【コラム】ノーベル人事賞があれば李大統領こそ適任(上)

 人事は人間のやることの中で最も難しいことの一つだ。そのため、ノーベル物理学賞と同じように「ノーベル人事賞があっても良いのでは」と思うこともある。これは人事をうまくこなせる人物に与えられるものではなく、人事で非常に大きなミスを犯した人物に与えるべき賞だ。この賞が本当にあれば、李明博(イ・ミョンバク)大統領こそ受賞に値する人物だと思う。大統領に対してこのような想像をするのは、その人事のまずさに誰もが驚き、怒りといらつきを覚えるからで、まさに「芸術の境地」と言っても良いほどかもしれない。

 李大統領がこれほどまでひどい人事を行う理由を推測すると、「人事というものをどのように行うべきか知らないため」と考えざるを得ない。李大統領による最初の人事といえば、「高・所・嶺」(高麗大出身、所望教会関係者、嶺南〈慶尚道〉出身者を意味する)という非難を受けたことを思い起すが、就任と同時に行われたハンナラ党全国区議員候補者人選のまずさも、これに匹敵するものだった。今改めてこのリストをみると、これほどまで無意味で無茶な人選ができるのかと思うほどだ。つまり、人事のまずさは就任直後から続くものだった。

 李大統領は「人事によって作り上げられる全体像」を描くことができない。人事は建前では「能力中心」などと言われるが、実際はうまく「配分」して全体にバランスを持たせなければならない。人間の能力など意外と差がないものだが、この「配分」で失敗すれば、数百万人を一気に敵に回しかねないからだ。ところが現在の陸軍、空軍、海軍の参謀総長は皆、同じ地方の出身者だ。李大統領は最初の秘書陣を二つの地域出身者で構成した。人事の結果として全体がどのようになり、それが国民にどのように映るかについて少しでも考えていたなら、このような人事は行わなかったはずだ。

 人事には大義名分が必要だ。数多くいる人物の中から「なぜこの人物を選んだのか」という質問に対して答えることができなければならないからだ。監査院長は憲法で定められた地位だが、李大統領はここに自らの秘書だった人物を就任させようとした。これは名分がないのではなく、名分を踏みにじる行為だ。

 人事を行うには人を見る目がなければならない。しかし李大統領にはこれがない。李大統領が当初国防長官に指名しようとした人物は、金寛鎮(キム・グァンジン)氏ではなく自分の秘書だった。その秘書に問題がなければ、李大統領は明らかにこの人物を就任させていただろう。しかしこの秘書についてどう考えるか複数の軍関係者に話を聞くと、「あれだけは絶対にダメだ」と誰もが口にする。李大統領はこの「あの人だけは絶対にダメ」といわれる人物を必ずと言っていいほど指名する。それも安全保障がこれほどまで危機的状況にある中での話だ。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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