抱きたいあの子


 僕の心は欠けている。
 埋める方法は知らない。



 仲のいい女の子同士がふざけて抱き合っているのを見ると、その上から二人まとめて抱きしめてやりたくなる。
 もちろん本当に抱きしめるとちょっと問題のある行為なのでいつも思っているだけで実行はしない。
 だが一度だけ、徹夜明けで疲れている時に女の子二人が目の前で抱き合うのを見て、思わず抱きついてしまった事がある(軽くだけど)。
 その時は冗談で済んだが冗談で済むのは一回だけだ。もう一度やると「変態」とか「セクハラ大王」とかいろいろと有難くないニックネームを付けられてしまいそうなので二回目はできない。どうせならもっといろいろ触っておけば良かった。


 何故そんなことをしたくなるのかというと、多分僕はうらやましいのだ。
 僕は「抱きしめるということ」に飢えている。それなのにそれを友達同士で簡単に実現しているのを見ると、ずるいと思ってしまう。
 それなら僕も男友達と抱き合えばいいという話だが、それは嫌だ。僕は柔らかくていい匂いのする女の子しか抱きしめたくない。


 誰かを抱きしめると何故あんなにも心が落ち着くんだろう。
 腕の中の温かさが抱えている不安や淋しさを優しく溶かしてくれる。
 「心の欠けた部分」がしっとりと埋まっていく、そんな気がする。


 人間というものは心の欠けた動物だ。そしてみんな心の「失った部分」を探して不器用に走り回っている。きっとそれは素晴らしいものに違いないという幻想を抱いて。
 「欠けた心を完全にしたい」という衝動以外に人間を動かすものはない。人間の行動は全て自分の心の欠落を埋めてくれる何かを探しているのだ。僕が誰かを抱きしめたいと思うのも、「抱擁」という行為に「失った部分」の影を見ているだけだ。
 人間が人間になった時から人間は、心の欠落を埋めようとして、無数の美しくて醜く、優しくて愚かで、崇高かつ残酷な多種多様の人工物を造り続けてきた。
 神と、信仰と、思想と、妄想と、片想いと、SMと、犯罪と、ドラッグと、正義と、モラルと、プライドと、暴動と、ダンスと、差別と、ユートピアと、夢と、無意識と、詩と、メロディーと、和音と、過去と、未来と、家族と、泥酔と、微笑みと、その他、人を必要以上に動かす全てのもの。
 これらは全て心の「失った部分」の代用品だ。その余りにも節操の無い過剰さに、僕は時々この世界がうざったくなる。


 だけどどんなに必死に求めても、「失った部分」が見つかり心が満ち足りることはまずない。それは現実に存在することができないくらいに美しすぎるからだ。
 人間の欲望に限りが無いことの原因はここにある。
 心が欠けているために弱く脆く不安定な人間という生き物は、完全な満ち足りた心に強く憧れる。そして自分の心の欠落を埋めたいと願い、欠落を埋めてくれそうなものを探し、見つけ、手に入れる。しかしそれは自分の「失った部分」ではなく只の代用品に過ぎないので欠落は完全には埋まらず、また別の、今度こそ本当に欠落を埋めてくれそうな何かを探す。しかしそれも只の代用品に過ぎないので‥‥‥ヒトの一生はこの繰り返しだ。欲しいもの全てを手に入れた昔の王様はそれでも満足せずに不老不死を求めた。灰になるまで欲望は終わらない。
 じゃあ心の欠落を完全に埋める方法はないのかというと、ないこともない。
 「失った部分」が現実に存在しないのなら、現実を捨て別の世界に生きれば見つかるかもしれない。向こう側の世界に渡る手段は自殺、発狂などいくつかある。
 僕は今のところ、行ってしまう予定はないが。
 ちんけな現実で不完全な心を抱え、くだらないことで泣いたり笑ったり殴ったり殴られたりしながら生きるのもそんなに悪くない。僕にできることは代用品を追いかけることしかないのだとしても。


 自分の心がどんな風に欠けているかを知りたければ自分の欲しいもの、好きなものを思い浮かべてみるといい。「自分が求めるもの」イコール「自分に欠けているもの」だからだ。「欲」という字は「谷のように欠けている」と書く。自分の何かに対する欲望が強ければ強いほど、自分の心の「その部分」が大きく欠けているのだ(「どの部分」かは分からないが)。
 僕の好きな女性のタイプ、好きな作家、好きな音楽、人生の目標、趣味、etc , etc . これらはそのまま、あちこち欠けていびつな僕の心の形を表している。
 そして僕の心の欠落には、「抱擁」という破片がしっくりと嵌まるようだ。
 欠けた心の傷口がじんじんじんと疼いて眠れない夜がたまにある。そんな夜は、キスよりもセックスよりも、ただ、抱きしめたい。
 それが只の代用品でも構わない。



 僕の心はとても、欠けている。
 あの子を抱きたい。




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