福岡市天神の真ん中に「天神ビル」というオフィスビルがあります。
建設されたのは1960年。
当時、西日本一の高さを誇った天神ビルは、周辺の移り変わりを半世紀に渡り、見続けてきました。
1960年、天神交差点の一角に完成したばかりの天神ビルです。
その外観は50年経った今も当時のまま。
褐色の有田焼のタイルに、丸みを帯びたステンレス製の窓枠が特徴です。
●通行人
「目立ってましたよね、やっぱり。新しい大きなビルだったから」(女性)
「ここの地下にコーヒー店があってね、息抜きに来てましたよ」(男性)
ビルの建設が始まったのは1958年12月。
「潜函工法」という当時の最新技術が採用されました。
建物の地下の部分も含めて地上で組み立て、その下を掘り下げていくことで、建物が自らの重みで沈んでいくというものです。
地上11階、地下3階建てのビルが完成しましたのは1年半後。
42メートルの高さは当時、西日本一、全国でも2番目でした。
大卒の会社員の初任給が1万2千円程度だったこの時代に、建設費は20億円に上りました。
●西口リポーター
「突然ですが、ここで問題です。皆さんはこのビルが、当時の時代背景が生んだ建物だということをご存知でしょうか?その答えはこちら、地下にあります」
地下2階と3階にあるのは、なんと変電所。
1950年代後半から、急激に増加していた電力需要に対応するため、変電所の設置が決まり、ビルはそれに合わせる形で建設されたのです。
地下変電所を備えたこれまでにない規模の高層ビル。
開業一か月後には、大々的な消防訓練も実施されました。
●天神ビル元社員・手嶋彪さん
「脱出、いわゆる脱出、これを主にしたんですよ。私は11階から降りました。(最上階から?)怖かったです。(今、あそこから降りろって言われたら?)いたしません。近いうちにいきますから」
当時、天神ビルを管理する会社で、営業マンとして働いていた手嶋彪さん(76歳)です。
●手嶋彪さん
「見学者も多かったけど。大体この大きさのビルがほかになかったから、一番大きかったから食堂街から上まで、集会場があるとか、お医者さんがあるとか、文化サークルがあるとか、そういうのはなかったですね」
天神では今や主流といえる一つのビルに、様々なテナントが入った複合ビルという形も、天神ビルが草分け的存在で、オフィス以外に、クリニックや文化センター、飲食店街などを備えた一大ビジネスセンターでした。
手嶋さんが仕事帰りによく訪れていたという地下一階のビアレストランに連れて行ってもらいました。
今も残るレンガ造りの壁が、当時の記憶をよみがえらせます。
●手嶋さん
「思い出すねー、昔を。私が一番年上の飲むほうだったから、部下を連れてきちゃ(ごちそうして)そうです」
その後、天神地区では、オフィスビルや商業施設が次々に建設され、地下鉄も開業するなど、天神ビルの周辺は様変わりしました。
天神ビルの食堂街では、6つの店がビル開業当時から50年にわたって営業を続けていて、天神の移り変わりを見つめてきました。
●新三浦天神店・土生敦代店長
「いつのまにか50年になったという感じ。その間にはいろいろ、地下街が出来たり、地下鉄ができたりしましたけどもね、いつの間にか時代とともに、お店の中も全体も変わってきましたけど、このビルがある限り、頑張ろうかなと思ってます」
建設から半世紀という節目の年を迎えた天神ビル。
天神の真ん中に根を下ろし、これからも街を、そして人々を見守っていきます。