんなに嬉しい話はありません。利益だけでなく、その後の経営改善の指標までいただけるわけですから、本当にありがたい。真の意味で、優良顧客です。こういった客のいない会社は不幸、というより、必ず淘汰されます。
ここで考えねばならないのは、会社によって、求める客の形は違うという点。
◆テーマパークの求める客
年間を通じて楽しんでくれる。その喜びを周辺の人へ語ってくれる。品質に厳しい視線を持つ。全体を楽しませるために障害となる不備や失敗を指摘してくれる
◆喫茶店の求める客
なんだかんだで毎日来てくれる。店が暇な時は長時間読書でもしつつ、忙しくなってくれば帰ってくれる。コーヒーの品質が変わった時、指摘してくれる
◆昔ながらの定食屋の求める客
さっさと食べて、さっさと帰ってくれる。味はレストランに勝てないと知ってるが、変わらぬ量と価格に価値を置いてくれる。細かい不備はある程度見逃してくれる
単純なイメージだけで書いていますが、求める客は、業界どころか個店単位で異なるという点は伝わるかと思います。テーマパークなんてまさにカムカムエブリバディなはずですけど、必ず、コアとなるゲストを想定している。ディズニーランドだったら、賛否両論ありつつも決してやめない年間パスポート客ですね。
「私の店はどんな客に来てほしいのか」という明確な形。それこそが「優良顧客」であり、求める客であるはずです。単純に金を落とすだけなら、優良でもなんでもない。だって、そんな人だけだったら金の切れ目が縁の切れ目になっちゃいますから。
これを盛大にやらかしたのが、地方の第三セクター系テーマパークでしょう。家族連れ、カップル、観光客など、誰でも良かった。結果として総花的なイベントしか打てず、特徴のない運営となり、客は消えました。「求める客=客なら誰でもよい」「リピートさえすれば誰でも優良顧客」という会社は、リピートする理由にも気づけず、必ず衰退します。
来てほしい客が明確ならば、提供するサービスの方向性も明確になります。サービスの方向性が明確になれば、それは店の個性となる。「うちはこういう客を優良だと考えています」と言えるかどうかがポイント。
逆に、求める客の形を想像できない人は、どうしても前述の「単純に金を落とすだけの客」と考えがちです。これは非常に困ったもので、楽に金を稼げると、経営者の感覚を麻痺させます。簡単に儲けられる蜜の味を知ってしまったら、未来の客を確保するための努力は、耐えがたい苦労になりますから。4号機時代のスロットなど、まさにこんな状況ではなかったでしょうか。
さて、パチンコ業界の求める客って、どんな客ですかね。私の経験上、多くのホール企業は「回りに迷惑をかけないなら、どんな客でもいいよ」という形のように感じます。メーカーも同様で、「打ってくれるなら誰でもいい」というのが現状でしょう。当初の企画書には明確な想定客を記していたはずなのに、2年に及ぶ開発期間を経ると、誰でも良くなる。SISの数字さえ上がれば、想定客が打たなくても構わないとなる。
品質の劣化を指摘してくれるおばちゃんや、出玉さえあれば細かい欠点は見逃してくれる爺さんなど、明確に、来てほしい客を定義しているホールは、どれくらいあるのでしょうか。
「何を言うか! うちは常連を大切にしている!」
と怒るホールさんも多いでしょうか。ならばなぜ、年間を通じて新台ばかりを前面に押し出すのでしょうか。打つ人の絶対数は旧台の方が多いのに、なぜ新台客ばかりを優遇するのか分かりません。
「海物語にも力を入れている!」
ならばなぜ、古い海物語を打つおじさんおばさんが沢山いるのに、それを捨てて新しい海物語を買うのでしょうか。次の海へ差し替えることは、ファンに対してではなく、機械に対して力を入れているだけだと感じてしまいます。
「新台入替は最大のコンテンツだ!」
ならばなぜ、新装は出るという幻想を抱く客に対して、10年前の3倍もの粗利で抜きまくるのでしょうか。3倍の価格に見合う価値を提供できているのでしょうか。
「機械代が高いから抜くのは仕方ない!」
仕方なくても客の懐は痛み、ファンは減ります。では、昨年買った機械の中で「無駄な機械」はどれくらいあるのでしょうか。その一台の稼働しないスロットは、本当に新台で買わねばならなかったのでしょうか。
このような現状を見てしまうと、どうしても一つの結論に行き着きます。ホールの求める客とは、品質の劣化を指摘してくれるおばちゃんではなく、渋釘でも黙って打つ人なのではありませんか。そう、前回指摘した「共有地の悲劇」です。
業界全体が「渋釘でも打つ新装好き」の財布から吐き出される現金をアテにしたことにより、彼らは退場を余儀なくされました。彼らはもう戻ってきません。大好きだったパチンコから裏切られた彼らの心情はいかばかりか。
それでも「うちの店は、ひたすら金を使う人を優良顧客と定義する」と決めているならまだいいでしょう。問題なのは、何も考えずやっているホールです。来て欲しい客を決めずに、SISの結果を見ながら、なんだ他のホールも抜いてるじゃないかと安心する。機械代の高さゆえに仕方ないと結論を一本に絞り、釘を閉めきる。
メーカーも一緒ですね。営業サイドは、ひたすら金を使うホールだけを「私達の求める客」と定義しているように感じます。ホールが「渋釘でも打つ新装好き」の財布を収奪したように、ホールの財布をトロール漁船のように根こそぎ収奪していないでしょうか。
求める客の基準を設定しないホールは、惰性で渋釘を続ける可能性が高い。これは明確に、新装に対する幻想を破壊しました。
新装開店に対する期待感とは、メーカーもホールも一体となって死守せねばならない大富源でした。なのに業界はここ10年、マグロの乱獲よろしく、徹底的に収奪してしまったのです。収奪したのは金だけでなく、期待感、幻想も含まれます。金は釘を開ければ還元できますけど、壊れた幻想は釘を開けても、ちょっとやそっとじゃ戻りません。
自社が守るべき客の形を定義せず、新装という固定化された漁場に頼ったツケがドカンと来ています。「どんな人でもいい」は、定義にならないんですね。それは結局、黙って渋釘に座る人を「おいしいw」と馬鹿にしてるに過ぎないのです。
想定顧客の内容を客へ告げる必要はないでしょう。これは事業の根幹、基本コンセプトですから。しかし、経営者は明確に意図せねばなりません。自社の利益を握るのはお客様。未来の利益を握るのもお客様。未来を共に作る相手を想定する時、「数さえいれば誰でもいい」では、経営とは言えませんよね。
感謝してると言いながら釘を閉める。本当は出したいんだよ仕方ないんだよと言いながら値上げする。1万2万と負け続ける金額に見合う価値は、綺麗な液晶と接客だけ? パチンコってそういう娯楽でしたっけ?
