社説

今年の政局/歴史のうねりに耳傾けて

 21世紀最初の10年が終わり、「21.1世紀」が幕を開けた。この10年、わが国の政治は小泉純一郎氏率いる自民党の躍進で始まり、同党の迷走と衰退、民主党による歴史的な政権交代へと目まぐるしく動いた。
 新年の政治状況を悲観的に語らねばならないのは不幸なことだ。わずか1年半前、得意の絶頂にあった民主党政権が早くも行き詰まりを見せていることが閉塞(へいそく)感を募らせる。
 「国家ビジョンを示せ」「将来像が見えないことが国民の不安をかき立てている」。そんな論調が支配的だ。政治家が目先のことばかりに目を奪われ、国難に対峙(たいじ)していないと多くの国民が感じ始めている。
 哲学者の鶴見俊輔さんの分析が興味深い。「大臣や国会議員など、壮年のころの予測は今年、来年のことに限られやすい」(『思い出袋』岩波新書)。常に結果を求められるからだろう、皮肉なことに民主党は与党になって大局を語らなくなった。
 「歴史の大きなうねりは、事業にもまれている者にとっては、たとえその頂点に立っても、見極めにくい」と鶴見さん。なるほど、為政者が陥りやすい「近視眼病」を私たちは嫌というほど目撃してきた。
 例えば選挙至上主義。自民党政権末期の関心事は「選挙に勝てる顔」選びだった。党勢立て直しに向けた議論は深まらず、政権のたらい回しが延命手段として選択された。
 民主党も同じ穴のむじなか。鳩山由紀夫氏から菅直人氏へのバトンタッチは、理由はどうあれ党の都合にすぎなかった。内閣支持率の低迷を受け、早くも「菅氏では次の選挙が戦えない」といった声がくすぶる。
 党首交代効果による「ご祝儀相場」に依存する安易で危うい政局観が永田町を覆っている。捉えどころのない世論におびえ右往左往すれば、政治が漂流するのは当然の帰結だ。
 一時しのぎの政治文化は、政策選択にも影を落とす。社会保障関係費の財源として、埋蔵金や基金を取り崩す手法が乱用された。消費増税の議論は「選挙に不利」として封印され、将来世代へのつけ回しが漫然と繰り返されてきた。
 財務省の試算によれば、2011年度末の国債の残高は約668兆円。一般会計で見込まれた税収の約16年分に相当する。今、この瞬間に生まれた赤ん坊も約524万円の借金を背負う。子どもたちがそれを知れば、1万〜2万円のお年玉など鼻で笑われよう。
 負担と給付の関係を整理し、世代間格差にも目配りしながら税制を見直す。最適解を求めるそんな粘り強い取り組みが求められているのに、弥縫(びほう)策に逃げ込む。政治の世界でも、ファストフード化が進行している。
 今年は国政選挙は予定されていないが、野党は解散・総選挙目指して対決姿勢を強めている。せめて政治は陣取りゲームを脱して、「歴史のうねり」を真正面から受け止める1年であってほしい。鶴見さんのコラムのタイトルは「ゆっくりからはじまる」である。

2011年01月03日月曜日

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