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タモリ悲痛、さよなら横沢彪さん

 「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などの人気お笑い番組を手掛けたフジテレビの元プロデューサーで、吉本興業東京本社代表なども務めた横沢彪(たけし)さんが8日午後8時2分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大病院で死去した。73歳だった。遺体が戻った東京・目黒の自宅には10日、俳優の山崎努(74)、フジテレビ関係者らが弔問に訪れた。ビートたけし(63)、明石家さんま(55)らの起用でお笑い界を隆盛に導いた横沢さんに対し、「‐いいとも」の司会を務めるタレントのタモリ(65)が悲しみのコメントを寄せた。

  ◇  ◇

 お笑い界に一大ブームをつくった陰の立役者がこの世を去った。

 長女の吉川瑞絵さんによると、正月も食欲旺盛だったものの、5日に風邪をひき、6日に病院で肺炎と診断され、8日に帰らぬ人となったという。吉川さんは「苦しまないで逝ったことがよかった。家では普通の父親。こんなに世間の反応がすごいとは」と父の功績に驚いた。

 横沢さんは東大文学部を卒業後、62年にフジ入社。80年代からバラエティーで手腕を発揮し、「オレたち‐」では、アドリブの面白さを打ち出した演出で茶の間を笑いに包んだ。95年には吉本興業東京支社長や専務取締役を歴任した。07年に患った悪性リンパ腫は昨年末も抗がん剤治療を受けたというが、死因とは結びつかないという。

 横沢さんが初代プロデューサーを務めた「笑っていいとも」の司会・タモリがコメントを発表。「夜の番組しか出せないと言われていた私をいきなり昼の真ん中に起用しました。私自身は昼も夜も意識したことはありませんでしたが、私で大丈夫なのかと横沢さんに聞いたことがありました。その時の答えは『番組はもちろん、ライブまでリサーチした結果いけると確信しました』とのことでした」と裏話を披露した。

 横沢さんの眼力は正しかった。同番組は10日で放送7236回を迎え、「同一司会者により最も多く放送された生バラエティー番組」としてギネス認定された。タモリは「いいともは今秋30年目を迎えます。大変お世話になりました」と結び、恩人の死を悼んだ。

 弔問に訪れたフジテレビ「横沢班」の後輩は「土曜の午後8時2分に亡くなったと聞き、ひょうきんが始まってすぐの時間だなと」とうなずいた。遺体は安らかな顔で、隣の部屋にはかつて番組に死体役で出演した際の故人の写真が飾られていたという。最後までバラエティーに生きた名物プロデューサーだった。

(2011年1月11日)

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