下はよく知られている雅楽の律音階を五線譜で示したものです。
譜は主音「ニ(d)」の「壱越調」と呼ばれるものです。
国歌「君が代」がこの音階で作られていることはご存知と思います。
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雅楽の律音階は、輸入された中国の楽が国風化されて生まれたといわれています。
「レ・ミ・ソ・ラ・シ・レ」の五音階は、東アジアにはすでに存在し、日本にもあったと考えられますが、問題は上行に使用される「嬰羽」という音です。この音は唐の音階にはなかった音です。どういう経緯でこの音が生じたのでしょうか。 |
唐音階の本質 |
かつて中国から輸入された雅楽は、三分損益理論による音楽でした。
三分損益によって得られるのはいわゆる呂の五音階と、更に2つの音が加えられた七音階です。つまり、唐音階は本質的には呂音階ということになります。
ところが、比較音楽学の採集結果では、呂音階は東アジア諸国には例が少ないということです。そればかりか、本元の中国においてさえ、かならずしも中心的な音階でなかったことが判明しました。
唐音階は古代中国における理論的、学問的、思想的音階だったといえるでしょう。
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日本人の耳に馴染まない音階 |
仮に「ハ音」を主音にした場合、三分損益で得られる音階は「ド・レ・ミ・♯ファ・ソ・ラ・シ・ド」となります。
こういう音階は日本人には馴染みの薄い響きでした。
特に♯ファ〜ソとシ〜ド辺りの響きに違和感を覚えたと思います。
唐楽では音階の各音からはじまる旋法があり、「宮」からはじまるのが宮調、「商」からはじまるのが「商調」・・・というようになります。
旋法の中で、日本人が好んだのは商調と羽調でした。
これらの旋法には、「主音から4度上の音」が含まれ、東アジアの基本的五音階の響きが聞えるからです。
日本人は唐楽の旋法をこの二つまとめ、前者を呂、後者を律としたといわれています。
このように外国の文化を日本流にしてしまう特技は、今も昔も変わらないようです。
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その後、この律が日本雅楽の基本的な音階になっていくわけですが、変徴をいわゆる「律角」とするまでには、まだいくつかの理論上の操作が必要です。
後世の研究家たちは、律角の経緯について、いろいろな説を唱えました。しかし、いまひとつ整然としません。
二重三重の「こじつけ」を踏まないことには、唐音階から理論的(見掛け上)に雅楽律音階を導きだすことはできないのです。
私には、当時の日本人がそこまで音楽理論にこだわって音楽を実践したとは思えません。 |
小泉説 |
小泉氏は、律音階は、もっと単純に、感覚的に生まれたのではないかと論じます。
日本の民謡音階1種と、3種、
すなわち「かごめかごめ」のような音階と、
「ひえつき節」のような音階が混ざり合うと、
自然発生的に律音階が生まれるという解釈です。
私もむしろこのような素朴な成り立ちのほうが日本人的だと思うのです。 様式が感性によって築かれることこそ、もっとも日本的な特徴であるからです。
おそらく、律音階は感覚的にすでに日本人の中にあって、それを逆に雅楽が吸い上げて、様式化したのではないかと思われます。
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雅楽では
「ミ-ソ」と上昇する場合、「ミ-ファ-ソ」のように経過的に演奏されます。
理論的には「宮-商-角」(レ-ミ-ソ」なのですが、間に「ファ」が入るのです。
また「シ-レ」も同じように「シ-ド-レ」となります。
「ファ」と「ド」は、元になった民謡音階上行の音です。
その為、雅楽では上行旋律において、これらの音を「嬰商」「嬰羽」として使用したのであろうという小泉氏の説には説得力があるように思えます。
やがて嬰羽は下行においてもしばしば用いられるようになり、経過音ではなく構成音として確立することになります。
そして最終的に
(上行) レミソラドレ
(下行) レシラソミレ
の律音階が成立したと考えるのが、もっとも自然であろうと思います。
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