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■小林伸一郎のパクリを検証する

3) 偶然なんてありえない
-丸田祥三・小林伸一郎 写真比較

先にご紹介した通り、丸田氏は膨大な時間をかけることで廃墟を見つけ出し、その世界を写真に収め続けてきました。

しかし、ふと気づくと丸田氏の作品にそっくりな写真を発表して平気な顔をしているプロカメラマンが存在していたわけです。

ここでは二人の写真を実際に並べながら、その相似性を確認していきたいと思います。

ひとつ、先に書いておきます。

以下の小林氏の写真で、丸田氏が作品集を発表する前に
撮られたものは、一枚もありません。


a. 国鉄旧丸山変電所(群馬県)
丸田祥三氏

1987年撮影。
1993年『棄景』(宝島社刊)に収録。
<1994年日本写真協会新人賞受賞作品>
小林伸一郎氏

1995年撮影。
1998年『廃墟遊戯』(メディアファクトリー刊)に収録。

ご覧の通り、これはいずれも「同じ廃屋を」「同じ壁を奥として」「側面寄りから撮影した」写真です。

あえて2つの写真の違いを挙げるならば、左右どちらに立ってから撮影したかが異なると言えるでしょうか。

さらにもう一点挙げるならば、左の作品は日本ではじめて無銘の廃墟を集めたた写真集に収録され、さらに『日本写真協会新人賞』を受賞した輝かしい作品」であるということ。対して右の作品は「丸田氏が新人賞を受賞し、作品が広く知れ渡ったであろう翌年にプロカメラマンの小林氏が撮影したもの」であるということです。

この2つの写真については、写真以外にも問題点があげられます。それぞれの写真を収めた本の解説文が酷似しているのです。いや、実際は参考文献にされていたというべきでしょうか。

丸田祥三氏

1993年
『棄景』(宝島社)の上の写真の解説文。
小林伸一郎氏

1998年
『廃墟遊戯』(メディアファクトリー)の上の写真の解説文。

それがわかったのは、丸田氏の解説文にしか存在しない間違いが、小林氏の解説文にも存在したからです。

丸田氏の解説文は、まだ丸山変電所の端的な歴史解説がない時代に、旧国鉄本社や松井田町に協力を頼み、膨大な資料を要約し て記されたものでした。国鉄資料を共に調べる作業には当時の担当編集者も参加していたのですが、その中で担当者は「路線変更も変電所の廃止理由のひとつ」と勘違いをしてしまったのです。(実際の理由は「昇圧」のみ)結果、上記のような解説文が付けられてしまっていました。

でもなぜ小林氏の解説文に、丸田氏の解説文と同じ間違いが存在しているのでしょう。それは小林氏が、解説文を参考にしたという事実があるからに違いありません。

実際、裁判が進む中で「解説を参考にした」という小林氏側の証言が聞かれています。

しかし、これは裁判がはじまってからやっと聞こえてきた声です。小林氏は『廃墟遊戯』で参考文献として『棄景』を紹介していませんでした(自作より先に世に出ていた廃墟写真集の存在を隠していたかも知れません)

そして不思議なことに、解説を参考にしたと認める今も「(『棄景』の)解説文は見たけれど、類似しているという丸田氏の写真は見ていない」などとおかしなことを言い張っています。もし解説文だけ見たのだとしても、それは何のためだったのでしょう。ラクをして撮影地を見つけ、写真を撮ってくればいい、とでも思っていたのでしょうか。

※ちなみにこの写真について、小林氏は一度、丸田氏よりも先に撮影したように年代を偽って表記していたことがあります。しかしこれは丸田氏のファンが「屋根の崩れ方からいっても、丸田氏の方が先なのでは?」 と投書したことにより訂正されたそうです。そのとき投書がなかったら……おそらく嘘の表記は続いていたのでしょう。


b. 足尾銅山(栃木県)
丸田祥三氏

1989年撮影。
1996年NHK『芸術劇場』にて放映。
1996年『朝日新聞』紙上に発表。
1997年テレビ朝日『ニュースステーション』にて放映。
2000年『日本風景論』(春秋社)に収録。
小林伸一郎氏

1997年撮影。
2003年『廃墟をゆく』(二見書房)に収録。

いずれも足尾銅山にある、同じ電力施設(だった建物)を撮った作品です。

ちなみにこの写真は、建物を裏側から写したものです。丸田氏は「15年くらい前までは手前には葦の原があり、普通に建物裏が眼に入ってくる状況ではありませんでした」 と言っています。そんな状況で、偶然両者が建物裏に立ち、同じようなアングルから写真を撮れるものでしょうか?撮影ポイントは他にいくらでもあるはずなのに。


c. 帝国産金興業 大仁金山(静岡県)
丸田祥三氏

1990年撮影。
1993年『朝日新聞』紙上に発表。
1994年NHK『棄てられた風景への旅』にて放映。
1995年~『鉄道廃線跡を歩く』シリーズなどに収録。以降各紙に発表。
小林伸一郎氏

1995年撮影。
1998年『廃墟遊戯』(メディアファクトリー)に収録

同じ金山の廃屋を正面から撮った写真。かなり引き気味で撮って丸田氏の作品を真似るかのような引きでの撮影を行った小林氏。


e. 奥多摩湖ロープウェイ(東京都)
丸田祥三氏

1990年撮影。
1993年『朝日新聞』紙上に発表。
1994年NHK『棄てられた風景への旅』にて放映。
1995年~『鉄道廃線跡を歩く』シリーズなどに収録。以降各紙に発表。
小林伸一郎氏

2000年撮影。2001年『廃墟漂流』(マガジンハウス刊)に収録。

どちらも同じ歯車を、同じ側面から撮影したもの。奥多摩ロープウェイには、いくつもの撮影ポイントがあるはずです。なのに、なぜ偶然同じ場所で撮影されたのでしょうか。それとも、小林氏は他の撮影ポイントがあることを知らなかった(他の場所で撮影する考えがなぜか最初から無かった)のでしょうか……。


d. 奥多摩湖ロープウェイ(東京都)
丸田祥三氏

1994年撮影。
1994年NHK『棄てられた風景への旅』にて放映。
1996年『朝日新聞』紙上に発表。
以降2000年『棄景4』(春秋社)他に収録。
小林伸一郎氏

2000年撮影。
2001年『廃墟漂流』(マガジンハウス刊)に収録。

いわずもがな。


f. 旧国鉄士幌線(北海道)
丸田祥三氏

1994年撮影。
1994年NHK『棄てられた風景への旅』にて放映。
1995年~『鉄道廃線跡を歩く』シリーズなどに収録。
以降各紙に発表。
小林伸一郎氏

1998年『廃墟遊戯』(メディアファクトリー刊)。


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