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菅直人首相が内閣改造を検討している。仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相が昨年の臨時国会で参院の問責決議を受けたからである。決議は閣僚の政治責任を問う参院の意思表示であ[記事全文]
広島市の秋葉忠利市長が今期限りで退任するという。市役所の仕事始めで職員を前に、4月に予定される市長選には立候補しないと表明した。「核兵器のない平和[記事全文]
菅直人首相が内閣改造を検討している。仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相が昨年の臨時国会で参院の問責決議を受けたからである。
決議は閣僚の政治責任を問う参院の意思表示であり、その意味はもちろん重い。しかし、衆参両院の「ねじれ」状況が珍しくなくなった今日において、問責決議をどう取り扱うべきかは改めて熟慮を要する問題である。
内閣の存立基盤は衆院にある。首相は国会で選ばれるが、両院の指名が異なる場合は衆院の議決が優越する。衆院は内閣不信任を決議し総辞職を求める権限を持つが、首相はそれに応じず衆院を解散して対抗できる。
参院はそうした憲法上の権限を持たない「第二院」である。首相や閣僚に対する問責決議に法的拘束力はない。
問責決議が野党にとってなぜ国会戦術上の強い武器となるかといえば、決議にもかかわらず閣僚を交代させないことを理由に審議を拒否し、政権を窮地に立たせることができるからだ。
その場合も批判が野党の姿勢に向かう危険はある。決議が「伝家の宝刀」となるか「竹光」にとどまるかは、時々の政治状況や世論の風向きによる。
審議ボイコットという抵抗戦術は、自民党一党支配がなお強固で、野党にはめぼしい対抗手段がなかった時代には仕方のなかった面もあろう。
しかしいまや政権交代時代である。しかも野党が参院で過半数を握り、与党は衆院で再可決する頭数もない。
であるならば、審議拒否ではなく、審議を通じて主張をいれさせる。予算案や法案を修正させる。そのようにして持てる力を生かす方が本筋だろう。
ただ今回、野党がやすやすとそうした路線を取るとは考えにくい。
そもそも問責で閣僚を辞任させる前例をつくったのは民主党だからだ。小渕内閣当時、公明、自由両党とともに額賀福志郎防衛庁長官の問責を出し、辞任に追いつめたのがそれである。
民主党はその後も参院の力を最大限行使してきた。それには政権交代のある政治を実現させる大義があったし、総選挙を経ず2度、3度と政権をたらい回しするあり方にノーを突きつけ、解散を迫る意義もあったろう。
しかしそれは、参院が憲法の想定を大きく超えて強い力を振るえば、国会が機能不全に陥り、政治の混迷が深まるばかりだという苦い教訓も残した。
与野党はこの経験から学ばなければならない。菅首相も年頭会見で、過去のふるまいに「反省」の意を示した。
すでに多くの党が与党を経験し、その重さも難しさも身に染みたはずだ。
ねじれという困難を抱える政権交代時代にあって政治を前に進める要諦(ようてい)は、各党が「あすは我が身」という想像力を働かせ、自制することである。不毛な報復の応酬は控えるべきだ。
広島市の秋葉忠利市長が今期限りで退任するという。
市役所の仕事始めで職員を前に、4月に予定される市長選には立候補しないと表明した。
「核兵器のない平和な世界を」。秋葉氏は被爆地の顔として、3期12年、そんなスローガンを唱え続けてきた。長い間ご苦労様、とねぎらいたいところだが、今回は後味の悪さが残る。
秋葉氏は、マスコミ側が申し入れた記者会見を拒む一方で、動画投稿サイトのユーチューブに「不出馬会見」とする動画を投稿した。
ところが、約15分間の弁を聞いても、なぜ退任するのか、市民らが知りたいことがはっきり伝わってこない。
若いころ米国の大学で教壇に立っていた秋葉氏は、被爆者の姿を伝えようと米国のローカル紙・テレビ局の記者を広島、長崎に派遣する「アキバ・プロジェクト」を唱え、実現させた。
帰国後、大学教授や社会党衆院議員を経て広島市長に就くと、2020年までに核兵器を全廃させるという「2020ビジョン」を掲げた。
核廃絶をめざす都市の連合「平和市長会議」の会長をつとめる。加盟数は市長就任時の国内外400余から4千を超すまでになった。「ほかのだれにも、こんな思いをさせてはならない」という被爆者の願いを説き、「報復ではなく和解を」とメッセージを発信する姿に共感する人も多かった。
半面、足元の市政運営については「他人の声を聞かない」「基盤整備が進まなかった」という声もある。
2020年の夏季五輪招致を打ち出したが、財政面の懸念などから市民の賛否も割れた。秋葉氏は正式に立候補するかどうかの決定は先延ばしにしてきたが、今後、どうするのか。選挙でえらばれた秋葉市長には、当然ながら市民の疑問に答える義務がある。
ユーチューブは、ネットの特性をいかして簡便に自己表現できるメディアだ。政治家がこれを利用して主張を打ち出すことは悪くない。
しかし退任表明という節目に、言いたいことだけを一人で語る様子は、かつて「新聞は大嫌い」とテレビカメラだけに向かって話した佐藤栄作首相の引退会見を彷彿(ほうふつ)とさせた。
秋葉氏は「マスコミを通すと、考えが正確に伝わらない」と考えているのかもしれない。だが耳の痛い指摘や質問を避けたいがために会見に応じないのなら、政治家としての見識を疑う。
批判や評価と向き合うのも、公人としての仕事のうちだ。ましてや秋葉氏は元ニュースキャスターである。
支えてくれた被爆者ら市民のなかにはネットを使わない人も多いだろう。退任までには時間がある。会見に出て、質問に答えるべきではないか。その様子を動画で投稿すればいい。