中村茂の沖縄拳法の歴史について(ウィキペディア フリ-百科事典より)
ミクシイの中で驚くメッセージが来たので、以下に書きます。
沖縄拳法は中村茂先生が創設されたもので、命名されて、100年もたっていません。
中村茂先生が1891年に生まれているんです。
今は2010年です。茂先生が生まれて119年しかたっていません。
どこぞで「沖縄拳法は150年間同じ稽古をしている」とあったそうです。
150年前は沖縄拳法を創設した中村茂先生は生まれていなんです。
なのに、どうやって150年間も同じ稽古を続けていけるんですか?
生まれる30年以上前から誰と稽古していたのか教えてほしくらいです。
こんな小学生でもわかるようなインチキ話をどうつじつま合わせをするんですかね。
歴史的に事実上不可能です。
話になりません。
以下はウィキペディア フリ-百科事典からの引用です。
『中村 茂(なかむら しげる、1891年 - 1969年)は、沖縄県の空手家。昭和期の著名な空手家で沖縄拳法の創始者。
概要
中村茂は、1891年(明治24年)年、父・中村幸吉、母・カメの長男として沖縄本島北部の名護間切(現・名護市)に生まれた。幼少の頃より祖父や親戚から武勇伝を聞いて育ち、武術に興味を持った。夭折した父やその弟・中村貞一から「手(ティー)」と琉球古武術の手ほどきを受けた後、15歳の時、沖縄県立第一中学校(現・首里高校)に入学して、そこで唐手を本格的に習い始めた。当時の一中の唐手師範は糸洲安恒、師範代は花城長茂だったので、中村は両者に師事したものと思われる。
その後、中村は”久茂地の山原国吉(やんばるくにし)”こと、国吉真吉にも師事した。国吉真吉は、査氏国吉家の後裔で「武士国吉(クニシ)」ともあだ名される著名な武術家であった。那覇・久茂地村に住んでいたが60歳頃に名護に転居してきたので、中村は国吉に師事することになった。国吉からはニーセーシ等の型を習った。中村はその後、さらに喜屋武朝徳や本部朝基らとも修業を重ねた。
戦後、中村は、仲里常延(少林寺流)、島袋善良(少林流)らとともに、保勇の招聘を受け、福岡県で開催された空手大会に参加した。1961年(昭和36年)年、沖縄古武道協会(会長・比嘉清徳)の結成に、島袋龍夫、上原清吉、祖堅方範、兼島信助、島袋善良らとともに参画、同年開催された第一回古武道大会ではニーセーシの型を披露した。
中村茂は沖縄の空手には本来流派ないという意味で「沖縄拳法」を名乗ったが、今日では「沖縄拳法」は中村茂の流派名としても認識されている。中村茂は、戦後沖縄ではじめて防具付組手試合を始めた一人であり、「ティージクンデーイチ(手拳第一)」を理念とする実戦空手家でもあった。中村は1969年(昭和44年)に死去した。』
茂先生の死後、ご子息の中村丈人先生が本部道場を引き継いだんです。
私はその丈人先生の最後の師範として認められた弟子です。
沖縄拳法は150年もやってません。
どうやって生まれる前からやれるんですか。
もう疲れますよ。
中村茂先生が本部朝基先生や上原先生等と共に学び、(手拳第一)を理念とする実戦
空手家であったからこそ、「入る技法」や本部先生・上原先生と同じ「体捌き」があるんで
す。
それくらいでないと、160cmもない小柄な二人の中村前・現館長が、どうやってグリ-ン
べレーの荒くれ猛者達と戦えるんですか。
少し考えれば、誰でもわかる事じゃないですか。
ナイフ持ってる相手に入って、肘打ちくらいできないとあんな大男達に空手の指導なんか
誰ができるんですか。
ホント沖縄の古伝空手に対する妄想は、いい加減にしてほしいです。
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