フィリピン 2010年12月30日(木曜日)
【第6位】アロヨ政権に幕、汚職など問題残す[政治]
9年半にわたり大統領の座にあったグロリア・アロヨ氏が6月30日、任期を満了し退任した。
マカパガル元大統領を父に持つアロヨ氏は、もともとは大学で教鞭を執っていた経済学者だが、1987年、コラソン・アキノ政権下で貿易産業次官補に起用されたことがきっかけで政界入り。上院議員を経て、1998年の副大統領選挙で当選した。
2001年1月、ジョセフ・エストラーダ大統領(当時)が違法献金疑惑などによる市民の退陣要求に抗しきれず、政権を追われたことにより、副大統領から大統領に昇格。04年の大統領選挙でも当選を果たした。
経済の専門家としてその手腕が期待されたアロヨ氏は、政権発足初年の01年と、世界金融危機・同時不況に見舞われた08、09年を除いて、国内総生産(GDP)成長率は最低でも4%台を確保するなど、一応の実績も残した。
だがアロヨ氏には中国企業からの贈賄疑惑が問題化した全国ブロードバンド(NBN)事業など、自身と夫、親族に絡む汚職・不正を指摘する声が絶えなかったほか、当選を果たした04年の大統領選挙でも不正疑惑が非難され、05年にはセサール・プリシマ財務相(アキノ政権下で返り咲き)らの閣僚が、抗議の辞任を行う事態に至った。
さらにアロヨ氏は、現行の米国式に近い大統領制を、英国や日本のような議院内閣制に改める憲法改正に動いた。現行1987年憲法は大統領の再選を禁じているが、政治体制が議院内閣制に移行すれば、議会の信任を取り付けている限り、政権維持は可能となる。このため、反対派は改憲の動きを、「アロヨ氏自ら首相に就任して、政権に居座る狙いだ」と糾弾した。
こうしたイメージ悪化から、アロヨ氏は政権末期、低支持率にあえいだ。同氏を政界に引き入れ、大統領就任に至る過程でも大きな力を発揮したコラソン・アキノ元大統領からも見限られた上、厳しい批判を浴びるようになった。しかし、「違憲」の批判を浴びながらも、コロナ最高裁判所長官をはじめとする任命人事を断行するなど、アロヨ氏の強気の政権運営は、最後まで大きく崩れることはなかった。
アロヨ氏は5月10日投票の国政・地方選挙で、地元パンパンガ州から下院議員選に出馬し当選。7月1日からはそれまでのマラカニアン宮殿(大統領府)から議会に活動の場を移して、引き続き政界にとどまっている。