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【1】新洪浩然考―文禄の役で連行された偉才の書家・学者


 県立名護屋城博物館で11月16日まで開催中の寄贈記念展「洪浩然 忍ぶ・忘れず」展について新史料や展覧会の見どころなどを紹介する。

壮絶な思いを5文字の書に

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 ある時、大勢の武装集団に独り身柄を拘束され、捕虜となり、さらに人知れず異国の地に連れて行かれ、そこで生きていかなければならなくなったら、あなたなら何を思い、どう行動するだろうか。

 今から415年前、1593(文禄2)年、文禄の役(壬辰倭乱)の激戦・晋州城の戦いの際に、12歳の少年洪浩然(こう・こうぜん)は人生の大きな転換点を迎えた。

 「ある日、山の間に犬の吠る声頻りに聞え候故、人して御捜させ候えば、一人の童子大筆を肩にかけて石の穴に隠れ居りたるを、犬など怪しみて吠るに、有りたる童子を連れて参り候えば、日峯様(鍋島直茂)珍しき者に思し召し、中野左衛門(中野神右衛門)へお預けなられ、追って御国(佐賀)につかわされたる」(読み下し文)。寛政の三博士として有名な佐賀出身の幕府昌平黌儒官古賀精里が若いころに著した『洪浩然伝』浩然国字伝の一節。浩然は鍋島直茂軍に捕らえられ、戦地では中野神右衛門の下で捕虜生活を送り、その後佐賀に連れてこられた。

 浩然は、おそらく両親の安否さえわからず、故郷を失い、これまでの生活をすべて失って、自らの生命の危険を感じながらも、言葉も満足に通じない異国の地で全く違った生活を送らなければならなくなったのである。

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 浩然の書幅に、中国唐代の詩人杜甫の五言律詩「夜宴左氏荘」の最後の句「扁舟意不忘」(へんしゅうのいわすれず)の5文字を書いたものがあるが、「小さな舟に乗ってきた時の思いは決して忘れない」という意味にもとれる。浩然は、この時の壮絶な思いを、後にこの5文字の書に書き残したのではなかろうか。

 佐賀城下で暮らすことになった浩然は、漢詩や書に長じ、『直茂公譜』巻之八に「常に御前に召し出されける」(読み下し文)とあるように、直茂の側近く仕えていた。その間、1608(慶長13)年には与止日女(河上)神社鳥居銘、翌年には千栗八幡宮鳥居銘を揮毫(きごう)するなど、書家として重用されていたことがわかっている。直茂没後もその子鍋島勝茂に重用された。

 先の5文字「扁舟意不忘」の書は、洪家12代当主洪悦郎さんからこのたび寄贈いただいた「洪浩然・洪家史料」88点の中の1点で、悦郎さんも最も思い入れが深い史料であるが、これまで一般に知られてはいなかった。

 佐賀での浩然は、一般的な被擄(ひりょ)人と違って厚遇され、成功したようにも見えるが、彼の本当の思いは、この「扁舟意不忘」の5文字が語っているようにも思える。

(県立名護屋城博物館学芸員 浦川和也)

【写真・右】柿原典徴筆「洪浩然像」

【写真・左】洪浩然書「扁舟意不忘」

2008年10月05日更新