メーカーが悪い、ホールが悪いと互いを罵るのも結構ですけど、誰のためにやっているのか、外からは全く分かりません。相手が悪いんだから自分は何もやる必要はないと、まるで「やらない理由探し」をしているかのようです。
「ファンの皆様、悪いのは●●でした! さあ、パチンコに戻ってきて下さい!」と結論を出した時、誰がそんな言葉に耳を傾けるのか。「お前らの魂胆は見えたんだよ。求める客ってのは、黙って金を落とすだけの客なんだろ?」と、唾を吐かれて終わりではないでしょうか。
1.求める客とはどんな客か
2.求める客を増やすために、必要な幻想は何か
3.その幻想を構築する手法何か、費用はどれくらいかかるか
4.幻想を簡単に殺す手法は何か
自社の未来にとって必要な客とは何かを定義し、それを守り育て増やすために必要な幻想を考える。幻想を実現する手法と費用を算出し、一方で幻想を破壊する手法も考えておき、これを回避する。
売るだけ、抜くだけでは、ただの乱獲です。互いに「そうせねばならない理由」はあるでしょうけれど、現実問題として、客の財布には限度があります。当たり前ですよね。当たり前だから、みんな知っている。
それを知ってなお、同じ行動をとり続けている。もしくは、このままじゃダメだと叫ぶことで、自分を正義の側へ置こうとする。こんな状態では近い将来、絶滅した「渋釘でも打つ新装好き」を夢見て、閑散とした店舗、動かない工場を散歩するだけの毎日が待っているでしょう。
前回の記事にも書いたように、もう「渋釘でも打つ新装好き」は絶滅しつつあります。自店にとって必要なお客様の形、今こそ考えてみませんか。そしてもう一歩踏み込んで、業界にとって必要なお客様の形も、考えてほしいなと思います。
ども。あけましておめでとうございます。最後までお読みいただきありがとうございました。
2年ほど前から、うちのブログは徐々に、大きく、変わりました。パチンコへの提言系を減らし、アニメや政治ネタを増やしました。博物館に関与していたからというのもありますけど、ホールさんや開発さんとお会いする機会が増え、それぞれの立場での「仕方ない」を聞いてしまったんですね。
2010年は、アニメにはまったこともあり、子供じみたガムシャラな情熱を取り戻したくなったんです。初代e-pachinkoや、imaru.netの書き込みのような、「何を書くか分からない危なっかしさ」こそボンペイ吉田なんじゃないかと。
そもそも、常識的・経験者・大人というのは業界的に満席ですしね。そんなところで勝負はできないという、弱者ゆえのニッチブランディング意識もあります。うちはマルハンじゃない。小さくても強い、駅前の●●会館みたいなのを目指すしかない(もちろん床は木だ)。
右へ傾き、左へ揺れ、前へつんのめり、尻もちもつく。そんなことを繰り返しながら、進んでいきたいと思います。
2年ほど前から、うちのブログは徐々に、大きく、変わりました。パチンコへの提言系を減らし、アニメや政治ネタを増やしました。博物館に関与していたからというのもありますけど、ホールさんや開発さんとお会いする機会が増え、それぞれの立場での「仕方ない」を聞いてしまったんですね。
2010年は、アニメにはまったこともあり、子供じみたガムシャラな情熱を取り戻したくなったんです。初代e-pachinkoや、imaru.netの書き込みのような、「何を書くか分からない危なっかしさ」こそボンペイ吉田なんじゃないかと。
そもそも、常識的・経験者・大人というのは業界的に満席ですしね。そんなところで勝負はできないという、弱者ゆえのニッチブランディング意識もあります。うちはマルハンじゃない。小さくても強い、駅前の●●会館みたいなのを目指すしかない(もちろん床は木だ)。
右へ傾き、左へ揺れ、前へつんのめり、尻もちもつく。そんなことを繰り返しながら、進んでいきたいと思います。