【コラム】光化門扁額は文字も変更すべきか(下)
専門家は複数の代案を提示する。まず名高い名筆たちが書き残した文字の中から「光」「化」「門」の三つの文字を集めるというものだ。例えば朝鮮時代中期の石峰ハン・ホが書き残した文字は、その書風が持つ謹厳かつ剛健な雰囲気から、朝鮮時代中期と後期に四大門や宮殿の扁額作成に当たり誰もが参考にした。彼の大字千字文に出てくる文字を使って光化門扁額を制作すれば、朝鮮時代の扁額に使われた文字をそのまま復元できるという意味合いもある。また今年が誕生から1300年となる新羅の名筆、金生(キム・セン)の力強く躍動感あふれる文字や、秋史・金正喜(キム・ジョンヒ)の文字を使うことも可能だろう。
復元が単なる過去の再現に終わってはならないという考えから、光化門には現代で最高の文字を使用すべきという意見もある。ただしある人物の最高の文字を決めるのは簡単なことではない。しかし時間をかけて多くの専門家が頭を突き合わせて検討すれば、それだけでも現代書芸と文化が発展する土台にはなるだろう。
朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が書いたハングルの扁額を使うべきという意見も根強い。1968年にも光化門は復元されているが、当時は光化門を本来の場所に復帰させるという意味合いがあった。光化門はかつて日本によって景福宮の東側に追いやられ、その後、韓国戦争(朝鮮戦争)の戦乱による火災で焼失したからだ。ただしこの光化門に対しては「セメントで復元された」という批判もある。しかし当時は国全体が貧しかった時代であり、そのような中で民族のプライドをそれなりに取り戻した国家的事業だった。当時、朴大統領が書いたハングルの扁額は、このような時代的背景の中で40年以上にわたりこの地を守り、大韓民国発展の目撃者としてわれわれの心にも根付いているのだ。
遠い将来、歴史は2011年にこの地で生きた先祖たちが、紆余(うよ)曲折の末に光化門扁額を再び制作した事実を振り返るだろう。今回の光化門復元は戦乱による被害の復旧ではなく、また王室の権威を取り戻すために民衆の血を絞って行われたものでもない。子孫たちに恥ずかしくない光化門扁額を残すには、文字通り竜の絵の最後に目を描くような心構えを持って、より多くの知恵と力量を集めなければならない。
金泰翼(キム・テイク)論説委員